9:00 中華・百鬼夜行の脚本(三回目)
【芦屋啓介】
「前回のループ、酒巻虎徹に憑いていた『山月記の虎』を祓えたわけだけど……、前々回の梁会長のループとも照らし合わせてわかったことを整理してみよう」
朝九時に校門を過ぎたあたりで合流した芦屋啓介と月浪縁は、前回と前々回のループと同様に東美怪奇会の部室で反省会、もとい、振り返りをする。
芦屋と縁の二人は中華百鬼夜行の中で梁飛龍と酒巻虎徹と遭遇している。そのうち酒巻は術士ではなく依代だったことが判明したわけだが、この二人には共通点があった。
「二人とも月浪に対してやたらなれなれしかったな」
酒巻に関しては依代の役目から解放された途端に、縁への態度が元に戻ったので、呪いの影響だった、と言っていいのだろう。だが、なぜそうなったのかは全くの謎である。
縁は頬を引きつらせて、頷いた。
「……あれ、なんなんだろうね、本当に」
「あとは……二人とも勝負事にすごくこだわっていた」
梁は縁に対して「公平に勝負をしたいのだ」と望み、酒巻は鹿苑と縁に敵意と対抗意識を燃やしていた。酒巻は主に鹿苑に対しての敵意ではあったが、どちらも勝敗に強くこだわっていたことに変わりはない。
「そうだね。いい視点だ」
縁は首肯して、さらに続ける。
「霊能力者視点から言わせてもらうと、酒巻さんも怪異にかなり同調していた。元々『山月記の虎』は取り憑いた相手と同化して獣にしてしまう怪異だけど……梁会長の時と同様に、酒巻さんも、怪異そのものになっている感じがした」
これに関しては芦屋も見た目で判別がついた。特に、梁に比べて明らかに虎の獣人のような見目になっていた酒巻はより怪異の影響を受けていたのではないだろうか。
「一瞬だけど、酒巻さんはほとんど人間じゃない見た目になってたもんな」
「呪いの歯車である怪異と依代は深く同調する。――これは、押さえておいた方がいいポイントだと思う。名刺を使って怪異を無理やり祓おうとすると、依代の方を傷つけてしまうかもしれない」
縁は難しい顔をしている。
芦屋の記憶の担保、脚の補助、怪異への攻撃手段、防御手段など、オールマイティに使える護符、〝月浪禊の名刺〟ではあるが、肝心の依代から怪異を祓う手段には向かないというのが縁の見解らしい。
「……怪談による除霊、対話による解呪じゃないとダメってことか。俺はてっきり、名刺の節約のためだと思ってたんだけど」
「それもあるよ。名刺には限りがある。使い所は気をつけないと、だ」
全く同感だった芦屋は頷くと、今回のループについての方針に話題を移した。
「このあとは、酒巻さんと合流して、酒巻さんに記憶があるなら、調査に同行してもらう感じでいいよな?」
酒巻が記憶をリセットされてしまっていてはどうしようもないのだが、呪いの歯車としての役割を終えた酒巻には記憶が残っている可能性もあるだろう。調査する手は多い方がいい。
「酒巻さんに関してはそうだね。次に、調査対象は……、どうしようか」
梁を後回しにすると決めているため、候補になるのは鳳、泥亀、鹿苑である。芦屋は「明らかに怪しい奴が一人いるだろ」と眉をひそめた。
「鹿苑は? あいつだけ前回、違う動きをしてただろ」
中華百鬼夜行は東京美術大学敷地内の時間を巻き戻して、永遠に文化祭最終日、十月三十一日を繰り返す呪いだ。だから、縁や芦屋といったループのことを知っている人間を除いて、東京美術大学の中にいる人間はそれぞれ決まった行動をする。
しかし、鹿苑だけは違った。
前々回はシフト通りに動いて十六時にお化け屋敷のシフトに入ったのに、前回は姿を現しもしなかった。これはやはり、あからさまに怪しい。
ただ、鹿苑が術士だとしたらこんなあからさまに怪しい行動をとるものか? とも思うので、何らかの罠とかブラフの可能性も念頭には置いておきたいところだ。
縁も芦屋の意見におおむね賛成しつつ、鹿苑について今回詳しく調査するのは控えたいと言った。
「……ちょっと、梁さんに続いてになるけど、鹿苑くんのことも後回しにしていい? もう何人か、別のメンバーから怪異を祓ってからの方が、彼が術士なのか、そうでないのかを絞り込める気がするから」
縁には、なにか懸念するところがあるようだ。怪異や呪いに関しての経験値は当然、霊能者である縁の方が圧倒的に高いので、芦屋としても縁の感覚は尊重したい。
「梁会長と鹿苑を後回しにするなら、鳳と泥亀の二択になるな」
お化け屋敷の脚本と主演。どちらに絞るかと問われて、縁はすぐに答えを出した。
「可能性が高い方から潰すなら、鳳さんの方かな。『筋書きを描く』という行為も、おそらく今回の呪術に関しては重要なことだと思う」
縁はホワイトボードの前に立ち、黒いペンのフタを開けた。
「ここで一回、お化け屋敷『中華・百鬼夜行』のストーリーをおさらいしてみよう」
※
東京美術大学の卒業生に、中国の五神獣をモチーフにして描く画家がいる。
その彼女がある日を境に、連絡を取ることができなくなった。どうも屋敷には居るらしいが、電話も不通で、彼女を外で見かけることもなくなった。
彼女は優れた画家だ。大学時代の友人をはじめ取引をしていたギャラリーの人間も彼女を心配して、直接屋敷に向かう人間も現れた。
だが、彼女の屋敷に向かった人間は皆、彼女が描いたと思しき一枚の絵を携えて帰ってくる。そして、口々に言うのだ。
「彼女はあまりに見事な五神獣の絵を描いたものだから、五匹の怪異に取り憑かれてしまったのだ」
「彼女の住まいは、バケモノ屋敷だ。屋敷の中は悪夢のような有様で……」
「これまで屋敷に向かった人間の誰も、彼女を助けることができなかった。誰か、彼女を救い出すことができる人間はいないものか」
※
冒頭のストーリーをまとめると、縁は皮肉めいた口調で続ける。
「で、ここからめくるめく悪夢の世界。龍、虎、鳳凰、霊亀、麒麟をモチーフにした怪奇現象まみれのお屋敷に、お客様はご招待されるわけだね」
「現在の俺たちじゃねえかよ」
げんなりした顔で答えた芦屋に、縁はいつものニヤリ笑いを浮かべた。
「そりゃあ、お化け屋敷の『中華・百鬼夜行』は呪いの触媒というか土台になってるわけだから、共通するところはあるだろう。……だけど、ここから呪いの方の『中華百鬼夜行』の黒幕を探るのは難しいかな?」
縁がそう言う理由も、芦屋にはわかる。
お化け屋敷の脚本と芦屋たちが置かれる状況は全く一致している、というわけではない。
お化け屋敷『中華・百鬼夜行』では泥亀が演じる怪異に取り憑かれた〝彼女〟こそが黒幕である。
彼女は龍、虎、鳳凰、霊亀、麒麟をモチーフにした怪奇現象が起こるたび姿を現し、観客を屋敷の奥へ奥へと案内する。そして最後に、巨大な五神獣の絵を描く彼女が現れるのだ。髪を振り乱しながら、這うようにして絵を描く彼女を、泥亀は鬼気迫る演技で表現する。
彼女は観客に気づくと、微笑んで言うのだ。
『中華・百鬼夜行へようこそ。ようこそ、みなさま。わたくしを連れ戻したいと、数多の神獣・怪異に追われながらここまで辿り着いたみなさま。申し訳ございませんが、わたくしは外の世界の戻ることを、望んではいないのです。むしろ、わたくしはここで永遠に作り続けたいのです』
『わたくしの絵をどうやら五神獣は気に入ったようでございます。わたくしは彼らから恩寵を賜りました。「この屋敷から出ない限り、歳をとらず、永遠に、作ることだけに没頭できる」のです』
『その代わり、五匹の神獣は「強い感情」を必要としました。わたくしだけで賄うことが叶いませんでしたので、みなさまをご招待したのです。「恐怖」というのは、とても強いエネルギーになるのだそうです』
『ですから……みなさま、ありがとう! ありがとうございます! ここに来てくださった皆々様に心からの感謝を! わたくしの創作の糧となってくださって! 本当に! ありがとう!』
『お礼に一枚、絵を差し上げましょう。次の糧を連れてくるための、撒き餌のようなものではございますが、どうぞ』
『それではみなさま、ごきげんよう。さようなら、さようなら……』
作ることに取り憑かれ、怪異と共生することを選び、常軌を逸した言動を繰り返す〝彼女〟は泥亀の熱演もあって、美しく、恐ろしかった。
当然、望んで永遠の中にいる〝彼女〟と、現在永遠の十月三十一日に閉じ込められた芦屋と縁の心情は全く異なる。
「俺は普通に家に帰りたい」
「〝彼女〟の場合は望んで『永遠』の中にいるわけで、私たちは別にそもそも永遠なんか望んでないしループしたいわけでもないから全然状況が違うし、違ってくれないと困るね……」
切実な思いを込めて呟いた芦屋に、縁もまた苦笑しながらではあるが頷いた。
次に、と縁は前置きして、芦屋に提案する。
「芦屋くん、鳳さんが部室に返却する参考資料を、できるだけ暗記しておこう」
鳳がリュックサックに詰め込めるだけ詰め込んだ膨大な量の資料を思い出して、芦屋は眉根を寄せた。
「ええ? 結構な量あったぞ。……そういえば、九龍城砦の資料とか借りてたな、あいつ」
縁の提案にげんなりした顔で返した芦屋だが、鳳の持っていた資料の一つを思い出して、ふと、気づいた。
実際お化け屋敷の方の中華・百鬼夜行も九龍城砦のイメージを元に大道具を作っていた。山月記の虎に憑かれた酒巻虎徹の〝五角審判の間〟の印象もまた然りだ。
「鳳の読んでいた資料が、怪異祓いのヒントになるのか?」
芦屋が尋ねると、縁はいつものニヤリ笑いで応じる。
「ご名答」
ノックの音がする。時計を見れば針は十時を指していた。
相変わらずタイミングが良い。
梁と鳳の挨拶のタイミングも三回目ともなればすぐにわかるものだ。
芦屋は鳳が棚に戻す資料を目で追っていく。
『山海経』『鳥山石燕 画図百鬼夜行』『歴代名画記』『火の鳥』『写真集 九龍城砦』『易経』……。
「すごい量だけど、鳳は部室から借りた資料以外も読んだのか?」
「まあ、そうですね。一応。五神獣に関する資料はいくらあっても足りないので。『山月記』なんかも教科書を引っ張り出して何年かぶりに読みました」
鳳の言い草からして、縁の仮説は当たっているようにも思える。芦屋は鳳の戻した資料の題名を頭で唱えながら、何となくスマホをいじっているふりをしながらメモをとった。
縁の方はなにやら梁と会話が弾んでいるらしい。縁は世間話の延長で尋ねていた。
「梁さんは十一時から酒巻さんと受付のシフトですよね」
「……〝酒巻〟?」
それまでにこやかに話していた梁の声が怪訝そうに低く沈んだ。縁も、そして会話が耳に入っていた芦屋も、その反応に面食らう。
驚愕している縁と芦屋の反応に不思議そうに首を傾げた梁は、口元に手をやって答える。
「たしかに僕は十一時のシフトに入っている。が、……酒巻、という人物に聞き覚えはないな。怪奇会のメンバーの名前は全員把握していると思うのだけど」
信じられなかった。
芦屋は資料を戻し終えて軽くなったリュックを背負い直した鳳に、つかみかかるようにして声をかける。
「……鳳は? 知らないか? 〝酒巻虎徹〟! 油画の二年で、いつも和服着てる、たまに関西弁の」
「は、はあ? いや、すごい剣幕でなんですか? 誰?」
鳳は困惑した様子で酒巻虎徹を知らないと言う。
「じゃあ、誰が中華風百鬼夜行のアイディアを出したんだよ?!」
「誰って……」
鳳は梁に目を合わせた。梁もやや困惑した様子で鳳に頷くと、心配そうに口を開く。
「今年は完全に匿名投票で決めただろう? 芦屋くん、どうしたんだい?」
「悪い夢でも、見たんです?」
いまのこの状況こそ悪夢だと、芦屋は思った。
酒巻虎徹の存在も、その記憶も失われていた。そして酒巻の存在を埋め合わせて辻褄が合うように、梁と鳳の記憶が書き換えられている。
いや、おそらく梁と鳳だけではなく、呪いの対象である縁と、月浪禊の名刺で記憶を担保されている芦屋を除いて、中華百鬼夜行に巻き込まれた全員の記憶が、操作されているのだ。




