中華百鬼夜行・前説
【芦屋啓介】
私立東京美術大学の芸術祭は最終日を迎えていた。
十八時まであと十分。芦屋啓介は自身の所属するオカルトサークル・東美怪奇会の出し物であるお化け屋敷の最終シフトに入るために一号舎の地下へと続く階段を降りる。お化け屋敷の客と思しき列は階段の中ほどにまで及んでいた。
階段を降りた先はいつもなら広々とした展示用の空間が広がっているのだが、現在は暗幕と白い薄布に遮られて全貌を見通すことができない。最終回の整理券を持った客がヒソヒソと囁き合いながら途中、展示台に置かれたタブレットに流れるCM動画を見て楽しそうにしている。
芦屋も動画編集に携わったので、興味深そうに観てもらえると素直に嬉しい。反応が気になるところだが、シフトに遅刻したくないので足早にお化け屋敷の受付へと向かう。
芸術祭終了まで残り一時間と少し。そろそろ人もまばらになってもおかしくないのだが、今年の東美怪奇会のお化け屋敷『中華・百鬼夜行』は例年に輪をかけて話題になったためまだまだ混雑していた。
テレビ取材が入ったり、SNSでの宣伝が功を奏して知名度が高かったこと。前評判を裏切らないクオリティだったことが口コミを呼んで大盛況だ。
一昨日も昨日も、ものすごく忙しかった、と芦屋は遠い目になりながら同じシフトメンバーの三人のうち一人、メガネをかけた女子を見つけて手を上げる。
芦屋に気がついた鳳アンナが、羽織ったスタッフジャンパーを翻しながら、手持ちの数取器を芦屋に手渡そうと駆け寄ってきた。
「芦屋くん、お疲れ様。お昼ぶりですね。今回もよろしくお願いします」
鳳は衣装班に所属しながら中華百鬼夜行の脚本を書いた怪奇会員である。
「お疲れ。……相変わらず人がすごいな」
芦屋も腰に巻いていたスタッフジャンパーを羽織って、鳳から数取器を受け取る。
上演時刻になったらチケットを確認しつつカウント、また客を誘導するのがシフトメンバーの仕事だ。
鳳は疲労を滲ませた顔で苦笑する。
「本当ですよ。物販なんてもう全然品物残ってないです……」
「マジか。パンフとかすごい量刷ってなかったか?」
ダンボールがこれでもかと山積みになっている様を覚えていた芦屋が目を丸くすると、鳳は「四つ前の公演の時にはすでに焼き尽くされていましたね」と真顔で言う。
「パンフレットは十五時の回でSOLD OUT。WEBサイトで通販の予約と電子書籍の販売が始まっていましたよ。……正直『誰が買うんだ』と思っていた四万する豪華仕様のスタジャンも全部売れたみたいで」
鳳が引きつった笑みを浮かべて言うのに、芦屋は感心を通り越して呆れた。
東美怪奇会所属メンバー全員にかなりしっかりした作りのロゴ入りスタッフジャンパーが配られたときにも「やたらに金をかけてるな」とは思ったが、物販でしっかり色違いのスタジャンを売っている上に豪華版まで用意があるとは。
「……商売っ気が強すぎるだろ。学生のやることじゃねえ」
「梁会長の手腕ですよ」
中国からの留学生、オカルト制作サークル東美怪奇会の会長である梁飛龍はクセの強い美大生のオカルト愛好家たちをまとめ上げる辣腕の美男子であるが、美術のセンスだけでなくビジネスセンスも冴えていたらしい。
「『売り上げが来年の予算に直結するから本気出すね』って言ってました」
鳳の言葉から一見爽やかな笑みを浮かべながらも目だけは本気な梁の顔が、芦屋の脳裏に浮かぶ。
「『本気』が本当に『本気』だな、おい」
「それで有言実行の荒稼ぎをするし、ここまでくるともう怖いですよ。なんなんですかね、あの人の思い通りにならないことってあるのかな……」
慄くように言っているが、鳳も並の人物ではない。
「でも、これだけ人が集まったのは鳳の脚本によるところも大きいんじゃないか? パンフレットが売れてるのだって、シナリオを読み返したいヤツが多かったからだろう」
なにしろ鳳は日本一売れている漫画雑誌『週刊少年ポップス』で原作担当としてのデビューが決まっている。アプリに掲載された投稿作も何作か読んだが、鳳の描く漫画はとにかく話が面白い。そのストーリーテーリングの技巧はお化け屋敷の設定や脚本に遺憾無く発揮されていた。普通に出来が良かったと芦屋は思う。
だが、鳳は「恐れ多い」と言わんばかりにブンブンと手を横に振った。手のひらと共に一緒に持っていたスマホも激しく揺れる。
「いやいや、私以外の人がすごいんですよ。中華風百鬼夜行のアイディアを出してくれたのは酒巻さんですし、彼の出したストーリーの流れを、私はちょっと色つけてまとめただけですから」
「面白かったけどな」
「それはそうですよ。酒巻さんのアイディアが、良かったんです!」
酒巻の手柄であることを強調して、鳳は大袈裟に謙遜するばかりだ。
だが、確かに酒巻のアイディアは華やかに結実した。芦屋は鳳のスタッフジャンパーの腕部分にプリントされた龍のイラストを見ながら思う。
毎年恒例の東美怪奇会自主制作お化け屋敷。今年のテーマは「中華・百鬼夜行」である。
青龍、朱雀、白虎、玄武、麒麟の五神獣をメインのモチーフに迷路のような美術セットを組み、脚本を設けて演者を配するという、舞台とウォークスルー型のアトラクションを足して二で割ったような作りだ。だから公演ごとに整理券を配って、順番に人を入れているわけである。
並んでる客の一人が「えっ」と大きな声を上げたので、芦屋と鳳はそちらに目を向ける。
「泥亀伊吹が主演やってるってマジ!?」
「は!? 本物の芸能人が演者で出てんの?! しかもイブちゃんって、休業中じゃなかった!?」
注目を集めていることに気づいた女性二人組はハッと我に返った様子で周囲に頭を下げるとヒソヒソと声のボリュームを下げて話し始める。
「泥亀さん目当ての人も結構いますしね」
「ああ。たしかに泥亀は目立つから」
泥亀伊吹は芦屋と鳳から見て一学年後輩に当たる。十人中十人が「美人だ」と断言する美貌の持ち主だ。演劇デザイン学科に所属して現在は休業しているようだが、本業は俳優。紛うことなく芸能人である。
芦屋の素っ気ない感想に鳳はどうしてか呆れたように半眼になった。
「……泥亀さんの美貌を『目立つ』で片付ける人は芦屋くんくらいのものですよ。まあ確かに彼女がありな
がら他の女の子を堂々と褒めるのはどうかと思いますが、」
全く心当たりのないことを鳳が言い出したので、芦屋は怪訝に思って眉をひそめる。
「彼女?……俺の? 誰が?」
頭に疑問符を浮かべる芦屋に、鳳まで不思議そうに首を傾げた。
「え? 芦屋くんは月浪さんと付き合っているのでは?」
「ない!」
食い気味に断言してから、芦屋は言った。
「月浪と俺は友だちだよ」
「なんの話?」
「ごめん、ちょっと遅れた」などと言いながら話題の月浪縁が顔を出した。急いできたのか疲れたように前髪を払うと、あごのあたりで切り揃えた黒髪もさらりと揺れる。「中華・百鬼夜行」最終シフトメンバーの最後の一人が縁である。
縁は曲者揃いの東美怪奇会の中である意味一番の変人だ。なにしろ本物の霊能力者である。芦屋が縁と親しくするきっかけも、縁の霊能力に親友共々助けられた借りを返したいと思ったことだった。だが、怪異に絡まれていないときの月浪縁という人は、芦屋同様、単なる美大生の一人でしかなく、いまでは貸し借り関係なく普通の友人付き合いをしている。
噂していた人物が突然現れたので慌てる鳳をよそに、芦屋は淡々と述べた。
「月浪と俺は友だちだっていう話」
「それは本当にそうですね。……それって話題にするようなこと?」
縁は芦屋同様、なんの疑問も挟むことなく即答すると「変なの」と続ける。
鳳は縁に数取器を渡すと、あからさまに話題を変えた。
「あー、そういえば、月浪さんも描ける人なのでかなり働かされてましたよね。大道具班はとっても大変そうでした。お疲れ様です!」
「そうでもないよ。鹿苑くんが案外チームプレイのできるタイプで、進捗管理も梁会長のフォローもあったとはいえ頑張ってくれてたし。……まあ、最後徹夜とかしたけどさ」
縁は遠い目で修羅場を振り返る。芦屋も付き合わされたのでわかるが本当に大変だった。
「でも、鹿苑くんと酒巻さんが後半めちゃくちゃ大道具で働いてくれたおかげでセットのクオリティは去年より数段レベルが上がったよね。油画二年のツートップだし、やっぱり上手いよ。その二人含めて五人が中心に引っ張ってくれたからお化け屋敷がいいものになったと思う」
しみじみと言う縁に芦屋は尋ねる。
「五人って?」
「梁会長、酒巻監督、鳳脚本、泥亀座長、鹿苑大道具長の五人」
芦屋からしてみても異論はない。納得しかない人選だった。東美怪奇会で要職についたメンバーはそれぞれ優秀で、才能を遺憾無く発揮してチームを引っ張ってくれた。
だが、メンバーの一人は恐縮した様子で首と手を同時に横へ振った。
「私以外全員天才じゃないですか。そこと並ぶのは恐れ多いですって……。私の代わりに月浪さんが入ってちょうどいい感じですよ……」
縁は鳳の言葉をあっさりと笑い飛ばした。
「それはないよ。私は鳳さんほど活躍してないもの」
「諦めろ、鳳。おまえも充分、天才の括りで間違いない」
「絶対違いますって……」
鳳が死んだ目で呟くのを横目に、芦屋は冷たい空気を感じて首を片手で抑えた。
地下でエアコンをつけているわけでもないのに、風が頬を掠めたような気がしたのだ。芦屋はふと、すぐ横にあるお化け屋敷の入り口に目をやった。暖簾のようにかけられた白い薄布がかすかに揺らめいている。
「……なんか、寒くないか?」
「え? そう言えば、確かにちょっと肌寒いかも」
縁が腕をさすった、その時だった。
――ざ、ざざ、ざざざ。
エンドレスで流していたはずのCM動画がノイズと共に歪んで、停止した。
「なんだ? 演出か?」
「お化け屋敷の公演がもう始まってるの?」
客の間でざわめきが広がる。確かに時刻は十八時になっていた。
芦屋と鳳は顔を見合わせた。こんな演出は予定にない。その上、本来なら鳳のスマートフォンにお化け屋敷内部にいるメンバーから公演準備完了の連絡が来るはずなのだが、スマートフォンはうんともすんとも言わなかった。
CMを流していたタブレット端末の液晶画面にカラフルな縦線がいくつも入り始める。スピーカーにも砂嵐のような雑音が混ざった。
――ざざ。ざざざざ、が、がががが、がが、がが、が。
不快な音を立てるスピーカーを、縁が蒼白な顔で見つめていることに芦屋は気づいた。
声をかけるより先に、パッと振り返った縁がスタッフジャンパーのポケットからカードケースを取り出して、芦屋の手に縁の母――月浪禊の名刺を握らせる。
以前芦屋も使ったことがあるが、月浪禊の名刺はあらゆる怪異を倒す最強の護符だ。それを真剣な顔で縁が渡してきたということは、現在、よくないことが起こっている。
「おい、なにが起こってるんだ?」
「名刺を絶対無くさないで。いますぐここから、」
縁が真剣な顔で告げるのを遮るように、地下一階に音が響く。
「『――百鬼夜行が行きます』」




