月浪禊の見解
「梁会長も鳳も、どっちも時間が巻き戻っているのに気づいてなかったみたいだな」
縁は頷いた。芦屋よりも深刻な顔で続ける。
「あと……あの二人、ちょっと怪異の気配がした」
「え?」
「怪異に取り憑かれた人間を見ると、私は姿が二重に、ダブって見える気がする。……ループ前に会ったときにはなにも感じなかったのに」
芦屋も、梁と鳳の姿にいつもと違うものを感じた。そのことを縁に告げて芦屋はソワソワしながら尋ねる。
「まさかとは思うけど。俺も霊能力が目覚めたり……するのか?」
縁は眉根を寄せて嫌悪感をあらわにした。
「なんで若干ウキウキしてるの? 異能なんて無い方がいいに決まってるじゃん。私を見ろよ」
芦屋は縁をまじまじと見て、素直に落胆する。
「……俺の知ってる異能者、疑惑がある人間含めてあんまりろくな目に遭ってないな」
というか、芦屋の知る異能者は月浪家の人間を除いてほぼ死んでいる。縁が霊媒体質で四六時中怪奇現象に巻き込まれているのを見ても、異能者はろくな目に遭わないと思っていいのかもしれない。
「そういえば、鹿苑は異能者カウントでいいのか?」
芦屋は例外を見つけて尋ねた。
鹿苑旭。東美怪奇会の大道具長で油画の首席の男を、縁はよく本物の〝麒麟児〟と呼んだ。麒麟の加護があるのだというし、実際天才である。
「まあ、そうだね。軽めの異能者と言っていいかもな。本人に自覚はないと思うけど」
「異能に軽いとか重いとかあるのかよ」
芦屋が淡々と言うのを軽くスルーして、縁は芦屋が怪異の気配を感じ取ったことについて、冷静に指摘した。
「母の名刺の影響じゃないかな。名刺が芦屋くんの記憶を担保してるなら、少し脳のあたりを弄ってるんだと思うしね」
「…………」
何気に恐ろしいことを聞いた気がして芦屋はそれ以上追求するのを止めた。
また、いつまでも部室の前で突っ立っているわけにもいかない。
「この後、どうする?」
「……しょうがない。できればあんまり頼りたくなかったけど、そんなこと言ってられる場合じゃないし」
縁はカードケースから名刺を取り出して言った。
「母に頼ろう。母がどうにも出来ないことはまあ、あんまりないから」
縁の母、月浪禊は強力な霊能力者なのだと言う。なにしろ名刺があらゆる怪異を退ける護符になるくらいの人物だ。縁の選択は妥当だろう。芦屋は深々と、頷いた。
縁と芦屋はサークル棟の一階、簡素な白いテーブルと椅子が置かれたスペースに移動すると、縁のスマートフォンから禊あてに電話をかけた。スピーカーモードに設定したため、コール音が響く。
二回ほどコール音は正常に響いたが、三回目から、異様なノイズが混ざり始めた。
――ザザ。ひ。
――ザ、ひ、ザザザ、ぉう。ザザ。
――ひゃっ、ザザザ。こう。ザザザザザ。っまぅ。
「なんだ、これ……」
明らかな怪奇現象である。芦屋が縁に目を向けるが、縁は険しい顔をスマートフォンに向けたまま、微動だにしない。
――ひ。ぉう。ぃま…ザザザ……。
――ひっき、こう、ザザザザザザザ、ます。
――『百鬼夜行が行きます』
ブツン。と音を立てて、縁のスマートフォンの電源が切れた。
「……これ、月浪の母さんと連絡は、取れないってことか?」
「いや、もう一回試そう」
縁はスタジャンのポケットを探りながら冷静に言った。
「試そうって言ったっておまえのスマホ、まだ生きてるか?」
芦屋の疑問には答えず、縁は禊の名刺をスマートフォンの上に載せた。すると、パチッとスイッチを入れたようにスマートフォンの電源が点いた。そのまま縁は禊の電話番号を呼び出して発信ボタンをタップする。
三度目のコール音で、繋がった。
『もしもし。縁だな。……おまえ、またえらく面倒な目に遭っているねぇ?』
低めの女性の声が断定するように問いかけるのを聞くと、こわばっていた縁の背から安堵感のようなものが吹き出したのが芦屋にもわかった。
「うん。ちょっと、厄介なことに巻き込まれているんだと思う」
縁は簡潔に自分の身になにが起こったのかを禊に説明する。
十月三十一日の十八時ごろ、オカルトサークルで制作したお化け屋敷の中から複数の怪異が飛び出してきて大惨事を引き起こしたこと。
その後午前九時まで時間が巻き戻ったこと。
月浪縁と芦屋啓介には時間が巻き戻っている自覚があるが、その他の人間に時間が巻き戻った感覚はないこと。
縁が描いた『厄払いの絵画』で、芸術祭最終日に芸術祭に参加していると思しき人間の姿が全員消えていること。
芦屋を描いてみたが消えてしまったこと……。
「もしかすると、タイムループ――半永久的に十月三十一日を繰り返す可能性もあるんだけど……」
禊はひとしきり黙って聞くと、縁が話し終えてすぐに確認した。
『つまり、おまえたちはいま十月三十一日の十時過ぎ、と言う認識なんだな?』
「うん」
『日付の感覚がずれている。時刻はほぼ同じだが、今日は十一月一日だ』
禊の言ったことに理解が追いつかなくて、芦屋は縁と顔を見合わせた。
『縁が懸念していた、タイムループ、と言ったか? このまま放っておけば、十中八九そうなるだろうねえ』
禊は低い声で続ける。
『……すぐにそちらに向かう。おまえたちは美術大学の構内に居るのだろう? 大学から出られるかどうか、試してくれるか?』
サークル棟のすぐそばには裏口がある。
芦屋と縁は通話したままそちらに移動した。よくよく見れば縁が慎重にスマートフォンにかざしている禊の名刺の赤い紋様がジリジリと削られていっている。これが禊と通話できるリミットなのだと、芦屋は直感していた。
裏口は普通に鍵が開いていた。一見するといつも通り、なにも変わったところはなさそうに見える。芦屋は鉄製の扉を開いて、縁を見た。
「芦屋くんが外に出られるかどうか、試してくれるって。……芦屋くん。お願い」
手を挙げた縁の合図で、芦屋は大学の外に出た。はずだった。
「は?」
思わず間抜けな声が出る。外に出たはずだったのに体の向きがおかしい。目を丸くした縁と向き合う格好になっている。
「……芦屋くん。振り返って右手だけ門の外に出してみて。そして右方向を向いてみよう」
訳のわからない指示だと思ったが、言われた通りに右を向くと、芦屋の目はとんでもないものを捉えた。
一人ぶん間隔を開けた、なにもない空間から手が生えている。そして、芦屋が大学構内の外に出した手は途中からスパッと切り落とされたように、なくなっていた。
「うわぁ……なんだこれ……」
芦屋が拳を握ると、空間から生えた手も拳を握る。あの空中に浮かぶ手は、芦屋の手なのだ。
「お母さん。出られないみたい」
縁が淡々と言うと、禊は「想定通りではある」と返した。
『やはり無理か。〝禁足地〟と化しているな。かなり派手で大規模な〝呪い〟が展開されているらしい』
「呪い……」
縁が瞬く。禊は続け様に尋ねた。
『縁、芦屋くんに名刺を渡していないか?』
「うん。渡してる。使った覚えがないのに、効果は切れてたみたい」
『だろうな。なら、私の名刺は記憶の担保に使われたんだろう。……芦屋啓介に渡した名刺に使用痕があって、縁に持たせた名刺が未使用ということは、呪われているのは、縁、おまえだ』
禊の指摘に縁は絶句しかけているように見えた。だが、すぐに気を取り直したように息を吐く。
「……こんな大規模な呪いをかけられる心当たりなんて全くないし、そもそも、どうして私の記憶はお母さんの名刺の消費なしに担保されているの?」
『記憶の担保は呪いのうちということなのだろうな。つまり、おまえを苦しめる手段の一つだ』
禊の言っている意味がわからなかったらしく、縁は困惑しながら尋ねる。
「どういうこと?」
『この呪いは縁以外の人間の記憶を消し、永遠に時間をループさせる。呪いを解かない限り、おまえ達が体験したという、百鬼夜行は繰り返される。縁だけが時間が逆行していることを知覚し、周囲の人間は誰も縁の言うことを信じない』
芦屋は縁の横顔を見た。
――それは、月浪縁にはテキメンに効くはずだ。怪奇現象に見舞われやすい霊媒体質であることもあり、『身の回りで起きる怪奇現象は自分がどうにかしなければ』と思いつめがちな縁である。大勢を巻き込んで被害が出ることを、縁はなによりも嫌う。
だからこそ、術士は縁に、そういう呪いをかけたのだろう。縁を苦しめて傷つけるために、一人で戦わせようとした。なにもかもを背負わせようとしたのだ。
『この呪いを構築した術士、相当に根性が悪くて、無駄に強いね』
「ものすごく不愉快だな」と禊は冷めた声で言った。
『おそらくおまえたちは東京美術大学の中に、時間的にも場所的にも閉じ込められた格好になるだろう。……面倒極まりない。私もいますぐその呪いを壊そうと思えば壊せなくもないのだが、そうなるとおまえたちごとの解呪になるな。それはかなり、望ましくない』
縁が禊の言葉に力なく呟く。
「それ、絶対私たちまで死ぬやつでしょ……」
ギョッとして芦屋は縁を見やるが、縁は発言を撤回しなかったし、禊も全く否定しなかった。禊は気だるそうに言う。
『幸いと言っていいのかな。おまえたち、怪異の発生場所を特定しているだろう。おまえたちが作ったというお化け屋敷から怪異が出ているのならそのお化け屋敷を作った人間の中に術士がいる』
「え……!?」
芦屋は思わず声をあげた。
禊の指摘が正しいにしても、東美怪奇会のメンバーはオカルトサークルにしては多いし、東美の学生のみならず外部の学生やOGOBに協力を仰いでいる部分もある。
その中から術士を見つけるのは至難の業だ。
禊は淡々と続ける。
『大人数で作っていることは聞いているが、中心的に動いていた人間はいないのか?』
縁は一拍置いて、答えた。
「……五人までには絞り込めると思う
『わかった。全く手掛かりがないというわけではなさそうだ。なら、……縁、おまえが内側から呪いを解きなさい。私は縁が呪いを解いたタイミングを見計らって外側から呪いの破壊を試みる』
禊の言葉に縁は驚いたようだった。
「私に、できると思う?」
『勝算がないなら「やれ」とは言わない』
禊は縁の心配を挫くように断言した。
禊の言葉に奮い立つように、縁の目に強い光が灯る。
『いいかい、縁ちゃん、芦屋くん。よくお聞き。強力な呪いの儀式には厳格なルールがあり、呪う相手と呪われる相手がいる。呪うに至る経緯もある。ルールを破壊するか、呪う相手を突き止めれば、通常、呪いは弱体化する。――縁、ここまではわかっているな?』
「……うん」
縁は噛み締めるように頷いた。
『だが、これほど大掛かりな呪いだと、どれか一つではダメだ。全てを解き明かさなければ呪いは終わるまい。これを仕掛けたヤツは大物で、本来私が直接やり合うべき相手なのは明白だろうが……』
禊は静かに告げた。
『それを踏まえて……縁。おまえに託す』
縁の、スマートフォンを握る手に力が籠ったのが芦屋にも分かった。
『怪談での除霊の応用だ。呪いの大元がその〝お化け屋敷〟だというのなら、おまえが分析して解体しなさい。芸術作品や小説を読み解くように呪いを解体できたなら、誰が相手だろうと呪いの再構築はさせまい。どんな手を使ってでもザザ必ず私が祓ってやるザザザザザザ』
禊の声にノイズが混じり始める。スマートフォンにかざしていた名刺を見ればほとんど紋様が消えかけていた。それでも縁は禊に向かって力強く頷いて見せる。
「わかった」
『――ザザ術士の構築した禁足地の中にいるザザザザのなら、目に映るもの全てが呪いを解くための手がかりと思え。ザザザザ芦屋くん。君の目も縁の助けとなるだろう。ザザザザすまないが、力を貸しておくれ』
なんとか聞き取れた芦屋もまた、頷く
「わかりました」
縁は禊に宣言した。
「呪いのルール、呪いの対象、呪うに至る動機、呪いの首謀者。全部解き明かしてみせるよ」
『ザザよろしい。ザザザザでは、健闘をザザザ祈るザザザザザザザザ』
『――百鬼夜行が行きます』
禊の声ではない、嘲笑うような声を最後に、通話が切れた。




