Eyes on you
【怪異・瑞獣の一つ】
ことの始まりを振り返るならば、やはり二十年前に遡るのだろうか。
私はその日、京都・東山にいた。
明治の頃に建てられたという旧・帝国京都博物館の本館に用があった。――人間の住まいや建物の様式というのは時代と共に変わるものだが、この辺りは様式と時代が混在している。三十三間堂をはじめとする由緒正しい寺院と現代の住宅・店舗が入り乱れ建ち並ぶなかに、洋風建築がそびえている。チグハグのようにも妙に調和しても見えた。
私は建物に足を踏み入れ、内部をぐるりと見て回った。
京都国立博物館を私が訪れたのは、知人に倣った作品がこちらに収蔵されていると聞いたのと、仕事の一環によるものだ。つまり、芸術に才ある人間を探すためである。
優れた才能を持つ人間か、才能を持つに相応しい人間を見つけ、器を測り、才能が十全に発揮されるべく恩寵を与えることが瑞獣の天命だ。
私は才ある人間を見つけるためなら海も国境も越えてどこまでも行くのだが、そうそう才能豊かな人間など見つかるものでもない。故に、ほとんど観光に近い形で美術館、博物館を巡っていた。今回も仕事の方ではろくな収穫もなかったが、目当ての作品を見て懐かしい気分に浸ることもできたので、この旅もよしとすることにしたわけである。
帰路に着こうと中央ホールまで戻った際に、私は、この場に似つかわしくない女と出会った。
黒髪を結った、白の産着をまとう黒留袖の女が赤ん坊を抱えたまま、こちらを見ていた。
華のある顔立ちもさることながら、鈴と熨斗、牡丹などの祝い柄を金糸で刺繍した贅沢な晴れ着が目立つ。初宮参りの帰りにでも博物館に寄ったのかと思ったが、真っ直ぐにこちらへ近づいてくる女に、どうも違うらしい、と気がついた。
女はジッとこちらを検分するように眺めると、腕に抱えた赤ん坊にむけて、呆れたように問いかける。
「またずいぶんと、面倒なのを引き当てたなぁ。おまえ、本当にコレでいいのか?」
女に応えるように、赤ん坊がケラケラと笑った。
なんの話かはわからないが〝コレ〟扱いされたのはわかった。
子連れ相手に無礼を咎めて揉めるのも馬鹿馬鹿しく思ったのでよそいきの態度を装う。
「なにか御用ですか?」
尋ねると、女は赤い口紅で形よく描いた唇から白い歯をこぼすようにして、笑った。
「うん。御身に頼みがある」
そう言って、二、三続けた女の口から出た言葉に、私は、目を見張った。
人間に、正体を見破られたのはこれで二度目だった。
正直なところ、面倒なことになったと思った。
怪異の一種である以上、正体を見破られれば力が弱まるルールを課されてはいるが、私はこれでも神に連なる力を持った瑞獣である。ただの人間か、少しばかりの力をもった霊能力者相手に正体を見破られたところで普通なら痛くも痒くもない。だが、この女は、異常だ。
首輪をつけられたのだと思った。女の視線から逃れることができない。指一本動かすのにもビリビリとした痛みが走る。しかも、意図を持って接触してきたと言うことは、私の〝力〟目当てだろう。面倒なことこの上ない。芸術家以外に力を注ぐのは気が進まなかった。
無言で思索を巡らせていると、赤ん坊が一際大きくケラケラと声を上げたのがホールに響いた。周囲からの視線を集めた女は軽く息を吐くと、困ったように眉を下げた。
「すまないが外で話をしたい。まさか、私も博物館に連れて来られるとは思っていなくてねぇ。ここは赤子が歓迎されない。人目を引くのは本意ではないのだ」
目立つ晴れ着を着ていながらなにを言う、と思ったが、すぐにその考えを打ち消した。おそらく、こちらへの敬意の表現としての衣装なのだろう。
「……かまわない」
中央ホールを出ると、青空が広がっていた。
女は青空を眩しそうに眺めている。並び立つと、女がかなりの長身であることに気がついた。その横顔に声をかける。
「おまえは相当の力を持った人間と見受けられる。こちらの正体を看破しておきながらあくまで依頼の格好を崩さない、その節度ある姿勢に免じて話を聞こう。用件は、なんだ?」
「娘が怪異に食い物にされぬよう、守る力を与えてほしい」
女が赤ん坊に目をやりながら言う。あまりにもざっくりした答えに、なにを尋ねるべきかさえわかりかねたが、女は困惑するこちらに構わず続けた。
「なにも一生守れとは言わない。二十年かけて娘に力を授けてくれればいい。期限を設ければお互いに悪い話でもないだろう? なんせ御身にとっては二十年など、あっという間に過ぎゆく時間のはずだ」
「私に子守りをしろとでも言うのか?」
「加護を与えたまえ、と言っている」
女が冷ややかな一瞥をくれると、グッと首のあたりが締まるような心地がした。怪異に対して主導権を絶対に譲るまいとする態度と、視線一つでこちらの生殺与奪の権を握っていることを分からせる手腕は間違いなく手練のものだ。
もしかすると私は、これまで会った生き物の中で最も強い存在を相手にしているのかもしれない。
不本意ながら言葉を選んだ。
「……理由を知りたいのだが」
女が視線を外した。拘束が緩やかになったのを感じる。
「娘が生まれつきの霊媒体質でね。あらゆる怪異を惹きつけてしまう。御身も娘の顔を見ればわかるだろう。絵に描いたような早逝・凶相の力だ。なにも手を打たなければ娘は怪異に殺される。……私が常にそばにいてやれればいいのだが、それもなにぶん、難しいのでな。考えたのだ」
女は憂うように言った。
「娘がどう足掻いても怪異を惹きつけるならば、私が手綱を握った強力な怪異に娘を守らせればいい。その怪異が瑞獣ならばなおのこといい。娘に怪異に抵抗する力を授けることもできるからな」
女はもっと他に良い手段があるならばそちらを選ぶのに、という不満を隠そうともしない。おそらくこの女は怪異が嫌いなのだろう。その怪異に頼ろうとしているくせに、全く失礼な話である。
私は口には出さないもののおそらくは仏頂面になっていたに違いないが、女は私の反応など全く無視して話を続けた。
「というわけで、早速娘の霊媒体質を利用して占ったところ、ここに連れてこられて御身に出会った。ある意味では娘が御身を選んだということになるか」
恩寵を与える相手を選んだことはあっても選ばれたことはない。赤ん坊が何故に私を選んだのかに興味を引かれて、尋ねる。
「どうして私を?」
女は「知らん」と投げやりに言った。
「正直、どうしてなのかは私も聞きたいくらいなんだよなぁ。御身はやたらに長く生きてるから扱いづらそうだし、見るからにこだわりが強い。面倒。もっと御し易い奴が他にいたに違いないのだがねぇ。なぁ、おまえの趣味はどうなってるんだ?」
女が言いたい放題言って赤ん坊の頬をつつくと、赤ん坊が女に向かって抗議するように声を上げ、手を伸ばした。女は何度か揺すってあやそうとしたが、赤ん坊に大人しくなる様子はない。女は駄々をこねる赤ん坊の顔を覗き込むと、フッと小さく笑った。
「わがまま娘め」
その顔に、見覚えがあった。
はるか昔に見た顔だ。いまだに色褪せず記憶に残っている。
思いがけず郷愁に駆られて呆けていた私を見てなにを思ったのか、女が呼びかける。
「おい、娘の顔を見てくれないか。御身の顔を見たがっている」
言われるがままに女のそばに寄って、赤ん坊を見た。
大きな目をした小さくか弱い生きものだ。ばら色の頬がふくふくとしている。かわいらしいと思うより先に、ため息が漏れた。女が早逝・凶相の力の持ち主であると言ったのは嘘ではなかった。赤ん坊がこの先歩むのは並みの人間ではとても耐えきれない、波乱に満ちた人生であることがひと目で分かる。
「なるほど。たしかにこれは人間が手を打つだけでは心もとない。おまえほどの異能者が加護を願い出るのも頷ける……」
言葉の最中に赤ん坊が手を伸ばしてくる。
女があごをしゃくって見せるので、迷った末に手を差し出すと、赤ん坊が人差し指をぎゅっと握りしめて、私をしっかりと見て、笑った。
「この娘、名前は?」
「縁」
女は娘の名を告げると、付け加えるようにして自身も名乗った。
「月浪禊の娘。月浪縁だ」
名乗りを受けて合点がいった。
聞いたことがある。月浪禊はこの国で指折りの霊能力者だ。怪異にとっては出会ったら最期。この世でもっとも話が通じず、目をつけられたなら一貫の終わりと目されている人物だ。私の置かれた状況は最悪である。
しかし、そう悪い気分ではなかった。
禊の見せた顔に、私はずっと知りたかった人間の感情の機微と似たところを見つけた。
ならば、この契約を呑むことに意味はある。
「禊。契約の条件を示せ」
禊は赤い唇をニッと笑みの形に歪め、淀みなく告げた。
「条件は三つ。一つ、月浪縁に怪異に抵抗する力を授けること。二つ、期限は月浪縁が二十歳になるまでとする。三つ、契約の最中及び、契約終了後に月浪縁へ正体を明かすことを禁ずる」
禊の出した条件に少々戸惑う。こちらとしてもわざわざ正体を明かす気もなかったので三つ目の条件の意図が読めなかった。
「……最後の条件の理由は如何に」
「御身が神に匹敵する瑞獣であろうとも怪異は怪異。怪異と人間の間には適切な距離というものがある。入れ込んでも入れ込まれても困るだろ?」
禊が淡々と述べた言葉に、ああ、とため息が溢れた。
「そうだな。……その通りだよ」
思い当たることが多すぎて、思わず苦い笑みが溢れた。だが、すぐに気を取り直して続ける。
「条件、承った。契約を呑む前に私――瑞獣がいかなるものかを宣言しよう。我らは人に恩寵を与え、才覚を伸ばすことを天命とする。恩寵を与える基準は瑞獣によってそれぞれだが、私の場合は芸術に才あるものが好ましい。……ただ」
「ただ?」
言い淀むと禊の目が鋭くすがめられた。
「霊媒体質は生まれついての天命、才能の一つだ。であれば、禊の望みは『宿命に抵抗する力を縁に授けること』にあたる。与える恩寵の程度としては強力なものになる。そうなると、縁自身にそれなりの器量がいる上に、器量を測る試練は難しいものになるだろう。縁が器量に足らない場合、私のみならず――別の瑞獣が恩寵を与えることはできないが、それでもいいか」
「……だろうね」
禊の眼差しが諦めに揺らいだ。この世にはどうにもならないことがあるのだと、きちんと承知している人間の目だった。しかし。
「問題ない。私が強く育ててみせる。娘が大人になるまでは」
次に私と目を合わせたときには、弱さも諦めも微塵も感じさせないのだから、人間というのは弱いのだか強いのだか、分からないものである。それにしても禊の言うことはどうも矛盾しているようだ。
「おまえは不思議なことを言う。過保護かと思えば、子離れを待望しているようにも見える」
禊はうっすら微笑んだ。
「普通だよ。まともな親なら、我が子に長じてほしいと願うものさ。そしていつかは親元を離れ、自由に自分の人生を生きてほしい。どこにでもありふれた、ささやかで強欲な願いだろう?」
「わからないな。人の親になったことがないから」
「まぁ、御身は怪異だものね」
鼻白んだ様子の禊に、私は笑みを作ってやった。
「だが、興味は湧いた」
禊の顔が不愉快そうにしかめられたが、構うことはない。
私は瑞獣としてのルールに従い、禊との契約を進めた。
「『月浪縁が満二十歳になるまでに、運命に抗う力を与えよう。私の正体を明かすことなく、契約を遂げたら立ち去ろう』」
私は赤ん坊に向かい、仕上げの口上を述べてやる。
「『瑞獣の天命に従い、恩寵を与えようとも』」
こうして私は月浪縁に憑いた怪異となった。
縁の運命を変えるために。あらゆる怪異から守るために。
そして、私の望みを叶えるために。




