第17話 『関係性』
【芦屋啓介】
蓮根とは大学の最寄駅で別れた。
芦屋と縁は自宅が都心にあるため途中まで同じ電車で帰路につく。夜八時を過ぎてベッドタウンから都心に向かう座席はガラガラで、一号車がほぼ貸切状態になっている。
芦屋は横に座る縁におもむろに口を開いた。
「行くのか」
「もちろん。芦屋くんは来なくていいよ」
当然のように芦屋を遠ざけようとしてくる縁だが、芦屋に聞き入れるつもりはさらさらない。芦屋は斬りこむように口を開いた。
「梶川が、犯人だったりするのか」
蓮根の話を聞く限り、梶川密はあからさまに怪しい。
芦屋の率直な疑問に対して縁は逡巡したが、結局は正直に答える。
「わからない。でも可能性はゼロではないよ。生きている人間が生きながらにして怪異に変じることを、芦屋くんはもう知っているでしょ」
「……そうだな」
向かいの夜の車窓に写り込む自分の顔に目をやりながら、芦屋は頷く。
芦屋の友人、葉山英春は自分で自分を呪い、怪異・ドッペルゲンガーを生み出した。ドッペルゲンガーはいわゆる生き霊の一種だという。
なら、井浦影郎を殺し、蓮根修二を苦しめるのが生き霊と化した梶川であってもおかしくはない。
「蓮根と井浦さんに交流があったらしいのはわかったけど、この二人に危害を加えようとしてるのはいわゆる〝同一犯〟で間違いないのか?」
「おそらくは」
縁は即答する。
「私の霊媒体質は重複しない。厄払いの絵画の恩恵かな。私が赤いテクスチャの浮かんだ絵絡みの怪異に対処している時に、別の怪異が絡んでくることはないんだ」
初耳である。
「そういう、もんなのか」
確かに言われてみれば縁は365日、ほぼ途切れなく怪奇現象に見舞われているものの、複数の事案を抱えていることはなかったように思う。厄払いの絵画は縁の霊媒体質を軽減しているという意味でも〝厄を払っている〟のかもしれない。
腑に落ちたところで芦屋は話題を変えた。ずっと気になっていたことがあるのだ。
「でも、犯人が梶川だったとして、なんで蓮根を狙うんだろうな? 交際相手の井浦を殺す動機は探ればいろいろありそうだったが……」
縁はどうしてか顔をひきつらせた。
「なんというか、たぶん、そもそも全部の発端は井浦さんなんだよね」
口元に手をやって何から話したものかと迷っているように見えたが、結局、芦屋に顔を向けて尋ねる。
「芦屋くんは井浦さんのこと、どう思う?」
縁の質問に今度は芦屋が言葉に詰まった。会ったのは一度きりだしろくに喋ってもいない井浦について印象を問われても困る。しかし縁も承知の上で聞いているのだろう。
「強いて言うなら、有名人らしいのに気さくでいい人そうだった」
「芦屋くんはあんまり人を見る目がないよね」
「喧嘩を売っているのか?」
あっさりと罵られてムッとする芦屋だったが、縁の反応を反芻して、冷静になった。
「月浪から見た井浦影郎は、気さくでもいい人でもなかったんだな」
「あの人は吸血鬼みたいな人だったよ」
認めた縁に芦屋は眉を顰めた。
「……人を食い物にする奴だったと」
縁は「言い得て妙だ」と頷く。
「付き合う相手に合わせて服の趣味がコロコロ変わったりする人っているでしょ。あれの作品版みたいな……。漫画を好きな子と付き合うと作品がデフォルメっぽくなるし、リアルな絵を描く人と付き合うとデッサン力が上がるんだよね」
「どんな特殊能力だよ」
思わず突っ込んだ芦屋に縁は軽く乾いた笑いをこぼした。
「もしかすると井浦さんは本当にある種の異能者だったのかも」
縁曰く、井浦は恋人が変わるたびに絵が上達し、評価が高くなるのだと言う。容姿もどんどん垢抜けていく。代わりに、井浦と付き合う相手はエネルギーを全部吸い取られていくようだったそうだ。
華やかに活躍し、その才能を謳歌する井浦影郎。やつれて無気力になり、枯れていく井浦の恋人。
車窓から見る夜景が都心に近づくにつれて華やかになっていくのとイメージが重なる。
縁は嘆息して腕を組んだ。
「どこで引っ掛けてくるのか知らないけど、井浦さんの恋人になるのはクリエイターが多くてね。ジャンルは音楽だったり絵だったり小説だったりまちまちなんだが、みんな井浦さんと付き合ってしばらくすると創作活動をやめちゃうんだ。井浦さんが自分の代わりに作ってくれれば良いやって感じで。で、井浦さんは恋人を取っ替え引っ替えして作品の幅を広げるわけ」
「……なるほど」
確かに〝吸血鬼〟と評されてもおかしくないのかもしれない。納得したところで、芦屋は例外を見つける。
「でも、梶川は今も個展を開いたりして、積極的に活動してるよな」
途端に、縁の言葉に苦いものが混じる。
「梶川さんも梶川さんで特殊なんだよね。作品を見ればわかるけど……」
しまった、と言う顔で縁は口をつぐんだ。
縁は芦屋を井浦の件から手を引かせたかったのだろうが、ここまで聞いて芦屋が引き下がるわけがないと悟ったのだろう。
実際その通りである。
芦屋は自身の膝に頬杖をついて、尋ねた。
「待ち合わせはどうする?」
縁は諦めたように肩を落とすと「山手線・新宿東口に朝十時集合」と端的に述べた。
【芦屋啓介】
近年東京の夏の日差しは殺人光線と呼んで差し支えがなく、昼前とはいえど気温は三十度を超え、新宿駅から徒歩十分の画廊に向かうまでにTシャツがすっかり汗ばんでいる芦屋啓介である。こんなことなら日光を吸収する黒など着なければ良かったと、連れの月浪縁を横目に思う。
縁はいつかと同じく日傘をさして涼しげに灼熱のコンクリートを闊歩していた。日差しを反射する白いブラウスと水色のスカートに傘の影が落ちて、縁の周辺だけ気温が五度くらい低い気がする。
暑さに頭まで茹だりそうなせいか、思ったことがそのまま芦屋の口からついて出る。
「月浪は汗をかかない生き物だったりするのか? もしくは霊能力に気温を下げる力があったりするか?」
「……芦屋くんは私のことをなんだと思っているのかな?」
縁は半笑いになって呆れていた。
画廊の入り口には蓮根修二の怪談の通り、赤い花が飾られていた。
クーラーの効いた室内に入って芦屋はようやく息を吹き返したように思う。
縁はというと日傘を畳んでステッキのように携えており、それはそれで不思議と優雅に見えた。
平日の、開始時刻ちょうどに来たとはいえ、芦屋と縁の他に人はおらず、個展の主催者である梶川密の姿も見えない。
「梶川は、まだ来てないみたいだな」
「どうやら遅れるみたいだね。十一時ごろの到着になるようだ。先に作品を見て待ってみよう」
縁がスマホを確認して言った。SNSで、梶川がいつ頃会場に着くのかをチェックしたらしい。
あらためて芦屋は展示室を見回す。
白い壁には不規則に、正方形の絵がずらりと並んでいる。遠目で見ても近目で見ても圧倒的な描写力に、芦屋は感心を通り越して引いた。なにしろ皮膚のきめ、毛穴や産毛まで描写している。
「すっげえ、うめえ……」
語彙を失った口から出るのはうめき声に近い。縁はうんうん、と納得したように首肯する。
「梶川さんは実物の方が良く見えるタイプだよね」
縁の言う通り、DMに使われていた絵は実物の方が迫力があった。麻紙に岩絵具での着彩で、こうも艶かしく、グロテスクに血の通う人肌を描けるものかと思う。
しかし。
「でも、蓮根の言うとおり、剥製のような感じがするといえば、するな」
滴るような生命感と裏腹に、熱を感じない不思議な絵だった。
「梶川さんはおそらく、瞬間記憶能力か、それに準じる異能の持ち主だ」
唐突にも思える縁の言葉に芦屋は瞬いた。
振り返ると蓮根が語った話の中で、井浦影郎がそのようなことを言っていたかもしれない。
『想像と、一瞬の観察だけで描いたんだ。あれだけのものを』
だが、瞬間記憶の異能と、熱を感じない作風になんの関連があるのだろうかと首を捻った芦屋に、縁は冷めた目で並ぶ作品をざっと眺めた。
「これらの絵、ほとんどモデルから許可を取って描いてないんじゃないかな」
「……冗談だろ」
まさか、と思った芦屋だが、改めて絵を見るとふつふつと背筋が粟立つ。
血肉を感じるのに熱を持たない作品群を前にして思い出したのは、博物館に展示されていた物言わぬ剥製たちだ。彼らが虚ろな目でこちらを見ていたときの感覚だった。
美しいが不自然。生きていた頃の姿と似せているが全く違う。
知識と技術を伝えるための剥製標本でさえ、残酷に思えることもあるのだ。梶川の作品がもしも縁の言うとおりモデルの許可をとらずに描かれたものだとするなら。
「暴力的だな」
思わず呟いた芦屋に、縁はニタリとした笑みを浮かべた。
「梶川さんの絵を見ると、流血沙汰や殴る蹴るだけが暴力じゃないってよくわかるよね。これだけ精密に人体を描いてるのに、モデルの意思を排除している。だから剥製のように見えるんだろう」
一方的に人を緻密に描き、展示する。悪気なくむき出しの二の腕や、血管の浮いた手の甲や、毛穴まで描き込んだ顔を自分の作品としてさらしている。
それを嫌だと思う人間がいることさえ想像していない。梶川が魅力的だと思ったなら、モデルの意思になど耳を傾ける必要などないと言わんばかりだ。
金持ちが遊び半分で狩った獲物を見せびらかす、ハンティングトロフィーのようだと思った。
「でも、暴力的であることと、作品が優れていることとは全く別の話だ」
考え込んでいた芦屋に縁は言う。梶川の作品は好みではなさそうだった縁だが、評価するようなことを言う。意外に思って芦屋は尋ねた。
「月浪は、梶川の作品が好きなのか」
「嫌いだよ、こんなコミュニケーション不全の絵」
きっぱりと縁は言い切った。
「でも、優れていることはわかるでしょう?」
なるほど、どうやら好き嫌いと優劣は別の話だと言いたいらしい。
芦屋は縁に苦い顔で頷いた。釈然としない部分はあるが、梶川の才能は本物だ。
その点は、認めざるを得ない。
「もったいないよね」
虹彩まで鮮明に描いた瞳の絵を眺めながら縁は呟く。
静謐な横顔だった。




