五角審判の間:模倣九龍城砦
辺りを見渡せば梁飛龍がいた部屋と形は似ている。同じ五角形の部屋だ。
だが、これまでの部屋と同様によく言えばインダストリアル、率直に言えば廃屋や打ち捨てられた工場のような印象に見える。スプレーで施されたグラフィティやチラシが壁一面を覆っていた。
一際目を向いたのは壁の一つにある、音を立てて点滅している白い虎のネオンだ。ネオンの周りに百虎図が取り巻くようにして描かれている。
その下、電子部品や廃材が積まれてできた玉座に、酒巻虎徹が腰掛けていた。
「『中華百鬼夜行へ、ようこそ』」
酒巻が縁と芦屋を見て、やけに恭しく言ったかと思うと、くつくつと肩を震わせる。一つ前の部屋、三味線に合わせてこちらを嘲笑うように唄っていた男と、同じ声で笑った。
「ははっ。これは絶対言わなあかんやろ。『二度のご来場まことにありがとうございます』ってな」
「酒巻さん、顔が……」
芦屋は言葉を続けられなかった。
梁と同じく酒巻も獣人のような異形に変貌していたが、その変化は酒巻の方がひどい。額からは虎の耳が飛び出し、あご、首元などがまだらに虎の毛皮で覆われている。手足は完全に虎のものだ。体の変化もさることながら、着ている服も当然違う。
梁は古代中国の文官のような印象だったが、こちらは戦装束だ。よくよく見れば甲冑の隙間から垂れる布の裾から、尾が出ていた。おまけに槍まで持っている。
酒巻は自身の格好や身なりに縁と芦屋が絶句しているのを気にも止めず、小首を傾げてみせた。
「さて、周りくどいのは好かんので、とっとと尋ねてしまいましょか。俺が呪いを編んだ理由を言い当てるか、俺から呪いを解くか、この中の一人が死ぬか、十八時まで待って大勢で死ぬか。どないする?」
白目の部分が黒く、瞳の部分が金色に変色した目を弓なりに細めて、酒巻は言う。普段と違って関西弁が強く出ていた。
「俺はもういっぺん、〝とらとら〟やるのがええんやない? って思うんやけど。いやあ、実際見ものだったわ。芦屋くん割と槍捌きがサマになってたし。よっ、色男!……なんてな。あはは!」
手を叩いて笑う酒巻に言葉以上の含みを受け取って、芦屋は酒巻を指差しながら無言の縁に所感を述べた。
「すっげえムカつくんだが」
「煽られてるんだからそりゃムカつくでしょうよ」
縁は呆れた様子で短く言うと、先程芦屋に説明できなかった〝とらとら〟のルールに触れた。
「〝とらとら〟は、近松門左衛門の人形浄瑠璃『国性爺合戦』から発生したお座敷遊びだ。ジェスチャーで行われるジャンケンだと思えばいい。グー、チョキ、パーに相当するのが虎、老婆、和藤内。虎は四つん這い、老婆は杖をつく、和藤内は槍でつくポーズをとる」
だから虎には槍を当てるだけで良かったのか、と芦屋は内心納得していた。
じゃんけんと似たルールなら、出した手がわかれば勝敗がつく。縁が槍を出した途端にやや安堵した様子だったのも、絶対に相手がパーを出すじゃんけんに対し、チョキが出せることが確定したようなものだったからだろう。
そして芦屋が槍を着いた時に焦ったのは、そのポーズがグー、〝とらとら〟の「老婆」のポーズに相当するからだ。だから虎が嬉々として襲いかかってきたのである。
縁の告げたルールに不足はなかったらしく、酒巻は感心した様子でゆらゆらと尻尾を揺らした。
「へえ、縁ちゃんは詳しいんやねぇ? 感心、感心」
「〝縁ちゃん〟?」
やけに親しげな酒巻に虚をつかれた芦屋が思わず縁を窺うと、引きつった顔の縁が困惑交じりに答えた。
「……たぶん術士の影響だろうけど、なんで梁会長といい酒巻さんといい、ちょっと私に馴れ馴れしくなってるんだろうね? どうでもいいけど割と嫌」
「どうでもよくないんだろ、それ」
芦屋が突っ込むと「いや、いまは本当にどうでもいいんだ」と縁は軽く頭を振って、脱線した話を元に戻した。
「酒巻さん、京都の出でしょう。老舗旅館の一人息子だとか。不躾なことを聞くけれど、両親のどちらかは花街の出身じゃないですか?」
「……。ええ、ええ。その通りや。俺は芸妓の息子どす」
酒巻は皮肉めいた声色で、わざとらしく京都弁を強めて肯定する。
梁の言っていた通り、この部屋では酒巻は嘘をつけないようだ。
「なら、やはり酒巻虎徹を呪うのは虎だ。……おそらくは『山月記の虎』」
言い当てられたのが面白くないのか、酒巻の尾が何度か玉座を叩いた。
「まあ、美大生というか、日本の創作者に取り憑く怪異で一番多いのがこの虎だし、酒巻さんには虎に憑かれそうな理由もある。ただ、少し齟齬があるんだ。酒巻さんが呪うのは、私よりも鹿苑旭ではないかと、思うところがあったから」
縁の指摘に酒巻はやけに明るい調子で肩をすくめた。
「あらら、そこまでわかってはるの? ならしゃーないか。でもなあ、縁ちゃん、自分を棚上げにするのは感心できひんなぁ。俺が鹿苑ともどもに縁ちゃんを呪う理由はしっかり、あるよ」
酒巻虎徹の金色の瞳孔が絞られる。明るい口調と裏腹に、煮えるような怒りが縁に向けられているのが、わかった。
【酒巻虎徹】
私立東京美術大学・油画学科二年、酒巻虎徹は語る。
縁ちゃんがちょっと話してたけど、俺の実家は京都にある。いわゆる老舗の旅館でな。伝統と世間体が命の、普通の日本人の家やった。
……ああ、別にうちの家族が特別悪い人間だーとか、頭が硬い化石のような人たちだー、なんて思ってへんよ? うちの親は本当に普通の人です。ただ、俺と相性が悪かっただけの。
だってなあ。『美大に行きたい』って子どもが言うて『ああ、そうですか。ほんなら頑張りなさいよ』ってすんなり言えるご家庭がこの国にどれだけあるん? そんなにないと思うで?
私立だと学費は医大の次に高くて、その学費を払って四年みっちり通ったところで作家だのデザイナーだのになって暮らしていける保証もあらへん。医大と違って学費分稼げるイメージがない。就職先もなあ、クリエイティブの分野は一部を除いて薄給の長時間労働になりがちや。投資としては怖いわなぁ。
それに美大生がなにを勉強してはるか、普通のお勉強の大学に行った人には多分想像もできひんのやろ? わからん人には美大生って四年間遊んでる阿呆に見えるんと違う? 知らんけど。
そんな、行かす意味も価値もなーんもわからん美大に、子どもがただ『行きたい』って言ったからって理由で『じゃあ』って金出す親はそうそうおらんわ。そんなん高校生の俺でもわかってたから、まず、説得するところから始めようとするやんか?
母親の方はな、まだ聞く耳がありました。
『絵が描けるってのは仕事になります。技術職です。就職口もちゃんとあります。大手企業に就職する人も沢山いてはります。需要があります。受験が過酷な分、受かった人間には一定の根性があると認められるんで社会での評価も悪くありまへん……』
つらつらあの手この手でプレゼンしましたけど、一番はアレやな。『家業でも役に立つと思います』っていう言葉が効いたんやろな。
『うちの旅館の造りから出す器から何から何まで、全部来歴を説明できるようになります。ただ暗記するんでなく、自分で進んで勉強して身につけた知識を得られます。俺はうちに来るお客さんをもてなすのに、付け焼き刃の教養でなんとかできるとは思えまへん』
家のこと持ち出したんはその方が聞く耳持ってくれるかなと思った打算やけど、全部本心で言うた本当のことや。……母はわかってくれた。
「あんたがそないに言うなら」ってんで父親の方に話を持ってったら、ふふ。これがな、全然聞いてくれへんの。
それで言うんやで。「男の癖に」て。
芦屋くんは最近これ言われたことある? 縁ちゃんだったら「女の癖に」になるんかな? 二人ともいまどきないやろ? ガキの喧嘩でもなく、この時代に、実の親が、ようよう成人する人間捕まえて、なあ?「男の癖に」て言うんやで? あはは。ほんまに耳を疑ったわ。
「絵を勉強したいんです。お願いします」て俺が頭下げてるのを鼻で笑って、
「冗談キツいわ、男の癖になにを言うてはるの? ろくに稼げるわけでもない学校に行かせるわけがないやろ」
ってな。挙句の果てに「おまえが女やったら考えてやらなくもなかったわ」って続けざまに言われてなあ。もうなんていうか、脱力。絶句。これ以外にないわな。
俺はこれ言われたときにな、話が通じないと思うと同時に「そもそも話をする必要があるんかな?」とも思った。「俺の進路とか生き方について、この人にわかってもらおうと頑張る必要あるかな? この人の理解を求めることになんの意味があるんやろ?」と思ってしまった。
だって生まれた時の性別なんて自分ではどうしようもないやろ。その、自分の努力でどうにもならんことを親父が平気で口実に持ち出してきたことが、怒りとか通り越して、悔しくて情けなくて、もう、ダメやった。
なんていうか、俺は心の底から、実の父親を軽蔑してしまったんやなぁ。それはきっと態度にも滲み出てたんやろね。
母が説得を続けて取りなしてくれてはいたけど、当の親父とは一年目の受験前日までずうっと険悪。爺さん婆さんも親父の言いなりで、毎日大喧嘩してたわ。当たり前のように手は出るわ、画材は捨てられるわ、新幹線のチケット隠されるわ。受験票なんか破られたりしたんやで? 絵に描いたような揉め方でウケるやろ? 笑ってくれてもええよ。俺も思い出すたび笑ってるから。
結局その年受けたのは全部落ちた。そんときの親父の鬼の首獲ったような顔ったらなかったなあ。
「ほれ見ぃ。おまえには才能ないんや。諦めろ」て言うてたよ。
「受験票破っといてどの口で言うんやこいつ」と思って笑ったわ。失笑。ははははは。
その日のうちに、母から貰った通帳と着替えとスマホと、最低限の荷物を持って家を出た。二度と帰らないと決めて。
浪人生の頃のことは忙しくてあんま覚えてへんのやけど、なんとか住むとこ見つけて、バイトしながら予備校通って、死に物狂いで絵を描いた。誰より本気で描いてたと思う。
再三言うけど、別にうちの親父は特別悪い人やないと思うで。俺が美大じゃなくて〝普通〟の大学に行く分にはなんの文句もなく、学費も出してくれたと思いますわ。
それが〝普通〟やからね。
俺の進路で揉めるまでは〝普通〟にいいお父さんやったしな。
ただ、息子が自分の思う〝普通〟の範疇から外れた瞬間、こういう人は息子のことが生理的に気色悪くなるんやろな。そんで〝普通〟に戻してやらなアカンと思って頑なになって、結局自分が一番〝普通〟じゃなくなるんやない?
ほんまに知ったこっちゃないし、知りたくもないけど。
そんで、次の年受けた私大は全部受かったんやけど、藝大だけはダメでなぁ。
学費のこと考えると藝大が良かったんやけど、落ちたもんはしゃーないし、受かったからにはどうしても行きたかったから、自分で奨学金の手続き済ました。
安く住めるとこ探して、どっちも母に頭下げて保証人になってもろて、一人で全部采配して、なんとか憧れの美大生になったわけですわ。どや、感動のサクセスストーリーやろ?
全く先行き不安でいつ学費が払えんようになるか気が気でない綱渡りの始まりや。
……すっかり前置き長くなってしもうたね。俺としたことがこんなクソどうでもええ話を長々と。すまんすまん。堪忍な。肝心なのはここからや。
東美の油画に入ったら当たり前にみんな上手やったし、おもろい絵描く人ばっかりで、流石やな、と思ったけど、一人別格がおった。そう、鹿苑旭。
よく「美術に優劣はつけられない、美大の試験も明確な評価基準があるわけじゃない。結局好みの問題です」って言われますけどな。あれは半可通の言うことやね。年代や国が異なるならともかく、同じ国、同じ時代を生きている人間を集めて描かせた絵には優劣も出来不出来もちゃんとあるし、特に受験の作品なんか一目瞭然に差がつくやろ。ま、目が利かない人から見れば『同じ』ってことになってしまうかもわからんけど、美術やってたら目利きになって当たり前や。
そうでなくてもうちの学年で鹿苑の描く絵がダントツ良いのはわかるわな。与えられたテーマに対する答え方。技術。センス……どれをとっても一級品で、なにより教授顔負けの審美眼があった。学生に講評やらせる機会もあったんやけど、あいつが他の学生にやるアドバイス、口は悪いけど的を外したことはいっぺんもなかったよ。
教授もな、あいつに接するときは学生相手にしてるっていうより、作家としての対抗心バリバリで臨んでたもんで、鹿苑の講評の時だけ温度と緊張感が段違い。でも、鹿苑はこれまで全く隙を見せたことがないんや。どんだけプレッシャーかけられても萎縮するってことがない。
……なに食って生きてきたらああなるんやろなと思って、ちょっと喋ってみたくなったんやけど機会がなかった。鹿苑は校外であれこれやってる展示で忙しかったんやろ。あんまり学校来なかったし、俺も制作以外はバイトに明け暮れてたしなぁ。
だから去年の夏休み明けやろか。珍しく日本画棟の前通ったら鹿苑を見かけてな。せっかくだし話しかけてみよか思ったら、先客と喋ってた。
「へー! 月浪って藝大受けてなかったんだ?」
月浪縁の名前は俺も知ってた。合格者参考作品集にデカデカと作品出てたやろ? それが現役生の作品だって結構話題になってたからな。
やたら明るい調子で鹿苑が、遠い目をした縁ちゃんに問いかけてるのもよおく覚えてますわ。
「色々事情があったんですよ……」
「あはは! あるよなー、事情の一つや二つ。俺は藝大受けて受かったけど蹴ったもん」
鹿苑の言葉に、時間が止まったような気がした。
趣味が悪いことだとはわかってたけど、思わず聞き耳立ててしまったわ。
あのときは流石に縁ちゃんもびっくりしてはったね。
「え? なんで?」
「月浪さぁ、〝鹿苑竜一郎〟って知ってる?」
「画家で藝大教授の?」
そこまで言ってから、すぐに縁ちゃんは俺と同じ答えに行き着いた。鹿苑なんて苗字、ザラにはない。
「親戚か何か?」
「最悪なことに俺の親父なんだよ。そいつ」
鹿苑は苛立たしげに、巻いたタオルの上から頭をかいた。
「『藝大受けないならどこの大学でも学費は出さない』って脅されたからしぶしぶ受験したけどさ。行く気なんか最初からなかったね。なんなら美大に行くかどうかもぶっちゃけ迷ってたよ。だって別に藝大・美大行かなくたって作家になろうと思えばなれるだろ?」
「そりゃそうだけど、独学でできることはたかが知れてるでしょ」
舐めたことを言う鹿苑に縁ちゃんは毅然とした態度だった。
「しっかり基本を抑えたアカデミックな美術の勉強ができるとか、設備の整ったアトリエ・工房を申請すれば使いたい放題だとか、美術関連資料が充実した図書館があるとか。……あと大学は〝人〟だよ。研究者や一線級のプロから教わることができるのと、人脈が作れるのが強みでしょう。美大・藝大でしかできないことは、あるよ」
「おっ、珍しく語るじゃん月浪。そして言ってること全部わかるわー。俺もそう思う」
怪訝そうに縁ちゃんが首を捻ったのがわかった。
「……さっきと言ってることが違くない?」
「いやいや。俺もね、最終的に大学は出といた方がいいなとは思ったんだよ。だから美大に来たし、ここに居るわけ。いろんな奴がいるもんな、関わるだけ関わって損はないわ。俺がアンテナ張ってない分野の本とか作家とか教えてもらえるし」
「でも藝大は蹴ったんだ? 教授が身内だとやりにくいのはわかるけど、せっかく受かったのにちょっともったいない気がするな」
呆れた様子の縁ちゃんに鹿苑はまぁ、バカデカい声で宣ってらしたなぁ?
「はぁ? もったいなくねえよ! だってさぁ、親父なんて家にいるだけでも俺の描くもん見てあーだこーだ言ってきてめんどくせえのに藝大行ったら〝先生〟になるんだぜ? 最悪。ストレスで描けるもんも描けなくなるわ。誰が行くかっつーんだよ」
「……それ、私以外の人の前で言わないほうがいいと思うぜ」
「はん。俺だって言う相手は選びますー。月浪はなんとも思わねえだろ、こんなもん」
それ以降も会話は続いてたと思うけど、聞いてられへんかったわ。思いっきり頭ぶん殴られたような心地がしたから。
そのあと、どうやって家帰ったかはわからへん。同居人連中にえらい顔色悪いて心配されたのと実際吐きそうだったことは覚えてるんやけどね。
一生忘れられへんなぁ、あれは。




