中華百鬼夜行・開幕
スピーカーから、何人かの男女が声を揃えて言ったように、言葉が重なって聞こえた。
「は?」
スピーカーがブツン、と小さく音を立てたかと思うと、一瞬、全ての音と、光が消えた。
電気はすぐに戻ったが、小さな振動が会場に伝わり始める。
「え? なに? 地震?」
「結構長くない?」
不安そうな客をよそに、振動は徐々に大きくなった。地震ではない。異様な轟音が空気を、建物を震わせている。
「いや、これ地震じゃない。なにかの、唸りご、えッ……!」
骨の砕ける鈍い音を立てて、轟音の正体が声であると気づいた男子学生の首がなくなった。血飛沫が飛ぶ。巨大ななにかがお化け屋敷の入り口から飛び出してきて、人を噛み殺したのだと気づいたときにはすでに殺戮が始まっていた。
鱗で覆われた巨体が呆然とする女子学生の肌を削いで撥ね上げた。そのまま大勢を轢き殺し、照明を砕きながら出口に向かって去っていく。
悲鳴と怒号、暗闇が会場を包む。パニックになった人間が逃げようとする中で、再びお化け屋敷の入り口から四足獣のようなものが飛び出した。数はわからない。目と体を覆う縞模様がネオンライトのように爛々と光る。獣がその場にいた人間を食い散らかしながら始めの獣のあとを追う。
芦屋は混乱の最中に名刺を握りしめながらあたりを窺う。
カッと芦屋の横を光線が走ったかと思うと、炎が噴き上がる。なにかが羽ばたくような音と影が芦屋の頭上を通り過ぎていく。その正体が火を吹く鳥だと気づけたのは、芦屋が偶然鳥の吐いた火炎の軌道から逸れていたからだ。鳥はゲラゲラと人間と似た汚い声で嘲笑うと、先を行った獣たちを追うように飛んでいった。
一瞬にして展開された地獄絵図に、芦屋は身をかがめ、早足で階段へと向かいながら呟く。
「なんだよ、これ……」
鳳と縁の姿は見えない。混乱の中で見失ってしまった。
逃げていてくれればいい。そう祈りながら進めていた足にちくりとした痛みが走ったかと思うと急に立っていられなくなった。周囲で逃げ惑っていた何人かの人間が芦屋同様パタパタと倒れていくのが見えた。
手足の力が抜けて、まともに受け身も取れずに派手に倒れた芦屋の前を、鱗を持った生き物がゆっくりと這っていく。蛇のようにも、トカゲのようにも、亀のようにも見えた。最初は手のひらくらいの大きさだったのが這うほどに巨大化してゆくのは芦屋の目がおかしくなったのか、本当にそういう現象が起きているのか、判断がつかない。
手足が震えて禊の名刺が手のひらから失われそうになるので最後の力で握りしめた。口の端から溢れた赤い泡が床につたうのが見えて不快だが、体はもう言うことを聞かない。
――シャン。
そのとき、芦屋の耳は鈴の音を拾った。
暗くなる視界の端に、七色に光る宝石のような輝きを見た。蹄と、鱗に覆われた動物の脚のようだった。赤から金のグラデーションがかった雲が動物の脚にまとわりついてパチパチと音を立てている。芦屋のことを窺っているようにも思えた。
芦屋は蹄の主に心当たりがあった。
麒麟である。
以前、芦屋も麒麟を見たことがある。縁のことを気に入っているのだと知っていた。
なら、と芦屋は薄れゆく意識の中で血の味のする口を開いた。
「おまえ……月浪の、こと、気に入ってるなら……、ちゃんと、守って、やれよな……」
あの友人はやたら怪奇現象に巻き込まれる体質で、そのことを大変気に病む上に、いつでも無茶をやるのだ。いまもたぶん、事態をどうにかしようと奔走しているはずだ。
(……最初に巨大な獣に撥ねられた影は、月浪だったんじゃないか?)
暗い想像が脳裏をよぎったが、芦屋はその想像を振り払う。
(いや、違う。あいつは大丈夫。……きっと、大丈夫だ)
そうしているうち、芦屋の目の前が真っ暗になる。
遠くの方で、鈴の音が高く、響いた気がした。
※
「あ……?」
芦屋啓介は自分がいまどこにいるのかを把握できず、怪訝な声をあげた。
だが、取り巻く景色には見覚えがある。自らが通う母校、私立東京美術大学の校門を通り過ぎたところだ。
そこまで考えて、おかしいと気づいた。
芦屋はさっきまで文化祭最終日の最終シフトに入っていたはずだ。そして、突如として現れた怪異に殺されたのではなかったか。
だが、よく晴れた青空と芸術祭のために飾り付けられた校舎を見ているとつい先ほどまで広がっていた地獄絵図が嘘のようだし、正直嘘であっても欲しいので、芦屋はゆるく頭を振った。
「なんだ。俺、立ったまま夢でも見てたのか。……月浪?」
自分に言い聞かせるように呟いた芦屋は前方に見慣れた後ろ姿を見つける。
スーベニアジャケットを模した『東美怪奇会』と『中華・百鬼夜行』のロゴが入ったスタッフジャンパーに、黒い長めのプリーツスカートとスニーカー。トートバッグ片手に彫像の如く立ち止まっているのが気になるが、紛れもなく月浪縁だ。
芸祭最終日の朝、芦屋が登校した際も、縁に出会った記憶がある。そう思った瞬間。おかしい、と気づいた。
――芸祭最終日の朝は、いまではないか。
単なるデジャヴにしては何かが変だと芦屋は困惑しつつも、縁に声をかける。
「月浪、」
芦屋は己を見上げて、だんだんと青ざめていく縁の顔を見た。その瞬間、死体が転がり血溜まりが点在する、燃え盛る地下一階の情景がフラッシュバックする。思わず、口走ってしまっていた。
「俺、さっき死んだばっかりだと思うんだけど、どう思う? ここって天国だったりするか?」
普通なら支離滅裂に思われるだろう芦屋の言葉を聞いて、縁は一度目を大きく見開いたかと思うと、深くため息をこぼしながらしゃがみ込んだ。
「やっぱり。……やっぱり、そうか。夢であれよと思ったけど、あれは夢ではないんだな」
「私にはなにもできなかった」と呟く縁に、なんと声をかけたものか芦屋は迷う。
「月浪……」
「ところで君、自分は死んだら天国に行けると思ってるんだ? なかなか図々しくない?」
「うるせえよ」
いつもの軽口が飛んできたので芦屋も反射で叩き返した。しゃがんでうつむいていた顔の隙間からニヤリと笑った目が見える。縁はパッと立ち上がるとスカートの裾を払って言った。
「状況を擦り合わせよう。ここは天国ではないと思うけど、なにかが起きてる感じはする。具体的に言うと、既視感がすごい」
縁の言うこともよくわかる。芦屋は自分のスマートフォンを取り出し、待受画面を呼び出した。
「十月三十一日の午前九時過ぎ……。俺のスマホがぶっ壊れてるんじゃなければ、時間が、巻き戻ってるってことにならないか?」
芦屋が言うと、縁も自分のスマートフォンを取り出した。
「私のスマホも同時刻だよ。故障じゃない」
縁はデフォルト設定のままの待受画面をこちらに見せて「もう笑うしかない」という感じの引きつった笑みを浮かべた。
「……結構まずいことが起きてるな。芦屋くん、ちょっと落ち着いて話せるところに行こう。この時間の東美怪奇会の部室なら人はいないはずだ」
「見てきたみたいに言うんだな」
「見てきたんだよ」
芸祭後の休みで課題を進めるために、部室にある図録を借りようと思っていたらしい。だから縁は朝早くから登校しているのだ。
「昨日梁会長から鍵を預かってたんだよ。十時ごろ来る梁会長を待って、施錠・解散した覚えもしっかりある。鳳さんも一緒にいたから、そのとき彼女にも話を聞いてみようか」
なるほど。と芦屋は頷いた。
まさかタイムトラベルを体験する羽目になるとは、生きているといろんなことが起きるものである。




