麒麟の筆、再び
「そう思ったらもう、ヘコんでる暇なんかねえの。少なくとも入神彼方と肩を並べられる作家にならねえと、俺はあの人のアンチにもカウンターにもなれない。入神彼方より腕の無い作家が入神彼方を否定しても、説得力がない」
芦屋はもしかしたら、と思う。
「俺が、入神彼方に『あんたのやり方は間違ってる』って、真正面から言ってやれるだけの作家になるんだ。そのために、俺は〝鹿苑旭〟を完成させなきゃいけない」
入神彼方との出会ったことで、鹿苑旭は作家として腕を磨く、確固とした理由、信念と言うべきものを見つけた。
――その瞬間、鹿苑旭は麒麟の恩寵を受けたのではないか。
「『鹿苑竜一郎』の息子であることからはどうしたって逃げられない。ならペンネームで逃げを打つんじゃなくて自分の名前で世に出てやる。親父の七光りだの影響がどうだの言わせないくらいの腕になりゃ誰も文句は言わねえだろ」
「ファンとは一定の距離をとる。離れて行った連中は俺がいいもの作ってもういっぺん手のひらを返させればいい」
「〝俺〟を完成させる最短ルートを行くために、俺は美大に入ったんだ」
鹿苑の言葉は、身を切るような決意と自信に溢れている。
「それにしてもムカつくよな? なぁにが『作家は人格が最低でも作品が優れていて、かつ利益を生むならどんな横暴も許される』だよ? んなわけねえだろ。俺は絶対に認めない。生身の人間の傷や死を芸術の『箔』と思ってニヤニヤ笑ってる連中が、俺は心底嫌いだよ」
だから、鹿苑は東美怪奇会で安全性にこだわり、慎重にスケジュールを組んで大道具を組んだのだ。絶対にそこだけは譲れないことだったのだろう。
「俺は入神彼方と同じことはしない。……たとえ俺に同じことができるだけの技量があるにしても、やらない。そう思って作ってきた。……はずだったのに」
花が萎れるように、鹿苑の自信が揺らいだのがわかった。
理由は明白だ。鹿苑が作った大道具が人を殺しているし、鹿苑自身も殺されている。鹿苑は、自分に責任があると思っているのだ。
「俺はもう、俺自身を全然信じられねぇんだわ。下手な願掛けしながらコレ使ったら、いま以上にヤバいことになるかもしれねぇ。そう思うと、怖くて、なんもできなかった」
右手に持った麒麟の筆を握りしめて、鹿苑は絞り出すように呟く。
「……俺がバカなせいで、またなにかが手遅れになっちまうのが、本当に怖い」
恐ろしく素直な言葉に、芦屋は唇を引き結んだ。
こんなに弱った鹿苑旭は見たことがない。
「月浪、芦屋。おまえらの頼みだったら俺、聞いて後悔しないと思うからさ。ほんとダサくて申し訳ないんだけど、俺の身の振り方を、一緒に考えてくれないかなぁ……」
「鹿苑くん」
それまで黙って話を聞いていた月浪縁が鹿苑に歩み寄った。
玉座にうなだれながら座っていた鹿苑の肩を、バシッと叩く。
「ナイス判断! さすが麒麟児! 天才!」
似合わないハイテンションで褒め言葉を羅列する縁に、鹿苑はギョッとした様子で瞬く。
「はぁ!? 急になに?!」
縁は一人腕を組んでしみじみと言った。
「なんか事情わかってる風の私とか芦屋くんが来るまで待てるのがすごい。怪異絡みのことでド素人にわからないなりに勝手に動かれるとこっちがめちゃくちゃ苦労するんだよ。鹿苑くんはホントに偉い。助かる。賢い。IQ五億の男」
だんだん言葉選びも適当になっていることには鹿苑も気づいたようで、半眼になって縁を睨む。
「……月浪テメー、バカにしてんのか?」
「まさか」
いつものニヤリ笑いで縁はごまかすが、半分くらいは鹿苑の言うとおりバカにしていたんじゃないかと芦屋は思う。
「で、麒麟の筆に何を願えばいいか、だったな」
縁が鹿苑の握る筆に目をやったのを見て、芦屋の心臓が大きく跳ねる。
麒麟の筆――以前縁を殺しかけた魔性の道具である。
『作り手の思い通りの作品を出力する』代わりに『作り手の寿命を奪う』というデメリットを課す。その上、材料になっている麒麟の性質から『女が触れると推定死亡』というルールまで持っている。大理石のような見目の軸に中華風の紋様が彫刻された美しい筆なのだが、性質は凶悪と言って差し支えない。
確かに、鹿苑が麒麟の筆を使えば、この中華百鬼夜行を終わらせることもできるのかもしれないが、その場合、鹿苑の寿命も減る、ということになる。
難しい顔をする芦屋の方を縁が振り返った。
「芦屋くん、名刺を一枚ここで使うけど、いいね?」
尋ねられて、縁がやろうとしていることに思い当たった芦屋は口角を上げて、月浪禊の名刺を一枚、縁に渡した。
「おう。おまえに任せる」
しっかり名刺を受け取った縁は、芦屋に微笑みで応えると、鹿苑へと顔を向けた。
「鹿苑くん。私は麒麟の筆に触れない。だから、差し出すようにしてくれるかな?」
「へ? そうなのか?」
「面倒なルールがあるんだよ。よろしく」
ため息交じりに促されて、鹿苑は麒麟の筆の軸を縁の方に向ける。
縁の目が、皮肉っぽくすがめられた。
「……久しぶりだな、麒麟の筆。本来私が二ヶ月前にすべきだったことをするよ」
縁は名刺を筆に添えて、口を開いた。
「『燃えろ、麒麟の筆』」
パッと金色の炎が上がる。解けるように麒麟の筆が壊れていく。炎を纏ったリボン状の残骸が空中になびいて金色の線を作り、最後には消えていった。
鹿苑は自身の手のひらから麒麟の筆が失くなっていく様を呆然と見送っていたが、我に返ったらしく縁に食ってかかった。
「燃やすなら先に言ってくんない!? いや、熱くなかったけど。え? ていうか燃やしてよかったのかよ?!」
「いいんだよ。あれは現世のルールに適さない魔性の道具だ。なくて困る人はいないよ」
「いやいやいや!? だって、いまがまさに使いどきじゃねえの?……このループを、終わらせることだって、できたんだろ?」
「鹿苑の命を削ってループをなんとかするようなことはしない」
芦屋が縁の言いたいことを引き取って口にする。
「だろ?」
「もちろん」
縁は我が意を得たりとばかりに不適な笑みを浮かべた。
「それに、やっぱりこれは鹿苑くんのせいなんかじゃない。君の作った大道具が呪いの触媒になっていても、君が術者であることの証明にはならない。むしろ、君はどう考えても私と同じ、〝呪われた側〟だ」
「俺のせいじゃない?……呪いって、どういう、」
鹿苑は混乱した様子で縁を見るが、縁は首を横に振った。
「二度手間は好きじゃない。どうせまとめて順を追って話すことになるから、一緒に聞いてよ、鹿苑くん。そのハリボテの玉座から降りて」
混乱した様子ではあるが、鹿苑は縁の指示に従って玉座から降りた。
四獣が寄せ集まってできた玉座は主人を失って所在なさげに見える。
「……これでやっと、全体像が見えたよ。『強い光は一枚レンズを噛ませることで照らす相手を焦がし、目を奪う』……鹿苑くんの語りがヒントになった。太陽光ではなく、意図を持ってレンズを噛ませ、指向性を与えた人間にこそ、責任があるんだよ」
だが、縁は玉座を見据えて言葉を放つ。
「そうでしょ、会長?」
そこに居ない人物に語りかける。
「『中華百鬼夜行の術士は、梁飛龍。君だ』」
空間が軋む音が、聞こえた。




