Eyes on you/厄払いの絵画
【怪異・瑞獣の一つ】
私は生半可な恩寵では縁の〝霊媒体質〟を相殺するのが難しいことも痛感していた。
宿命に抵抗するほどの力を授けるためには、縁がそれだけ強力な異能に耐えうる器にならねばならない。
与えた恩寵を使いこなすだけの頭脳、体力、精神力を身につけさせる必要がある。
人間の才能を伸ばすノウハウは千五百年をかけて培ってきたものがあるから対応は可能だが、一歩間違えば才能に振り回されて縁が潰れる可能性もある。そうなれば私は禊に殺されるのだろうし、そもそも私の与えた才能で縁が潰れるなんて、あってはならないことだ。
才能を与えた人間が幸福になることこそ、瑞獣の本懐である。だが。
(『縁を一生涯守り通せ』という頼み事の方が断りやすかったし、なんなら遂行するにしてもよほど簡単だ。『縁が自力で抵抗できる力を与えろ』というのは、要求レベルが高い上に繊細で手間のかかる仕事だぞ。禊め、こうなることはわかっていたな……)
私が考えに耽っていると、縁が絵を完成させたようでパッとこちらを振り返った。
「おにーちゃん、できた。みて」
縁が健を呼びつけて胸を張る。
「……おやおや〜? 縁画伯の新作ですか〜?」
健は読んでいた小説を無造作にソファへ置くと、おどけた様子で縁のそばに寄った。
「じしんさく」とピースサインをする縁から絵を受け取ると、健は目を大きく瞬く。
「おっ、いいじゃん! すげぇな縁」
「すげーでしょ」
わしゃわしゃと頭を撫でられて縁は嬉しそうだ。ご機嫌な妹に笑みをこぼした健はいま一度縁の描いた絵に視線を戻す。
「ていうかマジですごいな。普通に俺より上手いんじゃないの? 天才?」
「五歳児に負ける中一って……」などと悲しげに呟く健の後ろから縁の絵を見る。思わず笑みがこぼれた。
縁はなんでも題材にして描く。飼っている猫をはじめとする動物。幼稚園に植っている花、木などの植物。絵本やアニメのキャラクター。おもちゃや食べ物など身の回りにあるもの全て。
だが、中でも身近にいる人間を描くのが上手い。縁が好感を持っている人間ならなおのこと筆が乗る様子で、両親と兄を描いたものは特に出来が良かった。
人物に一番興味があるのだろう。
私にとっては好都合だ。私が知る一番の画家も、人物画が巧みだった。
それにしても今日縁が描いた健の絵は、白眉だ。素晴らしい。
その絵を見て、私が縁に与えるべき能力の構想が決まった。
ちょうど健に怪異の手が伸びているからなおのことタイミングが良かった。
縁が描いた健の絵は子供部屋の壁にセロハンテープで留められている。その絵の表面をそっと撫で、私は縁が眠る寝室へと向かった。今日も禊は仕事で家にいないため、父親が縁と共に眠っている。私は眠る縁の額に触れた。
縁の絵と、縁を繋ぐ。
――性質は予言と厄払い。与えるのは怪異のもたらす死の運命を変える能力。
縁が自分で「いい出来だ」と思った人物画に赤いテクスチャを載せよう。絵画そのものにも変化を与えよう。この赤いテクスチャでモデルに降りかかる災難――いわゆる〝厄〟を予告した上で、怪異のもたらす被害を軽くする。
赤いテクスチャの濃度で、元々モデルが受けるはずだった被害の度合いを提示しよう。その濃度で危険を表し、その形に怪異の性質を反映しよう。
厄が終われば赤いテクスチャが消えるように手配しよう。ただし、モデルが厄によって受けるダメージも、元の絵に反映するようにしよう。
縁が相手をする怪異は一作品につき一体になるようルールを定めよう。縁が消耗しないように。一つ一つの作品に向き合えるように。
人間の才能を開花させるために必要なことはなにか。
継続させることだ。どんなに素養があっても継続しなければ上達しない。
では、継続させるには、上達を早めるにはどうすればいいか。
簡単だ。継続しなければいけない状況、上達しなければいけない状況に置けば良い。
〝プレッシャー〟〝切迫〟〝緊張感〟
これこそが人の才覚を磨き上げる一番のカンフル剤となる。
私は宮廷画家となった人間を何人も見てきた。彼らの抱える緊張感と切迫感は凄まじかった。彼らは王侯貴族の依頼に沿って絵を描くが、もしもそれが依頼人の意向とそぐわない、期待に応えられない作品だった場合、路頭に迷うことはおろか、最悪首が飛ぶことさえあるのだ。
だから彼らは必死に描いた。自分や家族の生活と命がかかっているなら、当然のことだ。
もしも、月浪縁に相応の器があるのなら、自分の描いた絵が大切な人間を守る手段になるのなら、強い使命感と緊張感を持って制作にあたるはずだ。
私は『私が縁を強く育ててみせる』と豪語した禊の言葉を思い出していた。
「縁の器量はもちろんのこと、禊の言葉も試すとしよう」
無理やり私を支配下に置いた禊への意趣返しを込めて呟くと、私は眠る縁の額を撫でる。
本当は、禊のように問答無用で怪異を打ち払う力を授けることもできた。けれど、私は縁に、創作を通して力を発揮する能力を授けた。
「酷な試練をすまない。だが、私の知る一番の画家も、描くことで強い力を行使する男だった。おまえの宿命に抗うためには、私の知る一番素晴らしい人間を参考にするのがよいと思った」
厄払いの際に予言として浮かぶ赤いテクスチャを通してなら、私は創作の真似事ができるようになるとも気づいていた。
瑞獣の「人間に恩寵を与える」という天命が、「怪異は創作ができない」というルールを和らげる。例外として認められるだろう。私は前例を一つ、知っている。
『麒麟の筆』――あれは瑞獣が作ったものだ。
本来人間にしか許されない創作が真似事であっても許されるのは、私にとって望外の喜びである。人間に恩寵を与える存在の私が、人間である縁からなにかを与えられている、ということになるのかもしれない。
瑞獣としては不適格なのかもしれないが、私は人間との交流で心らしきものを揺さぶられるのが嫌いではなかった。久しぶりに味わった感触に、私はらしくもなく笑っていた。
「私もおまえが幸福になれるよう、精一杯尽くすよ、縁」
それが私を選んでくれた縁へのあるべき態度だろうと、本気で思っていたのだ。




