五角審判の間:不死鳥回遊・擬似庭園
「もう無理限界死ぬ……、死んだ……。虎のときから思ってたけど、インドア代表の美大生に、こんな、地獄、エンドレスランニング……やらせないでほしい……」
縁が倒れ込んでぜいぜい言ってるのを横目に、芦屋も深々と息を吐いた。
「月浪の母さんの名刺がなかったら、俺もとっくに死んでるな」
「……芦屋くん、わりと、平気そうじゃん。なに? 腹立つ」
「まあ、走れなくても体動かすのは好きだから。月浪もなんか運動すれば?」
余裕のある芦屋の言動が気に障ったらしい、縁の目が三角に尖った。
「む、むかつく……。考えとくけども」
ようやく息が整ってきたらしい縁が立ち上がる。
ここも、梁飛龍や酒巻虎徹が待ち構えていた部屋と同じく、五角形の部屋だ。
部屋の中心に植わる氷漬けになった巨大な生け花が、赤い灯を反射して燃えるように輝いていた。
鳥の囀りがやかましいくらいなのだが、しかしこの部屋に実体を持つ鳥の姿は一匹もない。ただ、鳥を思わせる意匠はそこかしこにあった。
鳥の入っていない鳥籠とランプが空中に数えきれないほど浮かんでいる。
先ほどの廊下の壁紙とは異なるが、やはりシノワズリ風の黒い壁紙の中では雀、燕、インコと言った小鳥から、孔雀、鶴、鷺のような大きな鳥まで多種多様の鳥が、黒を基調とした地にこれまた多種多様の花々と共に描かれている。夜の森のようだ。
「桃、杏、木蓮、夾竹桃、金木犀、山茶花、椿……」
縁が絵を見て花の名前をそらんじている。
正直、芦屋はパッと見ただけだと桃と杏の区別がつかない。
「詳しいな」
感心して言うと縁は「日本画やってたら植物の名前は必修みたいなものだから」とさらりと言った。たしかに日本画学科はことあるごとに植物を描かされているイメージがある。
「どうやら一つの壁に四季を当てはめているようだね」
ふと目線を下にやった縁はなにかに気づいたのか小さく息を呑む。
「芦屋くん、床を見て」
「は……?」
縁に促された通り芦屋が床を見ると、鳥籠の影が灰色のタイルの上にくっきりと映っていた。籠の中にいないはずの鳥の影がそれぞれに揺らめく。鳥の囀りが大きくなった。この囀りの主は、影の鳥なのだ。
瞬間、部屋の真ん中に置かれていた氷づけの生け花が燃え上がった。炎が天井まで立ち上り、柱のようになったかと思うと、火柱が螺旋階段と火の鳥の姿に変わる。火の鳥は空中をゆっくりと旋回する。
カツン、カツン、と硬質な音が螺旋階段の上から降ってきた。落ち着いた女の低い声が部屋に響く。
「『中華百鬼夜行へようこそ』――三回目ともなれば勝手もわかってくる頃ですかね? 退屈していませんか?」
螺旋階段から、女が一人降りてくる。鳳アンナだ。
ボリュームのあるウェーブがかった髪はいまや真紅に染まり、その髪を黒い牡丹の花が飾っている。歩くたび、鳳凰を思わせる羽飾りのついたマントが階段に広がって、巨大な尾羽を伸ばしているように見えた。
鳳は螺旋階段の終わりに腰掛け、脚を組んだ。
鳳も、梁や酒巻と同様に異形の姿に変わっていた。マントの下の黒いチャイナドレスのスリット、膝下部分から折れ曲がった鳥の脚が覗いている。
鳳は芦屋の視線に気づいたらしく、口元に羽を伸ばして苦笑する。――肘から先の手も、鳥の羽に変わっていた。
「この脚が気になりますか。でも気になるからって女の人の生足をジロジロ見るのはよろしくないですよ、芦屋くん?」
「…………」
縁が無言かつ半笑いでこちらを見てくるので、芦屋は鳳を指差して即座に言った。
「知ってる人間に鳥の脚が生えてたら誰でも見るだろ!!」
「声がデカいよ。わかったわかった」
――絶対わかってない。
芦屋は縁を睨んだが、縁は横から送られる剣呑な視線などどこ吹く風で、「さて」と気を取り直したように鳳へと向き直った。
鳳は縁に向けて微笑む。迎え撃つような、攻撃的な笑みだった。
「縁ちゃんはもう聞き飽きたかもしれませんけれど、これもルールなので言いますね。『私が呪う理由を言い当てるか、私から怪異を祓うか、この中の一人が死ぬか、十八時まで待って構内に残る全員と一緒に死ぬか』……どうします? どれを選んでもいいですよ?」
小首を傾げてこちらを窺う鳳はいつもと雰囲気が全く違う。おどおどしてる様子もない。鳳は縁がかすかに眉をひそめたのを見て取ったらしい、愉快そうに目を細めた。
「ところで、縁ちゃんって、自分のこと『ちゃん』づけで呼ばれるの嫌いでしょう? わかります。なにやら親しみ通り越してナメられてるみたいで私も嫌いなんですよね」
しみじみと頷きながら言う鳳に、縁は淡々と返した。
「じゃあ普通に呼んでよ」
「あははっ。嫌でーす!」
語尾にハートマークでもつきそうな声色で茶化されて、縁のこめかみに青筋が浮かんだ。
「……ねえ、なに? このやりとり? バカにしてるのか?」
「してるんだろうよ……」
鳳は悪びれもせずにケラケラ笑っている。
縁はふう、と嘆息すると、鳳に鋭い視線を向けた。
「鳳アンナに取り憑いているのは『永久不滅・不変の怪異――不死鳥』だ」
鳳の怪異を祓う方向に、縁は舵を切ったらしい。
呪いを解くためには、呪う理由、呪いのルール、そして呪う怪異の正体を突き止めなければならない。
鳳に憑いた怪異の正体を突き止めたなら、あとは鳳が縁を呪う理由と呪うルールを解き明かすだけだ。
「おや、もうお祓いに移っちゃいますか。まあ、賢明な判断ですね。十八時まであと十分もないですし」
「なに……?」
「永遠に続く部屋で、ずいぶん時間を使ったでしょう? 運が良ければ最初の部屋からこの部屋までスキップできたかもしれないのに、二人ともあんまり運がないようで」
鳳は皮肉っぽく眉をハの字に下げた。
「……鳳さんは、時間を進めたくないんだよね?」
「ああ。わかります? そうなんですよねえ。だから、できれば縁ちゃんにも芦屋くんにも正しくない扉を選び続けて欲しかったんですけど……」
鳳はわざとらしくため息を吐いているが、この五角形の部屋で術士側の人間は『嘘が吐けない』ルールが適用されている。だから鳳の言っていることは、紛れもない本心だ。
だからこそ、芦屋には信じがたく思える。
「いや、おかしいだろ。だっておまえ、念願の本誌連載が控えてるんじゃないのか? 緊張するとか、怖いとか、そういうことならわからんでもないが、『時間を進めたくない』とまでいくと、不自然だろ」
鳳はプロ作家として週刊連載デビューを控えている。本人もプロの漫画家になりたいはずだ。だから出版社に投稿していたのだ。投稿作は何本もアプリで掲載されて話題になり、鳴り物入りで『週刊少年ポップス』本誌で連載するという、絵に描いたような成功のステップを踏んでもいる。
にもかかわらず、鳳は時間を進めたくないのだと言う。
「夢が叶うかもしれないのに、叶えたくないみたいだ」
芦屋の言葉に、鳳はスッと目を細めた。金色に変化した瞳が鋭く光る。
「縁ちゃんもそうですけど、芦屋くんって、とても正しい人ですよね。私、正しい人って嫌いですよ。間違っている人、少数派をここぞとばかりにぶん殴ってくるから。面白くもないし」
「なにが念願なものですか」と吐き捨てる鳳に、縁が静かに問いかける。
「鳳さんは『正しい人』を呪ったんだね?」
「ええ。そうですよ。東美怪奇会には正しい人が多くて困りました。私、縁ちゃんだけじゃなくて、大勢の人を呪ったかもしれません。梁会長とか、鹿苑とかね?」
鳳は皮肉めいた笑みで続ける。
「正解を選べる人。間違わない人。自分の才能の使い道を正しく選んで、正しく努力をできる人。……なんなんでしょうね、反吐が出ます。そんな奴ら、全員何度だって死ねばいいのにって思いますよ」
逆恨みにも程がある。そして、かねてより疑問に思っていたことがある。
鳳だってかなりの才能の持ち主なのだ。漫画家としての才能がある。だから学生のうちにデビューや連載の話がきている。それなのに、いつも自信なさげで、いまも周囲への妬み嫉みに歪んだ言葉を吐いている。
「鳳さんは、どうしてそんなに自信がないの?」
縁も芦屋と同じことを不思議に思ったらしい。
「学生のうちに漫画家として一定の評価を得るのって、すごいことだと思うんだけど」
鳳は真顔で縁の疑問を聞き届けると、にこ、と笑って話を逸らした。
「そんなことより、いいんですか? 私とこうやって喋っていたら、十八時なんてすぐですよ」
「君が永遠を望む理由を聞かない限りは不死鳥を祓えないのだから、対話を飛ばすようなことはしないよ」
「私が素直に教えるとでも思っているんですか?」
鳳は自身の膝に頬杖をつく格好で羽を動かした。真っ赤な羽がランプに照らされて燃えるように光る。
「教えてくれただろ? 鳳さんが何気なく喋ってるつもりの、言葉のフレーズ一つにだってヒントが滲む」
縁は確信を持って口を開いた。
「鳳さん、迷ってるんでしょ」
鳳は軽く目を見張る。
「漫画原作でのデビューが決まっているけど、本当は絵だって全部自分で描きたいんじゃないの?」
縁が続けざまに聞くと、鳳は誤魔化しきれないと悟ったのか、ため息をこぼした。
「……驚いた。縁ちゃん、優秀な読者なんですねえ。私の言葉の選び方から、私の心や状況を読んでくれていたんですか。へえ、絵が上手いだけで、自分の心を表せても人の心は読めない、頭が空っぽの人も結構いるのにな」
鳳は縁を眩しそうに見つめて、諧謔みを帯びた笑みを浮かべる。
「ええ、そうです。私はずっと迷っているんです。決めかねているし、できることなら決めたくもないんですよ」
鳳は「いいことを思いついた」と呟いた。
「じゃあ、縁ちゃんに私のこと説得してもらおうかな。私が決めかねていることを、解きほぐしてみてくださいよ。十八時まであと数分ですけれども」
――やれるもんならやってみろ。
そういう、宣戦布告のように聞こえた。縁は軽く目を閉じて応じる。
「なら、私は聞かなきゃいけないな」
縁は、淡々と問いかける。
「鳳さんにとって、『面白い』ってなに?」
鳳は翼を合わせて、パッと顔を明るくした。
「あ、いいですね。その切り口! 漫画家志望としては絶対に生半な答えを返せないってわかっている質問で」
そして鳳はしばし迷って、真面目に、答えた。
「……『毎週水曜日が来るなら、生きていてもいいと思えること』でしょうか」
私立東京美術大学・芸術文化学科二年、鳳アンナは語る。




