序
免罪符とは、自分の罪を拭う物ではない。罪を犯して天国へ行けない父祖の苦しみを憐れみ、遺族が求める物であった。
正式には、贖宥状という。筆者が学校で習った時は、「免罪符の販売に反対したマルチン・ルターが宗教改革を起こした」というように教わった。ただ、免罪符そのものについて詳しく説明された記憶はない。
贖宥状は、煉獄で罪を償う故人の罪にかかる罰を赦免するものである。自身が犯した罪については償うか、告白し懺悔し赦しを求める以外になく、これをローマ・カトリックは臨終の儀式としてシステム化し「終油の秘跡」と呼ぶ。ところが、新教徒はこれを拒否したから、いつ死んでも良いように、常日頃から正しいことのみ行わなければならない。犯した罪は悉く償わねばならない。そんな聖人は居ないので、新教徒は全員、地獄落ち決定済という事になる。
そもそもキリスト教に於ては、仏教徒が身につけている「成仏」「生まれ変わり」「輪廻転生」の概念を認めていない。福音書にあるイエスの言葉を見ても、死んだら天国に上るか、地獄に落ちるだけ。
ルカによる福音書16章
19 ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、
21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
22 この貧乏人がついに死に、御使いたちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持ちも死んで葬られた。
23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
25 アブラハムが言った、『子こよ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
こんな事を言うイエスをキリストとして拝むのがキリスト教である。当のキリストとされるイエスは
「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない(ルカによる福音書18章19節)
などというから信者は困ったらしく、「父・神子・御霊の三位一体」を拝むという事になっている。キリストとは「救い主」を意味し、キリスト教では「ユダヤ人の王」として処刑されたナザレのイエスを救い主とするので、ユダヤ人でない者、イエスに会わなかった者は救われない。
マタイによる福音書15章
24 するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
25 しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。
26 イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
27 すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
28 そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。
日本で布教が進まなかった理由の一端も此処にあり、イエスに会わなかったご先祖は救われないというのなら、自分だけ救われても虚しいと泣かれたザビエルには処置なしだったとか。異論もあって、説得されたから入信したのだとか。異教徒との接触なら、もっと昔からあった筈だとか。
そういう説明をする必要に迫られてか、ローマ・カトリックは12世紀頃から「煉獄」を語るようになる。公式な教義と認められたのは、フィレンツェ公会議(1431年-1443)とトリエント公会議(1543-1563)によるので、ザビエルはギリギリ間に合わなかったタイミングか。
煉獄 Purgatory とは何か。地獄 Hell へ落ちる程の悪人ではなくても、天国 Heaven へ行けない人の魂はどうなるのか。その罪を浄めるのが煉獄という修行の場であり、煉獄で罪を償ってから、天国に入れるという訳である。ダンテ『神曲』(1304-1321)に「煉獄篇」が含まれるのも、罪を償ってからでないと天国には行けないから、必要な行程だったことになる。と同時に、当時までには「煉獄」の概念が定着していた証左でもある。ダンテの煉獄は「浄の火山」ともいい、地獄から地表に出たところに聳える山で、天国へ昇る階段代わりにもなっている。
この「煉獄で罪を償う」苦行を早く終わらせます、というのが贖宥状、いわゆる免罪符であった。日本式に言えば、死者の成仏を願い、冥福を祈るまじない。「まじない」は「賂」に由来し、神を「麻痺」させる意味があったというから、免罪符は「まじない」そのものと言えよう。
でも、マルチン・ルターはこれが気に入らなかった。人は生きていればこそ罪を償うことができるので、死んでしまってからは何もできず、魂を高めるなど有り得ない。遺族が何をしようと、故人の魂には届かない。免罪符の可否はさておき、収入を得るための販売など以ての外。
信仰者として正しいつもりだったのかもしれないが、これでは故人は救われない。キリスト教の世界観は、免罪符販売の可否を巡る争いにより、退行してしまった訳だ。
マルチンさんへの悪口が先になってしまったが、これは筆者個人の感想に過ぎないから、読者はウィキペディアにある『95か条の論題』を確認されたい。
といってもキリスト教の教理を知らない人には、書いてある事の理解が難しいから、解説を加える。