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【書籍化・コミカライズ】美大生・月浪縁の怪談  作者: 白目黒
【第七章】 Look at me
92/92

永遠

 【芦屋啓介】


 私立東京美術大学、日本画棟のアトリエの一室、青いビニールシートを広げ、壁に白いパネルを立てかけてから固定する月浪縁(つきなみよすが)を、芦屋啓介(あしやけいすけ)はカメラ片手に目で追っていた。


 パネルは巨大で五メートル四方の正方形だ。ほぼ壁である。日本画なので最終的には壁から下ろして這うように描くのだというが、いまはまだ下絵の段階なので展示する時と同じように立てかけて描くらしい。


 例によってビニールシートの上には雲や龍のラフスケッチが散乱している。

 芦屋は作業着代わりに白衣を羽織る縁に深くため息をこぼした。


「お人よし」

「なんだよ、急に」


 突然罵倒される格好になった縁がムッとした顔でこちらを睨んでくるが、芦屋は構わなかった。


「月浪がわざわざ描いてやることないと思うぞ」


 梁飛龍(リャンフェイロン)に対する応報として、縁は『画竜点睛』を題材に絵を描こうとしている。その絵がもしも(ちょう)僧繇(そうよう)をも超える傑作だったなら、もう一度会えるかもしれないから、らしい。


 だが、正直言って縁の感覚は芦屋には理解しがたい。


「そもそも自分を殺そうとしてきたヤツともう一回顔合わせてやろうと思う気持ちがわからん。……ちょっとチョロいんじゃないですか?」


 絆されてんじゃねえよ、と冷ややかな目をむける芦屋である。


「はぁ?!」


 縁は珍しく裏返った声をあげると、芦屋に向けて人差し指を突きつけた。


「人聞きの悪いことを言わないでくれる? 私は怪異相手に絆されたりしません。これはただの義理だよ。義理」

「なんの義理があるんだよ」

「一応、命の恩人ではあるでしょ」


 縁の霊媒体質。ありとあらゆる怪異を引き寄せる生まれつきの力から、梁は密かに二十年間、縁を守ってきたのだという。


 それはそうだが、と芦屋は苦い顔になった。


「……腑に落ちねえ。最後の呪いで恩は帳消しだろ。しかも思い返すとループの最中におまえを殺してるのは全部龍の怪異だったし、……正直変な執着が垣間見えて怖いんだよ」


 縁の目が明らかに泳いだ。


「それは、まあ、それとして」


 一応、縁自身、梁の執着の仕方が異常だという認識を持ってはいるらしい。


「梁飛龍は私の命の恩人ってだけじゃないから。芦屋くんだってそうでしょ」

「は? 俺? むしろ殺されかけたんだが?」


 芦屋は中華百鬼夜行で霊亀をはじめとした蛇っぽい怪異に殺されることが多かった。正直長くて鱗のあるにょろっとした生き物にはあまり近づきたくない。しっかりトラウマになっている。

 嫌悪感も露わに腕を組んだ芦屋に、縁は眉を下げて、柔らかく微笑んだ。


「『厄払いの絵画』で君のことを助けられた」


 芦屋は瞬く。


「君が、私の代わりに怒ってくれたり、私と一緒に理不尽な怪異と立ち向かってくれるから。君がいるから、私はこうして生きていられる。……君と友だちになれて、本当に良かった」


 縁はそこまで言うと、ニッといつものチェシャ猫のような笑みに切り替える。


「そのきっかけをくれたのは『厄払いの絵画』だし、君の他にも健兄さんとか、厄払いでケガが軽く済んで、死なずに済んだ人も大勢いるから。それはやっぱり、梁さんのおかげでもあるわけだよ」


 縁の言うように、『厄払いの絵画』の力で救われた人間は大勢いる。


「梁飛龍と、もう少し落ち着いて話がしたいと思ったんだ。その機会が作れるかもしれないなら、挑戦してみて損はない」


 自殺を考えるところまで苦しめられたことは確かだが、縁自身は『厄払いの絵画』の力を憎んではいないのだ。


「それに、人に利用されるばかりの境遇に置かれた瑞獣は、かわいそうだと思う。たとえ強い力を持っていたとしても、なにかを自由に表現することすらままならないのは、つらいよ」


 白い画面の中に梁飛龍を見ているのか、遠い目をした縁は言う。


「一人くらい、きちんと報いたいと思う人間が居たって、いいじゃない」


 やっぱりお人よしじゃないか、と芦屋は言いかけて、やめた。


「釈然としねえなぁ……」


 ただし不満は表現する。

 芦屋の態度に、縁は呆れた様子だ。


「抜かせ。そういう君だって『他人の制作風景』を次の作品に選んだのは梁さんの走馬灯の影響を受けたからだろ」


 縁の指摘を、芦屋は否定できなかった。


「……悔しいけど格好良かったんだよな。あいつの目で見た、創作者たち」


 なにかを作る人間にこの上なく敬意を払う、梁の目から見た創作者たちは皆、自分の作品に心血を注いでいた。――その姿を残したいと思った。


「あれが残らないのは惜しいなと思った。だから俺はあいつとは違った視点で、あいつ以上に格好良い作品を作りたい」


 だから縁に写真を撮らせてほしいと申し出たのだ。愛用する一眼レフカメラに触れる芦屋に、縁は喜びとも照れとも、切なさともつかない複雑な顔をして黙る。


「なんだよ?」

「いや、梁さんは本当に腐っても瑞獣だったんだな、と思って。自分が消える間際まで人間に天啓を与えて去っていったんだな」


 しみじみと口にした縁に、芦屋は頷いて、ポツリと呟く。


「一番インスピレーションを受けてたのは(おおとり)だろ」


 芦屋は打ち上げの一件を思い出していた。


 ※


 中華百鬼夜行が終わり朝を迎えると、全てが元通りになった……わけではなかなかった。まず、東美怪奇会・会長、梁飛龍の存在が、記録や概ねの人間の記憶から消えていた。どうやら〝辻褄合わせ〟のようなことが行われたらしい。


 梁飛龍という人間は最初からいなかったことになった。

 けれど、『東美怪奇会』というオカルトサークルはまだある。当然、会長職もまだ設けられているわけだ。これがどうなったかというと、なぜか縁がサークル部長のポジションに据えられていた。梁は縁に引き継がせることにしたらしい。


 サークル部員から「会長」と声をかけられるたびに縁は引きつった笑みで適当にいなしたあと、「あの怪異(クソやろう)……、スパルタドラゴン……」などと低く悪態をついている。


 縁をはじめとして呪いに深く関わった酒巻虎徹(さかまきこてつ)、鳳アンナ、泥亀伊吹(どろがめいぶき)鹿苑旭(しかぞのあさひ)、芦屋啓介にはいまだに梁の記憶が残っている。だが、呪われていた縁と鹿苑、禊の名刺で記憶を担保していた芦屋以外の記憶はどんどん薄らいでいくようだ。


 だから、梁の記憶が残っているうちに呪いに関わったメンバー全員で、国分寺にある東美生御用達の居酒屋・猫柳亭で一度話をしようということになったわけである。


 題して、

「いまから〝呪い残しを防ぐ怪談による除霊を兼ねての呪術版・中華百鬼夜行打ち上げ〟を開催します。費用はうちの母持ちなので好きなだけ飲み食いして大丈夫です。乾杯」


「前置きが長いわ」


 縁が死んだ目をしながら音頭をとると酒巻虎徹が突っ込んだ。


 それぞれ「乾杯」とさほど明るくもない声で呟きながらグラスをぶつけ合う。

 中華百鬼夜行で起こったことをそれぞれ振り返りながら宴会は進んだ。


 それぞれ、梁飛龍に対しては複雑な思いを抱えているらしいが、どんどん記憶が薄らいでいくことの影響を受けているのか否か、梁への感情は皆、一枚フィルターを噛ませたように、強いものではないようだ。


 トラウマにならないよう配慮したのではないかというのが縁の言だが、そこをフォローするより他にやりようはなかったのかと芦屋は思う。


「いまだに信じられんのやけど、梁会長、ほんまに人間じゃなかったんやね。もうあの人は会長じゃないか。なあ、月浪会長?」


 酒巻は愉快そうに縁を役職で呼んだ。縁は梁がこなしていた仕事を、人を頼りながらも捌いている。その作業が本当に大変らしくげっそりした顔で首を横に振った。


「やめてくださいよ。本当に柄じゃないんで」

「そんなことあらへんって。おきばりやす」


 酒巻はわざとらしく語尾にハートマークでもつきそうな京都弁で縁をからかっている。


「まだ、うっすらと記憶は残っているんですけど、目が覚めるたびに知っている人のことを忘れていくから変な感覚ですよ……。梁会長、〝梁〟ですよね? あんな、キャラが濃い人を忘れかけているなんて……。でも私酒巻さんのことも途中忘れてたからな……」


 鳳アンナはグラスを傾けながら酒巻を一瞥して「こんなキャラの濃い人を……」などとぼやいている。


「はあ、おかげさんで特徴の多い人間やらしてもろてますわ」と、酒巻は皮肉めいた返事を返した。百鬼夜行の件があってから酒巻は力が抜けたのか、遠慮がなくなったように見える。


「……ちょっと後悔してます。私、梁さんに『思い通りにならないことなんてなさそうに見える』って酔った勢いで言ったことがありまして」


「自分、なかなか無神経なことを言うたな……?」


 鳳の暴露に、酒巻は引いた。


「はは、お酒飲むと、つい……。本当は、あんまり思い通りにならないことばかりだったんですよね? 彼は」

「そうだね」

「申し訳ないことを言ってしまった。……いや、あとで鳥人間にされた上で存在抹消されかけてるからイーブンかな?」


 縁が頷くと、最初はしおらしげにしていた鳳があごに手をやって首を傾げる。


「改めて考えると最悪すぎる」


 芦屋が半眼で言うと鳳は愉快そうに微笑んで、続ける。


「しかし。龍。龍ですか。なんとか取材とかしておきたかったなあ……」

「鳳。俺はおまえのその漫画のネタに貪欲すぎるところ、正直どうかと思うぞ」


 冷静に突っ込んだ芦屋に、ワッと鳳は声のボリュームを上げる。


「だって! 龍と話せる機会なんてそうそうないですよ! 生態的なことを聞いてみたかった! 逆鱗って本当にあるの?! とか!」


「確かそんなようなことを言ってた気がするけど」

「やっぱりあるんだ……逆鱗……」


 縁が淡々と答えると、鳳はしみじみと呟き、ふとグラスに目を落とした。


「……でも、そんなのどうでもいいから、もう一回くらい、梁さんと腹を割って話してみたかったな」

「そうですね」


 芦屋の横にいた泥亀伊吹が頷く。相変わらずの美貌で、国分寺の居酒屋に似つかわしくなかった。


「私、月浪先輩に怪異と一緒に胸のつかえみたいなものまで祓ってもらったみたいで、なんだかスッキリしています。たぶん、梁会長の思惑通りです。だから、あれだけ酷い目に遭わされても、なんとなく、憎みきれない。……いえ、酷いのは酷いですし、正体を知らない時は無理やり座長に任命してくるし、人に散々指図する割に自分は手を動かさないので苦手に思っていたんですけど」


 なかなか手厳しいことを言っているような気がする。


 芦屋は、向かいの端に座って黙って枝豆を一粒一粒取り出している人間に話を振った。


「そういや、鹿苑珍しく全然喋らないな。どうした?」


 話を振られた鹿苑はびくりと肩を震わせると、半眼で芦屋を睨んだ。


「あのな。芦屋おまえ、俺を能天気なアホだと思ってんの? 半分が俺のこと呪ってた人との飲み会なんて普通に気まずいですが、なにか?」


「月浪は普通に仕切ってるだろ」


 横に座る縁を話題に出すと「ふつうに仕切ってまーす」と縁はふざけて鹿苑を煽った。


「月浪は割と強心臓じゃん。俺は繊細なの!」


 勢い込んで言った鹿苑に酒巻が失笑した。


「繊細て……ハッ」

「鹿苑は日頃の行いが良くないと思う」

「…………」


 鳳は冷ややかな目を鹿苑に向ける。

 泥亀だけは何を言っていいかわからず焦っているようだった。


 その様子を見て、縁は「はい」と手を挙げて鹿苑に目をむける。


「私、鹿苑くんに言いたいことあるかも。詳しい理由は差し控えるけど鹿苑くんは泥亀さんに謝ったほうがいいと思う。ふつうに最低だったから」

「は?!」


 鹿苑は素っ頓狂な声をあげて助けを求めるように芦屋を見るので、芦屋も縁同様に軽く挙手した。


「悪いが俺も月浪に同感」

「これ俺が針のむしろになる会じゃねえかよ!」


 鹿苑が目を白黒させているのを見かねたのか、泥亀も小さく挙手しておずおずと言う。


「あの、いいです。別に。謝ってもらわなくても」

「……本当にいいの?」


「多少居心地悪い目に遭わせておいた方がいいと思うぜ、コイツ」などと鹿苑を指差しながら縁が続けると泥亀は少々おかしそうに口角を上げたが、やはり首を横に振った。


「はい。そういうことなので、鹿苑先輩もお気遣いなく。鹿苑先輩の作品()まだ好きですし、ファンを辞めろと言われても無理なので」


 泥亀は鹿苑に向けてはっきり言い切ると、柔らかく微笑んだ。


「勝手にしますよ、私は」

「……あっそう」


 鹿苑は口元を押さえて珍しく 目を逸らす。

 やり込められている鹿苑を見て、酒巻が愉快そうにグラスを煽ると、勢いづけるようにテーブルに強く置いて、挙手した。


「じゃあ次、俺も鹿苑に言いたいことあるわ。あのさ、三ヶ月後に出そうと思ってるコンペがあるんやけど、鹿苑も一緒に出ぇへん?」


「え? 三ヶ月後っていうとどれっすか?」


 鹿苑は瞬くと、真ん中に座っていた鳳と席を交代してまで酒巻のそばに寄った。


「これなんやけど」


 酒巻がスマートフォンを渡す。要項を読んでいるらしい、画面をスクロールするたびに鹿苑の目がギラギラと輝く。


「えーっ! 出たい! 誘ってもらえてすげえ嬉しいですけどなんで?!」

「……いい加減白黒はっきりつけたろ、と思って」


 酒巻は一呼吸おいて、鹿苑に宣戦布告する。


「俺、おまえのこと嫌いやねん」

「知ってますよ。俺は酒巻サンのこと嫌いじゃないですけど」


 鹿苑は間髪容れずに答えた。全く堪えたそぶりもなければ驚きもない。酒巻は唖然と目を瞬くと、額を抑えて「ほんまにもう」と呟く。


「……マジで、鹿苑、そういうとこやぞ。自分のどこが繊細なん? アホちゃうか?」


 罵られても鹿苑はヘラヘラしていた。


「いやーだってさあー、いいじゃないっすか、バッチバチのライバル関係! 楽しくないっすか? 一人二人いて欲しいです。張り合いでるから! いいっすね、コンペ! 順位出るの楽しみっすね〜」


 最後だけ明らかに酒巻を煽ってニヤついていた鹿苑である。どこかでゴングが鳴った気がした。


「ほーん? 自分が負けるとは微塵も思ってへん顔やなぁ? ……あとで絶対吠え面かかせたるからな。見とけよ」


 にわかにテンションを上げている男二人をジッと眺めている鳳に、縁が声をかける。


「鳳さんは、途中で梁さんが黒幕だったって気づいてたよね?」

「ああ、はい」


 鳳はあっさりと認めた。次のループへ移行する際にそれらしい態度をとっていたので気になっていたのだと縁は言う。


「なんでわかったの?」


 鳳は口元に手をやって、芦屋の横に座る泥亀へ目を向ける。


「……中華百鬼夜行のシナリオは泥亀さんの解釈が入ってホラーとして成立しやすくなったって、話をしましたよね? 泥亀さん。どんなふうに手を入れたのか覚えてます?」


 話を振られて、泥亀もしばらく考えるそぶりを見せたが、きちんと答えた。


「私が演じる、五匹の怪異に取り憑かれて錯乱する〝彼女〟。最終的には彼女自身が割と常軌を逸した言動をとるキャラクターにしました。彼女自身の言動を常識から遠ざけないと、あれは全然怖くない。ホラーになってくれないから」


「そうなんですよねえ」


 鳳はこくこくと首を縦に振る。


「なんでかって言うと『〝彼女〟は怪異という名のパトロンに才能を惚れ込まれ、永遠の牢獄に閉じ込められながらも幸せに絵を描き続ける。作品を作ることが何よりも好きだから』実のところ怪異と彼女はWINWINの関係な訳ですよ」


 ホラーで怪異と被害者が利害関係を一致させちゃダメでしょう、と鳳は言う。そうなったらもう被害者を被害者として書くことは不可能になるのだと。

 言われてみれば、そうかもしれない。


「その話を私に書かせたのって梁会長なんです。『創作賛歌の要素は絶対に入れてほしい』と強い要望があったので。……らしくないな。とは思ったんですよ。もっとホラーに全振りの要素を振ってきそうなのに。でも、『呪い』の手順にはそれを作った人の心情が反映されるんでしょう?」


 鳳は愉快そうに縁へと顔を向けた。軽く手を合わせて解説する。


「さて、ここで、シナリオの怪異の視点に立ってみましょうか。彼女を永遠の牢獄に閉じ込めた怪異は何を思っていたのか」

「…………」


 もうこの時点で、縁は鳳がなにを言う気なのかほとんどわかっていたに違いない。引きつった顔で、グラスに刺さったマドラーを意味もなくかき回し始めた。


「『作る人が大好き。いつまでも自分のそばで〝彼女〟が絵を描いてくれたらいいのに』とかそんな感じでしょう?……なんかちょっとヤンデレ気味ですけど、ラブストーリーじゃありません? そういう結末も、たぶん擬似的には再現できたんでしょうし、梁さんの中では〝アリ〟だったんじゃないですか?」


 芦屋はげんなりした顔で口を挟んだ。


「人間の都合、一切無視じゃねえか、おかしいだろ」


 鳳は指を一本立てて、ニヤニヤと笑う。


「そこは人間じゃない人が考えることですからねえ、感覚は違うでしょう。でも、ラブレターでしたね。中華百鬼夜行。梁さんから月浪さんへの、世界一物騒で最悪なラブレター」


 縁は辟易した様子ではあったが、鳳の解釈を否定も肯定もしなかった。


「ほらね? 私が途中で説明しちゃったら野暮の極みでしょう? しかし惜しいな。あんな超面倒でおもしろい梁会長のこと、全部忘れちゃうんですもんね。悔しいな……」


 心底残念そうに言う鳳に、縁はヤケクソ気味に言い捨てた。


「鳳さん、描けばいいと思うよ」

「へ?」


 瞬く鳳に、縁は開き直った。やけにキラキラした笑みを浮かべて続ける。


「私も龍の絵を描くと決めてるんだ。鳳さんも描くといい。いまメモをとっておけば、まあ、梁さんの存在は記憶からなくなるにしても要素だけなら……彼から受けたインスピレーションそのものは覚えていられるんじゃないの?」


 鳳は少々怯んだ様子で眉をハの字に下げる。


「……ヘタなものを描いたら怒られませんかね?」

「ヘタじゃなければいいんじゃない?」


 適当に言った縁に鳳は瞬くと、ニッと力強い笑みを浮かべた。


 ※


「鳳の奴、月浪の適当な発破でやたらとやる気になってたもんな」

「彼女は自信がなさそうにしてても漫画のネタになることには貪欲だから」


 カッターナイフで削った鉛筆を手に、縁は画面に向き直った。


「さて、そろそろ描きますか」


 縁が白いパネルの前に立つ。


「伝説に挑むっていうのも、そう悪くない気分だね」


 不敵な笑みを浮かべて意気込みを見せる縁の横顔を、芦屋はカメラのファインダー越しに見る。


『たとえ作品そのものが滅びても、身分を越え、国を越え、時を越え、一つの作品を大勢の人間が夢想し、想像の筆を走らせたなら、作品は作家の手をも離れ、永遠を生きるだろう』


 その姿を描き留めようと思う現代の作家がいるのなら、永遠を生きる龍にもう一度会うことが叶うのかもしれない。

 少なくとも、そう信じて月浪縁は描き始めた。


 芦屋啓介はうっすらと微笑みながら鉛筆を走らせる縁の顔にピントを合わせ、シャッターを切った。

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