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【書籍化・コミカライズ】美大生・月浪縁の怪談  作者: 白目黒
【第七章】 Look at me
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月夜の海

【月浪縁】


 それは梁飛龍(リャンフェイロン)が言った通り、走馬灯だったのだと思う。


 雷鳴、海、青空、四季の花々、山脈と大河をはじめとする自然の風景。

 絢爛豪華な城、寺院、目の描かれていない二体の龍の壁画。

 万華鏡のように目の前にある景色が次々に移り変わる。


 やがて一人の男の姿に焦点が当たるようになった。

 古代中国の文人らしい格好で書物をめくり、筆をとる。体格が良く、凛々しい眉をした虎のような男だった。

 (ちょう)僧繇(そうよう)なのだろうと縁は思う。

 僧繇(そうよう)は壁に花を描いている。こちらに気づくと快活に笑って見せた。夏の青空のような、爽やかな笑顔だと思った。

 張僧繇(そうよう)がありとあらゆるものを描く様をそばで見る。風景、花鳥獣、神獣、市井の人々、神仏……。そのどれもが美しく、生き生きとしていた。

 小さな白い龍が空中を駆けていく姿を見た。それを最後に僧繇(そうよう)の姿は見えなくなる。


 変わって、誰か一人にフォーカスを当てるのではなく俯瞰するように、人がものを作る姿が続く。

 人がありとあらゆる画材を扱い、絵を描く。土を捏ねて形を成す。布を染める。木を彫る。街がみるみる発展していく。


 名前も知らない誰かが、何かを作り続けている。

 作られたものが何度砕かれ、燃やされようと、抗うように人は作ることを止めなかった。

 千五百年、絶えることなく。


 その姿は、格好が良かった。美しいと思った。


 見入っていると腕を引かれた。


 知っている風景が縁の目に飛び込んでくる。幼少期を過ごした京都だ。

 着物姿の若い頃の母が赤ん坊に向けて珍しく穏やかな笑みを浮かべている。

 赤ん坊が指を掴んで、けらけら笑う。

 小さな女の子が絵を描いている。


(私……?)


 自分自身を見て、(よすが)は思わず息を呑む。


 そこから絵を描く月浪(つきなみ)縁の横顔が続く。

 かつての縁が手に握り扱う画材は多岐にわたる。

 クレヨン、色鉛筆、鉛筆、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、墨、岩絵の具、マーカー。タブレットのペン、マウス。

 アナログからデジタルまで、ありとあらゆる画材を駆使して縁は何枚も絵を描いていく。


 画面に向かう顔は段々と必死になっていった。

 幼い頃は笑みばかりが目立った表情が小学校に上がるくらいには真剣になり、中学、高校と歳を重ねると他人を寄せ付けない集中力で、殺気立ってすら見える。

 しかし、縁は絵を完成させると、それまでどんなに必死に、苦しげに描いていたのだとしても、小さく笑うのだった。


 こちらを一度も、見ないまま。


 ※


 気がつくと、夜の海がそこにあった。

 

 満月がやたらに大きく煌々と輝き、あたりを照らしているから夜でも視界は明瞭だ。星は一つも見えない。作り物めいた景色だと、堤防に立つ縁は思う。

 波の音が聞こえるだけでとても静かだ。生き物の気配が少ない。ここは縁と梁のほかに誰もいないのだ。梁は波打ち際に素足で立っていた。縁とは反対方向、水平線を眺めているようだった。


 梁はいつも黒い服ばかり着ていたが、いまの装いはシャツもスラックスもどちらも白い。汚れることには無頓着なようで、押しては返す波がスラックスの膝下半分を濡らしてもそのままにしている。


 縁は堤防から砂浜に降りて梁へと近づいた。

 梁は振り返って縁を見る。


 ――いつものように笑っている。


 東美怪奇会の部室で、部員とオカルトやら作家・作品談義やらに花を咲かせていたときの表情に近い。


「あまり時間がないのだけれど、最後に少しだけ話をしたくて」


 梁はすまなそうに眉を下げた。


「ごめんね」


 縁は腕を組んだ。正直、何度謝られたところで「はい、そうですか」と許せるわけがない。


「……もっと違う形で、なんとかならなかったの。私だけならともかく、鹿苑(しかぞの)くんや芦屋(あしや)くんを含めた大勢を巻き込んだのはほんとにどうかと思うよ」

「まあ、気に入らなかったから。その二人は特に」


 あまりにもしれっとのたまうので縁は「こいつ本当に反省してるのか?」と疑わしく思うが、梁の鉄壁の笑顔から読み取れることなどタカが知れているので、縁は深くため息を吐いて、尋ねる。


「聞きたいことがあるんだ」

「いいよ。なんだって答えよう」


「『五角審判の間で術士と依代は嘘をついてはいけない』というルール。あれは一体どういうつもりで設けたんだ? 君の正体に辿り着かせるためでもあったんだろうけど、少し異質な感じと言うか、術士――君の心情に関わる感覚があったのだけど」


 あまりにも縁に有利なルールだったと思う。そして、当たり前だが梁に操られていた依代の面々は嘘が吐けないルールがやりにくくてたまらない様子でもあった。

 梁は小首を傾げて、キラキラとした笑みを浮かべた。


「これまでずっと自分を偽ってきたから、……『なるべく縁の前で嘘を吐きたくなかった』って言ったら、君は呆れるかな?」


 縁はうんざりした顔で答える。


「……『歯が浮くようなことばかり言うんだな』とはふつうに思う」

「手厳しいね」


 全く堪えたそぶりのない梁に、縁はどこまで梁が心からの言葉を発しているのかわからなくなった。


「君は私が呪いを解くためのヒントを、いくつもくれた。なのに本気で殺そうともしてくる。……君は、私をどうしたかったの?」


 芦屋の見立てでは、梁は縁のことが好きらしいし、梁自身も歯の浮くようなセリフを真顔で並べ立てるように言うのだが、縁自身はどうもピンとこない。

 梁の呪いで二度、縁は死んでいる。


『好きだから大切にしたい』という一般的な感覚なら縁を殺そうとはしないだろう。

『好きだから殺したい』という理路ならば縁が生還するチャンスを与えないはずだ。しかし、梁は呪いを解くためのヒントをふんだんに寄越した。


 そもそも、梁の縁に向ける好意がどういった種類のものかが縁にはわからない。二十年近く縁を守っていたらしいので、縁の人となりはわかっているのだろうし、それだけそばにいたのなら好意らしきものが芽生えることもあるのだろうが、張僧繇(そうよう)への義理と恩情に千五百年を捧げ生きてきた龍を掻き乱すほどの〝なにか〟が縁自身にあるとは思えなかった。


 しかし実際、この龍は狂っている。


「改めて聞かれると、……うーん。なんて言えばいいのかな」


 梁は腕を組んで逡巡した。


「僕は縁のことが死ぬほど大好きなんだけど、同時に死ぬほど憎らしかった」


 サラリと述べられた言葉に、縁は眉根を寄せた。


「……憎まれる理由の方は見当がつくけど」


 (みそぎ)との契約で正体を明かせなかったとはいえ二十年もの献身に気づかなければ、憎まれてもおかしくはない。縁が大学で言葉を交わしたときに違和感を覚えなかったのは梁が人間へ完璧に擬態していたからだが、それでも、やはり気づいてほしかったのだろう。こんな大ごとになる前に気づくべきだった。


 梁は口が重くなった縁に目を細める。


「ふふふ。やっぱり縁と僕は似ているね」

「どこが」

「自分の価値を信じられないところが。……そんなことはないと思うよ」


 梁は愉快ではないことをやたら楽しそうに言ってから、真面目な顔を作る。


「君は、縁は、ずっと一人で頑張ってきたじゃないか」


 驚くほど真剣に、まっすぐな目で射貫かれて、縁は面食らった。


「君は自分の力不足を悔いて、贖罪のように厄払いの絵画を描き続けた。そのために、君がどれほど血の滲むような努力をしたのか。全てをかけて作ることに向き合ってきたのかを僕は知っている」


 嘘ではないことは、先ほど流れたイメージの奔流が証明していた。


「君は自分にとても厳しい。自分を甘やかすことが苦手だし、自分のことを不甲斐ないと思っているのかもしれない。けれど、そんなことはないよ」


 家族以外を遠ざけ、友人を作らないように気を配り、ひたすら厄払いの絵画を描くことに没頭し続ける日々は遠い昔に当たり前になっている。理解して認めてくれる友人もできたから、もう苦痛だと思うことはない。けれど。


「君はよく頑張っている。他の誰が何と言おうと、君自身が認めまいと、僕だけは、君が誰よりも幸福に値すると信じている。……だから、そんなに自分を嫌わないでほしいな」


 梁は寂しそうに微笑んだ。


「僕も、君が生きているだけで嬉しいんだよ」


 一瞬、何度も殺されかけたことを忘れる程度には、胸を打たれた。


「縁が僕の正体に気付いたなら、そう。これを面と向かって言いたかったんだ。やっと言えた。……でもね?」


 梁がわざとらしく明るい声を出したので縁は「ん?」と怪訝に眉を上げる。


「それはそれとして、あれだけヒントを出して僕の正体に辿り着けないなら、それは縁がそこまでの人間だったってことだろ?」


 爽やかにろくでもないことを言い出したので縁の口角がひきつった。


「そのときは僕が惚れた欲目で君を見誤っていたわけだから……まあ、道連れになってもらえればそれでいいかな? とは思っていた。だったら君を殺すのは僕であるべきだよね?」


「意味がわからないんだよ。なんなの?」


 縁の脳裏に今回の一件で起きた出来事がぐるぐる巡る。こめかみを抑えてはみたが一言言ってやらねば気が済まなくなった。


「梁飛龍、君さあ、よく考えなくてもすごく気軽に私のこと殺そうとしてくるけど、本当になんなの?! 一応言っておくとふつうに怖いんだよ! 芦屋くんとか鹿苑くんとかの手前、私がしっかりしてないとまずいからどうにかこうにか平常心を保ってたけど! なんなの!?」


「ふふ、愛しているけれど憎らしかったから、つい」


 小首を傾げて微笑む梁の顔はやたらにきらきらしく整って見えたが、計算ずくの表情でごまかされる縁ではない。


「なにが愛だ。『つい』じゃないだろこの野郎」という乱暴な言葉が反射で口から飛び出るのをとりあえず抑えた縁に、梁は小さく笑って目を伏せた。


「でも、それでも」


 梁は縁の顔を正面から見据えて言った。


「ただ僕は、君に、僕が死ぬまでそばにいてほしかっただけなんだ」


 縁は黙りこんだ。

 梁は後ろで指を組んで、首を傾げる。


「ねえ、縁。張僧繇(そうよう)は本当に幸せだったと思う?」

「私は、そうだと思ったよ」


「そう」


 縁の返答を噛み締めるように、梁は固くまぶたを閉じた。


「そうか……」


 波の音が響く。

 何度も梁の足元に波が押し寄せてさらおうとするが、梁は動かない。目を閉じたまま静かに時が流れていく。

 黙祷のようだと縁が思った頃に、梁は目を開けて口角を上げた。


「なら、悔いは一つで済む」


 なにかを吹っ切るように聞こえた。


「縁を呪って、叶えたかった僕の望みはもう全部叶えてもらった。それ以上に、縁は僕の想定を軽々超えてしまったから、僕はもう縁を憎んでない。憎めないよ」


 梁は静かに告げた。


「でも、縁を本当に酷いひとだとは、思う」


 それはそうだろうな、と縁は内心で同意する。

 自分の生に意味を見出せず苦しんでいるうちは、死はとても魅力的に見える。永遠に続く苦痛にピリオドを打ってくれる唯一の希望にさえ思える。

 だが、死が決定づけられた瞬間に、生きる意味を見つけてしまったらどうだ。


 希望と絶望は反転する。呪いと祝福に、さほどの違いはないように。


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