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【書籍化・コミカライズ】美大生・月浪縁の怪談  作者: 白目黒
第四章:麒麟の筆
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第30話 芦屋啓介の告白

【芦屋啓介】


「語ってみてわかる。……私はやっぱりどうしても、描くことをやめられない。これからも赤いテクスチャが浮かんだなら、私は怪談をやるだろう。次の傑作を描くために。……傑作になるかどうかの確証もないくせに」


 俯いて自嘲する月浪縁つきなみよすがには悪いが、芦屋啓介は最後まで縁の話を聞いてなお、縁と井浦影郎がそれほど似ているとは思えなかった。


 縁が気に病んでいるらしい「怪談」を創作のルーティーンに組み込んだことだって、それで救われている人間がいることも、縁自身が危険に身を投じていることも知っている芦屋にとってはどうってことないように思える。


 けれど、縁にとっての井浦影郎は、おそらくは葉山英春にとってのドッペルゲンガーのような役目をしたのだ。縁は井浦の中に自分の醜さを見つけた。たぶんこの醜さというのは他人が「そんなことはない」と否定したところで振り払えない類の呪いだ。呪われた縁は自己嫌悪を拗らせて、麒麟の筆に魅入られた。


 だからこそ芦屋はあえて口にする。


「……いいんじゃないか。それで」


 芦屋の反応が気に障ったらしく、縁の眼差しが尖る。


「いいわけないだろ、私は人が怖い思いをしたり、苦しんだことを踏み台にして絵を描いているんだ。そんなのは……」

「罪悪感があるんだな」


 言い募ろうとする縁を遮った芦屋の言葉に、縁は怯んで首をすくませる。


「だったらそれが、月浪が人の不幸を踏み台にして、絵を描くことの対価にあたる」


 そういう理由をつければ、月浪縁は死なずに済むし絵も描けるだろう。

 死を選ぶことさえ厭わないと思い詰めた縁のために、芦屋はあえて縁を断罪した。


 縁は一瞬、何か言いかけるように口を開いたが、唇を引き結んで言葉を飲み込む。芦屋がどういう意図で縁を裁いたのか、わかっているようだった。

 少しの逡巡の後、縁は芦屋を見つめて頷いた。


「……わかった。描くよ」


 芦屋が瞬いて縁を見返すと、縁は真面目な顔で頷いた。


「苦しんで生きて描くことが、私への罰で、私の義務で、……私の希望にもなるんだな」


「理解した」と腑に落ちた様子の縁に、芦屋は小さく息を呑んで、俯いた。


「伝えそびれていたが、葉山が二学期から復帰するのは知ってるか」

「え?」


 驚いた声がする。芦屋は縁の顔を見れないまま、淡々と尋ねた。


「健さんから聞いてないのか? 回復したんだよ」

「最近あんまり話してなかったから。……そうなんだ」


 縁は実感がなさそうに応じた。

 その感慨もなにもない態度に「こいつは何にもわかっていない」と芦屋は思う。


 縁は今まで厄払いの絵画を描き続けてきたことを半ば当然のように思っていた上に、人助けは単なるついでだったらしいので、厄除の価値を毛ほども感じていなかったのも無理もない。

 だが、縁の言うように除霊のための怪談は人の不幸がなければ語られないものだとしても、縁は怪談することで葉山を救った。


「葉山は俺にとっては友だちで、恩人だ。あいつが居たから俺は高校時代腐らず済んだし、美術を進路に選べた……」


 芦屋は手のひらを組んで、硬く握りしめる。いままで、誰にも口にしなかったことを口にする。


「俺も死にたかったんだ」


 声に出すと、高校一年生の頃の自分が蘇ったかのように、当時の感覚が戻ってくる。

 事故に遭ってから葉山に会うまで、芦屋の脳裏にはずっと死がこびりついていた。行動に移したことも口にしたこともなかったけれど、それでも、飛び降りるなら何階がいいかとか、ロープの長さはどれくらいいるかとか、そんなことばかり考えていた時期があった。


 打ち明けた芦屋に、縁はなにも言わないでいる。黙って芦屋の言葉の続きを待っている。そんな気がしたので、芦屋はゆっくり、言葉を選んだ。


「事故に遭うまで、当たり前のように俺も親父と同じ警察官になるんだって思ってた。目標もハードルも全部はっきりしていて、自分がどう生きればいいのかガキなりにわかってるつもりで。なのに事故に遭ってからは全部がめちゃくちゃ。努力すれば越えられるはずのハードルは絶対に越えられない壁になって、それまで頑張ってきたことが全部無意味になった」


 芦屋は蘇る負の感情を振り払うように小さく首を横に振った。


「俺が、立ち直れたのは、葉山が、写真を教えてくれたからで。そんなのは全部たまたま、偶然だった。なんなら俺が夢中になるのは、写真じゃなくたってなんだってよかったかもしれない。それでも、腐りかけの俺に出会ってくれたのは葉山で、写真なんだよ」


 大袈裟ではなく、葉山英春は芦屋啓介にとっての命の恩人だった。葉山本人はきっと「俺、そんな大層なことしてないって」とヘラヘラ笑って見せるだろうが、本人がなんと言おうと芦屋にとっては恩人なのだ。


「だから、俺のせいで葉山がドッペルゲンガーを生んだって知った時は、」


 声が震える。

 芦屋は一拍、深呼吸して、気を取り直した。


「一歩間違えたら死んでたかもしれないって聞いて、すごく怖かった。俺は、何にも知らないで、俺のことを助けてくれた奴を死なせるところだったのかって。怖くなって、情けなくなって。それ以上に」


 芦屋自身が原因だったことを悔やむより先に。


「葉山が死ななくてよかったと思った」


 葉山が助かったことを喜んだ。

 後悔はもちろんある。それでも生きているなら取り返しの機会は作れると、芦屋は信じている。その、取り返しの機会を与えてくれたのが縁だった。これだけは顔を見て言わなくてはならないと、芦屋は顔を上げて、凪いだ表情の縁の目を見て、言った。


「月浪、おまえのおかげだ」


 月浪縁がいなければ、芦屋も、葉山も死んでいたかもしれない。


「月浪の言う、人の不幸を利用するようなマッチポンプの怪談で、厄払いの絵画を描くルーティーンで、おまえにとってはついでの善行で、俺と葉山は助かったんだ」


 芦屋は俯いて、眉間に組んだ手を押し当てた。


「あとな、今からすっげえ今更なことを言うけど笑うなよ」


 かつては人生に絶望して死が頭から離れなかった芦屋が、立ち直った今となっては死にたいと願った縁のことをそれこそ死に物狂いで止めにかかったのだと思うと、どの面を下げての行動なのか、少々滑稽でもある。芦屋はふっと小さく吐息をこぼした。


「散々止めておいてなんだけど、月浪が厄払いの絵画を描けなくなって、自分が死ぬかもしれなくても麒麟の筆に頼ろうとした気持ち自体はわかる。月浪も、自分がどう生きていくか決めていたんだろ? 厄払いの絵画を描けなくなる自分なんてきっと想像もしてなかったはずだ。……疑いもしなかった将来や、自分自身が全部崩れていくのがわかったら、死にたくもなるよな」


 否定の言葉は返ってこない。


「それでも、俺は、月浪が死んだら悲しい」


 芦屋の握った拳に涙が滴り落ちる。


「今、月浪が生きることを選んでくれたことが、嬉しいんだ」


 ため息だったか、ヒュッと息を呑むような音だったかが聞こえた気がした。

 縁を死なせるか死なせないかの緊張から解き放たれたのと同時に、涙腺の堰を切ってしまったようで、一向に芦屋の涙が止まる気配はない。


「こんな……当たり前のことも言わなきゃわかんねえのかよ、とは正直思ってるけど。でもこれは、黙ってても分かるだろ、口にしなくても察してくれるだろって、思ってる方がダメだって、おまえと関わってから嫌ってほどわかったから、もう全部言うことにした」


 死ぬほど格好悪いことは承知の上で、芦屋は顔を上げ、言い募っていく。


「俺は月浪縁に生きてて欲しい。頼むから……自分が死ぬのはどうでもいいとか言わないでくれ。……どうでもよくないんだよ!」


 縁がどんな顔をしているのかは滲んだ視界ではわからない。それでも顔を向けて話した。


「だって俺は、おまえが月浪縁だったから、絶対に借りを返したいと思った。俺と葉山を助けてくれた。クソ真面目に描いた人間全員、描いた作品全部を怪異から守ろうとした月浪だから、月浪の通したい無理を通せるよう、手伝おうと思ったんだ。でも、今は」


 その言葉は自分でも知らないうちに懇願するような響きを含んでいた。


「友だちだから」


 地面に置かれていた縁の指が、小さく震えた気がした。


「借りも貸しもどうでもいい。友だちだから手伝わせてほしい。巻き込んでほしい。力になりたいんだ」


 縁がどう思っていようが知ったことではなかった。一つも慮ることなく、芦屋は好き勝手に本心を並べ立てる。


「才能がどうとか、責任がどうとかは知らない。おまえがおまえをクソ野郎だと思い込んでても、俺はおまえを良い奴だと思ってる。おまえががむしゃらに描いてきたことに、意味があったって知ってる。たとえこれから一枚も描けなくなったって、才能それだけが月浪の価値じゃないってわかってるから、」


 長々と述べて見せたが、結局はこの一言に尽きると、芦屋は泣きながら笑った。


「月浪が死なないでくれて、本当によかった」


 言うべきことは全部言った。ちょうど止まってきた涙を芦屋は乱暴に拭う。

 縁は一言も口を挟むことなく、黙って芦屋の話を聞いていた。いまだになんの返事もない。

 芦屋の胸に、沸々と居た堪れない気持ちが湧き上がってくる。


 ――もしかして自分は今、泣きながら駄々をこねるように散々好き勝手なことを言ったのではなかろうか。まさか月浪は「いきなりこいつ泣き出してなんか言ってるけどどうしよっかな……」などと困惑しているのでは?


 と思い至った芦屋は焦って助け舟を出さねばと口を開きかけて、止めた。

 縁は顔を覆って、震えている。


「……そんなふうに」


 初めて見る顔だった。顔を覆う手のひらの隙間から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「そんなふうに、思ったことなんてなかった。思ってもらえるとも、思ってなかった……!」


 泣きじゃくる縁に芦屋は瞬き、ぐっと奥歯を噛んだ。

 こんなことなら、芦屋はもっと早く伝えるべきだったのだと思った。芦屋が当然のように思っていた言葉が、あの月浪縁が泣くほど欲したものだったと知って、芦屋は少しの後悔を覚える。

 それでも、今ここで伝えることができてよかった。


「礼を言うのが遅くなってごめんな」


 芦屋は縁に歩み寄る。しゃがんでその手をとって、改めて言った。


「俺と葉山を助けてくれて、俺と友だちになってくれて、本当にありがとう」



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