鹿苑旭の語り:作品制作至上主義
親父がさ、彼方さんの担当教諭だったもんだから事件の調査にも協力することになって。事件の経緯とか経過とか、本当は喋っちゃいけないんだろうけど、俺は無理を言って聞き出した。
ことがことだし一人で抱え込めるような話でもないから、親父も、たぶん誰かに話したかったんだろうよ。渋々とはいえ最後には教えてくれた。
結局「作家の彼方さんに非はない」ってことで話はまとまったみたいだ。
事故の原因は撤去作業中に作業員が作品に見惚れ、視界が不明瞭になり、うっかり手を滑らせて転んだこと。
そのはずみで撤去途中のガラスと鉄の骨組み部分が作業員の足に刺さった。当たりどころが悪くて切断に至ったって。
作業員の視界が不明瞭になったのは、照明の白熱電球とレンズ状になったガラスが「太陽光を虫メガネで集める実験」みたいな状況を作り出して、集約された強い光を直視してしまったことが理由になる。『/01』の展示室がLED電球を使用した部屋だったなら防げた事故だった。
彼方さんは事前に細かな展示計画書と作品写真をギャラリーに提出していた。
『/01』は最初、LED電球の展示室に置かれる予定だったところ、ギャラリーが「『/01』は一番目立つ部屋に置きたい」と彼方さんに希望、指示して白熱電球の展示室に置かれたらしい。だから、安全対策の責任はギャラリー側にある、とされた。
なにより事故の被害者である作業員が「作家に非はない」って言い張ったからな。
作業員の不注意と安全対策を怠ったギャラリー側の非がある。入神彼方にお咎めなし、ってことになった。
だけど、事故を起こした作家ってことで彼方さんは日本では色眼鏡で見られることになるだろう。ほとぼりが冷めるまで日本での活動は避けた方がいい。
説明した親父は最後に、こう付け加えた。
「もともと、アメリカに留学する予定だったから、タイミングとしては悪くなかったかもな」ってな。俺は耳を疑ったよ。
初耳だった。彼方さんからはなにも聞かされていなかった。
俺は、そのとき全部が繋がった気がして、スマホと財布を引っ掴んで着の身着のままで家を飛び出した。
走りながらスマホで彼方さんに電話をかける。コール音が四回鳴ったところで繋がった。
「彼方さん、いまどこ?!」
『成田空港まで向かってる。電車の中だ』
「はあ!? ふざけんな!! なんであんた一言もなしに……! 出発何時!?」
彼方さんは端的に時間を言うと『いま電車だ。後に回せるなら後にしろ。急ぎの要件なら端的に言え』などと言う。相変わらず横暴だった。
「……聞きたいことがあるから、俺も成田にいまから行くよ」
『あっそ』
彼方さんはどうでも良さそうに通話を切った。
俺が成田空港に着いたのはニューヨーク便が出る二時間前。彼方さんはスーツケース一個を傍にベンチに一人腰掛けていた。俺に気づいて軽く手を振る。
全くいつも通りのしれっとした真顔に腹が立って、俺は大股で彼方さんに近づいた。
「……あのさあ! ニューヨーク留学が決まってんなら普通、教えてくれたりしませんかねえ!?」
「聞いてなかったのか? ……鹿苑教授には伝えていたんだが」
「聞いてねえよ! だいたい、誰が留学するしないとか学生の個人情報を自宅で話題にしねえんだよ、まともな大学教授はよ! コンプラとかそういうのがあんの!!」
「へえ、そういうものなんだな」と、彼方さんは淡々と返してきた。
俺だけヒートアップしてるのがバカらしくなって、できるだけ平静を装って言う。
「あと、俺は人伝てじゃなくて、彼方さんの口から教えてもらいたかったですよ」
「わたしが留学しようがしまいが君には関係ないし、直接教える義理もない」
思い切り切って捨てられて、さすがに、堪えた。
「そんなことを言うためにここまで来たなら帰っていいぞ」
もともとはっきりした物言いをする人ではあったけど、そのときは嫌に言葉にトゲがあった。表情や声色は一切変わらないけど、怒っているようにも感じた。
「……いや、いいです。俺だってあんたの薄情に恨み言ぬかすために来たんじゃねえもん。……どうしても直接聞きたいことがあんだよ」
一呼吸おいて、尋ねる。
「展示の事故のこと、どう思ってんの?」
「どう、とは?」
「ショックだとか、被害者の作業員に申し訳ないとか、いろいろあるだろ、普通は。前々から決まってたことらしいけど留学だって、事故のほとぼりを冷ますために逃げてるようにも見えるし……」
彼方さんは冷えた目で俺を見上げた。
「ショックを受けていて当然の状況に置かれた人間に、なかなかな言い草だな」
「だって彼方さん、いつも通りじゃん」
事故からそこまで日が経っていないのに、彼方さんに動揺している様子は微塵もなかった。あまりにも、冷静だった。
「……あんた、いつも通りじゃん。ほぼほぼ通常運転。自分の作品が人の脚を切断させたってのに、全く堪えてる様子もない。電話してた時もいまも、ずっと。……俺に対して少し怒っている感じはしたけど、それだけだ」
「そんなことない」とか、「感情が顔に出ないのは元々だ」とか、そういうセリフが降ってくるのを待ったけど、彼方さんは黙っていた。
嫌な予感がずっと拭えない。口にしてしまったら後に引けない疑問をどう切り出していいか迷って、結局、遠回りなことを言ったと思う。
「彼方さん。理科の実験でさ、太陽の光を虫眼鏡で集めて紙を燃やすやつあったでしょ。アレって収斂発火って言うんだって。太陽光が有名だけど……白熱電球でも同じことが起こせるんだってよ」
『/01』が事故を起こした原因ははっきりしている。作品のレンズ状になった部分と照明に使われた白熱電球の組み合わせの問題だ。責任の所在もギャラリーと被害者にあると決着がついている。
でも――。
「『/01』はデカいし、内側から組んでる作品だから、搬入、搬出作業にあたって作業員は絶対に作品内部に入って長時間上を見ないといけない。それで、鉄とかガラスとか重い材質の作品を扱わなきゃいけないんだ。……その最中に、作品にうっかり見惚れてしまったら、レンズ状になってる部分から火事を起こすくらい強い光を直視したら目をやられかねない。そしたらパニックになって事故が起きるかもしれない。いや、もっと言うなら、それこそ本当に火事にだってなりかねない状況じゃなかった?」
彼方さんは核心を言いたくなかった俺を、ジッと見つめて低く言った。
「回りくどいな。はっきり言いなよ」
「……彼方さん、あんたワザと事故を起こしたの?」
口に出して、やっぱりすげえ後悔した。それでも、聞かずにはいられなかった。
「彼方さんの展示っていつも細部まで考え抜かれてるよな。コンセプトから、展示の構造、キャプションの練り具合、照明の当て方まで全部完璧に組んで発表に臨む。そのあんたがギャラリーの意向だからって展示の順番を変えるか? ……わざと変えさせたんじゃねえの?」
彼方さんが俺に見せてくれた、展示計画を記した見取り図の資料。
あれはギャラリーや、指導教員だった親父にも提出されていた。資料が残っていたから、展示室を変更したギャラリーに責任があると証明できた。
彼方さんは展示をやるときにはいつも資料を相手に渡していたらしいけど、……自分の潔白を証明するために用意したようにも見えなくない。
「なにより、『/01』の作品の性質に収斂発火の可能性があることを、あんたが気づいてないわけないだろ。ギャラリーが白熱電球の展示室を希望してきた時に、『危ないですよ』って、彼方さんなら言えたんじゃねえの?」
聞きたいことは全部口に出した。
「なあ、俺が変に深読みしてトンチンカンなこと言ってんだったら謝るから、『そんなわけないだろ』って、『アレは本当にただの事故だ』って、言ってくれよ」
否定してほしかった。作品が誰かを傷つけるかもしれない状況を、彼方さんがわざと見過ごしたなんて思いたくなかったから。
だけど、嫌な予感ってのはだいたい当たる。
「〝強い光は一枚レンズを噛ませることで照らす相手を焦がし、目を奪う〟。……暗示的だろ?」
彼方さんは、暗く淀んだ目をして、皮肉に笑った。
「あのギャラリーは、作品の見栄えと、その作品が高値で売れることしか考えていないし、そのくせ作品のこともあまり見ていない」
それで、否定しないどころか、推理小説の犯人みたいに動機っぽいこと喋り出した。
「だからいまだにメインの展示室に白熱電球を使っている。あらかじめ提出したわたしの作品写真をよく見ていれば、収斂発火の可能性にも気づけたかもしれないのに誰もなにも言わなかった」
「ぉ、かしいだろ。あんたが黙ってたせいで作業員の人、脚を切断しちゃってるじゃないですか……」
たぶん動揺しすぎて声とか裏返ってたと思う。「なんで指摘した側の俺がこんな取り乱して彼方さんは平然としてんだろ」って、俯瞰する自分もいたりして、内心めちゃくちゃだった。
「作業員はギャラリーの人間だ。わたしの作品で、作品を金に変えることしか考えていない人間の目を奪うことができるのか。試したいと思っていたんだ」
「……まともじゃない」
「まともな作家がこの世にいるのか?」
彼方さんは不思議そうに首を傾げた。長い金髪が肩を滑り落ちる。
「旭くん。クリエイターと呼ばれる人間は全員、作品制作至上主義の奴隷だよ」
彼方さんは冷ややかに続けた。
「『作家は人格が最低でも作品が優れていて、利益を生むならどんな横暴も許される』」
「なに、言ってんの。そんなわけないだろ」
「わたしの父は許されていた。……自分を天才と思い込んでいる凡人の典型のような男だったが、世間というのはこいつにコロッと騙されて、持て囃した」
そこに居ない誰かを睨むように、彼方さんの表情が険しくなる。
「作家として成功したなら、恋人や妻を自殺に追い込んでもいいし、子供を好きに殴っていい。酒を吐くほど呑んで、怒鳴って暴れて何もかも壊した挙句に、泣いて謝っておきながら、その翌日また同じことをするそいつを世間は天才と呼んで、その所業を全て許した。そいつの作ったガラクタの見てくれがきれいで、上等な能書を持っていて、なによりバカ高い値段で売れるから」
……俺は、彼方さんと自分が〝有名な作家の子ども〟であることで、勝手に親近感を抱いていたけど。たぶん、置かれていた状況はあまりにも違ったんだって、自分を抱きしめるように腕を組んだ彼方さんの手が震えているのを見て、そのとき、初めて気がついた。
「『作品の価値が人間の価値。ヘタクソにはなんの権利もない。創作の喜びを知らない人間は搾取されて当然。制作に人生の全てを捧げられない創作者は落伍者だ』……わたしはこう教わったし、周囲の作家志望、作家の面々から似たような思想を嗅ぎ取ることも多かった。君からも」
彼方さんの目は俺を容赦なく射貫く。
「君もこの思想を内面化してる。心当たりがないとは、言わせない」
黙り込んだ俺を見かねて、彼方さんはフォローになっていないフォローをくれた。
「誤解しないでほしい。責めてない。コレは君のせいじゃないよ。人間は誰でも多かれ少なかれ偏見を持って差別をする。しかも〝あの〟鹿苑教授の息子ならしょうがない。現代の中高年男性芸術家で、一定の評価を得ている人間はどうしてもクリ・マチの権化みたいになるから」
そして、煮えるような怒りを込めて、吐き捨てた。
「それはそれとしてわたしはこの作品制作至上主義というやつが、大嫌いなんだ」
「……だからって、どうしてここまで」
わざと事故を起こすようなやり方をしなくてもよかったはずだと俺は思った。だってどんな理由があったって自分の作品で人を傷つけていいわけがない。
「審美眼のない資本主義者どもは芸術が利益になるかならないかにしか興味がなく、凡人はどれだけ作品制作に没頭できるかどうかで競い合っている。……わたしはこのどちらも殺してやりたいくらい憎いし、ずっと、怒っているからだ」
彼方さんは、それが動機なのだと、口にした。
「だからわたしが〝本物〟であることを示そうと思った。それが一番の復讐になる。人生の全てを捧げずとも、私は他人に『入神彼方ならなにをしても構わない』と思わせる作品を作れる。審美眼のない金の亡者をも魅了できる。その証明をしたい。わたしもあいつと同じことをして許されないと割に合わない。わたしにはあいつよりもずっと芸術の才能とやらがあるみたいだから」
小首を傾げて、彼方さんは言う。
「しかし、どこまで許されるかは試してみないとわからなかった。……結果はご覧の通りだよ」
結論はもう出ている。……『作家・入神彼方に事故の責任はない』。
彼方さんは一呼吸置いて、言った。
「君は作品と展示状況、資料を通して、わたしの怒りを正しく理解してくれたな。作家は作品を見るとき、『自分ならどう作るか』……これを考えずにはいられないし、優れた作家なら再現もできる。だから」
彼方さんはうっすらと口角を上げて俺を見る。
「旭くんも『/01』を作れる。わたしと同じことは、君にだってできるんだ」
足元が、崩れ去るような心地がした。
「君も、こっち側だ」
意識していなかったことを突きつけられたと思った。
人を熱中させ、忘我させるほどの魅力を持った作品を作ることは優れた作家の証だ。人の心を揺さぶることができるのは、その作品が素晴らしいからだ。毒にも薬にもならないようなつまらないものに、人は心を動かされたりしない。
だけど、優れた作家が持つ熱中と忘我を喚起する力は、使い方次第で、人を、取り返しのつかないところまで傷つけることもできるんだ。
――それは、彼方さんが指摘した通り、『やろうと思えば』俺にもできることなんだよ。
俺は、彼方さんの差し出された手を見て首を横に振った。
「……嫌だ」
認めたくなかった。
「俺はそっちには行かない。彼方さんの頼みでも、聞けないよ」
「残念」
彼方さんは差し出した手を引っ込める。大して残念でもなさそうに彼方さんは言うと、天気の話でもするみたいにさらりと付け加えた。
「そういえば、『/01』は売れたよ」
「……は?」
彼方さんは口元に手をやって、目をすがめた。
「ああいう客を好事家と呼ぶのだろうな。表立って買うのは外聞が悪いから内密に所有したいと、それなりの金額を提示されたので、処分予定だったが、売った。買った理由は『いい話のタネになる。箔がつくから』だそうだ」
絶句する俺に、彼方さんは微笑みかける。
「……本当に、誰も見る目を持っていないよな?」
全く否定できなかった。
入神彼方の作品は丁寧に鑑賞すればその意図が見えてくる作りになっている。
俺は手遅れになってから彼方さんの意図にかろうじて気づいた。
そして俺以外の誰も、彼方さんが作品に込めた怒りの正体に、触れようともしなかったのだ。




