満願成就
【芦屋啓介】
縁と芦屋、鹿苑の立っている床に碁盤の目のような光線が走ると、底が、抜けたように見えた。
いや、立っていることができるのだから床がなくなったわけではない。透明に変化したのだ。
舞台セットが組み変わる。
暗闇にうっすらと青い光が灯る。現れたのは巨大な骨の魚が遊泳する、深海を思わせる竜宮城。梁飛龍の五角審判の間に、芦屋たちは立っていた。
遠くの方に布が垂れ下がり、その先に玉座が見えるのも、前回と同じだ。
「うわあっ、なんだこれ!? 骨が泳いでるんだけど、なに?! ていうか床! 透明度高すぎだろ! 怖いわ! なんか、なんか名状しがたい〝何か〟がいるんだけどあれはこっち来たりしないの?! ほんとに大丈夫?!」
鹿苑がぎゃあぎゃあ騒ぎ出して芦屋の腕をガッと掴んだ。普段ならすぐに離すように言うだろう芦屋だが、その時ばかりは鹿苑の反応に深々と頷く。
「だよな。やっぱり普通怖いよな、これは」
「あったりめーだよ! バカじゃねーの!?」
「ほらな? 俺が特別、高所恐怖症ってわけじゃなかっただろ?」
芦屋が怯える鹿苑を指差して言うと、縁は呆れはてていた。
「ちょっと男子……、真面目にやってくれないかな。まあ、君らがガタガタ騒いでくれるおかげで、私がなんとか肩の力を抜いていられる部分はあるんだけども」
「術士の本拠地の中だってことを忘れないでくれよ」と縁が言うので、芦屋は鹿苑に向き直った。
「鹿苑。おまえに何度も悪夢を見せたヤツに、これから事情を聞いたりするわけなんだけど」
「……おお。なんか、うっすら話の流れから察するに、梁会長がこんなことをしでかした? みたい? なんだよな? ……なんで?」
「それをいまから聞くんだよ」
中央にある白い柱の前に、白い珊瑚の玉座が鎮座している。縁たちが近づくたびに下がっていた布が引き上げられた。玉座には人が腰掛けている。
腰ほどまである長い黒髪。古代中国の衣装と思しきモノトーンの服装。
手足は鱗で覆われ、爪は漆で塗られたように黒く鋭い。
整った顔の上に銀から黒のグラデーションがかったツノを冠のように頂いた、玉座にくつろぐように座る半人半獣の異形の青年は、やはり、梁飛龍に間違いない。
芦屋の横で、鹿苑が絶句したのがわかった。
梁は愉快そうに縁と芦屋、鹿苑の三人を眺め、やたらに気安くひらひらと手を振った。
「『中華百鬼夜行にようこそ』」
決まり文句を梁は滑らかに口にする。
「さてさて、ここに来た者には問わねばならない。『君たちがこの部屋から出るために取れる選択肢は四つ。僕が呪う理由を言い当てるか、僕から怪異を祓うか、この中の一人が死ぬか、十八時まで待って構内に残る全員とともに死ぬか』」
そこまで言うと、丸いサングラスの奥の目が弓なりに細められた。
「……と言っても、いまの僕は縁から、術士と名指しされているわけなので、改めて問い返さないといけないな」
玉座から立ち上がった梁は胸に手を当てて問いかける。
「本当に、この僕が、『呪術・中華百鬼夜行』の術士という認識で、いいんだね?」
「……その前に、梁飛龍が何者であるかに私は触れるべきだと思う。呪いの動機に関わることだから」
念押しされても縁にためらいはなかった。一度目とは違い、確信を持った目をまっすぐに梁に向け、口を開いた。
「まず、梁飛龍は私立東京美術大学の学生では、ない」
「は?!」
縁の断定に、芦屋と鹿苑がほぼ同時に驚愕の声を発した。先に立ち直ったのは芦屋の方だった。
「どういうことだ? サークルの会長やってるのに東美の学生じゃないって、ありえないと思うんだが」
「じゃあ芦屋くん。君は梁会長の専攻を知ってる? 鹿苑くんは?」
縁に尋ねられて芦屋は口ごもる。
「……いや、それは聞いたことがない。……待て、この話、前にも月浪としたよな?」
自分で口にして芦屋は気がついた。それこそ異形と化した梁飛龍に縁が殺された次のループで、『梁の専攻についてなにも知らない』と芦屋も縁も気づいていた。酒巻や鳳、泥亀らと同時進行で梁のことも調査した。なのに、芦屋は今の今まで、梁の専攻を、誰かに尋ねようとも思っていなかったのである。
鹿苑も縁の疑問になにか思い当たることがあったのかハッと息を呑んだ。
「……ちょっと待ってよ。嘘だろ!? 俺、梁会長の作った作品、一回も見せてもらったことねえ! なんでいままで気づかなかったんだ……!?」
鹿苑は前髪をぐしゃりと掴んで、「信じられない」と呆然と呟く。鹿苑は他人の作品を観ることで人とナリを測る癖があった。その鹿苑が美大生であるはずの、梁の作品を見たことがないというのは、普通なら考えられないことだったのだろう。
「美大生同士の雑談で息を吸うように交わされるのが自分の専門分野の話だ。私なら日本画、芦屋くんなら映像科、その中でも写真。鹿苑くんなら油画。デザインの中でも工業系、グラフィック系、デジタル表現なんかで分かれているし、個人作品も専攻と密接に絡むことが多いから専攻がそのままアイデンティティと直結しやすい。美大関係者で雑談するならだいたい最初に話題になる。だけど、誰も梁会長の専攻を知らない。……知ろうともしない」
縁は目をすがめ、玉座の前に立つ梁を睨んだ。
「認識阻害、してたよね?」
「うん。してたよ」
認めた。
この五角審判の間で術士と依代は嘘を吐けない。ルールは未だ適用されているはずだ。つまり、梁は本当に美大生では、ないのだ。
梁飛龍の正体が、一気にわからなくなっていく。
「この、中華百鬼夜行の呪いの中でも、術士は実在する人間の記憶をなかったことにしたり、記憶を操作することはやってのけていた。呪いによって〝禁足地〟になっているから――限られたエリアの中だから、術士の力が発揮されているのだと思ったし、実際それはそうなんだとも思う。……呪いが解ければ、酒巻、鳳、泥亀さんたちの記憶も存在も、元に戻るんでしょう?」
「もちろん」
笑顔で頷かれて縁が小さく安堵の息をこぼし、すぐに気を取り直した。
「だけど、梁さんに関しては記憶を丸々書き換えているのではなくて、情報に欠落が入る形になっていた。『東美怪奇会・会長』という役職以外の、梁さんのことは何もわからない。あるものを無理やり消して辻褄合わせをしたのではなく、無いものを無理やりねじ込んで辻褄合わせをしたかのようだ。それはいくら強力な霊能力者であったとしても、実体ある人間ができることではない」
縁は一息に言うと、切り込んだ。
「だから、導き出される結論として、梁飛龍は、人間ではない」
「そんなことが、あるか……!?」
芦屋は思わず叫ぶように問いただした。いまは異形に変貌しているが、この部屋の外で、梁は確かに、常識と良識を持ち合わせた人間だった。――そう、見えていた。
「酒巻さん、鳳さん、泥亀さん。……三人の依代はそれぞれ怪異と深く同調していた。一歩間違えれば人間には戻せなくなるほどの危険な同調だ」
虎、鳳凰、霊亀を祓ってループするたび、反省会と称した振り返りで縁が口にしていたから芦屋もそれは覚えている。実際、鳳などは怪異が幼少期の鳳自身の姿をとることもあったので、縁の言うことは正しいのだろう。
「梁さん、自分自身が怪異であることをカモフラージュするために、三人を利用したね?」
「そこまでわかっているのなら、僕が何者であるのか、縁はとっくに理解しているはずだ。君の口から答えを聞きたい」
これも、梁は認めた。
芦屋は自分の腕にふつふつと鳥肌が立っていくのを自覚していた。当たり前のように人間だと思っていた人物が、おそらくは怪異なのだ。取り乱すな、という方が無理である。横にいる鹿苑もあまりのことに言葉を失っている。
この場で一番冷静な人間なのは縁だった。梁に向けて半眼で尋ねる。
「……答える前に一個言ってもいい?」
梁は不思議そうに首を傾げる。
「その名前はもっとどうにかならなかったの? 正直ネーミングセンスはどうかと思う」
梁の目が丸くなって、それから常よりも細く弧を描いた。
「『名は体を表す』って言うだろう?」
「それにしたってそのままだろ。まあ、わかりやすいと言えばそうだけども」
縁は気を取り直して、
「『画竜点睛』という故事成語がある」
朗々とそらで語り始めた。
「ある高名な画家が寺の壁に四体の龍の絵を描いた。最初に描いた龍には瞳がなく、不思議に思った観客が何故かを問えば、画家は目を描き入れると龍が壁から飛び去るのだという。観客は画家の言うことを信じず目を入れろと乞い、画家は渋々、二匹の龍に目を入れた。するとたちまち雷雲が立ち込め、目を得た龍は壁を抜けて雷雨の中を飛び去った……という伝説が元になっている」
『画竜点睛』の逸話はごく普通に、芦屋も知っている。
瞳がなければ龍の絵は完成しなかったことから『それがないと完成したことにはならない大切な仕上げ』『ほんの少し手を加えることで全体が引き立つ』などの意味で使われる言葉でもある。
「この話、実はまったくのフィクションじゃない。残念ながら壁画は失われてしまったが、古代中国の画論・画史『歴代名画記』に、この龍を描いた画家の名前は残っている」
鳳が参考にしていた本の中に、そのタイトルはあった。
「龍を描いた画家の名は張僧繇。おおよそ千五百年前の古代中国〝梁〟の時代の宮廷画家だ」
梁の目が歓喜に輝く。
「そして、張僧繇の筆によって命を吹き込まれ、千五百年を越えて生きた『龍』が君だ。『梁』の時代を『飛』んだ『龍』――梁飛龍」
竜宮城の中に拍手が響く。梁は縁を惜しみなく賞賛するように微笑みながら手を叩く。
「ご名答。……私の望みの殆どは、今しがた叶ったと言って過言ではない」
口調が、変わった。




