表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化・コミカライズ】美大生・月浪縁の怪談  作者: 白目黒
【第五章】百鬼夜行・霊亀
70/92

泥亀伊吹の語り:失恋

「俺の絵で半端な演技ができなくなるってことは、あんた結構負けず嫌いだし、我が強いっぽい……んだけどさ、見てると印象が変にチグハグなんだよね? ときどきちょっとロボっぽくなる。なんでかな? 自分の意思とか意見を表現する気が最初からないのか、自分を掘り下げるのが面倒で伝えようとしてない感じ? ……っていうか自己分析を無意味だと思ってる? 最大公約数の態度をとって『他人に好きなように解釈させときゃいいだろ』的な〝甘え〟を感じるんだけど」


 鹿苑(しかぞの)先輩は私に、言葉を選ばない辛辣な評価を下したかと思うと、そのうちの一つを撤回した。


「いや、〝甘え〟じゃないな。……〝諦め〟かな」


 圧倒される。思い当たる節しかない。


「あんた、なんでそんなコミュニケーションに絶望してんの? そして絶望してるのになんで役者なんかやってんの? 普通に不思議。人気商売って不特定多数の人間と絶対コミュニケーションが発生する職業じゃん」


 こればかりは、どう答えていいのかわからないのではなくて、言いたくなくて沈黙を選んだ。

 鹿苑先輩は不思議そうに首を傾げはしたが、答えない私を追求せずに話題を変える。


「ま、いいや。細かいことはどうでもいいし、本題な。なんで俺が美大とか行けばいいのにって言ったかっていうと、あそこは否が応でも自分の作品と向き合って、自分の中にある言葉もイメージも全部表現して、他人にどう伝わるか、どういう受け止め方をされるかを死ぬほど考えて訓練しなきゃなんない環境だから」


「いまのは受け売りなんだけどね」と鹿苑先輩は軽く付け加えた。


 鹿苑先輩の提案は、確かに私の抱える課題を解消してくれるかもしれないとは思ったけれど、どうしてそんな風に言ってくれるかはよくわからなかった。


「そういう場に行ってみた方が、あんたはもっと面白い俳優になる気がしたから勧めた」

「面白い、俳優」

「ギアが入ったあんたの仕事、俺は結構好きだった。もっと色々見てみたい。俺はいい仕事する人間が好きだからさ」


 これまで、私を褒めてくれる人は必ず私の容姿に触れてからその他のことを付け加えることが多くて、だから、鹿苑先輩の言う『仕事』がなにを指しているのか、すぐには理解が及ばない。


「仕事……」


 ぼんやりしている私の反応に鹿苑先輩は怪訝そうにではあるが、説明をくれた。


「外見の調整と立ち居振る舞い、演技の解釈、その他諸々の全部があんたの努力で、培った技術を活かした〝仕事〟だろ? 俳優って技術職じゃないの? 俺なんか変なこと言ったか?」


 そしてようやく理解する。鹿苑先輩は、私の見る目を、努力を、技術を、褒めて期待の言葉をくれたのだ。

 私は、言葉にならない気持ちが渾々と湧き上がることに気づいていた。牛骨の絵を見た時と同じくらい感動していた。早く、なにか答えなくてはいけないと気持ちばかりが逸っていく。


「……いいえ」


 適切な言葉がすぐには浮かばず、不思議そうな顔をしている鹿苑先輩に私は取り急ぎの言葉を告げた。


「変ではないです」


 口に出してすぐ後悔する。言葉が足りない。

 もっと、もっと、言いたいことも伝えるべきこともあったはずなのに、私は私の気持ちを上手く掴めなくて間違える。




 ずっと――。

 ずっと母から見た目しか取り柄がないと言われてきた。


 母は私の顔は父に似たのだとよく言っていた。私は父と会ったことがないから本当に似ているのかどうか、自分ではわからないけど、たぶん、本当のことなのだろう。


『どうせ伊吹(いぶき)もお父さんみたいに、他人に媚びてお金をたかる意外に能のない人間になるんだから、かわいくしてなさい。余計なことは言っちゃダメ。誰にも好きになってもらえなくなるからね』


 母は父が嫌いで、父に似た私のことも好きにはなれなかったのだと思う。

 でも、殴られたり、ご飯を食べさせてもらえなかったりとか、そういう暴力を振るわれたことはなかった。笑いかけてくれるし、抱きしめてもくれる。優しく頭も撫でてくれる。


『お母さんは伊吹のことを思って言ってるんだよ。家族じゃない人は本当のことを教えてくれないんだから。お母さんは伊吹の長所をきちんと伸ばしてあげたいから言ってるの』


 他人は決して教えてくれない〝本当のこと〟の他に、母からかけられる言葉というのはだいたい決まっていた。


 泣くな。騒ぐな。汚すな。うっとおしい。うるさい。喋るな。とにかく黙ってろ。


 母は私が音を立てることと汚すことをものすごく嫌った。反面、私がしなければいけないことも少なかった。外見をきれいに整えて崩さないことと、声を出さずに適切なタイミングでかわいく見えるように笑うこと。


 首から上は特にきれいにしていた。華やかで装飾のたっぷりついた洋服に包装された私が口を開かずにお行儀よくしていると、他人が私の身なりや顔に口を出しては必ず母のことを褒めるから気分が良かったのかもしれない。

 だから、いつかに聞いた言葉を聞いて、すごく納得したのだ。


『人の外見を直接褒めるのはハラスメントになりかねません。アクセサリーや洋服などのセンスを褒めましょう』


 子どもの私は母にとって一番のアクセサリーで、人と貸し借りしてどう扱っても壊れない頑丈なおもちゃで、たぶん後にはお財布にもなったのだと思う。




 芸能界に入れたのもこの容姿に需要があったからだ。スカウトを受けたのは小学五年生のとき。身長が伸びるのが早かったから、マネージャーには「すぐにでも活躍できるよ」と太鼓判を押されて、実際メディアに露出するチャンスは人より多くもらえたと思う。でも、生まれ持ったものだけでやっていけるほど俳優の仕事は甘くなかった。


 喋らなくてはいけなくなった。喋って、相手の言葉を聞いて、私になにを望んでいるのかをきちんと汲んで、期待に応えないといけなかった。


 〝役〟があれば、なんとかその役柄通りに喋ることはできる。けど〝素〟の私で対応してほしいと言われることも多くなって、結局カメラが回る前も後もずっと必死に演技をしていた。


 〝モデル・俳優の泥亀(どろがめ)伊吹〟として振る舞ったあとはいつもへとへとになって一言も喋れない。頷くか、首を横に振るかで精一杯だ。マネージャーが私の性格を理解して、フォローしてくれなければ私はとっくに潰れていた。


 ……喋るのが嫌いだ。


 自分の役割が決まっていないところだとよりいっそう嫌いだ。どうしていいかわからなくなる。


 なにが相手の気に障って、なにが当たり障りないことなのかを判断するのが難しくて、考えて喋ろうとすると時間がかかって、無視しているとか話を聞いてない、みたいに思われる。反射で喋ると余計なことを言ってしまう。最近は昔よりマシになったけど、態度が悪いとか高飛車だとか散々言われた。


 母は顔を合わせるたび「伊吹が俳優として贅沢に暮らしていけるのは私がかわいく産んでやったおかげなんだから」と冗談めかして本気で言う。


 私は、人よりもずっと頑張らないと普通にはなれなかった。なのに、生まれつきの外見だけで順風満帆に俳優業をやっていると思われて、嫌だった。


 でも、鹿苑先輩は、俳優は技術職だって言う。

 私の仕事が、結構好きなのだと。私の仕事をもっと見てみたいのだと。


 私が頑張っていることに気づいてもらえたと思った。

 自分のことを、認めてもらえた気がした。


 しばらくして鹿苑先輩から私の家に絵が送られてきた。展示会場で一番すてきに見えた十五センチ四方の正方形の、三つの小さな絵は、私の部屋にあってもきらきらと輝いていた。私は――。


 ※


 ポロポロと涙をこぼしながら泥亀伊吹は続ける。


「嬉しかった。鹿苑先輩の言葉も。絵を贈ってくれたことも。鹿苑先輩にとってはただの気まぐれだったのかもしれないけど、それでも」


 泥亀は胸を抑えた。俯く拍子に白い花の髪飾りとタッセルが揺れて乱れる。


「あんな風に、人の気持ちを揺さぶって奮い立たせてくれる作品を描く人が、私の頑張りに気づいてくれて、私の仕事を、演技を、好きだと言ってくれるのが、期待に似た言葉をかけられたのが、……嬉しかった。すごく、すごく、嬉しかったの」


 そしてそれが自分の罪だったのだと、泥亀は告白した。


「だから、好きになってしまった。私、心から鹿苑先輩のファンになってしまった。鹿苑先輩を、追いかけてしまった」




 だから美大を進路に選んだのだ。

 ただ、正直簡単な道のりではなかった。


 十代後半から二十代の前半は芸能人としての需要がある。稼ぎ時でもあった。子役から働いてきて芸能界のルールに適応し知名度も高く、成長後の容姿も商品価値を充分に保ったままだから、事務所は泥亀の進学希望、芸能活動休止の申し入れに、最初はいい顔をしなかった。泥亀をずっと支えてくれたマネージャーでさえ「もったいない」と言った。


 それでも泥亀は「絶対に美大に行きたいのだ」と頼み込んだ。


『私は歳をとっても俳優でいたいんです。この顔が〝劣化した〟と言われるようになっても』


『演劇を学問としてきちんと学びたい。なにより、自分で進路を決めて、自分の稼いだお金で学費を支払うことができたら、やっと私は自分自身に自信が持てる気がする。これからずっと俳優でいたいから、四年間、勉強させてください』


 頭を下げた泥亀に、なぜだかマネージャーは涙ぐんでいた。


 泥亀の肩を優しく叩いて「絶対合格できるようにサポートする」「伊吹が自分で決めたことなら応援するよ」と温かい言葉をくれた。泥亀が東美に合格したときは誰よりも喜んでくれた。


 そのときマネージャーに対して、泥亀は初めて罪悪感を抱いた。口にしたことは嘘ではないけれど、もっと大きな理由があったから。


「本当は鹿苑先輩のくれた言葉が全てだったと思う。美大に来たのは、鹿苑先輩がそうすればいいって、すすめてくれたからで、」


 泥亀は、鹿苑に告白した時のことを思い出して眉根を寄せた。


「鹿苑先輩は……」




 大道具班と俳優班が対立した日。泥亀はフォローをしてもらったお礼を伝えるために帰宅間際の鹿苑を捕まえて帰路を共にした。

 そのときの鹿苑はごく普通に、当たり障りのない対応だったと思う。


『電車の方面、俺は上野のほうだけど泥亀は? ていうか、送迎してもらえねえの?』

『休業中なので』

『そっか。ああ、だから帽子。相変わらず大変だなあ』


 泥亀が顔を隠すために被っているキャップを指差して〝相変わらず〟という鹿苑の顔を、泥亀は思わずまじまじと見つめる。


 東美怪奇会で再会してからの鹿苑は泥亀に対して全くフラットな対応で、かつて泥亀が自分の開いた個展に訪れたことには全く触れなかった。だから泥亀自身は、てっきり鹿苑は自分のことを忘れているものだと思っていたのだ。


『「キュービの個展」で私と会ったこと、覚えてるんですか?』

『え? まあそりゃ、覚えてるよ……』


 珍しく気まずそうに目を逸らした鹿苑を前に、いろんな感情が溢れてきた。キュービが二年前、活動休止して悲しかったこと。それから一年後に本名で活動を始めてくれて嬉しかったこと。四年前の個展で伝えられなかった言葉……。

 気づけば辿々しく、伝えてしまっていた。


 個展で鹿苑に貰った言葉が本当に嬉しかったこと。貰った三連作と買った牛骨の絵はいまでも大事に飾っていること。『美大に来ればいい』と言ってくれたことがきっかけで進路を選んだこと。


 泥亀伊吹は鹿苑旭が好きだと。


 途中から、自分がなにを言って、なにを言わなかったのかすらあやふやになっていた泥亀が「最後の一つは言わなくても良かったのでは」と気づいた時にはもう告白してしまっていたのでどうしようもなかった。

 鹿苑は我に返った泥亀を前に、小さく嘆息すると、冷たく言った。


『あんた、俺が「死ね」って言ったら死ぬわけ?』


 冷や水を、浴びせかけられたような心地がした。


『悪いけど、俺は俺のファンとは付き合わない。友だちにもなりたくない。許容できるのは知人まで』


 鹿苑は眉をひそめ、嫌悪感も露わに目を伏せる。


『これは、泥亀が悪いんじゃなくて俺の問題なんだけど。ファンってさ、すげー熱烈な好意をくれても俺が期待にそぐわないとか調子悪くすると一気に冷めて手のひら返すだろ? そうじゃない奴は俺が明らかに調子悪いカスみたいな作品作っててもどうにか褒めるとこ探してチヤホヤしようとすんじゃん。妄信的に』


「そんなことはない」と思っていたのに、泥亀が口に出すより早く、鹿苑は結論を出してしまう。


『どっちも無理。前者は信用に値しないし、後者は単純にき、……もっと冷静になってくれないかなって思う。で、たぶん泥亀は後者だと思う』




 それまで黙って泥亀の話を聞いていた芦屋啓介(あしやけいすけ)が思わず、と言った様子で口を挟んだ。


「鹿苑、あいつ……」

「伝えるべきじゃなかった。また、私は言うべきことを、タイミングを、間違ったんだと思った」


 泥亀は、引き絞られるような声をあげる。


「演技をしていないときの私は、いつも、間違えるの……!」


 無様だとわかっていながら、泥亀は涙も言葉を止められない。


「私は鹿苑先輩の作品が好きで、鹿苑先輩のことも好きで、鹿苑先輩のファンで、好きだと思う気持ちを止めることができなくて、自分が妄信的になっているのかどうかの、基準もなにもわからないから、」


 歯痒さと自己嫌悪が止まらなかった泥亀は、涙はそのままに自嘲するように呟く。


「好きな人に嫌われたくないのに鹿苑先輩は私のことが嫌いだし、私も私が大嫌いだ……」


 月浪縁(つきなみよすが)が自身の腕をぎゅっと抱きしめているのが見えた。

 同情してくれているのかもしれない、と思って、泥亀はずっと羨ましく思っていた縁にも言葉を向けた。


「だから、私は月浪先輩になりたかった。月浪先輩は、鹿苑先輩と対等に喋れる。実力があって、鹿苑先輩に一目を置かれていて、鹿苑、先輩は、」


 あらかた言葉の蛇を吐き出してみるとよくわかる。基準の全てが鹿苑で、自分で決めたことがなに一つとしてない。霊亀に言葉を奪われて客観的に自分を俯瞰していた頃の気持ちも蘇って、なおさら痛感させられる。泥亀は流れる涙はそのままに、笑った。


「……ふふふ。こういうところが、きっと、ダメなんですよね?」


 主体性のない人間のことを鹿苑旭は好きにならない。


 馬鹿馬鹿しい。

 泥亀伊吹は最初から手に入らないものを追いかけていたのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ