鳳アンナの語り:迷い
東美怪奇会の会長である梁飛龍はフットワークが異様に軽いです。
ギャラリー関係者、マスコミ関係者とも付き合いがあるらしいし、本人も美大の学生であるからには課題もこなしているはずなのに。
忙しい人だということは想像がつくから、一緒に飲みに行ってくれないかと誘ったときは断られることが前提だったんですけど、意外にも梁会長は二つ返事で頷いてくれました。
「いいよ。なにか相談でもあるんでしょう?」
恐ろしいことに、私の目的もうっすら見透かしているようでした。
そう。私はいつまで経っても上手くならない絵をどうやって上達させるべきか、梁会長に尋ねたかったんです。
国分寺にある居酒屋、猫柳亭のテーブル席で、梁会長はウーロンハイを延々呑みながら、顔色ひとつ変えずに、逆に私に聞いてきました。
「鳳さんはなんで漫画家になりたいの?」
私が五杯日本酒を入れてなんとか聞いた上達の方法をスルーして、この核心をついた質問をほぼシラフで聞いてくるんですよ、あの人は。
『星屑光子郎をぶっ殺すため』とか、すぐに打ち明けられるほど親しくはなかったし、これを言ったら、絶対に『どうして殺したいのか』を聞かれるでしょう? それは嫌でした。いじめられていたことを、あんな風に、この世に思い通りにならないことなんてなさそうな梁会長には、どうしても言いたくなかった。
相談に乗ってもらっている分際で卑怯だと思います? でも、どうしても嫌だったんですよねえ。
結局、私は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化しました。
「梁さん、私は漫画が好きなんですよ。好きだから、ずっと漫画のことだけ考えていたいんです。でも、漫画家になってもなれなくても、好きなことだけ考えられるなんて状況、ないんでしょうね」
「難しいよね」
「ですよね」
あっさり頷いた梁会長は、やたらに涼しい顔をしていました。
鹿苑旭が合流してきたのはそんな時です。
大学構内ではいつもツナギ姿の鹿苑ですが、大学の外では普通の格好もするんですね。バンドTシャツとデニムというあまりにも適当な佇まいでこちらに手を振っていました。
「あれ、鳳と会長もうしばらく居た感じ? 俺遅刻した?」
「いや、時間通りだよ」
私はなんとなく察するところがありました。梁会長はたぶん、絵のアドバイスについては鹿苑に聞いた方が良いと思ってたんでしょう。
私があんまり鹿苑のこと好きじゃないのを察して、待ち合わせ時間をズラして、私が話しやすくなるようにしてくれたのかもしれません。
具体的に言うと酒を入れてる状態の私なら鹿苑と萎縮しないで話せると思ったんじゃないでしょうか? まあ大当たりですよ。
「鹿苑……」
私が呼び捨てで呟いたのを聞き咎めたのか、鹿苑は不躾に私の方を指差して梁会長と喋り出しました。
「は?……ねえ会長。鳳キャラ違くない? いつももっとこう、大人しくて自信なさげというか」
「あはは。いま鳳さん、ちょっと酔ってるから」
「〝ちょっと〟?」
「うるせえな。酔ってたらなんだって言うんです? なにか文句があるんですか?」
鹿苑は面倒くさそうな顔で梁会長の横に腰掛けました。
「ええー……。俺、酔っ払いの相手すんの嫌なんだけど」
「まあまあ。鳳さん、鹿苑くんに原稿見せてあげたら? 鹿苑くんのアドバイスなら結構的確だと思うよ」
「おっ、それは見たい! 見して見して!」
鹿苑が腕のある男だというのは重々承知してましたし、梁会長の判断でもありましたから、タブレット端末で原稿データを見せました。
鹿苑は表情から思っていることがわかりやすいですね。面白がってくれて読んでいるのは伝わってきましたが、一通り読み終えたらしい鹿苑は笑いながら言ったんです。
「いやー。鳳って話というか漫画はめちゃくちゃ上手いのに絵が下ッ手クソだよな! よくこれで美大受かったと思うわ!」
「殺すぞ」
直接、人に死ねとか殺すとか言うもんじゃないことはわかっていますけど、あの時の私は別に言ってもよかったと思いますね。ええ。
梁会長も鹿苑を嗜めていました。
「鹿苑くんは言い方がほんとによくないよね」
「すんません」
さすがに鹿苑も真顔で謝ってきましたよ。
一応真面目にアドバイスする気もあったらしくて、タブレットを何度もスワイプしながら、鹿苑は悩ましげに頭をかいていました。
「でもマジでもったいねえな。だってこれセリフと間の演出・構成はキレキレだもんよ。絵がない方がむしろいいのでは?……うーん」
鹿苑は私の目を見て、尋ねました。
「鳳の漫画の絵の正解ってなに?」
……本当に嫌な質問でしたよ。
「居ねえの? なんか『この人みたいな絵を描きたい!』的な漫画家。まずそいつの模倣から入るのがいいんじゃない?」
どうしても私の脳裏には〝星屑光子郎〟の絵が浮かびます。
星屑光子郎の絵は、デフォルメされていますがどこかリアルで、カッコいい絵でした。でも、どうしてもお手本にはならない。してはいけない絵であるとも思っていたから、はぐらかしたんです。
「そんなことしたら……すぐパクリ呼ばわりされるもん。アンチにトレース疑惑出されるの、ダルいです」
「大丈夫だろ。鳳の場合ド下手クソだから最初はまずパクリにも見えないって」
「手の指全部へし折ってやろうか」
「だはは! ごめんごめん」
鹿苑は私の暴言を愉快そうに聞き流しました。
「言い方は本当にどうかと思うけど、鹿苑くんのアドバイスは悪くないと思うよ」
梁会長も鹿苑のアドバイスには賛成のようで、人差し指を立てて言葉を続けます。
「鳳さんの漫画は構図と演出の完成度が高いから、あとは本当に絵だけが課題だろう? 三人くらいの作家をミックスして自分の画風を決めて練習するのはアリだと思う」
「ですよね! ほら! 会長俺の味方〜!」
勝手に肩を組んで高らかに笑う鹿苑の腕を、梁会長は静かに外しました。
「ただ、模倣に対する目は最近厳しいよね。どこまでがオリジナルで、どこからがオマージュか。またオマージュそのものへの是非もあるからなかなか大変だ。いまのところ絵柄の模倣は法律上、問題はないんだけどね。その辺り勘違いしてる人も多いかな」
「現状、仁義の問題にされてるしなあ? ほぼ任侠の世界じゃね? 『ナントカ大先生のマネなんかして許されると思うなよ』からの『指詰めろ』ならぬ『一生絵で商売すんな』的な」
「……確かに炎上させて追い込むやり口は半分ヤクザみたいなものですかね?」
絵柄には流行がありますし、模倣から創造は始まるんです。
中には本当にどうしようもない、オリジナルの絵やフォトグラファーの作品を左右反転して描くようなパクリ方をする人もいますけど、無理やり線を重ねてトレース・パクリ疑惑をかけるような人もいて、そっちは過剰反応じゃないかと思うことはよくありました。
鹿苑は興が乗ったのか、レモンサワーを飲みながら持論を展開していきます。
「俺の知る限りパクられる方は絵柄を確立してる人が多くて、パクる側はつどつど流行追っかけてく傾向ある気がするけどどうっすか?」
たしかに、流行になるような絵柄というのは〝魅力的だから〟みんな真似するんですよね。でも、鹿苑の言うことに、私は賛同できなかった。
「鹿苑は残ってる人間しか見てない。中には潰れて筆を折られる人間もいるよ」
「まあ、そりゃいるとは思うけど、言っちゃえばそいつはその程度なんじゃねえの」
鹿苑の言うことは、間違ってはいない。
「本物なら、模倣してくるやつよりダントツ良いもん描くことで生き残るしかねえよ」
「……鹿苑は正しい」
なぜ、創作は「才能の世界だ」と言われるのか。
それは、成果物が優れていなければ話にならない、誰も相手にしてくれない競争の世界だからです。マニュアルは存在しない。『絶対に評価される作品の作り方』なんてものはなく、それでも、優れたものを作ろうと皆がしのぎを削っている世界です。
その途中で心をすり減らして、へし折れることだってありますよ。誰もが鋼のようなメンタルを持っているわけではないんです。
「正しいけど、正しいことができない人間に対して酷く冷淡で、嫌だ」
そのときは珍しく、鹿苑はなんも言い返してこなかったですね。
いや、もしかすると私がベロベロに酔っ払ってたからな気もしますが。
「しかし、私の人生が正解だった試しもないし、世の中そんなもんかもな……」
「……鳳これかなりダメな酔い方してない? 大丈夫?」
「ふふ。ダメかも」
その時は確か、私の彼女に迎えにきてもらったのかな。
梁さんも鹿苑もまあ、正しいことしか言いませんでしたよ。「それができれば苦労はねえんだよ」って思ったらバチが当たりますかね。でも、私にはとにかく時間も余裕もなかったんです。
親からのプレッシャーは増していました。大学在学中に結果を出さなければ、……連載できなければ諦めて就職しろと言ってきましてね。向いていないことに延々と時間を使うのは浪費だと、そういうことも言われました。
そんな時ですよ。担当編集から、漫画原作のオファーが来たのは。
※
ファミレスで、次回作の打ち合わせだと呼ばれて行ったら、神妙な顔をした担当が開口一番、切り出したんです。
「鳳さん。ネーム原作をやりませんか」
「……作画を別につけるってことですか?」
「そうです」
正直、全く想定外だったかと言われると、嘘になります。いつかはこういう提案をされるんじゃないかと思っていました。
テーブルに目を落とした私を励ますように、担当は言葉を連ねます。
「鳳さんには才能があります。話がうまくて演出の冴えたネームが切れる。構成の勘所もわかってる。短編で、キャラを殺さずに読者を泣かせることができる人は相当に上手いです。こういう人には読者がついて来ると思う。……なによりキャラクターがいいからでしょうね。キャラデザのセンスもあります。読切でファンアートが出ることはそうないんですけど、結構出てますし」
私は無言を通しました。ファンアートが生成されたのはデザインの割に私の絵が拙いからだろう、という邪推が私を蝕んでいたからです。
ファンアートが創作される理由は、原典を愛し、物語のファンになったから。その愛情を迸らせるために筆を取るのだ。……ということになっていますが、果たしてそこには『自分の方が上手く、キャッチーなものを描ける』という優越感は皆無なんでしょうか? 本当に?
SNS上で莫大な数字を叩き出すインプレッションと見飽きた「原作より絵が好きです!」という無邪気なコメントを思い出して、毎回、馬鹿正直に傷つく自分が嫌でした。
猜疑心ばかりが強くなっていくのも嫌でした。
私の描いた話を好きだと言ってくれる人の声よりも、どうしても私を否定する人の声ばかりが大きく聞こえてくる。特に、絵に関することは自分でも自信がないから、強く。
原作者になれば、少なくとも絵に関するジャッジからは逃れられることもわかっています。
担当に、私はなにも返すことができませんでした。
「……だから正直、もったいないと思います。若いうちにここまで描ける。これを伸び代と見て鳳さんの絵が伸びるのを待つより、作画をつけてチームを組んだ方が、すぐに〝結果〟が出せると思う」
担当は、気遣わしげに私を窺いました。
「……あと二年で結果を出さないといけないんですよね」
「はい」
漫画家になることを私の両親が反対していること、在学中に結果を出すように言われていることを担当には伝えていました。
その、結果というのが「日本で一番売れている漫画雑誌で連載をとる」という、かなりハードルの高い目標であることも。
「実は、鳳さんが原作なら作画をやりたいと小崎ユウ先生が言ってくれました」
「……え?」
思いもよらない名前が出てきて、私は、間抜けな声をあげたと思います。
「療養中だったのでは?」
小崎ユウは、星屑光子郎のチーフアシスタント、最後の二年は星屑光子郎のゴーストライター、……『グラビティ・モメント』の作画担当だった人です。
星屑光子郎が死んだあと、例のアシスタントが星屑光子郎の仕事場で起きていた数々のハラスメントと、最後の二年間はグラモメのほとんどを小崎ユウが作画をしていたことを週刊誌に売ったことで無理やり表舞台に立たされた小崎ユウは、概ねその事実を認めました。その後、小崎ユウは療養することと、いつか漫画の世界に戻ってきたいことをSNSで発表して、何年も音沙汰がなかったんです。
私が尋ねると、担当は頷きました。
「心身の都合がついたので仕事が欲しいと打診があったんです。俺が鳳さんを推したら小崎先生はもともと読切を読んでてくれてたみたいで、『やりたいです』と」
絶句する私をどう受け止めたのか、担当は熱っぽく話を続けます。
「鳳さん、知っての通り小崎先生は絵が猛烈に上手いです。男女はもちろん、子どもも老人もそれぞれ魅力的に描けます。作画コストの要求されるファンタジーや合戦のような要素が入っても小崎先生なら応えてくれます。漫画家としても鳳さんの先輩です。そんな人が新人の作画をやりたいとまで言ってくれることは滅多にあることじゃない」
……担当の話を聞きながら、私は、必ずどちらかを選ばないといけない、しかも、間違ってはいけない選択肢が降ってきたのだと思いました。
「鳳さんは天才です。小崎先生も紛うことなき天才です。……俺は天才二人がタッグを組んだら最強だと信じています。いい話だと思いますが、どうですか」
その選択肢を前にして、私は、心の底から決めたくないなって、思ったんです。
星屑光子郎と同じことをする。それは勝ちなのか、負けなのか。……私は正直、負けだと思いました。だって星屑光子郎は初期、自分の手で絵を描いている。自分の世界を自分の手で過不足なく描いて、一人の子どもの命綱にも背骨にもなるような作品を描いている。
でも、私には時間がない。
両親からのプレッシャーは年々増しているんです。いまここで小崎ユウという人と組むことは、正解なのかもしれない。
正解を選んで負けるか。間違いを選んで勝てる保証もない賭けに出るのか。
私は袋小路に追い詰められたような心地で、期日が来るまで悩み続けて、ずっと、吐きそうなんですよ。いまも。




