第7話 しっくりこない
【芦屋啓介】
「無我夢中で展示会場から飛び出した私とぶつかって、『大丈夫?』って声をかけてくれたのが縁さんだった」
怪談を語り終えて、奥菜玲奈は静かに目を伏せる。
「縁さんは、自分は霊能力者だって。自分に起きた出来事を怪談として誰かに話すことで、怪異を祓うことができるって教えてくれた。実際話してみて私はすごく気分が楽になったんだ。もしも縁さんが私の話を真剣に聞いてくれなかったら、私は大学に通えなくなってたかもしれない」
通う大学構内で恐ろしい目に遭っても、玲奈がある程度落ち着いていられる理由が、怪談の聞き手である芦屋啓介には、なんとなくわかる気がした。
縁は玲奈にこの〝怪談〟を語らせたのだろう。芦屋がドッペルゲンガーの怪を語った時と同じように。
その上、玲奈は芦屋にも〝怪談〟を語れるようになっている。かつて「怪談は怪異を解体する」と言っていた縁の言葉が正しいなら、怪談をすればするだけ怪異は無力化されていくのだろう。
(奥菜にとってはいいことだろうな。多分、月浪にとっても)
ただ、芦屋には気になることがあった。
「その、理花さんの行方は今どうなってるんだ?」
奥菜理花の安否についてこの怪談では結論が出ていない。
芦屋の疑問に玲奈は沈鬱な表情で答える。
「……実はまだわかってないの。でも、都内で見かけた人もいるらしいから必ず見つけられるって信じてるんだ」
不意に明るい笑みを浮かべて玲奈は話題を変えた。
「ねえ、縁さんって、他人と一線を引いてるところがあるでしょ? 内気とか、人付き合いが苦手って感じじゃないのに。歓送会とかの宴会には必ず参加するけど当たり障りのないことを喋って二次会は絶対行かないし……」
「そうだな」
芦屋にも思い当たるところがあるので素直に頷く。玲奈は笑ったまま、少し寂しそうな顔をして続けた。
「懐に他人を入れない。自分も他人の懐に入らない感じ。なのに、迷わずに困ってる人に手を差し伸べるんだもん。格好がいいよね」
また爽やかな笑顔に戻った玲奈に、芦屋はよく表情が変わる奴だな、と思った。
色素の薄い瞳が夕映えにきらきらと輝く。
「私は縁さんともっと仲良くなって、借りを返したいんだ。同士だね、芦屋くん」
※
「——という話を聞いたんだが」
奥菜玲奈の話を聞いてすぐ、芦屋啓介は日本画棟のアトリエに足を運んでいた。
月浪縁は自分の背丈をゆうに超える巨大な木製パネルの前に立ち、課題作品に取り掛かっている。
床に作業スペースを示すブルーシートを広げ、その上に馬や龍、鹿、中華風の雲のスケッチが散乱していた。なんだかそれすらも作品の一部のようだった。
縁が描いているのは〝麒麟〟だ。
下絵の段階でも力強く、優美で、こちらを傲岸不遜に見下ろしているのがよくわかる。
話し終えた芦屋が思わず縁の手元を目で追っていると、縁は手を止めて、鉛筆をケースに戻しながら芦屋に答える。
「へえ、玲奈さんそんなこと言ってたの」
適当な返事をよこしたかと思うと、縁はすぐに自分のリュックサックからタブレット端末を取り出した。
芦屋がクラウドに投げた『白熱するプレゼンの写真』を確認すると、満足げに頷く。
「うん。いい写真だ。それにしても芦屋くん、怪奇会にすごく馴染んでるね。奇人変人の集まりに馴染むのが早いのは良いんだか悪いんだか……」
「それ、奇人変人代表の霊能力者が言えたセリフか?」
芦屋の指摘は都合が悪かったらしく縁は笑顔で黙殺した。芦屋は構わずさらに続ける。
「俺はもともと心霊写真とかホラー映画とかも嫌いじゃないんだ。ホラーを作る側に回るのも面白いもんだな」
「あっそう」
何が気に入らないのか面白くなさそうな縁である。
芦屋はしばし沈黙して、次に発する言葉を選んだ。玲奈の話を聞いてから気になっていたことがあるのだ。
「月浪が正面切って奥菜にモデルを頼んだのが意外だった。俺と葉山の時は勝手に描いてただろ」
芦屋の指摘にぐっと縁は言葉に詰まる。どうやら痛いところをついたようだ。
「それは、……正直申し訳ない。あれは本来個人的な作品で表に出すものじゃないから、多少大目に見て欲しいところではある」
縁はため息まじりに続けた。
「芦屋くんも察していると思うけど、私が一番描いてるモチーフは実在する人間だ。でも、モデルのいる作品を他人に見せるのは、赤いテクスチャが浮かんでしまったときに限っている」
つまり、縁がモデルのいる絵を誰かに見せるのは除霊するとき——怪談を催すときだけ。
理由はわかる。万が一赤いテクスチャが課題や個展などの公に発表した絵に現れたら大問題になるだろう。人や生き物を描くのに、縁は慎重にならざるを得ないのだ。
それなのに縁は玲奈を描きたいと頼み込んだ。
「玲奈さんは否が応でも怪異に関わっちゃうから、イレギュラーだったんだよ」
縁が口にした芦屋への答えは、どことなく不穏な言葉に聞こえる。
「それ、奥菜の怪談が終わってないこととも繋がるか?」
縁は芦屋の顔を黙って見つめ返した。無言のうちに論拠を問い返されている気がしたので話を続ける。
「あれで終わりじゃ、奥菜の従姉妹は行方不明のままだ。卒制の面が作り物じゃない従姉妹の顔に変化した理由も、奥菜が聞いた意味深な呪文の意味もよくわからん……」
芦屋は話しているうちに、あることに気がついた。
「月浪、この怪奇現象は奥菜の従姉妹が屋敷で面を被ったことがきっかけになってるんだよな?」
「玲奈さんの語り口からすると、そうだろうね」
「だったら、奥菜屋敷に行けば何か、……怪奇現象の大元を断つような、手がかりみたいなものがあるんじゃないか?」
「あるよ。間違いなく、奥菜屋敷には芦屋くんの言う〝手がかり〟がある」
「……はあ?」
やけにあっさり肯定されたので、芦屋はかえって戸惑った。
「なら、なんで行かないんだよ。奥菜の従姉妹が行方不明なのが怪奇現象のせいなら、〝お面のお化け〟を倒すなり成仏させるなりすれば、従姉妹が見つかったりするんじゃないか?」
「芦屋くんがそれを私に聞くのはなぜかな?」
縁は首を傾げた。
「玲奈さんに直接聞いてみればよかったじゃない。幸い〝偶然〟玲奈さんは私みたいな霊能力者が友だちなんだから、奥菜屋敷に連れて行けば怪奇現象をズバッと解決。理花さんは生還。のハッピーエンドを迎えることができるかもしれない。なのになぜ、そうしないのか」
茶化すような物言いに芦屋は思わず半眼になったが、縁の疑問はもっともだ。当事者に聞けば話が早いのは芦屋もわかっている。しかしそうしなかったのにも理由がある。
「なんか引っかかるし、しっくりこないんだよ、奥菜の話……」
だいたい、縁の言う通りなのだ。
玲奈の語り口は理花が奥菜屋敷で被った面がすべての元凶であると示唆している。その状況で月浪縁という〝お面のお化け〟に対抗できそうな友人がいるのなら、いまだ行方不明の従姉妹の理花の居場所を探すためにも縁を頼って屋敷に行くのが最適解のように思える。
——なのに、なぜか玲奈はそうしないのだ。
腕を組んで考え込んでしまった芦屋に、「まあ、芦屋くんが玲奈さんに口をつぐんだ心理もわからなくはない。語り手に『お前の話は筋が通ってない』とは面と向かって言いづらいだろうね」と、縁は一定の理解を示すと、平坦な眼差しで芦屋を射抜いた。
「芦屋くん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「なんだ藪から棒に」
縁は憂鬱そうな顔でタブレットを操作して、芦屋に向ける。
「これを見てくれ」
縁に従って画面を見ると、作品写真のサムネイルがズラリと並んでいた。
どうやら縁は自分の描いた絵を一枚一枚、写真に撮って管理しているようだ。
「……マメだな」
「あらかじめ整理しておくと便利なんだ。作品集を作るのも楽だし、そして何より、絵の変化が確認しやすい」
褒められても縁は淡々とした様子である。
「私の絵が変化した場合、本体以外の〝写し〟も変化する。絵を撮った写真にも赤いテクスチャの変化は反映される」
言いながらスクロールしていく縁が、ある作品を指した。
奥菜玲奈を描いた絵だった。
赤い小花を束ねて作った、ボリュームのある花束を抱えた玲奈がこちらに向かって微笑んでいる。
ポニーテールにまとめた明るい茶髪の束感や唇や肌の透明感を演出するべく、光を筆先で丁寧に追っているのがわかる。第二の主役である花束の描写も見事だ。花弁の柔らかさや茎の硬さをよく捉え、画面を豊かに見せている。
濃い緑の背景にはエキゾチックな雰囲気の草花がうっすらと模様のように描き込まれていた。
細かな仕事の行き届いた洒落っ気のある絵だった。小説の装丁に使われるような、ニュアンスのある作品である。玲奈の流行に敏感な雰囲気や社交的な性格を掴んで、絵に滲ませているあたりに作家の技量が表れた佳作だ。
——いずれも、赤いテクスチャが現れていなければの評価だが。
玲奈の顔の右半分を赤い血のようなテクスチャが覆って、繊細な描写の全てを台無しにしてしまっていた。これではオペラ座の怪人のファントムのようだ。赤いテクスチャの表面には木目模様が浮かび、それが一層不気味な雰囲気に拍車をかけている。
芦屋は縁がとっくに玲奈に取り憑いたお面の怪異を除霊していると思っていた。怪談をすることで〝お面のお化け〟を除霊したとばかり思い込んでいたが、この作品写真を見るに、玲奈は未だに怪異に取り憑かれている。
現在も行方不明の理花が取り憑かれているならともかく、玲奈が取り憑かれているというのは、おかしい。
芦屋は縁の顔を見て尋ねる。
「……月浪は、奥菜を除霊しなかったのか?」
「まさか」
縁は即答した。
「私は選り好みしない主義だ。やるだけのことはしたさ。春休みに奥菜さんから怪談を聞いている。……でもね」
言葉を口にするすうちに、だんだんと縁から表情が失われていく。
「怪談での除霊には条件がある。玲奈さんは芦屋くんと違って、条件を満たしていなかったんだ」
冷え切った言葉を言い放ったのと同時に、見計ったように縁のスマホから通知音が鳴った。メッセージが届いたらしい。
縁は持っていたタブレットを芦屋に渡してスマホの画面を見ると、文字を追うごとに眉根を寄せて、最後には悔しげに唇を噛んだ。
「……また、怪談を催さないといけないな」
低い声がアトリエにぽつりと落ちたのを、芦屋の耳は拾っていた。




