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【書籍化・コミカライズ】美大生・月浪縁の怪談  作者: 白目黒
【第二章】百鬼夜行・龍
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百鬼夜行・龍舞

 

 割り込みする格好で、芦屋(あしや)(よすが)がお化け屋敷の内部に入ろうとしても、シフトに入っていた酒巻(さかまき)を始めとする東美怪奇会のメンバーは全く止めなかった。


 周囲にいる大勢の客も芦屋と縁に視線を送りこそすれ、なにも言わない。

 お化け屋敷の入り口に足を踏み入れる寸前、異様なまでに沈黙が張り詰めた会場を切り裂くように、大勢の人間が声を重ねて言った言葉が追いかけてきた。


『――百鬼夜行が行きます』


 お化け屋敷の中には暗闇が広がる。横にいる縁の姿はかろうじて確認できるが、油断すると見失いそうだ。

 本来ならすぐに演者が現れるはずだが、しばらく進んでも誰も出てこない。

 縁が後ろを確認するそぶりを見せる。ひゅ、と息を呑む音が聞こえた。


「……入り口がなくなってる」

「は?」


 芦屋は思わず間抜けな声をあげた。振り返れば縁の言う通り、そこにあるはずの、一号舎地下一階に通じる入り口の光が全く見えない。本来なら入り口は白い薄布で遮られていただけの作りだから、見失うなんてことはあり得ない、はずだった。


 驚愕する芦屋の体を、ドン、と太鼓の音が揺らした。


 ブラックライトが青く灯った。床に貼られた蓄光テープが幾何学的な模様を描く。だが、それ以上に目を引くものがあった。


 暗闇に浮かび上がったのは大道具長・鹿苑旭(しかぞのあさひ)が頭を作った渾身の一作〝夜光龍〟だ。


 東美怪奇会はお化け屋敷の目玉の一つに中国の伝統的な演技『龍舞』から着想した出し物を取り入れた。鹿苑が作った龍の頭は鼻先からツノまで一メートルほどの大きさで、全長は約十八メートルにもなる。


 蛍光塗料を塗った夜光龍だけが暗いお化け屋敷で映えるように、黒い衣装を着た十人の演者が客の目前で夜光龍を踊らせる予定だった。


 お化け屋敷の中盤で見せる演技だということを除けば、芦屋と縁の目の前で行われているのは通常通りの出し物である。


 黒い衣装のキョンシーに扮して顔を隠した演者が、夜光龍のハリボテの体を支えているのがかろうじて見えた。先頭に立った演者が太鼓にあわせて球を操り、夜光龍はその球を追いかける。鮮やかに光る体を縦横無尽に動かしていく。


 龍舞がはじまる。

 ――青と黄緑の鱗が踊る。赤く塗られた口と目が煌々と光る。


「芦屋くん、君、全速力でどれくらい走れる?」


 恐ろしく硬い声で縁が尋ねた。暗がりでも焦っているのがわかる。


「五分で限界。……ついでに言うとめちゃくちゃ遅い」


 交通事故の後遺症だ。芦屋が警察官になるのを諦めた理由がこれである。


 ――夜光龍は弾む赤い球を追いかける。まるで空中を泳いでいるかのようだ。少しずつ、縁と芦屋の方に近づいてくる。太鼓の拍子は徐々にテンポを上げている。


 縁は固く目をつむると、すぐに言った。


「わかった。ここで名刺を使おう。ケガした方の足はどっち?」

「右足。……使うってどういう、」


 芦屋が戸惑いながら尋ねても、それどころではないと言わんばかりに縁は無言でしゃがみ込んだ。


 ――夜光龍の身体がぐるりとうねる。演者の姿が一人、また一人と消えていく。太鼓はほとんど間をおかず、暴風雨のように激しく鳴り続けている。


 (みそぎ)の名刺を芦屋の右足に当てて、呟く。


「……『お母さん。芦屋くんの足を補助して』」


 月浪(つきなみ)禊の名刺を縁取る紋様が赤く光った。紙から滑り出た紋様がぐるりと芦屋の右足に巻きついていく。

 ドン! と太鼓がひときわ大きく鳴った。その音を最後に太鼓が鳴り止み、静まり返る。


 ――とぐろを巻いた夜光龍がこちらを見ている。


 いつの間にか芦屋と縁の半歩前に演者の一人が立っていた。縁が素早く立ち上がる。丸い球を持った演者の帽子から垂れ下がる黄色い札が風で、めくれた。

 その顔を見て芦屋は目を見張る。

 演者の顔には青紫の死斑が浮かび、目は白く濁っている。……どう考えても生きている人間の顔ではない。死体の口が、カパ、と開いた。


『――ひ、ひゃ、ひゃっ、ひゃっき、やこぅがぃ、きまぁす』


 無理やり言わされている。そう思ったのも束の間、縁に手を掴まれた。


「芦屋くん! 走って!」


 ゴッと突風が吹いたような音ともに光と熱が後方から襲ってくる。


 演者の体が夜光龍の吐いた光線を浴び、一瞬で燃え上がって崩れ落ちたのを目の端で捉える。芦屋は、ハリボテの龍が実体を持ったことに気がついた。

 縁の手を握り直して全速力で走る。その背を、夜光龍がゆっくりとなぶるように、空中を泳ぎながら追いかけてくるのがわかる。

 何年かぶりに痛みもなく走れることの喜びに浸る暇などありはしない。


「おい。……おい! 龍が火ィ噴いたぞ! 鹿苑の奴なに作ってんだあのバカ!!」

「鹿苑くんのせいとは限らないって!」


 八つ当たりじみた芦屋の声に、縁は場違いなツッコミを入れる。

 芦屋が後方を確認すると、夜光龍が大きく口を開けたところだった。なにが起きるのか悟った芦屋はすぐさま縁の手を強く引っ張る。


「……っ危ない!」


 縁を引き寄せて庇うと、つい先ほどまで縁が立っていた場所に火が届いていた。


「月浪! おまえめちゃくちゃ狙われてるじゃねえか! どうすんだこれ!」

「一本道だからどうしようもないね! ちくしょう、撒けないかな?! なんか別の部屋とかあるといいんだけど……!」


 縁と芦屋の前方に、スポットライトに照らされた扉があるのが見えた。


 龍、虎、鳳凰、霊亀、麒麟――五つの獣がそれぞれに、レリーフ状に刻まれている。


「……術士が誰か選べってことか?」


 険しい顔で縁が言った。


「おい、悠長に考えてる時間ないぞ! どうする!?」

「……一か八か、試すか」


 ゆっくりと迫り来る夜光龍に向けて、縁が名刺を投擲した。

 名刺から浮き出た赤い紋様が網のように広がり、夜光龍の体にまとわりついて動きを止めた。夜光龍がのたうち回るたびに紋様にはヒビのようなものが入る。


 縁は短く舌打ちした。


「やっぱり効果が弱まってるな。いつもなら怪異を絞め殺すくらいのことはできるんだけど。……ここが術士の構築した禁足地だから?」


「時間稼ぎにはなりそうだが、あんまり猶予はなさそうだ。一応聞くけど月浪、おまえは術士が誰だかわかってるのか?」


 芦屋の疑問に、縁はにこやかに微笑んで言った。


「全然! 正直見当もつかないね!」

「そんな堂々と言うことかよ……」


「こんなの冗談の一つ二つ飛ばさないとやってられるか」と縁は半ばヤケになってるのを隠さずに言い捨てる。

 芦屋にもその気持ちはわからないでもないが、実際問題ここで誰かを選ばなければ夜光龍に焼き殺されるだろう。縁もそれはわかっているはずだ。


 そうこうしているうちに、夜光龍を覆う赤い紋様は半分ほど砕かれていた。縁のこめかみに汗が滲む。意を決したように、縁は龍の扉の前に立った。縁の推測からして、梁飛龍(リャンフェイロン)が術士であると示す扉である。


(りょう)会長が術士? 理由は?」


「ふつうに考えて、東美怪奇会が作ったお化け屋敷から百鬼夜行が出ているなら、東美怪奇会を取りまとめてる梁飛龍は、怪しい。……梁さんが術士だとして、なんで私を呪うのか、とか、そもそもこの呪いがどういうルールが敷かれてるのか、とか、正直全然わかんないし間違ってるのかもしれないけど、ここでなにも選ばないで殺されるよりはマシだ」


 龍の扉を開いて先を行こうとした縁の足が止まった。


「どうした? さっさと行こう、……?!」


 芦屋も扉の先に広がる光景を見て、縁が足を止めたわけを理解する。


 扉の先は、水の中のように見えた。


 眼下には青白く光る骨の魚の影が群れを成していた。もっと底の方には巨大な深海魚やクジラを思わせる骨だけがゆったりと泳いでいる。かと思えば、上を見上げても同じく魚影が見える。骨の魚が遊泳しているのだ。上の方から白い薄布が垂れ下がり、海藻のようにゆらゆらと揺れている。水面も水底もない空間だと思った。


 だが、一番問題なのはそこじゃない。


「床が……無いように見えるんだが」


 ついでに言うと一歩足を前に出したら落ちそうにも見える。


「……床の、透明度が高いだけだとは思うよ。芦屋くん、下じゃなくて奥を見て、玉座の影があるでしょう?」


 縁の言うとおり、一本の柱の前に、白い珊瑚の死骸が組み合わさってできたと思しき玉座のシルエットがある。椅子の前に布が下がっていて全貌を確認することはできないが、玉座は漂っているようには見えない。遠目から見たかぎり、しっかりと設置されているようだ。設置面の感じからいって、たぶん、一メートルくらい下の方に床がある。……はずだ。


 だが、縁の口ぶりからも自分に言い聞かせるような半信半疑のニュアンスが感じられて正直なにも安心できない。


 後方から、夜光龍の暴れる音がひときわ大きく聞こえてきた。鱗で覆われた体ごと紋様を床に叩きつけるたびに轟音が響く。


 縁は青ざめた表情で後ろを振り返った。つられて確認すると夜光龍を縛る赤い紋様はもうほとんど砕かれていた。

 縁はふう、と息を吐くと、覚悟を決めた様子で一歩踏み出そうとしたので、芦屋はその腕を引く。


「月浪、手を貸せ。『せーの』で行こう。絶対俺は下を見ないようにするから月浪もそうしろ」

「……芦屋くん、高所恐怖症なの?」


 緊張から強張っていた縁の顔に、かすかではあるがいつものニヤリ笑いが戻ってくる。否定はせず、芦屋は手を差し出して、なおも言い募った。


「こんなの、人間だったら誰でも怖いに決まってるだろ」

「わかったよ。確かに、そうだ」


 縁は口の端に笑みを浮かべた。それから芦屋の手をしっかり取って、口を開く。


「せーのっ!」


 少しの浮遊感に冷や汗をかいたが程なくして足が、ついた。


 床の存在を確認すると、縁はパッと手を離して背伸びして無理やり扉を閉めた。夜光龍と炎が迫ってきていた。

 炎がこちらに届く寸前だったはずだが、扉は閉めた途端に空中に溶けるようにして失くなり、夜光龍の姿も見えなくなる。


 だが、芦屋はそれどころではなかった。


「おい……! 急に手を離すな……!」


 縁は芦屋の切羽詰まった挙動に、不思議そうな声で言う。


「え? 床があるってわかったらもういいかなって。……ちなみに歩くたび床はさざなみ立ってるから、透明な床に、薄く水が張られてるみたいな感じなんだと思うよ」


 縁は足で床を確認しているようだが、芦屋は明後日の方向を向きながら宣言する。


「おまえ、わざと俺に下を確認させるようなことを言ってないか? 言っておくが見ないぞ。俺はこの部屋では絶対に下を見ません」


 断固として言い放った芦屋に縁は一度大きく瞬くと、生ぬるく目を細めた。


「なんだ。本当に床が透明なのがダメなんだな、芦屋くん」

「だから……、こんなの誰でも怖いに決まってるだろ! さっきチラッと見たかぎりなんか居たじゃねえか下に! 巨大な生き物っぽいなにかが!」


「はいはい。上にもいるけどね、クジラの骨っぽいなにかが」


 半笑いの縁の顔に、頭上を泳ぐクジラの骨の影が落ちた。が、縁は構わずに芦屋の腕を取って玉座の前に進む。

 芦屋は下以外の周囲をあらためて確認する。


 この部屋は五角形の部屋のようだった。

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