百鬼夜行・太極鳳凰天女
「『百鬼夜行が行きます』」
もうお決まりの合図と化している声が背中の方で聞こえる。
振り返ると、やはりお化け屋敷の入り口がなくなっていた。改めて前方に向き直ると、四つの二メートル大の石膏像が等間隔に並び、スポットライトに照らされている。
「龍、鳳凰、霊亀、麒麟……。虎は、ないか」
「どれかを選べってことだろうね。今回は、脚本担当・鳳さんの怪異を祓うから『鳳凰』で」
芦屋が自身の脚を禊の名刺で補強している間に、縁は彫像の周りをぐるりと一周した。
「芦屋くん。なんかこの像、後ろの方にちょっとした階段と、取っ手みたいなのがついてる」
こちらを手招きした縁の言うとおり、取っ手と、階段状になったちょうど二人くらい乗れそうなスペースが設けられている。いかにも「乗ってみろ」と言わんばかりの造りに、芦屋は真顔で口を開いた。
「すっげえ嫌な予感がするんだが」
「それには同感。でも、しょうがないでしょ。登ろう」
縁もまた真顔で頷いたが、諦観の笑みを浮かべて芦屋を促した。
「……この鳥、急に飛んだりしないよな?」
「わかんない……」
ふと思いついて尋ねると縁は「ありそうだな」という顔で力なく答える。が、芦屋の顔を見上げていつものチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「その時は芦屋くん、目をつむってるしかないね。君、高所恐怖症気味だし」
「いや、俺は別に高いところがダメなんじゃないから。龍の部屋でのことを言ってるならあんなの誰でも怖いに決まってるだろ。だって下に……」
芦屋が弁解している途中で、火が立ちのぼった。
突然彫像を囲むように炎に取り巻かれて、芦屋は咄嗟に縁を抱え込んだ。彫像の隙間に縁を押し込もうとした芦屋だが、火に囲まれているにしては熱さを感じないことに気づく。
振り返ると、赤い絨毯の敷かれた長い廊下と、中華趣味の濃い赤色をした壁が出現していて、呆気に取られる。廊下には一定の間隔で飾り棚が設けられており、それぞれ燭台やら花瓶やら石膏像やらが置かれている。色鮮やかな左右対称の室内はスタンリー・キューブリック、もしくはウェス・アンダーソンの映画の世界、といった風情だ。
胸の辺りをどす、と拳で叩かれて、芦屋は我にかえった。
「……芦屋くん、庇っていただいたところ申し訳ないんだけどさ。ちょっと離してくれないかな」
「あ。すまん」
潰れかけた縁のくぐもった声に、芦屋はパッと手を離した。縁は咳き込んで芦屋を睨む。圧迫されたせいか顔が赤い。
「馬鹿力。君で窒息したら元も子もないだろ、全く……」
ぶつぶつ言いながら前髪を整えて、縁は深呼吸すると、状況を確認して目を瞬いた。
「またえらく優雅だね。中華風は中華風だけど、洋風な気もする……」
「シノワズリだな。十七世紀から十八世紀にかけてフランスを中心に流行った中華風の美術様式だ。ロココ趣味も入ってるから、あくまでもヨーロッパで受け入れやすく解釈された〝中華風〟だ。壁紙に描かれてる鳥も、ほら、オニオオハシとか、明らかに中国にはいない鳥が描かれたりしてるだろ?」
「やたら詳しい説明をどうも」
建築様式についてレポートを書かされた際の知識が役に立っている。
縁と芦屋の乗っていた鳳凰の彫像は廊下の突き当たりにぴたりと収まっていた。廊下は一本道なので迷わないで済むのはありがたいが、この先なにが起きるかわからないのは不安である。
「怪異の気配はいまのところないね」
先を進みながら縁が言う。
芦屋は飾り棚の壺を横目で見送りながらぼやいた。
「この廊下、長いし、曲がりくねってるし、一本道とはいえ迷路みたいだな。ずっと同じ鳥が描かれた赤い壁紙、赤絨毯が続くから感覚がおかしくなりそうだ」
左右対称でなにもかもが真っ赤な室内にいると目がチカチカしてくる。目に優しい緑尽くしではダメだったのだろうか。
「飾り棚に置かれてる小物がちょっと違うけどね。燭台、皿、壺、花瓶、石膏像の繰り返しだけど」
「飽きないのか、ここの家の奴……」
廊下を曲がると、ひらけたスペースに出た。
中華風の天女の彫像が真ん中に置かれ、右手に黒い扉、左手に白い扉がある。石膏で作られた天女の彫像の顔には黄色地に赤い文字が書かれた札が貼られていた。
「『勅令随身保命・魃』……キョンシーの札だね。〝魃〟は、日照り、干ばつをもたらす女神だ。彼女が起こした日照りのせいで死んだ人間がキョンシーになって人を襲った。そのため彼女はキョンシーの始祖とも言われる。中国の妖怪図鑑・山海経に記述がある」
縁は霊能力者なだけあって妖怪に関する知識が豊富だ。芦屋は「なるほど」と頷いて、本題に入った。
「で、どっちの扉を選ぶ?」
「うーん……」
縁は腕を組んで唸った。
これまで一方通行だったので、いざ選択肢が増えるとなると、結構迷うものである。どちらが正解なのかもわからない。
「とりあえず、白い方行ってみますか、勘……」
「ではあるけど」と続けられるはずだった言葉が途中で止まった。
羽音がする。
芦屋と縁が通ってきた廊下から命を得た白い鳳凰の彫像が飛んできたのを合図に、壁に描かれていた鳥の絵が一斉に羽ばたき出したのだ。
「な、なんだ……!?」
壁の中の鳥に気を取られてしまったのがまずかったのかもしれない。
命を得た白い鳳凰の彫像が天女の彫像の札を剥がした。
瞬間、天女の彫像が煙に巻かれたように消え、白い鳥はあっという間に天女の台座に収まって、入れ替わるように再び石膏像の姿に変わる。
「芦屋くん、走れ!」
蒼白な顔で縁が叫んだ。すぐそばにあった黒い扉を開いて、芦屋と合流すると自分もすぐに走りだす。
風とともにゴオッ、となにかが噴き出すような音を聞いて後ろを確認した芦屋は、空中を優雅に泳ぐ羽衣をまとう天女が、タバコの煙でも吐くように火を噴いたのを見た。そして彼女は獲物を弄ぶような美しい笑みを浮かべながら、縁と芦屋の二人を追いかけてくる。
「ズルだろあんなの! 飛んでるし火噴いてるし! 飛んで火ィ噴く生き物は夜光龍で間に合ってんだよ!」
黒い扉の先も赤い絨毯が敷かれた廊下である。全速力で走ると、再び白と黒の扉、札が貼られた黒い天女の彫像が置かれたスペースに行き当たった。
「芦屋くん、危ない!」
縁が禊の名刺を空中に投げると、名刺の紋様が赤い盾に変わった。盾は天女の噴いた火から芦屋を守る。
天女は芦屋に命中するはずだった火を防がれておかんむりらしい。可愛らしく頬を膨らませて眉をひそめるが、やってることは全く可愛くない。
芦屋は白い扉を開いた縁の後を追ってまた走る。白い扉の先も赤い絨毯が敷かれた廊下が広がるばかりで、出口は全く見当たらない。
「ずっと走り続けろってか……?!」
歯噛みした芦屋を嘲笑うように、女がくすくす笑う声が聞こえる。走りながら後方を確認すると、二人の天女が空中をくるくると泳ぎまわりながら、縁に向けて火を噴いたところだった。
芦屋が縁の手を取ってなんとか位置を変えることで火は避けられたが、あまりにも間一髪だったので背筋に冷たいものが走る。羽衣と中華風の衣装が空中を漂う様は二匹の金魚が遊んでいるようにも見えるが、遊び方が残忍極まりない。
「月浪! 火ィ噴く天女が増えたぞ!」
「わ、かってるよ……! ルール。ルールを、見つけ、ないと……!」
吐きそうな顔で、縁は走りながら息も絶え絶えに言う。
ずっと全速力で走り続けるのは無理だ。おそらく芦屋より先に縁の方に限界が来る。
芦屋は走りながら縁の言った『ルール』に思索を巡らせた。
黒い扉と白い扉。白い彫像と黒い彫像。どちらの扉を選んでも廊下が続いて、延々と走らされる。
いや、と芦屋は一度出した結論を否定する。彫像の色が変わっていた。おそらく彫像の色と扉に法則性がある。
「月浪、あと何周、行ける……!?」
「……っ!」
縁が指を二本立てた。結構頑張る気でいるらしい。
廊下の突き当たりにあったのは白い彫像と白と黒の扉だった。
ヘロヘロになっている縁の手を引いて、芦屋は白い扉を開く。
相変わらずくすくす笑う女の声が後ろから追いかけてくる。確認すると、今度は増えてはいない。思った通り、一人に減っている。
白い扉を開けると、白い服の天女が消える。彫像の色と扉の色を揃えなくてはいけなかったのだ。
赤い絨毯の廊下を駆ける。もう縁は限界に近いので、次の天女の像が黒いことを祈るしかない。
扉と札が貼られた天女の像が見えてくる。
「よっしゃ、黒い……!?」
芦屋が喜んだのも束の間、嘲笑うように白い巨大な鳥が芦屋と縁の頭上を飛んでいった。
天女の顔に貼られた札を剥がす気だというのがすぐにわかった。
芦屋はスタジャンのポケットから名刺を取り出して縁の母親に祈る。
「月浪の母さん頼む! 『あの鳥を止めてくれ!』」
名刺を投擲すると、赤い紋様がフッと空中に滑り出た。紋様は赤い鳥に姿を変えて、白い鳥に襲いかかる。
芦屋は鳥同士が争っているのを横目に、黒い扉を開いて、縁ともども駆け込んだ。




