次の水曜日のために
【芦屋啓介】
「これが『漫画原作デビューが控えている』の正体です」
鳳アンナは絶望と皮肉に笑って言った。
「私が心の底からぶっ殺してやろうと思っていた、星屑光子郎のゴーストライターをやっていた小崎ユウが、私の漫画の絵を描いてくれるかもしれないんですって。……なにが正解で間違いなのか、わかんないですよね」
羽で顔を覆って、鳳は低く呟く。
「この国で私は多数派じゃない。正しくない人の描いた正しくない物語に救われて、その物語を他の人がなんと言おうと愛し抜くことができればよかったのに、それもできなかった。自分に向いていることは他にあるのに、それでも向いていないことをやろうとしている。発表した作品は褒められることも多かったけれど、どれだけたくさん賞賛をもらっても、批評未満の罵詈雑言が紛れていると当たり前のように傷ついた。どいつもこいつもヘタクソ、ヘタクソ、ヘタクソって簡単に言いやがる。傷ついたことを表に出せば、メンタルを強く保てない、いつまでも上達しない私が悪いってことになる」
鳳は何もかもを呪うように吐き捨てた。
「自信なんか持てるわけがない」
卑屈にも、過剰な謙遜にも思えた鳳の態度は、散々に傷ついてきたことが原因だったのかもしれないと、芦屋啓介は思う。自分ではどうしようもないことを理由にしたいじめ。心の支えにしていた作品が不本意な終わりを迎えたこと。作者への失望。そのフラストレーションを晴らすために漫画家を志してからも両親の反対や心無いコメントに傷ついてきたなら、自棄になっても無理はない。
「……もう、決めたくなかった。返事をする日が来るのが嫌だった。だって、間違いたくない。私はもう散々間違ってきて、そのたび自尊心はズタズタになっていく」
鳳は首を傾げて気だるそうに笑った。
「永遠に、明日なんか来なくていい。どいつもこいつも私ともども全員死んじまえばいい。本気で、そう思っていますよ」
十八時まであと五分を切っている。
この短時間で鳳を説得できる気がしない芦屋はパッと月浪縁を振り返る。
縁は黙って話を聞いていたが、芦屋の視線に促されたように、口を開いた。
「知らない。関係ないよ、そんなの」
思い切り、縁は鳳の語りを切って捨てた。
「月浪おまえ、それはいくらなんでも……」
芦屋がさすがにその物言いはどうか、と口を挟んだが、無視して縁は話を続ける。
「多数派が絶対に正しいなんてそんなことあるわけないし、ここではそれが問題でもない。問題なのは、このままだと、『次の水曜日は永遠に来ない』ってことだ」
鳳は縁の指摘に目を丸くすると、眉を下げて皮肉に笑った。
「……あははっ。そんなの今更ですよ。星屑光子郎はもう死んだ。私の命綱だった水曜日はもう来ない。だから、明日なんて永遠に来なくてもいいんです」
「違うよ。鳳さんの作品のために、生きていてもいいと思える読者はどうなるんだ?」
縁が指摘すると、旋回する火の鳥の翼が大きく揺らめいた。その度に焚き火が大きく爆ぜるような音が響く。
「ピリオドを打たない物語に傷つけられた君が、同じことをするの?」
鳳は、動揺しているようだった。床に落ちた鳥籠の中にいる大勢の影の鳥、その全てが、言葉を待つように鳳へと嘴を向けている。
「……私に、そんな読者がいるわけないじゃないですか。まだ、短編をいくつか取り上げられただけの、絵がヘタクソな、ド新人の一人に、」
「君が言ったんだぞ。鳳アンナの『面白い』は、『物語の続きを待ち望めること。大好きな作家の新しい物語を読むために、生きててもいいって思えること』だって」
この五角形の部屋の中で、鳳は嘘を吐けない。口にした言葉は全て本心だ。だから、鳳は『物語の続きを待ち望んでもらえるような作品』それも、『この物語のために生きていてもいいと思える作品』を目指して投稿作を作り上げたのだと思う。
だからこそ、縁は「それこそが」と言う。
「君が、そういう物語を作ることが、『星屑光子郎を殺す』――『超える』ことなんじゃないのか。それができれば子どもの頃の君が、『グラビティ・モメント』を命綱にしていたことも間違いじゃないと、君自身が胸を張れるようになるんじゃないのか」
芦屋はそもそも、鳳が漫画に救われた経験そのものは、間違いじゃないと思う。
後から、作家の星屑光子郎が人としてどうしようもないことがわかったとしても、子供の頃、グラビティ・モメントを見て胸をときめかせていた鳳には知るよしもないことだし、覚えた感動は鳳だけのものだ。連載を追うことで、現実の苦痛からほんの少しでも逃れられたなら、鳳が『グラビティ・モメント』を命綱にしたことは、間違いなどではないはずだ。
空中を旋回する火の鳥の翼が縁の顔を赤く照らす。瞳の中に、金色の火が灯る。
「君が誰かに『もう少しだけ生きていてもいい』と思わせる漫画を描けたなら、描こうと思えるだけの気概があるのなら、君の選択は絶対に間違いなんかじゃない」
鼓舞するような縁の言葉に、鳳の目が潤んで見えた。しかし鳳は、首を横に振って、皮肉に笑う。
「……口先だけなら、なんとでも」
「じゃあ、君自身に聞いてみようか」
縁は月浪禊の名刺を三枚、旋回する火の鳥に向けて、言った。
「『永久不滅・不変の怪異、不死鳥――宿主の、十年前の姿を映せ』」
名刺から赤い紋様が飛び出る。紋様は飛び回る火の鳥を繭のように包んで、ゆっくりと床へと降りてくる。
「月浪は、なにをしたんだ?」
芦屋が問いかけると、縁は赤い繭を指差した。
「いまの鳳さんは不死鳥とシンクロした状態にあるから、母の名刺を使えば、こんな風に……」
花が綻ぶように繭がほどける。赤い紋様が散らばった真ん中に、十歳くらいの女の子が立っていた。鳳の目が大きく見開かれる。
「〝過去の鳳アンナ〟を呼び出すこともできる。……さあ、鳳さん。さっきと同じことをそこの彼女にも言ってみなよ」
縁の問いかけに、鳳はぐっと唇を噛んだ。
「『明日なんて永遠に来なくてもいい』と本気で思っているのなら、同じ言葉を彼女にだって言えるよね?」
子どもは不安そうに鳳を見上げる。
その腕には『グラビティ・モメント』の単行本がしっかりと抱えられている。何度も読み返したのか、表紙のふちがボロボロになっていた。
鳳の顔が歪む。おそらく、グラビティ・モメントがひどい結末を迎えることをいまの鳳は知っているからだ。
鳳は螺旋階段から立ち上がると、子どもの前に立った。
しゃがんで、子どもと目を合わせて、問いかける。
「……ねえ、その漫画、どんなところが面白いの?」
問いかけられて、子どもはパッと顔を綻ばせた。
「キャラがね、かっこいいの!」
イントネーションが拙い。それでも、一生懸命に伝えようとしているのは、わかる。
「みんなすごく、ひどい目に遭ったり、悲しい過去があったりもするんだけど、頑張ってのりこえようとするの。泣いても、苦しんでも、最後には自分の信じてることをつらぬき通すの。そこが、かっこいいと思う。あんな風に、私もなれたらなって思うの」
ハッと、鳳が小さく息を呑んだ。
「大好きなんだぁ」
鳳は唇を震わせる。
何度も言葉を選ぼうとして、やめて、最後に諦めたように目をつむった。涙が弾けて床に落ちる。
「そう。……そうだったよね。……だから、次の水曜日まで、絶対なにがあっても生きていようって、思えたんだもんね」
「うん!」
迷いなく頷いた子どもの手を、鳳はそっと握った。鳥の羽に変わっていたはずの腕は、人間のものに戻っていた。
「あなたが、その物語を愛して生き延びたことは、誰がなんと言おうと間違いじゃない。覚えた感動は読者のものだ。誰にも渡さない。私の、」
鳳は噛み締めるように言って、うつむいた。か細い声で呟く、
「でも、私は、星屑光子郎のことを許せない」
鳳は顔を上げて、子どもの目を見る。涙する瞳の中に、燃えるような強い光が灯って見えた。
「だから、……私が描くんだ。私の背骨になる物語を。誰かが、『もう少しだけ生きてもいい』と思えるような話を。向き不向きなんて関係ない。どんなハードルだって越えてみせる。私の人生、全部を賭けたっていい! そう決めて、私はペンを握ったんだ!」
誓うように、鳳は叫んだ。
「だって、それだけは、絶対に、間違いなんかじゃないから……!」
子どもは涙する鳳に不思議そうに首を傾げて、問いかける。
「お姉ちゃん、どうしたの? ……かなしいの?」
「大丈夫。……思い出したの。私は、私自身の次の水曜日のために描くって決めたんだ。それが、私以外の誰かの命綱になるかもしれないって、信じてた。……だから、」
鳳は子どもに向けて、精一杯の微笑みを作る。指でフレームの形を作って、口を、開いた。
「『滅べ〝永久不滅・不変の不死鳥〟』……また次の水曜日を、迎えるために」
鳳の言葉を聞いた子どもは一度目を丸くすると、鳳の頭を撫でて、にこりと笑った。
赤い炎が子どもの足元から頭まで立ちのぼってその姿を覆う。炎は子どもの痕跡もなにもかもを消し去ってしまった。
しゃがみ込んでいた鳳はスタッフジャンパーと細身のデニム姿に戻っている。
涙を拭って、鳳は言った。
「月浪さん、卑怯ですよ。読者のことは裏切れない。それが、命綱を必要としていた頃の私自身なら、なおさら。……こんなの絶対ループをやめなきゃいけなくなるじゃないですか」
「卑怯で結構。こっちはループをやめて欲しいんだから当然でしょ。なんとでも言うがいいよ」
縁は開き直って腕を組んでいる。
ひとまず全員心中してループをする、最悪の事態は免れたわけだが、鳳本人の置かれた状況そのものは変わっているわけではない。
おそらく子どもの頃の自分と対面して初心らしきものは取り戻せたのだろうが、と芦屋は立ち上がって膝を払う鳳に問いかける。
「鳳は、結局のところ、どうするんだ?」
芦屋のざっくりした問いかけにも思うところはあるようで、鳳は苦笑して肩をすくめた。
「どうしましょうねえ。……やっぱり、自分で全部やらないと、星屑光子郎を殺せないかもしれないですけど、期限がなぁ……」
実はそもそも思っていたのだが、と芦屋は率直な疑問を鳳に投げた。
「なあ、絶対守らないとダメなのか、その期限」
「え?」
目を丸くする鳳に、芦屋は淡々と告げた。
「親が勝手に言ってるだけだろ」
「……そんな簡単に、あなた、」
「だっておまえ、絵はともかく普通に漫画の才能あるだろ。箸にも棒にも引っかからないならアプリに掲載されないし、編集も手放しでおまえのこと天才とか言わないって」
乾いた笑いをこぼす鳳に、芦屋はなおも言い募った。
「絵だけが課題って言うならじっくり腰据えて取り組めばなんとかなりそうなところを、親の決めた期限のせいで焦って梁会長と鹿苑のアドバイスも耳に入んない状態なんだろ? だったら無視してよくないか? 親のために生きてるわけでもないんだから」
ポカンとしていた鳳はやがて肩を震わせて笑いだした。
「ははは!……はあ。芦屋くん、やっぱりすごい正しい人ですねえ、小癪だな」
「おい、こっちは真面目に……」
「わかってますよ。ありがたく傾聴いたしました」
笑い飛ばされた格好になった気がするが、鳳はやけにスッキリした顔をしているので、まあいいか、と芦屋は思う。
ひと段落したところで、縁が鳳に尋ねた。
「鳳さんは、中華百鬼夜行の術士ではないね?」
鳳は軽く頷いて返す。
「ですね。……筋書きは書かされたんだと思います」
「書かされた?」
怪訝に思った芦屋が首を傾げると、鳳はシナリオを書くにあたって踏んだ手順を教えてくれた。
「酒巻さんが描いたイメージボードからお化け屋敷のシナリオを膨らませたんですけどね。一応シナリオ会議みたいなことはやったんですよ。酒巻さんはもちろん、梁会長、大道具長の鹿苑、座長の泥亀さんは会議に参加してました」
つまり、酒巻のアイディアだけを頼りに筋書きを描いたわけではなく、お化け屋敷制作の中心人物五人揃ってシナリオに手を入れたということになる。
「その時それぞれ絶対に入れたい、必要な要素みたいなのを挙げたんですよ。『キョンシー』とか『創作賛歌』とか。私はそれに沿うシナリオを提出しました。まとめていく最中、ちょっと困ったんですよね。これ、お化け屋敷というか、ホラー向きの題材ではないなって思ったんで」
「どういうことだ?」
『創作に没頭するあまり五体の怪異に魂を売り渡した作家が、創作のために「恐怖」の感情を集める話』が、『お化け屋敷 中華・百鬼夜行』のざっくりとした概要だ。
芦屋は「ホラー向きではない」とは思わなかったのだが。
「泥亀さんが〝彼女〟の演技をかなりホラーに寄せたアイディアをくれたから助かったんですけど、この話、〝彼女〟が常軌を逸した言動をとるからホラーとして成立しているので。〝彼女〟にまともな言動をさせると〝彼女〟はむしろ……」
鳳は何かに気づいた様子で言葉を区切った。
「……ああ、なるほど。そういうことですか」
芦屋と縁を視線で往復すると、鳳はにこやかな笑みを作って、両手を合わせた。
「これ以上私の方からあれこれ言うのは無粋なので、以下、黙秘とさせていただきます」
「はあ!?」
芦屋が素っ頓狂な声をあげても、鳳は完全にスルーである。
「まあ、きっと月浪さんなら読解できますよ。……いや、どうかな? ジャンルの適正っていうのもあるからな。むしろ芦屋くんの方が、素養があったりしますかね?」
「おい。なにを一人で納得してるんだよ。このままだとおまえは、」
「はい。酒巻さん同様に、皆さんの記憶から消えるんでしょうね。ひょっとすると私の存在自体が無かったことになるのかも。……でもそれは、こんな無差別テロもどきに加担した私への、罰みたいなものなんじゃないですかね」
鳳は何もかも承知した様子で笑って見せた。そこには「どいつもこいつも死ねばいい」と自暴自棄になっていた自分への反省と、覚悟が見えた。
「でもこればっかりは、脚本が解説するのは野暮ってものですよ。物語は読者のものです。あなたたちが読んで感じたことにしか意味はない」
鳳は縁に目を向けて、真面目な顔で言った。
「そして、この物語は月浪さん、あなたに読み解かれるのを待っているんです。私が言えるのはここまででしょう。それ以上は、全く蛇足というものです」
縁はそれ以上鳳を問いただしても無駄と悟ったのか、ため息を吐いた。
「……いいよ。自分で解き明かすから」
「ふふふ。よろしくお願いします」
部屋のランプが一つ、二つ、順番に消えていく。暗転が始まった。
おそらくは次のループに向かうのだ。
縁は鳳に向けて、チェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「鳳さん。新作を楽しみにしてるから、ちゃんと『面白い話』を描いてよね」
芦屋には激励のように聞こえた言葉を、かけられた側がどう受け取ったのかは知らない。もしかするとプレッシャーをかけたようにも捉えられる言葉だったから。
ただ、鳳アンナは、微笑んでこちらに手を振った。




