9:00 芦屋啓介、後悔する(二回目)
【芦屋啓介】
目眩がした。
瞬きの瞬間、バチッとスイッチが切り替わったように、芦屋啓介を取り巻く景色が変化している。
つい先程までいたはずの生気の無い、深海の竜宮城と打って変わって、自らが通う母校、私立東京美術大学の校門を通り過ぎたあたりに、芦屋は立っていた。
よく晴れた青空と芸術祭のために飾りつけられた校舎を見るのはこれで三度目だ。
芦屋は前方に見慣れた後ろ姿を見つけて、早足で近づき、その肩を掴んだ。
「月浪、おまえ……!」
月浪縁は蒼白な顔で芦屋のことを見つめ、ふらっと倒れ込みそうになったので芦屋は慌てて縁を支えた。芦屋の腕を掴んだ縁は眉根を寄せて、苦みを帯びた声で言う。
「……ごめん、芦屋くん。バッグの中にペットボトルがあるから、ちょっと、フタを開けてくれないかな。飲むのは、自分でやるから」
芦屋はしゃがみ込んだ縁からトートバッグを預かると、中に入っていたペットボトルの口を開けて、縁に渡した。縁は震える手で受け取ると、ペットボトルの中身の半分を一気に飲み干して深く息を吐いた。何度か深呼吸を繰り返して、息を整えていく。
「大丈夫、大丈夫。……大丈夫だ。生きてる」
「大丈夫じゃねえよ!」
自分に言い聞かせるように呟く縁に、芦屋は思わず声を荒らげた。
目を丸くして芦屋を見る縁の顔はいまだに血の気を失って白く、震えは収まってきたらしいが、本調子にはとても見えない。
芦屋は縁の右腕を掴んだ。そこにある。
怪異に喰われて失くなっていた腕や腹はきちんとあるべき場所にあるわけだが、血溜まりに倒れていた縁の姿は芦屋の目に焼き付いて離れないままだ。
「その状態で大丈夫なわけないだろ。月浪、おまえ、またバカみたいな無茶やりやがって。ほんと、ふざけるなよ……」
「バカでもないし、ふざけてもないよ」
縁は立ち上がるとプリーツスカートの膝のあたりを軽く払った。
「大勢と心中するか、私一人が死ぬかの二択なら後者を選ぶしかないだろ。あの場では私が死ぬしかなかった」
芦屋は顔をしかめたが、なんの惑いもない真剣な顔でこちらを見つめる縁に、なにも言えることはなかった。
たぶん、月浪縁を同じ状況においたら、縁は何度でも同じことをする。だから、芦屋ができることは縁を決して同じ状況に置かないことだ。それしかない。
「もう落ち着いてきたから、本当に大丈夫だよ。……やっぱり痛みの記憶は夢みたいな感じではあるんだな。感覚が、少し鈍くなってる気がする」
縁はにこりと微笑んで、なんでもないように明るく言った。
「あと、今回みたいなことは私も『二度目はない』と思ってるから、そんなに心配しないでよ」
芦屋を気遣っての振る舞いであることは明白だった。芦屋は歯痒く思いながら、立ち上がる。
「……ホントかよ」
いま、どうしようもないほど苛立ちと怒りを覚えているのも、本当は、縁が死ぬ前にどうすることもできなかった自分が許せないせいだとわかっていた。縁に怒っても仕方ないし、つい先ほど、それこそ文字通り死ぬほど恐ろしい目に遭った人間にこれ以上気を遣わせるのは、嫌だった。
「『信用できない』って顔だな、失礼しちゃう」
縁は芦屋が言いたいことのほとんどを呑み込んでいることを察したらしい。
「前回のループの反省点は明らかだし、わかったことも多いから、反省会をやろう。まず、部室に向かおうよ」
わざとらしく諧謔みのある笑みを浮かべて片眉を上げた縁は、芦屋に持たせていた自分の荷物を受け取るべく、手を差し出した。
※ 9:00
午前九時過ぎの東美怪奇会の部室は前回同様、芦屋と縁の他に誰もおらず、来る気配もない。
芦屋はテーブルに頬杖をついて、縁をジト目で睨んだ。
「で、反省点ってなんなんだよ」
「わー。芦屋くん、機嫌悪ーい。こわーい」
「月浪」
茶化した縁を咎めるように呼ぶと、縁は目を泳がせてから、素直に謝った。
「……悪かったよ。一番の反省点は、呪いのルールを把握しないで行き当たりばったりで調査したこと。特に、梁さんのことを調べないで、術士と仮定したことがダメだったと思う」
とはいえ、呪いがどのような性質をもって、どんなルールで運用されているかなど、そうそうわかるものでもない。ある程度は場当たり的な対応になっても正直仕方がなかったと思う。
だが、梁に怪異の兆候を見出しておきながら、何が憑いているかを検討しなかったのは、縁の言うとおり、見通しが甘かったと言わざるをえまい。
しかし、お化け屋敷の奥――まるで深海の竜宮城のような〝五角審判の間〟にいた梁は身なりから振る舞いまで、明らかに常軌を逸していた。
「……アレは、梁会長は、術士に操られていたのか? なんかツノとか鱗とか生えてたし、格好も、漢服、だよな? 俺は服飾史とか詳しくないんで、よくわからないが」
少なくとも普段の梁は人前でだらしなく椅子に寝そべることはしないし、誰に対しても人当たり良く振る舞いはするが適度な距離感を保っていた。また、人の生き死にについて、ああも軽率に触れることもなかったはずである。そしてなにより頭部のツノと、漆を塗り込めたような爪、手や足を覆う銀色の鱗は異様だった。
芦屋が問うと、縁も口元に手をやって悩ましげに答える。
「三国志の軍師とか文官っぽい衣装ではあったね。たぶん梁さんは……龍が憑いているか、その力を借りている術士か、のどちらかだとは思うんだけど……あの時、気配がちょっと普通じゃなかったよ」
眉根を寄せて、難しい顔をした縁は話すことで、自分の答えを整理しているようだった。
「なんていうか、……怪異に憑かれていると言うよりは、怪異そのものになっている、みたいな。だからツノとか鱗とか、見た目まで変貌してしまっているんだと思う。怪異はまず精神的に追い詰めてから肉体的に危害を加えるステップを踏むんだ。だから外見そのものに影響を及ぼしているあの状態は、すごく、危険だと言っていいと思う」
危険な状態に追い込まれているのか、そう見せかけているだけなのかはいまのところわからない。
だが、梁の言動からして、呪術・中華百鬼夜行を編んだ〝術士〟は、縁とフェアな勝負がしたいらしい。
そのために、手の内を明かすように呪いのルールを開示までしてみせた。まるで、『解けるものなら解いてみろ』と言わんばかりに。
芦屋は縁に向けて軽く挙手した。
「梁会長から明かされた呪いのルールを整理してもいいか」
梁、酒巻、鳳、泥亀、鹿苑の五人を依代に、龍、虎、鳳凰、霊亀、麒麟の怪異を呼び出して、呪いを構成している。
ただし、梁、酒巻、鳳、泥亀、鹿苑の五人の依代の中に、呪いを組んだ術士がいる。
術士は一人である。
依代からは怪異を祓わなくてはならない。
術士が縁を呪う理由を解き明かさなくてはならない。
ここまでは芦屋も理解していた。
だが、いまいちオカルトの知識が足らず不明瞭なこともあるのだと、芦屋は首を捻りながら縁に尋ねる。
「『瑞獣の力を反転して呪いのエネルギーとしている』、とも言っていたが、結局のところ、瑞獣ってなんだ? それこそ梁会長から聞いたこともあるが、その時は『優れた王様が国を治めていると現れる。縁起のいい幻の動物』とだけ聞いていた。実際、瑞獣の一種らしい麒麟も見たことあるけど、アレはただの縁起のいい動物に収まってないだろ」
「梁さんの説明は間違ってるわけじゃない。ただ、実際存在する瑞獣というのは、人間の器量や才能を測って、見込んだ相手に恩寵を与える怪異だ」
縁は人差し指を立てて言った。
「なので、『瑞獣の力を反転して呪いのエネルギーとしている』というのは、本来人間に恩寵を与える瑞獣が、人間を害すために霊力を使っている、ということだね」
「その、恩寵? っていうのは、どういう効果があるんだ?」
「場合によるけど、例えば鹿苑くんは完全に麒麟の恩寵を受けている麒麟児で、彼は『運がいい』んだよな……」
「は?」
芦屋は予想外のコメントに単音で返した。
「私も麒麟の恩寵を受けている。たぶん、私の場合は『自信』だな。『麒麟の恩寵を自覚しているが故の自信』を与えられているんだと思う」
「思ったより、しょ、……ささやかなんだが」
芦屋はしょぼい、と言いかけたが言い方が良くないと思いなおして取り繕う。縁は半笑いで聞かなかったことにしてくれたらしい。
「見返りがない恩寵っていうのは基本的にはささやかなものだよ。恩寵が深まると、その分払う対価というか、乗り越える試練が厳しくなる。麒麟の筆を例に取るとわかりやすいかな」
麒麟の筆も〝瑞獣〟麒麟を材料に作られた筆だから瑞獣の力の片鱗があるのだと、縁は言う。
「麒麟の筆は思い通りの、優れた作品を出力する。その対価は〝命〟だ」
「重すぎるだろ」
アイディアさえあれば思い通りの傑作を具現化する〝麒麟の筆〟は、その見返りに使用者の寿命を減らす。
創作活動において「身を削って作る」とか「命を注ぎ込む」とも言うし言われるが、本当に寿命を削るやつがあるか。冗談じゃない。と、芦屋は思う。
「瑞獣とはいえ怪異だからね。恩寵なんてささやかなくらいがちょうどいい。過分に嫌われても好かれてもろくな目に遭いませんよ。瑞獣からの恩寵なんて、その最たるものじゃないかな」
縁は遠い目をして言った。
「自分の与える恩寵に相応しいかを測るために、瑞獣は人間に試練を与える。厳しい試練を乗り越える人間が好きみたいだから、人間の方はどんどん追い詰められていくんだよね……」
「その点、鹿苑くんや私に恩寵を与えた麒麟は割と適切な距離感を持ってくれてるというか、ビジネスライクで助かるよ」などと縁が呟くので、面倒な性格のパトロンと画家の関係みたいだな、と芦屋は思う。
「瑞獣については、まあ、大体わかった。……俺たちは術士が月浪を呪う動機を当てて、四人の依代に憑いている怪異、瑞獣を祓わなきゃいけないんだよな? これ、全部いっぺんには、」
「無理だと思う。一回のループで祓えるのは、一人が限界だろう」
前回、五人と話してみたのでわかるが、意外と十八時まで時間がない。
それに、知りたいことを引き出すための会話や質問というのは難しい。芦屋がやろうとするとどうしてもアンケートのようになってしまうし、不審に思われると人間本当のことを言ってはくれなくなるものだ。
縁はその辺りの心得があるのかうまく聞き出していたが、それにしても限界はある。
「けど、どちらにせよ、やることは似ているよ。五人の人とナリ、最近悩んでいることを改めて調査すればいい。本人との会話でわかることもあるから、五人とは満遍なく喋ってみよう」
「わかった。じゃあ、梁会長のことを調査する方向で行くか?」
「梁さんは後回しにしよう!」
キッパリと縁が宣言したので芦屋は思わず瞬いた。
「なんで?」
「思ったんだけど、梁さんはあんまり、自分のことを語らないんだ」
たしかに、縁の意見には頷けるところもある。
芦屋は梁の所属する学科も知らない。改めて考えると、留学生がサークル部長をやっているのは珍しいだろう。東美怪奇会に梁が入ったきっかけにも何かエピソードがありそうだ。だが、梁はその手の話を口にしない。梁が美術を志したきっかけや、私立東京美術大学を留学先に選んだ理由もわからない。
なぜなら、本人が語らないからだ。
芦屋が知る梁飛龍は、古今東西の怪異・オカルトに異様なまでに造詣が深く、またそれと同じくらい東西の芸術知識に富み、サークル運営者として抜群に有能であることだけ。
……それはつまり、梁飛龍本人の性格や嗜好はわからず、能力しか知らない、ということではないか。
「言われてみれば、……二年も付き合いがあって、それなりに話してるつもりだったのに、俺は梁会長のことを、全然、知らない」
「私もだよ」
縁も目を伏せて呟く。
「だから、憑いている龍の種類さえ、わからなかった」
悔しそうに続けた縁は、切り替えるように、芦屋に目を向けた。
「こういうタイプは手強い。あと、正直なことを言うと、ふつうに怖いからあの言動をする梁さんに会いたくない。先に、別の人に調査の焦点を絞った方がいいとも思う」
それを言われてしまうと無理強いはできない。後回しにして落ち着いてから対処しようとするだけ縁は気丈である。
「別の人って?」
「梁さんの次に術士の候補に上がるのは……、『中華風・百鬼夜行』のアイディアを出した人じゃないかな?」
縁は腕を組んで言った。
「酒巻虎徹。――中華・百鬼夜行の監督にして、コンテスト荒らしの彼だよ」




