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正義の聖域~少し変なヒーローさん~

作者: 西獅子氏

「や、やめてください!」

「良いじゃねえか、姉ちゃんよぉ。減るもんじゃねぇし」


大通りから少し逸れた路地裏。

大男に絡まれる女性は助けを求めて辺りを見渡す。

決して人通りが無い訳ではない。だが、それが逆に「自分以外の誰かが助けるだろう」と言う逃避の理由になってしまっていた。

だから皆、見て見ぬ振りで通りすぎて行く。

ただ一人を除いて……


「その女性から離れてください!」


割り込んできたのは、まだ高校生であろう年若い青年だった。


「なんだ坊主、この女の連れか?」

「いえ、見ず知らずの人です。」

「ならさっさと学校にでも行きやがれ」


大男は邪魔な少年を突飛ばそうと力を込めるが、青年は小揺るぎもしない。

そして青年は何事もなかったかの様に口を開く。


「もう一度言います。この女性は貴方に怯えている様に思えますから、ひとまず離れてください。」

「うるせぇんだよ、ガキが!」


いくら押しても微動だにしない青年に痺れを切らした大男は、思い切り力を込めて顔を殴りつける。

それを正面から受けた青年は、口からダラダラと血を流しながらも大男を睨み付ける。


「離れて……下さい……」


その静かだが圧のある言葉に、大男はたじろぐ。

そして一瞬の静寂が訪れた路地裏に、新たな足音が響く。

その者もまた、青年と同じ制服を着た高校生の男であった。


「あ、俺の方は邪魔する気は無いんで、続けたければ続けて下さい。

……ただ、こっちに向かってる警察の方が居たような気もしないでもないので、続ける場合にはある程度のリスクを伴うとは思いますが」

「ちっ……」


その青年の言葉が決め手となったのか、大男は不満そうに路地の奥へと去っていく。

それを見送った青年は血を流している己の友人に向かい、軽い調子で話しかける。


「顔殴られるのは止めとけって言っただろ。また職員室呼ばれるぞ。」

「すまない。暴力に不馴れな手合いには、血を見せた方が早いかと思って……」

「……お前ときどき怖いこと考え付くよな、まぁそこが面白いんだけど。

ほら、冷えた水買ってきてあるから頭と顔冷やしとけ。

その間に制服に付いた血は落としてやる。」

「いつもありがとう。警察の人はもう来るのか?」

「んなもん嘘に決まってるだろ。事情聴取で遅刻になったら、より面倒な事になるぞ」


その二人やり取りは流血すらも日常であるかの様な、慣れを感じさせるものであった。

そんな青年達に、窮地を救われた女性は声をかける。


「あの、助けてくれてありがとう!

お名前を聞いても良いかな?」

「僕は真野陽色(まのひいろ)。こっちは親友の日下源(くさかげん)です。」

「あ、どうも。この正義感馬鹿の友人やらせてもらってる日下です。ピッピカチャ~。」

「真野くんと日下くんだね。二人にはお礼がしたいから、今から……は学校に行かなきゃだもんね。なら放課後に、この喫茶店でお待ちしてます。それじゃ!」


女性はそう捲し立てると、懐から取り出した喫茶店の地図を陽色の手に掴ませ、足早に去っていった。

残されたのは握られた手を見つめながら顔を赤くする青年と、それを愉快そうに眺める青年だけだった。


「ふむふむ、陽色は巨乳がタイプと……」

「からかわないでくれ。身体的特徴だけで人を判断したりはしない。」

「お前は本当に変な所でブレないよな。

ま、俺は放課後は学校に忘れ物を取りに戻る予定だから、お前は一人で先に行っといてくれよ。」

「その予定、何とかずらせないか?

一人ではその……何と言うか上手く話せそうにない。」

「幼馴染み以外の女性に慣れる良い機会だ。君一人で頑張りたまえ、少年。」


日下は送り出すかの様に、親友の胸に軽く拳を当てた。






「本当に学校に戻って行ってしまった……」


放課後、陽色は指定された喫茶店の前で立ち尽くしていた。

当然の様に側に友人は居ない。

待ち合わせは放課後という曖昧な時間だ。で、あればいっそ友人が戻って来るまで待ってから喫茶店に入るという選択肢も無くはないだろう。

だが……


「……いや、それではあの女性を待たせてしまうかもしれないな」


青年は自分の不安と他者への迷惑を天秤にかけ、瞬時に答えを決めた。

もう迷うことなく扉を開け、小気味好いベルの音が店内に来客を知らせる。


「あっ、真野くん!こっちこっち!」


明るく弾む様な女性の声が響く。陽色は湧いてくる緊張感をなんとか押さえ込んで歩を進める。

席まで辿り着いた青年は、それだけで僅かな達成感を感じていた。


「あれ、日下くんは?」

「えっと、あの、予定通り忘れ物を取りに学校に戻りました。」

「予定通り?……ま、君だけでも良いか。

ささ、お礼だからね。好きなもの頼んで良いよ」

「あ、ありがとうございます。では、それはもう遠慮なく注文する事にします。はい。」


注文した1200円のBランチセットは驚くほど早く提供された。

対面の女性に促された青年は、メインのオムライスに舌鼓を打つ。


「ふふ、いっぱい食べるねぇ。お昼ご飯ちゃんと食べた?」

「は、はい。お弁当はお弁当でしっかりと……あ、もしかしてもう少し控えめな物を注文した方が良かったのでしょうか?」


お礼という名目だった為に全く遠慮せずに注文した青年だったが、少しは遠慮すべきだったかと自省する。


「あ、ごめんごめん。他意は無いんだ。

本当にただ、よく食べるなぁって感心してただけ。

お金の事なら気にしないで、じゃんじゃん頼んで良いからね。」

「ですが……」

「大丈夫大丈夫、どうせ経費で落ちるし!」

「そうですか、経費で……経費?」


それは高校生である青年には、馴染みのある言葉ではない。

だが、その言葉が使われる状況くらいならば流石に知っていた。


「じゃあ……そろそろ仕事の話を始めようか」


気さくなお姉さんは、いつのまにか凛々しい大人に変わっていた。







人通りの少ない静かな学校の廊下を、日下源は歩いていた。

親友に言った様な忘れ物など当然存在していないため、ただ時間を潰す場所を探していた。


「いつも通り屋上……は流石に風邪ひきそうだしなぁ。」


彼が暫く歩いていると、とある教室から騒がしい声が聞こえてくる。

あれは、家庭科室だっただろうか。


「ぬぅぁあ!また失敗にござる!

……もしや、ブラウニーが初心者向けと言うのは、拙者を欺く為の嘘?」

「やっぱり目分量でやってるからじゃない?

お菓子作りは分量が大切って言うし」

「いや、しかし火恋カレン氏は流石の出来でござるな。

……もしや、拙者のブラウニーに足りないのは女子力なのでは?」

「だから、分量をね……」


火恋。その名前を聞いた日下は何故か廊下の隅に隠れた。、想

い人が居ると分かった途端に慌てている己は、親友の事を笑えないなと自嘲する。

そして、なおも聞こえてくる声に後ろめたさを感じつつも、耳を傾けてしまう。


「それはそうと火恋氏、もしやそのブラウニーはバレンタインの贈り物では?」

「それは……そうだけど。その言い方だと貴女が作ってるのは違うみたいに聞こえるわよ。」

「拙者は違いますが?」

「違うの!?」


そう。もうすぐバレンタインである。

日下が己らしくない程に落ち着きがないのも、そのせいである。

学生にとっての一大イベント。自分の想い人の想い人が白日の元に曝される審判の日。


「拙者の事は良いでござるよ。

それよりも火恋氏、その手作り品を賜る幸運な男子は一体誰にござるか?」


確信を突いたその質問。

盗み聞きで判決を知るのは些か卑怯ではある。

それは理解しているが、それでも日下の足が動き出す事はなく、遂に火恋によりその主文が読み上げられる。



「これはね、陽色にあげるやつ。

最近色々とお世話になったから、そのお礼も込めて……みたいな?」



その言葉は日下の心に影を落とすのに充分だった。


「……よりにもよってアイツか。」

"アイツはお前を裏切った"

「違うだろ。ただ好意を向けられてるだけだ。」

"でもアイツはお前に隠れて火恋との仲を深めてた"

「いやいや、そもそもあいつは女性相手には……」

"だが、唯一の例外が?"

「……幼馴染みの火恋さん」

"もう答えは出たね。さぁ……"



「闇に沈め。」






「……怪人、ですか?」

「そ、怪人。君も噂くらいなら聞いた事あるでしょ?」

「まぁ、はい。」

「怪人--我々がシンカーと呼称しているものは確かに実在する。だから、それを倒すために君の様な光の心を持つ人を探してたの。」


それは西日の差す喫茶店には似つかわしくない会話であった。

青年は考えをまとめる為に、渡された名刺をもう一度見つめる。



angela

特務エージェント 賀部 理依(かべ りえ)



怪人と戦う秘密組織angela。それが賀部の所属する団体だと言う。

まるで特撮ドラマの設定の様な荒唐無稽な話だが、この町に怪人が出るという噂と合わせれば、それなりに信のおけるものであると陽色は考えた。


「……つまり、僕にヒーローになって戦えと?」

「ううん、違うよ。危険を伴うのは私達エージェントだけ。

解りやすく言えば、大人が戦う為の武器を提供して欲しいの」

「それこそ不可能に思えますが」


賀部は首を横に振って否定を示し、鞄から二つの武骨なブレスレットを取り出した。


「名前はそのままブレスレット。これは人間のプラスな感情を記録して、それを怪人に対して有効な力に変える装置なの。」

「感情を力に、ですか?」

「そだよ。そもそもシンカーは心が闇に沈んだ人間の体を乗っ取り、更に他人を襲って負の感情を集めることで力を増す存在。

だから、それの逆。誰かを想う力を分けてもらって、闇に対抗する光の力とするの!」


説明に熱が入ってきた賀部は、陽色の手を握り瞳を真っ直ぐ見つめる。


「今朝の君達の行動力と正義感は素晴らしいものだよ。

私達はその力を、貴方の手が届くよりも大きな範囲にまで広げられる。

どうかな、その想いを私達に預けてみない?」


女性に苦手意識の強い青年であったが、今相対しているのは女性である前に一人のエージェントであると認識を改めていた。

握られた手をそっと振りほどき、その目を正面から見つめ返す。


「僕は、力は恐いものだと思っています。

そして感情はもっと恐ろしい。

なので、感情と力が結び付く技術は危険だと感じました。

賀部さんの事は個人的に信用しても良いと考えていますが、その組織の事まで全て信じて感情を預けるのは正直不安です。」

「ブレスレットの力はシンカーにしか効かないから、そう不安がる事はないよ。

肉体に傷すら付けずにシンカーを元の人間に戻せる素晴らしい技術なんだよ。」

「それでも……少し考えさせてください。」

「わかった。取り敢えず君と日下くんの分のブレスレットは渡しておくね。腕に着けて想いを込めながらこの宝石の部分を触れば、その感情を記録できるから。

もしその気になったらお願い。それじゃ好きなだけ食べてね!」


そしてエージェントは朝と同じ様に、足早に去っていった。

一人取り残された青年は、店員に確認をとる。


「あの、料金って……」

「当店はangelaの傘下ですので、心配は要りませんよ。」

「そうですか。では、フレンチトーストとビッグチョコバナナパフェをお願いします。」


合わせて1580円であった。






ほどよい満腹感を感じながら、陽色は沈みかけた夕日を背に歩く。

食事を存分に楽しんだ彼であったが、それは親友を待つ事のついでの行為であった。

だが、幾ら待っても友はやってこない。

己の親友は連絡もなしに家に帰る様な人間ではないと考えた陽色は、様子を見に学校へ戻る事にしたのだ。


「……何だか異様に静かだな。」


辿り着いた学校からは、人の気配が感じられない。

最終下校時刻まであと一時間はあるにも関わらず、運動部の生徒が一人も居ない事に陽色は強い違和感を感じていた。

そして、微かに漂う甘い匂い。何かが起こったのは間違いないだろう。


「源が心配だな。」


心優しい青年は、己が身を案ずる事なく校舎へと入っていく。

真っ直ぐに目指すのは、外から見た時に唯一照明がついていた不審な教室だ。

その教室まで陽色が近付くと、反対側の廊下から足音が響いてきた。


「……源か?」

「どしたよ陽色。そんな怪訝そう顔して。」

「いや……本当に源か?」


その者は確かに、彼の親友の姿であった。

だが陽色にはそれが得たいの知れない存在に思えて仕方なかった。


「なんだよ、いつもの俺だろ?」

「ああ。表面上は完璧にそうだ。」


日下源の姿をした者は、小さく溜め息を吐くと陽色に向けて手を翳す。


「……これだから光が強い奴は嫌なんだよ!」


その掌から放たれた茶色い濁流が陽色に襲いかかる。

その直撃を受けて流された陽色は、廊下の端の壁に叩きつけられたが、なんとか立ち上がる。


「ゴホッゴホッ……これはチョコレートか?」

「おいおい、まだ普通に生きてんのかよ。

お前の頑丈さには呆れるねホント。」


噎せかえる様な甘い匂いの中、ぬかるんだ廊下を平然と歩く日下源もどき。

その全く汚れていない制服は、この空間では異様であり、人外の存在を疑うには充分であった。


「……シンカー、だったか?」

「なんで知って……いや、お前ほどの光ならエージェントが接触してくるのも当然か。」


その返答は自分が怪人であると認めているも同然だった。

それは陽色にとって衝撃的ではあったが、彼にはそれよりも聞くべき事がある。


「学校に居た他の人達はどうした?」

「安心しろ。閉じ込めてはいるが、みんな無事だよ……最初に殺すのはお前だって決めてたからなぁ!」


シンカーの声と共に、再びチョコレートの濁流が襲ってくる。

だが、その勢いは前回の比ではない。

まるで動く壁。その圧倒的な密度のチョコレートに飲み込まれてしまえば、幾ら藻掻こうと逃れる事は出来ないだろう。

陽色が逃げ方を模索していたその時、窓の外から聞きなれない機械音声が響いた。



『セイント・セイバー』



ガラスが割れる音と共に現れた人影は、高速で刀を振り回し濁流を切り裂く。


「特務エージェント賀部理依、ここに参上!」


切り裂かれた波は重力に従いゆっくりと流れて行き、怪人と人間の間に佇むのは光る刀を構えポーズを決めるスーツ姿の女性。

その様は異様であるが、異様が溢れるこの場においてそれはある種、自然にも見えた。


「賀部さん、どうしてここに?」

「エージェントだからね!」

「と言うか、ここ三階ですよ?」

「エージェントだからね!」

「エージェントって凄いんですね。」

「そうだよ。私って凄いんだから。」


陽色は気付く。

その凄まじい身体能力であれば、今朝のチンピラ程度はどうとでも出来たであろう。だが、しなかった。

それはつまり、最初から陽色の様な人間を喫茶店に連れ込む為の仕込みだった事を意味するが、そのお陰で今この状況を理解できていると考えれば、陽色にとっては顔の怪我など些細な出費だった。


「暢気なもんだな、エージェントってのも。」

「闇を倒す為に闇に堕ちちゃ元も子も無いからね。明るく振る舞うのも仕事の内なんだよ、シンカーくん。」


方やチョコレートで無数の触手を作り出し、方やそれを光の刀で全て切り伏せる。会話の中でも息も乱さずにその動作を行う両者は、確かに徒人の埒外であった。

その戦いは拮抗している様にも見えるが、刀一本で流体に立ち向かう事の無謀はこの場に居る誰もが理解できる事であった。


「あんたも並みのエージェントじゃないみたいだが、所詮は人間。いつまでスタミナが持つかな?」

「まぁ、この祝福じゃ相性が悪いのも確かだね。でもだからと言って、一般人を置いて退く理由にはならないけど!」


賀部が左腕に着けたブレスレットが、黄色く輝いている。陽色は、恐らくあれが光る刀の正体なのだろうと当たりを付ける。

それならば、陽色のすべき事は定まった。

陽色は迷わずに、人外の戦いの最中へと駆け出す。


「え!?」

「は!?」



そして、光の刃に自ら貫かれた。



「ちょちょちょっ!何してるの君!?」

「いえ、ブレスレットは闇にしか効かない武器だと聞いていたので、それが本当かどうか確かめてみようと。

……本当に何ともありませんね。」

「お前は時々ヤバい事思い付くよな……いや、マジで。」


胸から光の刃を生やしながら平然と話す青年は、非日常を体現した様な二者から見ても異常であり、戦いの手を止めるには充分な理由であった。


「では、これで僕も覚悟が決まったので、お力をお貸しする事にします。」


そして陽色は自分の左腕を掲げ、そこに着けたブレスレットを起動した。



『ラーニング開始』



短い機械音声と共に発された眩い光が辺りを覆い尽くす。


「しまっ……!」

「眩しい~」


光が収まると、陽色は素早く自分の左腕を確認する。

ブレスレットの透明だった宝石部分は虹色に輝き、一対の白い翼が生えていた。

それがどういった意味を持つのか陽色には解らなかったが、とにかくブレスレットを賀部に渡そうと試みる。


「……ん?……あれ?これ、どうやって外せば……」


だが陽色が幾ら引っ張っても、ブレスレットは外れない。

冷静に考えてみれば、着けた時よりも明らかにキツくなっている。と言うよりも最早肌と一体化している様な感覚すらあった。

どうすれば良いか解らず、陽色は賀部に助けを求めるが……


「聖域……」

「嘘だろ……」


賀部どころかシンカーまでもが動く様子が無い。

何か非常事態であるのは間違いないが、それは陽色にとっては関係の無い事であり、今欲しているのは有識者のアドバイスである。


「外せる方法があるなら、これは渡しますので教えて下さい。」


陽色の言葉で、賀部とシンカーが同時に我に返る。


「もう一度、その宝石に触って起動して!」

「絶対に起動するな!」



『サンライト=サンクチュアリ』



賀部の指示通りブレスレットを起動すると短い機械音声と共に、淡い光が浮かび上がり陽色を包み込んでいく。



「馬鹿!戻れなくなるぞ!」



シンカーのその必死な言葉だけは、陽色にはまるで日下源本人の言葉であるかの様に感じられた。

だが、もう賽は投げられた。

光は白銀の鎧となり、陽色の体に装着される。

流れ込んでくる温かい力に戸惑う陽色に、賀部は告げた。



「ごめんなさい、事情が変わったの……

その力で貴方自身が戦うのよ。」



賀部の言葉を時間をかけて理解した陽色は口を開く。


「……それは、かなり話が違いませんか?

確かに明確な契約などは交わしてませんが、この土壇場で前提を覆されてしまうと流石に信用そのものが揺らいでしまうのですが。」

「だって、しょうがないじゃん!聖域化なんて理論上の話でしかなかったんだから!私だって悪いとは思ってるけど、今この場を確実に収められるのは君だけなんだから!」


シンカーは、二人が口論に熱中して自分から意識を反らした一瞬の隙をついて、陽色に向かいチョコレートの触手を放つ。

だが、その触手は陽色の鎧に触れる直前で急速に溶けて液体と化した。


「やっぱ聖域相手じゃ相性が悪いか……」


不利を悟ったシンカーは、チョコレートの波に乗って廊下の奥へと逃げ出した。


「やばっ!走りながら事情は説明するから、行くよ!」

「え?あ、はい!」


シンカーの後を追い、二人も駆け出す。


「まずお聞きしたいのですが、聖域化とは何ですか?何故、僕が戦う必要があるのですか?」

「普通はね、ブレスレットに籠められた感情は、出力とか力の方向性とかを誰にでも扱える様に調整されて、祝福って呼ばれる武器になるの。私のこれみたいに。」


賀部はそう言うと光る刀を振り回し、前方から飛んできたチョコレートの弾幕を斬り伏せる。


「でも、込められた光の感情が強すぎるとその調整が難しい。

だから最低限の措置として持ち主専用の鎧にする、それが聖域。」

「……つまり、武器としては出来損ないって事ですか?」

「汎用性という意味ではそうだけど、あなた自身が戦ってくれるなら話は別。その鎧はシンカーの干渉を無効化し、触れるだけでシンカーにダメージを与える。

チョコを操るシンカー……ショコラ・シンカーとでも呼ぼうかな。あいつの様な操作系にとって、あなたは天敵よ。」

「それが、僕が戦うべき理由という事ですか……」


陽色は、一拍置いた後にハッキリと意思を告げた。



「でしたら、僕は戦いません。」



陽色の予想外の返答に、賀部は思わず足を止める。


「……自分が何を言ってるか解ってる?」


突然、恐ろしい程に冷たい視線を放つ賀部。

その瞳には、どこか憎しみすら感じられた。

だが、それでも陽色は揺らぐ事なく、しっかりと自分の意見を説明する。


「シンカーが人の肉体に宿っているのならば、その器を別の物に変える事によって共存できるかもしれません。

例え時間が掛かったとしても、僕の自慢の親友ならば笑って許してくれます。

それすら試さずにその存在を消してしまう事は、僕には出来ません。」

「あぁ~……いや、ごめん。私が説明してなかったんだわ。」


陽色の言葉を聞いた賀部は力なく項垂れると、直ぐに顔を上げた。

その瞳には先ほどまでの冷たさが嘘だったかの様に、元の明るさが戻っていた。


「いい?確かにブレスレットの力を使えば元の人間に戻せる。でもシンカーが成長すればする程、その肉体と結びつきは強くなり、最終的には完全に融合して元には戻らなくなるの。

だから、私たちエージェントは一秒でも早くシンカーを倒さなければならない。わかった?」

「それでも……少の間、僕に時間を下さい。」

「わかったよ……って言うか、君が戦ってくれないなら、ショコラ・シンカーと相性の悪い私は、どのみち本部の応援を待つしか無いしね。」


賀部は気持ちを切り替える為に両頬を叩くと、辺りを見回す。


「さて、ショコラ・シンカーを見失っちゃった訳だけど、これからどうしようか。」

「……シンカーは、恐らく宿主となった人間の記憶や性格を保持してるんですよね?」

「そうだね。個体にもよるけど、ある程度は確実にあるよ。」

「だとしたら、その居所に心当たりがあります。」






陽色たちが屋上へと辿り着くと、案の定そこにはショコラ・シンカーが居た。


「源を模倣してる君なら、ここに居ると思ったよ。」


誰も居ない暗く静かな校庭を眺めていたシンカーは、一度白い息を吐くと陽色へと向き直る。


「陽色、本当はお前を最初に殺したかったんだが予定変更だ。まずはこの女に死んでもらう。」


シンカーが手を上げると、チョコレートの触手が手摺りの外側へと伸びていく。

その触手の先には、縛られた一人の人間が居た。


「火恋さん!」


下を見て地面の遠さに慄き、暴れだす火恋。

口を塞がれ手足を縛られた彼女に、為せる事は何もない。


「幼馴染みを目の前で失い、絶望に沈んでくれ。」

「よせ!」


シンカーが手を下ろすと触手は力を失い、重力に従って落下する。

それと同時に駆け出した陽色は、落ちていく火恋に追い付くため手摺に足を掛けると、思い切り蹴り飛ばし下方向へと加速する。


「真野くん!」

「陽色、お前は本当に……」


火恋に追い付いた陽色は、その体を抱き留めると自分の体を下にして着地の衝撃に備える。

だが、訪れた衝撃は予想よりも遥かに小さな物だった。



「お前は本当に……俺の予想通りに動いてくれる。」



突如現れた大量のチョコレートが空中の陽色と火恋を包み込み、二人は巨大な球の中に閉じ込められてしまった。


「真野くん!」






「……あれ?私、助かったの?」

「いや、この狭い空間は全てチョコレートで出来ているみたいだ。

まだシンカーの手の内にあると考えた方が良いと思う。」

「ねぇ、陽色。聞きたい事が山の様にあるんだけど、まず一番気になるのは……貴方、徐々に沈んでない?」

「この鎧はシンカーがチョコレートを操っている力を打ち消すらしい。きっとそれが原因だね。」

「じゃあ、このまま沈んで行く貴方に掴まっていれば、いずれは出られるってこと?」


希望を見いだした火恋の言葉を、陽色は少しの思考の後に否定する。


「いや、溶けたチョコレートが残り続けている上に、空間が狭くなってきている。

脱出するより僕らが溺れる方が早いと思う。」

「じゃあその鎧、外しなさいよ!」

「そうしたら、圧殺されるのを待つしかなくなるかな。」

「八方塞がりじゃない!」

「うん。まさに文字通りだね。」

「張っ倒すわよ!?」


ぎゃあぎゃあと喚く火恋を他所に、陽色はチョコレートに沈みながら思考の海にも沈む。


(賀部さんが言っていた本部の応援を待つ……のは最終手段だな。けれど、源の記憶を持つシンカーが、わざわざ危険を犯してまで実行した策だ。今ある手札じゃ突破できないと考えた方が良いだろう。さて、どうしたものボボボボボ……)

「溺れてんじゃないわよ!私は何も出来ないんだから、今はあんたに頼るしかないの。しっかりしなさい!」


火恋の掴み上げられた己の左腕を見て、陽色は一つだけ新たな手札を思い付く。


「火恋さんに出来ること、一つあったよ。」






「くそっ!」

「無駄無駄……って言えるほど俺も余裕ねぇけどさ。」


シンカーは、チョコレートの分身で賀部を足止めしながら、巨大な球へと更にチョコレートを流し込む。


「さて、そろそろ二人とも溺れてくれてるとありがたいんだ……が?」


一進一退の攻防を続けていた賀部とシンカーは、突然球から発せられた輝きに目を見開く。



『ラヴァ・オブ・ラブ』



球を突き破って出てきた陽色の拳には、溶岩の様なものが纏わりついていた。

そしてその右腕には、赤く輝く宝石を付けたもう一つのブレスレット。


「お前……なんで?」

「僕は源の分のブレスレットも預かっていたからな。緊急事態だったため、そこに火恋さんの愛情を込めてもらった。」

「ねぇ、わざわざ私の愛情とか言わなくても良くない?凄い恥ずかしいんだけど!」

「君がまだ戦うと言うのなら、この力を使って源を取り戻させてもらう!」

「はっ、只でさえ相性悪いってのに、熱の力まで手に入れやがった。ホント、笑えねぇ……でも、最後までやるしかねぇよな!」


シンカーはその右手に、再びチョコレートの球を作り始める。

陽色は、慌てて駆け出そうとする賀部を片手で制すると、シンカーの目を見据えて質問をした。


「君は、源から生まれた存在なんだろう?何故そこまで執拗に僕を狙うんだ。」

「俺はその女に愛されているお前への嫉妬心から生まれた。だから、お前だけは何としても殺さなきゃ、次には進めねぇんだよ!」


突然自分を指差され戸惑った火恋は、陽色と日下の顔をした人物を交互に見る。

そして、その言葉を受けた陽色の反応と言えば……



「?……何を言っているんだ?火恋さんが愛しているのは源に決まっているだろう。」



沈黙した空間でもなお、陽色は気にせずに話を続ける。


「このブレスレットにだって源への愛情が……」

「ちょっ、陽色!何でそれ言っちゃう訳!?秘密って言葉の意味知らないの!?」

「あ、そうだった。すまない!」

「あんたに協力を頼んだ私が馬鹿だった……いや、本当に。」


シンカーは、あまりにの驚きに口を開いたまま止まり、作りかけの球は手から零れ落ちて崩れた。


「……は?じゃあ何か?俺が生まれる原因になった嫉妬心は、全部無意味な勘違いだったって事か?マジかよ、くっだらねぇ。」

「その嫉妬心は源の愛の強さの裏返しだ。決して下らなくなんかない。」

「これを聞かされてる私は、明日からどんな顔して日下くんに会えば良いのよ!」


顔を真っ赤にした火恋を賀部に預けた陽色は、真っ直ぐにシンカーの元へと歩んで行く。

ショコラ・シンカーも、もう逃げる素振りは見せずに陽色を待っていた。


「お前を誘き寄せた時点で、勝ったと思ったんだけどな。お前、無茶苦茶すぎるぜ。」

「君は忘れている様だが、そもそも源が僕を気に入ってくれたのは、僕が源の予想外の事ばかりするから、らしいぞ。」

「そういや、そうだったな。あ~あ、俺の完敗か。」


和やかに話す二人に、もう武器は必要なかった。

シンカーはチョコレートを全て消し、陽色は火恋のブレスレットを外す。


「最後に一つ聞きたい。君は、シンカーと人間は共存できると思うか?」

「人間が他の生き物を喰らって生きる様に、俺たちシンカーは人の負の感情を糧に成長する。誰も傷つけたくないお前とは根本的に相容れないだろうよ。」

「そうか。ありがとう、ショコラ・シンカー。」


陽色は送り出すかの様に、親友の姿をした者の胸に軽く拳を当てた。

拳に纏った聖域が、ゆっくりと闇を浄化して行く。


「なんか当たり前の様に呼んでるけど、ショコラ・シンカーって名前、お前らが勝手に決めただけだからな?」

「気に入らなかったか?」

「考えてもみろ。お前のこと鎧人間って呼ぶ様なものだぞ?」

「そ、それはすまない。」

「.……でもまぁ、俺が存在した証になると考えれば悪くない……かな……」


闇は消え、残った肉体はそのまま陽色の方へと倒れ込む。

それを慌てて抱えた陽色は、穏やかな寝息を聞いて安堵した。






その後、angelaの応援部隊が到着した。

現在、日下源を含めた被害者達は医療班のケアを受けている。

校庭に張られた仮説テントを見ながら、陽色は後ろから近付いてくる賀部に声をかけた。


「宿主を助けるためには、戦ってシンカーを倒すしか無い事は理解しました。この力が誰かを救うことに繋がるのなら、僕は戦い続けます。」


「そっか。これで君も特務エージェントの仲間入りだ。よろしくね~。」


賀部は手を差し出して握手を求めるが、振り返った陽色はそれには応じず言葉を続けた。


「でも、それは対話を諦める事ではありません。ショコラ・シンカーの事も最後に少しだけ理解する事が出来ました。意思の疎通が出来る相手ならば、僕は暴力以外の解決方法も模索したいです。」


「甘いよ、君は。さっきあの女の子と一緒に死にかけたのを、もう忘れたの?

今回は偶然助かった訳だけど、偶然ってのは訪れない時があるから偶然なんだよ。

君が力を振るうことを躊躇えば、力を振るう事よりも遥かに辛い未来を招く事になるよ。」


「それでも、力を持った途端にそれを振るうことしか考えないのは怠慢です。僕はそう有りたくない。」


ぶつかり合う瞳。

一つの戦場を共にした二人は理解していた。互いの信念の強さも、そしてそれを絶対に受け入れられない事も。


「……だから、ご迷惑をかける事も多いかもしれませんが、これからよろしくお願いします。」


そして陽色は手を差し出す。

互いの信念を認められなくても、それは手を取り合わない理由にはならない。

それは賀部も理解していた。

賀部は一度深く息を吐くと、しっかりと陽色の手を握った。


「……ま、未来を憂いてばかりいても仕方ないしね。取り敢えずは宜しくね、陽色くん。」

「は、はひ。」

「……え、今さら緊張してる?」

「その、女性の手を握ったのは初めてでありまして……」

「握手が!?」


顔を赤くする陽色と、涙を滲ませるほど笑う賀部。

二人の戦士の相容れない覚悟が、この先どんな未来を齎したとしても、この時この瞬間の小さな幸福は確かなものである。

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