決着
酒巻の外見にも変化があった。いつも着ていた和服に、東美怪奇会のスタッフジャンパー。毛皮も残っておらず、変色していた目の色も元通りだ。
「……月浪さん」
縁を呼ぶ声もいつも通りで、正気だった。
「なんですか?」
「えらい耳に痛い発破がテキメンに効いたわ。ありがとう」
「どういたしまして」
にこやかに応じた縁に酒巻は眉を下げて、わざとらしく意地悪い声色を作って聞いた。
「俺が虎を殺してしまうとは考えなかった?」
「……ああ、確かに虎を殺したらまずかったな。そうすると酒巻さんが死にますね」
「え? そうなん?」
腕を組んで言う縁の返答があまりにもあっさりしていたので酒巻もつられて淡々と応じているが、そんな簡単に流していい話でもない。
「おい、さっきそんなギリギリの状態だったのか?!」
芦屋が縁に詰め寄ると、縁は「ギリギリと言えばギリギリだったかも」と頷いて、続けた。
「美大生に憑く〝虎〟というのは大体が〝山月記の虎〟だ」
『プライドが高いゆえに、傷つくことを恐れる〝臆病な自尊心〟。 恥をかいて自信を失いたくないゆえに、他人を見下す〝尊大な羞恥心〟』が正体で、自分を客観視できない・他者の批評を恐れる創作者が取り憑かれるのだと、縁は語る。
「でも、酒巻さんに憑いた虎を祓うのは実は簡単だと踏んでいた。東美怪奇会の中での酒巻さんは個性の強い面々のアイディアを柔軟に受け入れていたけど、みんなの言いなりになってるわけじゃなかった。受け入れる意見とそうでない意見を選別してた。バランス感覚があって客観的な視点はきちんと持っている人だと思ってたんだ」
縁は酒巻に微笑みかける。
「だから酒巻さんは自分の虎を殺さない。あの虎は自分の一側面であると、あなたは自分で気づける人なので」
「……あはは! ほんまに嫌みな女やね!」
酒巻は笑い飛ばすように言うと、フッと肩を落として、尋ねた。
「それにしても、なあ? 俺そんなに鹿苑のことが嫌いなの顔に出とった? 悟られんように気をつけてるつもりやったけど」
「若干当たりがキツイというか言葉の選びと声のトーンなんかで薄々。私は結構気づく方なので、他の人はそんなに気づいてないかと」
「俺はむしろ仲がいいんだと思ってた」
酒巻は毛虫を見るような目を芦屋に向けた。
「……えぇ? それはないわぁ。芦屋くん、視力いくつなん? メガネこしらえた方がええんと違いますか?」
「わざとらしい嫌みをやめろ」
芦屋は突っ込んで、嘆息する。
「いや、酒巻さんの反応がどうと言うより、鹿苑が結構酒巻さんの話をするし褒めるから」
「は?」
怪訝そうな酒巻に、芦屋は淡々と続ける。
「ていうか、『自分は鹿苑の眼中にない』とか言ってましたけど、鹿苑はかなり酒巻さんのこと買ってますよ」
「こんな状況だしバラしてもいいか」などと芦屋は呟くと、かつて鹿苑が話していた言葉を酒巻に教えた。
「『公平』だって言ってました。『俺の作品への評価に良くも悪くも贔屓目を入れないから批評が信頼できる。そういう人が俺の作品を『良い』って言ってくれると嬉しい』『油画の同輩で俺と作品で張り合うのは酒巻さんくらいだ。そういう人がいないと美大に来た甲斐がない』って」
縁が意外そうに瞬いたのち、芦屋に怪訝そうな目を向けた。
「なかなかのベタ褒めだな。しかしなんで鹿苑くんはそれを芦屋くんに言うんだよ」
「知らねえよ。俺も『本人に言え』って何度も言った。でもあいつ……なんていうか変なとこで繊細だろ? 恥ずかしかったんじゃねえの?」
芦屋から見て、鹿苑は自信家でなんでも思ったことをズバズバ言うが妙に繊細な上に、他者に対する好みというか感覚が若干変である。実力があって大口を叩くから敵と信者が多いのだが、鹿苑はどちらかと言うと信者より敵の方が好きな節があった。だから、自分をライバル視していた酒巻には好感を持って注目していたのだと、芦屋は思う。
芦屋と縁のやり取りを聞いて、酒巻は片手で顔を覆った。
「……なんやの、それ。……ハハ、笑えるわ」
肩を震わせて深いため息と共に、呟く。
「しょーもないなあ、俺」
――実のところ独り相撲ではなかったのかもしれない。
芦屋が酒巻の感慨を見守っていると、縁が一歩前に出て、尋ねた。
「中華百鬼夜行の術士は、酒巻さんじゃないんですね?」
酒巻はあっさり首を縦に振った。
「うん。俺やないよ」
「術士の正体は言えますか」
「それはできん。というか、……わからんのや」
酒巻は、中華百鬼夜行を編んだ術士に操られていたといまならわかるが、虎に憑かれている間は『自分こそがこの中華百鬼夜行を編んだのだ』という意識でいたという。
「いつから虎が俺に憑いたのかもわからんし。俺にわかることって言ったら、東美怪奇会のメンバーに術士がおるんやろなってことくらいか? あと、こんな面倒臭い呪いをこさえるんはものすごい凝り性の天才くらいのもんやない? だってこれ、俺らが作ったお化け屋敷を元にしながらすっごい細かいディテールまでグレード上げながら舞台作ってるで? 執念に引くわ」
確かに、梁が待ち構えていたモノトーンの竜宮城を模した部屋や、現在のネオンだけ生きている廃墟風の部屋は東美怪奇会が作ったお化け屋敷の舞台セットを踏襲しているが、こちらは完成度が違う。
だいたい、本物と同じように動く虎に化けるネオンを作れと言われても無理だ。無理なことが怪異の力で現実に起こっているのである。
酒巻は無精髭の残るあごを撫でて不思議そうに続ける。
「俺がパッと思いつく東美怪奇会の天才と言えば鹿苑で、たぶん怪異の介入があればこんだけの呪いを作れないこともないとは思うけど。しかしなあ、あいつそういうキャラか? でも、作ること自体が動機になったりしたらあり得るかな? ……天才の考えることなんか知らんけど」
酒巻はいまだに鹿苑に対して思うことがあるらしくやさぐれた口調で言い捨てる。
「あとは、俺も呪いを構築する歯車として利用されたんだから、鹿苑を利用してる奴がいる、とかはあり得るんと違う?」
酒巻の考察に、縁が口元に手を当てて考えるそぶりを見せているうちに、地響きのような音が鳴り出した。部屋の天井からパラパラと破片が降ってくる。
「……おっと、時間切れやね」
次のループに移行するのだとわかって、芦屋は思い切って酒巻に声をかける。
「酒巻さん、次のループで俺たちのこと手伝ってくれませんか」
呪いを解くために動ける人間、調査できる人間は多くいた方がいい。月浪禊の名刺を持っていない酒巻は次のループで記憶がリセットされている可能性はあるが、それでも。
「もしかしたら酒巻さんの記憶は次のループで無くなってしまうのかも知れないけど、そうじゃなかった時は、頼みます」
芦屋の提案に目を丸くしていた酒巻は、やがて頷いて、いつものように人当たりの良い笑みを浮かべてみせた。
「……そうやね。俺もこんな目に遭わせた奴の顔は是非とも拝んでみたいことだし、ええよ」
縁も「よろしくお願いします」と続けて言うので、芦屋の提案はそう悪くない選択肢だったらしい。
自分で言っておきながら先走ったかもと思っていた芦屋はほっと胸を撫で下ろす。
「ほな、月浪さんに芦屋くん、またな」
酒巻虎徹は手を振って、縁と芦屋を見送った。




