月浪縁の推察
縁はスマートフォンの電源を入れ直した。どうやらスマートフォンそのものの機能に問題はなさそうだが、『呪い』が干渉していることは明らかなので、どうしてもと言うとき以外は禊と連絡をとらない方向で行くつもりらしい。
縁は肩を落として、小さく言った。
「……巻き込んでごめん」
「別にいいよ。いつものことだろ」
芦屋は簡潔に言うと、それ以上縁から謝罪の類は聞きたくなかったので、禊との会話で気になっていた言葉の意味を尋ねることにした。
「ところで、〝禁足地〟ってなんだ? 辞書的な意味だといわゆる『入っちゃいけない場所』だと思うんだが……」
「『入ってはいけない場所』という理解で間違ってないよ。母の言葉の使い方からして、『一度入ったら出られない場所』だから『入ってはいけない』っていう意味にはなる」
芦屋と縁の間にしばしの沈黙が流れる。
「……ヤバいな」
「ヤバいんだよ。本当に」
縁はため息をこぼした。
「あとさ、私はたぶん、前回のループの最後で芦屋くんより先に死んでるから『龍』以外の怪異は推測するしかないんだけども。芦屋くんが見た怪異って複数いたんだよね?」
「ああ。最後に見たのが多分『麒麟』だ。それから、四つ足の……虎か豹? 次に火を吹く鳥。あと蛇だか亀だかわからん爬虫類っぽいやつ」
あやふやな芦屋の言葉に縁は頭を抱えた。
「冷静に考えると全部神に等しい力を持ってる奴らじゃん。〝神的怪異〟を複数相手にするのか……。しかし芦屋くん。君は東美怪奇会のお化け屋敷のなにを見てたんだよ。五神獣は全部モチーフになってるでしょ」
「あ」
青龍、朱雀、白虎、玄武、麒麟はお化け屋敷のモチーフに取り入れられていた。言われてみれば芦屋が見た怪異はそれぞれ似通った姿をしていた、気がする。
「いやでも、神獣が人間殺すのか?」
実際見たことのある麒麟の印象が強いのと、当然、お化け屋敷である中華・百鬼夜行では恐ろしげな見た目に脚色していたが、青龍をはじめとする五神獣は一般的に、おどろおどろしい見た目ではないイメージがある。
だが、縁は真顔で「殺すね」と断言する。
「龍とかは結構人間を殺すよ。虎なんて怪異じゃなくても肉食獣だ。蛇とか亀も生贄を欲する伝説を聞いたことがある」
縁は難しい顔で続けた。
「知名度が高くて歴史が古い神獣は、本当にすごい力を持ってるんだ。そういう神獣を複数従えることのできる奴なんてそうはいないと思うんだけど。……この呪いを構築した術士は、やってのけているみたい」
敵と思しき怪異と術士がかなりの脅威であることは縁の口ぶりから察することはできた。だが、永遠にタイムループから抜け出せないのなら抵抗しなければなるまい。
「俺たちはそいつらと渡り合わないといけないんだろ。どうすればいい?」
「母も言っていたけれど、『怪談による除霊』の応用が使えると思う」
『怪談による除霊』は芦屋も一度使ったことがある。
取り憑かれた人間と怪談をして怪異の正体を理解、客観視させることで恐怖・神秘を削ぎ、怪異を無力化する除霊法だ。これには三つのルールがある。
一つ。除霊の対象となる人間に、怪異に取り憑かれていることを認識させること。
一つ。怪異の名前と正体を突き止めること。
一つ。怪談によって怪異への恐怖心を取り除くこと。
ルールを遵守し、嘘偽りなく語ることで除霊は成功する。芦屋のように異能、霊能力がなくても使える手段だ。
続けて縁は端的に、解呪方法を告げた。
「呪いのルール、呪いの対象、呪うに至る動機。そして呪いの首謀者を解き明かすことで、呪いは解ける」
怪異を退ける手段であっても、呪いを解く手段であっても、相手を理解することで恐怖を遠ざけることに変わりはないらしい。
「略式で、解き明かしたことを全て宣言する『解呪の儀』を行えばなおのこといい。……『解呪の儀』は私がやるよ」
縁は作法のようなものがあるのだと続けた。なら、術士に語らせる場面も出てくるのかもしれない、と芦屋は口元を手で覆いながら考える。
そのとき果たして自分の理解が及ぶのかどうか、不安になったのだ。
「なあ月浪、呪いってみんなこんな感じなのか? これ、やってることがほぼ無差別なテロだろ」
縁は否定しなかった。
つまり常軌を逸したテロリストの思惑を理解する気がなければ呪いは解けないのだ。
「しかも、時間を巻き戻して、俺や月浪みたいなレアケースを除いて他の奴らは起きてることが認識できてないにしても……月浪の言う〝神的怪異〟の力を借りて、こんなことをしょっちゅう人知れず起こせるんなら、術士が気まぐれで日本を壊滅させようと思った瞬間、全部がサクッと終わっちまわないか?」
嘆息した縁は正直に述べる。
「まあ……終わるね。少なくとも、この呪いを展開した術士ならできないことはないだろう」
「怖すぎる」
芦屋が率直に言うと、縁は「滅多に起きるようなことではないから」と付け加えた。
「そんなことをしても怪異の方にメリットがない。基本的には人間と共生してた方が神的怪異にとって都合がいいんだよ。知名度が高ければ高いほど怪異は力を増すから、大勢を殺したらかなりの力を削がれてしまう。最悪無理心中に近い状況になっちゃうんだ。いくら怪異でもそんなことに力を貸してはくれないよ」
「なるほど」
少々安堵した芦屋である。こんなことがしょっちゅう起きているなら命がいくつあっても足りない。だが、縁は釘を刺すように続けた。
「ただ、いまは普通ならありえないことが起きている。普通なら協力させられないはずの神的怪異が従わされているんだから、……再三言うけど、この呪いを構築した術士は相当、強いよ」
縁はそこまで言うと、目を伏せて告げる。
「母の言った通り、怪異が『中華・百鬼夜行』の中から出てきたとすると、お化け屋敷を作った東美怪奇会のメンバーの中に、呪いを構築した術士がいると思う」
芦屋は思わず眉をひそめた。
「月浪は五人に絞れるって、言っていたな」
「タイムループを引き起こすだけの力がある呪いなら、当然術士は綿密に術を編まないといけない。小道具や大道具の一つ二つを作っただけのメンバーが術士なら、こんな大掛かりな呪いにはならないよ。だから、お化け屋敷の『中華・百鬼夜行』を作るにあたって中心人物だった五人の中に術士がいるんだと、思う」
五人の中心人物、と聞いて、芦屋にも思い浮かぶ名前がある。
「……梁会長、酒巻さん、鳳、泥亀、鹿苑か」
縁は頷いて、難しい顔をした。
「しかも、梁会長と鳳さんには怪異の気配があった。術士の手が回ってる可能性もある。……この五人、名前が神的怪異に近しいから、依代にされてるのかもしれない」
「依代?」
「強力な怪異を呼ぶための、呼水になる人間とか人形のことだね」
言われてみれば、各人の名前には動物の名前が入っている。
梁飛龍、酒巻虎徹、鳳アンナ、泥亀伊吹、鹿苑旭。
しかも、鹿苑を除いてそれぞれお化け屋敷のモチーフでもある青龍、白虎、朱雀、玄武を彷彿とさせる名前だ。
「鹿苑くんだけ麒麟そのものを思わせる名前ではないけれど、彼は〝本物〟の麒麟児だから、依代にするのに不足はないと思う」
しかし、芦屋にはこの五人のうちの誰かが縁を呪っているとは思えなかった。動機が全くわからないのだ。
「術士は五人以外の誰かっていうケースは考えられないか? 五人は利用されているだけで、黒幕……フィクサー的な存在がいてもおかしくないよな?」
「それはたぶん、ないと思う」
芦屋の立てた仮説を、縁はあっさり否定した。
「この五人は東美怪奇会を通じて集まっているだけのメンバーだ。学科も違うし、他に共通項がない。その上全員優秀なんだよね。それぞれ特殊技能を持っているから、よほど上手くつけ込まないと利用されてくれないと思う。一般常識を疑う理由がなく、自信がある人間は怪異にも呪いに強い。というか、自分が満ち足りているなら誰かを呪おうとも思わないだろう?」
以前、縁の兄――月浪健の言っていたことに通じるかもしれない、と芦屋は思う。
『怪異の存在を信じない人間ほど怪異を寄せ付けない』
となると、縁の言い分にも納得できる、自分に自信があるなら人を呪ったりもしない。だが、人を呪いそうにない人間が呪いに利用されているとするなら――。
「優秀な人間を呪いの依代にできるのは、中でも群を抜いて優秀な人間。……自信があるやつから自信を奪うために『自分より上がいる』って思わせるためか?」
「ご明察」
芦屋の仮説に、縁はやる気なく拍手してみせる。
「でも、梁会長から鹿苑まで、それぞれ得意分野が違うだろ。わざわざ比べて自信を無くしたり、するのか?」
芦屋の疑問に縁は小さく微笑んだ。
「君ならそう言うだろうね。でも、みんながみんな芦屋くんみたいに割り切れるわけじゃない。それに得意分野が違うからこそ、羨ましく思ったりするんだと思うよ」
そういうものだろうか。と芦屋は腕を組んで首を捻る。縁はピンと来ていない様子の芦屋をさておいて話を続けた。
「で、その手の敬意を持たれる人というのは否応なく表に立たざるを得ない。裏方になろうとしてもなれないだろう。怪奇会メンバーに術士がいることを前提条件にすると、お化け屋敷作成の中心人物である、五人の中に術士が居ると考えた方が自然だよ」
「……確かに、それこそ梁会長だって『僕は裏方気質なんだ』とか言ってたけど、思いっきりテレビ取材とかで表に立たされてるもんな」
芦屋がしみじみ言うと縁の眉が訝しげにはね上がった。
「なにそれ。梁さんそんなこと言ってたの? ……言われてみれば、やってることは雑務とか事務作業になるのかもしれないけど、あの人の鶴の一声で諸々決まることが多いのに。どう考えても『裏方気質』とは真逆のタイプじゃない?」
間髪入れずに芦屋は真顔で頷く。
「俺もそう思う」
縁は「だよね」と力無く笑うと、アスファルトに目を向けて、フッと軽い調子でつぶやいた。
「でも、なんでそもそも〝呪い〟なんだろうな。……芦屋くんって、人を呪おうとしたことある?」
脈絡のない質問を投げてくるのは縁の癖である。
芦屋はいい加減慣れているので即答した。
「あるわけないだろ」
「人を嫌いになったことは?」
「……いやそれは、ないとは言えない。二十年生きてたらそりゃあるよ。……でも、それでそいつを呪ってやろうとはならないな」
「なら、人じゃないならどう?」
言っている意味がわからず頭に疑問符を浮かべると、縁は補足した。
「自分の置かれた境遇。運命。そういうものを呪ったことは?」
芦屋は自分の顔が強張るのを自覚していた。
元々警官志望だった芦屋は高校入学直前で事故に遭い、足をケガしたことで進路変更を余儀なくされたことがある。その際、思い詰めて自死が脳裏をよぎるくらいには苦しんだ。
あらためて縁に聞かれて、気づく。言われてみれば、あれは『呪い』だったのかもしれない。
芦屋は自分で自分を呪っていたことが、ある。
「……ある」
芦屋が静かに肯定すると、縁は「私もあるよ。知っていると思うけど」と淡々と言う。
「だから、芦屋くんもわかってくれると思う。呪いは……、特に、儀式めいたことまでして、腹を据えて行う呪いっていうのは、まともな方法ではどうしようもない、対処できない、鬱憤なり苦しみなりをどうにか晴らそうとしてやることなんだ」
立場の弱い人間がすることなんだよ。と、縁は続けた。
「でも、これだけ強い呪いを構築できる術士なら、普通は何かを呪う前に大抵のことを対処できると思うのに……」
芦屋は腕を組んで考える。
「強い力を持っていてもどうにもならないことが、あったってことか?」
「……そうかもねって、話だよ」
縁は寂しげに笑って言った。
自分が呪われる理由に思いを馳せ、術士に同情するようなことを言う縁に、芦屋は内心で「お人よし」と呟く。口に出したら「君に言われちゃおしまいだな」などといった軽口が返ってくるのは容易に想像ができたので言わないでおいたが、どんな理由があったとしても縁がこんな風に、死ぬような目に遭わされるいわれなどない。
芦屋はこの呪いを構築した術士に、強い怒りを覚えていた。




