第31話 私立東京美術大学芸術祭の朝
【芦屋啓介】
芦屋啓介はコンパクトカーの後部座席で腕を組み、眠気に抗えずうつらうつらしていた。
横に座る月浪縁も車窓の外をぼーっと眺めており、早朝の車内には疲労感が漂っている。
「お疲れだな」と運転席で苦笑する月浪健だけがやたらに爽やかな雰囲気でハンドルを握っていた。
縁と芦屋が朝からこうも疲れているのには理由がある。
今日はいよいよ二人の所属するお化け屋敷サークル・東美怪奇会の晴れ舞台たる芸術祭一日目当日……なのだが、おおよそ三時間前まで縁と芦屋は作業に追われていた。
芸術祭の準備期間に組み上げられたお化け屋敷のセットに不足が生じたためである。
百鬼夜行の仕掛けの一つ、巨大な鳳凰のオブジェにつけるボロボロに加工した羽根。これがみすぼらしさを演出するにしても余りにもみすぼらしすぎるということで、急きょ、羽根の数を増やすことになった。
これを手がけるよう梁飛龍会長から直々に指名されたのが縁である。
この羽根の作り方というのがやたらに手間のかかるもので、一本二メートルほどの針金にきらびやかな紙と布を使って赤い孔雀の羽のようなものを作り、完成したものをわざと汚してボロボロにする……という作業が生じる。
芦屋は縁につかまってその作業を手伝わされたわけである。報酬に文化祭後の焼肉で手を打ったので付き合わされたことに文句はないが、縁本人も凝り性なのでギリギリまでクオリティアップを試みた結果、芦屋は朝日が目にしみる羽目になっている。
なんとか完成させた五十本の鳳凰の羽根。これを抱えて電車で登校するのも迷惑だろうということで健が車を出してくれたのはラッキーだった。
電車が網の目のように張り巡らされた都心に暮らしていると車のありがたみを感じる機会はそうないが、今日はとてつもなくありがたい。
芦屋が車の利便性をひそかに噛み締めていると、気だるそうに窓の外を眺めていた縁が「兄さん」と声をかけた。
「ちょっとスーパー寄ってもらっていい? ガムテープ家に忘れたから」
縁の提案に健は眉を上げた。
「ああそう? じゃあ俺が出すから適当に飲み物とかおにぎりとか買っておいで。君たち何も食べてないだろ」
奢ると言う健に芦屋は深々と頭を下げる。
「すみません、ありがとうございます」
こういうときに遠慮するべきではないと、芦屋は健の好意を素直に受け取った。健は愛想よく微笑むと、縁に向かって続ける。
「あと、俺は芦屋くんと話があるから、悪いんだけど買い出しは縁だけで行ってくれるか?」
「え?」
縁と芦屋はそれぞれに瞬いた。縁は芦屋に目をやって無言のまま視線だけで「兄さんとなんかあったの?」と尋ねる。
芦屋は健と話すべきことなど特に心当たりがない……と思ったが、一つ、気になっていたことがあるにはある、と縁に向き直った。
「すまん。適当に頼む」
「……わかった。本当に適当に買ってくるけど、芦屋くん好き嫌いとかあった?」
「ない。あればなんでも食うし飲む」
ざっくりとした返答に縁は頷く。
スーパーの駐車場に着くと、健からかなり多めに小遣いを渡された縁はどこか釈然としない様子ではあったが、トートバックを肩に引っ掛けてさっさと車を降りていった。
残されたのは当然、健と芦屋だ。
「話ってなんですか」
と言いながら、芦屋はたぶん自分が話をする機会を健が作ってくれたのだよな、と思う。
「芦屋くんは俺に言いたいことがあるんじゃないかと思って」
案の定、にこやかな調子で健は言った。
穏やかで常に笑みを崩さない月浪健は縁の兄らしく、全く食えない人物である。
芦屋はため息をひとつこぼして、尋ねた。
「あの、どこから計算してたんですか?」
芦屋は縁に取り憑いていた麒麟の筆を祓った。後悔はしていないし、あれはやるべきことだったと認識しているものの、どうも健に誘導されたように思えてならないのだ。いや、健だけではない。縁の母親・月浪禊も、芦屋に退魔の名刺を渡したあたりから察するに、芦屋が縁を除霊することを織り込み済みだったのかもしれないとさえ思う。
芦屋の疑問に、健は笑みを崩さずに答える。
「母も俺も、残念ながら予知予言の力はないんだよな。強いて言うなら、縁の厄払いの絵画が予知に近いけど、芦屋くんの言いたいことはそういうことじゃないよな?」
愉快そうな言葉ははぐらかしているようにも聞こえて、芦屋は眉根を寄せた。
「九月の初めに俺が葉山を見舞ったときにはもう、妹が麒麟の筆に取り憑かれてるって、きっと健さんならわかってましたよね?」
つまり縁の母と兄は、縁が怪異に取り憑かれることをあらかじめ悟り気づいていながら、自分たちが霊能力者であるにも関わらず除霊をせずに、ど素人の芦屋啓介に全てを任せたということになる。
縁を虐げているわけではなさそうだが、何故自分たちで対処しなかったのか。納得できる理由があるなら聞きたいと、芦屋は健の答えを待った。
「残念ながら俺と母には縁の除霊ができなかったんだ」
あっさりと健は白状した。
しかし芦屋は信じられずに眉を顰める。
「……霊能力者で家族なのに?」
「霊能力者で家族だから、かな」
頭に疑問符を浮かべる芦屋に、健は淡々と続けた。
「身内だからね。縁の性格も能力もだいたいは把握しているし、あいつがいざってとき、母や俺の忠告なんか聞かないことくらいはわかってる。縁が無理しがちなのは、月浪家の人間全員が場合によって無理も無茶もするし、道理を踏み倒して意思を通すのをやむを得ないと思っているからだ」
なんてこともないように、健はさらりととんでもないことを言ってのけた。
「つまりね、説得力がないんだな。『自分を大事にしろ、少しは自重しろ』って俺が言っても母が言っても、『じゃあお前は同じ状況で自重できるのか?』って縁に問い返されたら、俺たちは『できない』としか答えられない。そんな人間の忠告なんか素直に聞けないだろ?」
「自覚してるのに治せないもんなんですか、それ」
思わず率直な言葉が口から飛び出る。
ここぞと言うときに全く自重せず、無茶も無理も押し通すのが月浪家の家訓だとでも言うのだろうか。そのくせ健は縁の無理を心配するそぶりを見せるのだから訳がわからない。
だが、健は苦笑してきっぱりと断言する。
「ははは、手厳しいな。……うん。治せないと思う」
頑なな答えだった。芦屋の言葉一つで納得してくれそうもない、それが自分の信念だと言わんばかりの。健は静かな諦観を滲ませた声で自嘲する。
「なるべく道理に適った生き方をしたいけれど、俺たちは道理から外れた生き物だから」
「こじらせた中学生みたいなこと言わないでくださいよ」
芦屋はため息交じりに断じた。
あまりにズバッと斬り込まれて驚いたらしい健の丸くなった瞳がミラー越しに芦屋を捉える。
「人間でしょう。月浪縁も、あなたも」
健はますます目を丸くすると、ふっとミラーから視線を外し、ハンドルにもたれて背中を丸めながら小刻みに震え出した。
「……なに笑ってんですか」
「いやー、あんまりかっこいいことをさらっと言うから面白くなっちゃった! あはははは!」
「……」
爆笑する健に芦屋は釈然とせずに口をつぐんだ。タイミングがいいのか悪いのか、ビニール袋を携えた縁が戻って来た。車内に乗り込んで真っ先に目に入る仏頂面の芦屋と、運転席で大ウケしている健を見比べて怪訝そうに首を傾げる。
「なにこの状況。芦屋くん滑らない話でもしたの?」
「……知らん」
トゲついた声で返した芦屋に、健が笑いながら謝り倒すのを縁は「まあなんでもいいんだけど」と流して、不機嫌な芦屋にペットボトルの緑茶を手渡した。
※
東京美術大学の駐車場。からりと晴れた青空の下、芦屋と縁は積んでいたボロボロの鳳凰の羽根を二人で抱えた。なかなかシュールな絵面である。
縁は運転席にいる健に声を掛けた。
「送ってくれてありがとう」
「いやいや、せめて運転くらいはさせてよ」
健は仕事の都合でどうしても休めないらしく、文化祭には参加できないのだと言う。
健はどうも未練があるようで「行きたかったんだけどね……」と残念そうだ。
対して縁は「写真たくさん撮るから後で見せるよ」などととあっけらかんとした様子である。
健は職場に直接向かうらしく、Uターンして去っていった。
芦屋と縁は駐車場から少々距離のある校門へと向かう。
「しかしよく間に合ったよね」
「バタバタだったな」
お互い遠い目をして言う。
『修正すれば良くなるとわかっていながら修正しないのは怠慢以外のなにものでもない』
と言う、梁の信条はあまりに痛切に理解できるものだから芦屋も縁もギリギリまで作業にあたったが、もっと余裕を持ってできなかったものか。余裕があったところでギリギリまで精度を上げるために時間を費やす羽目になることも承知で、そう思わずにいられない。
縁は寝不足の目を芦屋に向けた。
「芦屋くん個人でも展示やるんでしょ。よく時間作れたね」
「ほぼ月浪に横流ししてる人物写真の流用だからそんなに締め切りはキツくなかった」
今回の文化祭では個人でも展示を行っている芦屋だ。
縁に渡していた写真を厳選して、一つの展示としてまとめた。
テーマは「人間」
芦屋は縁と関わっていく中で、人間を撮るのが難しく、面白く、奥深い作業であることに気がついた。
人を撮るのは、ただモデルをカメラの中心に据えてシャッターを切るだけではダメなのだ。「その写真を作品にしても良い」と許可を得るところまでが創作活動で、モデルから表情を引き出すこともカメラマンの仕事である。撮影技術だけで良し悪しが決まらないところが気に入っている。
縁は「シフトの合間に見に行くよ」と言うので展示会場を教える。
縁は抱えた羽を持ち直すと、小さく息を吐いた。
「チーム作業も嫌いじゃないけど、私も個人制作に集中したいなあ。しばらくは人間描くのに没頭したいや」
「傑作量産習慣ですか?」
芦屋が茶化すように言うと、縁はわざとらしく眉を上げた。
「なにそれ。芦屋くんたまに嫌味なこと言うよね」
しかし縁はサラリと答える。
「三枚描いて二枚納得できるなら好調って感じだ。前みたいなペースには戻ってない」
どちらが嫌味なのだろうか、と芦屋は思う。
充分に〝傑作量産週間〟と言って不足のないペースで傑作を生んでいるということになるが、縁はやはり満足していない様子で深々とため息をついた。ただし、顔に悲壮感はなく、どこか吹っ切れた様子である。
「でもまあ、地道に愚直に描きますよ。私にはそれしかできないからね」
それしかできないという言葉が気楽な調子で放たれたことに芦屋は瞬き、縁の横で釣られるようにして微笑む。
月浪縁と芦屋啓介は軽やかに校門をくぐった。




