第16話 蓮根修二の怪談/梶川密
先輩と連絡がつかなくなったのは僕にとってそれなりに衝撃的な出来事でしたが、とはいえ、私立美大なんて家庭の事情なりなんなりで中退する人もザラにいるじゃないですか。
むしろ中退した方が将来大成する、なんて言われますし。
連絡が取れないのは心配でしたけど、井浦先輩もその一人かもしれない、と僕は考えるようにしていたんです。なるべく、楽観的に考えようと。
ただ……やっぱり電話が繋がらなかったりするのは変です。それに梶川さんの話が胸にしこりのような感じで残っていました。先輩がいなくなったのにはもしかして彼女が関係しているのか? なんておぼろげに考えたりもしていました。
梶川さんの個展のDMを見つけたのは、そんな時期でした。
研究室のカウンターには美術館の割引鑑賞券とか、学生が自主的にやる個展の宣伝ハガキが置かれてたりするでしょう。
やっぱり学科によって置かれるジャンルは偏っていて、デザイン科の研究室にはデザイン関係の展示、日本画科には日本画の展示のチラシが置かれるんですよ。
そのDMは一際目を惹きました。
正方形のパネルに描かれた、目と、耳と、唇。ひじとひざ。関節。爪。人体のパーツを緻密に描いて、モデルを想像させる配置に置く。ハガキの中でも独特の展示方法は再現されていました。確かに井浦先輩の言う通り、とても上手な人です。
僕はDMを手にとった途端に、これはどうしても梶川さんの個展に行かなくてはならないと、そういう気持ちになっていました。
梶川さんが開いた個展は、新宿の画廊を丸々借り切った贅沢なものでした。僕が訪ねたのはたまたま授業が休講になった、月曜日の一時ごろです。 なんとなく明るいうちに見ておきたかったので時間帯も早めを目指して足を運びました。 平日ということもあって大盛況、というわけではなかったのですが、お客さんがそれなりの数出入りしていました。人気があるんだな、というのは人出と、画廊の入り口に置かれた花の数でわかります。さんさんと日差しの降り注ぐ中、赤い花ばかりの飾りが五つ、入り口に出ていました。
花飾りを横目に室内へ一歩足を踏み入れると、井浦先輩から教えてもらったとおりの緻密な絵が並びます。
想像の余地を残した展示方法。人体のパーツが持つ生命感を正方形の画面にこれ以上なく凝縮したような絵の数々。
僕は、圧倒されていました。これは人気があるのも、一目置かれる理由も納得できるぞ、と思った。不気味さよりも生命の持つ繊細な魅力の方が勝っている。どれもそんな絵でしたから。
今回の展示のタイトルは「関係性」。絵のそばに置かれたキャプションを読むと、その意味がわかります。「おかあさん」「おとうさん」「おとうと」「ペット」「ともだちA」――作者との関係がそのまま作品タイトルになっていました。
ただ、一枚一枚見て回って行くうちに井浦先輩の言った「コレクション」という言葉が、うっすら理解できて、その意味が心の中でより重たくなっていきました。
彼女の絵を見ていると、居心地どころか気持ちまで悪くなっていくようだった。
家族や友人を作品にする。これはよくあることだと言えばよくあることですけど、なんだか彼女の展示は、蒐集したものを見せびらかすような、家族や友人を見世物にしているような、まるで、作品の一つ一つが蝶の標本や鹿の首の剥製のようにも見えて、こう……うまく言えないんですけど妙に明け透けな感じがするというか……あんまり印象が良くなかったです。
もしかして井浦先輩の話を聞いていたから、先入観があったのかも知れません。 何だかモヤモヤを抱えたまま、いよいよ地下にある最後の部屋に向かって――最初に目に飛び込んできた光景に、僕は、目を疑いました。
「えっ?」
顔のない男が部屋の壁際に立っているように見えました。
……よくよく見ると違うとわかります。それは、絵でした。小さな部屋の壁際からとび出すように、等身大の絵が置かれていた。
どうやら梶川さんは木板で柱と見紛うような白い長方形の箱を作って、その側面に絵を描いたようなのです。遠目から見ると、まるで、本当にそこに井浦先輩が――。
「そこに人が立ってるみたいでしょう」
突然後ろから声をかけられて自分でも大袈裟だと思うくらい肩が跳ね上がりました。 恐る恐る振り返ると、髪を一つにくくってジーンズに黒いTシャツを合わせた、こざっぱりした感じの女の人が立っていました。
僕があんまり驚いた様子だったからか、女の人はクスクス笑っています。
「作者の梶川です。新しい展示方法にチャレンジしたくて。ビックリしました?」
案の定と言いますか、女の人は梶川密さん。井浦先輩の恋人でした。
「はい……一瞬先輩が立ってるみたいで」
僕が息を整えながら答えると、梶川さんは検分するように目を細めます。
「へえ。君にはカゲくんに見えたんだ」
僕は、梶川さんの言葉に、冷や水を浴びせかけられたような心地がしました。
展示されている絵には顔がありません。ただ、僕は梶川さんと井浦先輩の関係性を知っていましたから。
「タイトルを見ればわかりますよ。井浦先輩ですよね?」
「そうだよね。分かる人には分かるよね」
そう。キャプションを読めば誰をモデルにしているのか、想像はつくんです。
梶川さんもそれは承知していたようです。納得していた様子で頷いていました。
それで僕はちょっと安心して、迷いましたけど、結局直球の質問を投げることにしたんです。
「あの……ところで話は変わるんですけど、井浦先輩と連絡が取れません。大学にも全然来てないそうですが、梶川さんは何かご存知ですか?」
「ああ、だってそこにいるから」
梶川さんはなんてこともないように、さらっと言うんです。
僕は、梶川さんが最初何を言っているのかよくわからなくて、それが顔に出ていたんでしょうね。 梶川さんは軽く首を傾げて、付け加えるように言いました。
「ここにいるんだから学校には行けないでしょう」
……ぞっとしましたよ。それこそ体の芯からの、総毛立つような悪寒が走った。 だってこの部屋の作品だけ、井浦先輩を描いた作品だけ、等身大の「箱」を使った展示なんです。〝何か〟がそこに入ってても不思議ではないんですよ。
例えば、井浦先輩の死体とか。
まさか、と僕が青ざめたのを見て、梶川さんは笑いました。
「なんてね」
ちょっとしたいたずらに成功したような、そんな感じの笑顔でした。
……あのですね、結局からかわれたんです。僕は。
さすがにムッとしたので、ささやかに抗議しました。
「趣味の悪い冗談言わないでください。何かと思ったじゃないですか」
「ごめんごめん、あなたがお化け屋敷サークルの人だって知ってたから、こういうの好きかと思ったんだ。確かに不謹慎だったかも」
梶川さんは手を合わせて軽い調子で謝ってきたあと、困ったように眉をハの字にしていました。
「私も連絡がつかなくて困ってるんだよ、モデルになってもらったのにお礼もまだできてないから。もしもカゲくんがサークルに顔を出したなら教えてくれると嬉しいんだけど……」
つまり、梶川さんにも井浦先輩の行方は分からない、ということです。
僕は梶川さんの提案を了承しました。断る理由もなかったですし。
「もちろん、いいですよ。そのうちひょっこり出てきてほしいんですけどね」
「ありがとう。本当にね」
梶川さんは深くため息を吐いて、もの憂うように作品に目をやっています。
僕は、簡単に展示の感想を梶川さんに告げると画廊からまっすぐ家に帰りました。
それで、新宿から自宅のある立川に帰るまで電車に揺られる最中、じわじわと疑念が膨らんでいったんです。
『だってそこにいるから』
『ここにいるんだから学校には行けないでしょう』
梶川さんのタチの悪い冗談が頭から離れなかった。
「……あれは、本当に冗談、だったのか?」
口に出して言うと、ふっと脳裏に浮かんだ仮説が、やたらとしっくり来てしまったんです。
最後の展示室にあった作品のタイトルは「こいびと」でした。
でも、本当は井浦先輩と梶川さんの関係は破局を迎えつつあった。
にも関わらず梶川さんは僕の前でそんなそぶりなどおくびにもだしていませんでした。
それどころか音信不通の恋人を心配しているように振舞っていた。
そのちぐはぐさに、なんだか猛烈に嫌な予感がしたんです。
もしかすると先輩は本当にあの部屋にいたのかもしれない。
あの等身大の箱の中に。
まさしく彼女のコレクションになって。
【芦屋啓介】
「その日から、蓮根は寝つきが悪くなったと」
語り終えた蓮根修二はどこかスッキリとした様子で芦屋啓介の問いかけに頷いた。
しかし表情は明るくなったものの、やはり食堂の白熱灯に照らされる蓮根の顔色はよろしくない。本当に眠れていないのだろう。その上
「それに、やっぱり最後に見たあの井浦さんをモデルにした作品が、どうも気になって……。もう一度梶川さんの展示に行こうかと思っているんです」
などと言い出したので、芦屋は言葉に詰まった。
不調の原因と思われる梶川の展示に、また近づきたいと思うのはどういうわけか、わからなかったからだ。
蓮根自身も理由を説明しづらいようで、芦屋と縁をうかがうように、恐る恐る見る。
「……変、ですよね?」
縁が首を横に振る。
「自然とまでは言わないけど、蓮根くんにとっては心に残って『もう一度見たい』と思う作品だったんでしょう。心への残り方が、良いか悪いかは別として。……梶川さんは技量がある人だしね」
縁は梶川の作品について、よく知っているような口ぶりだ。
「梶川と知り合いなのか?」
「一応日本画学科の先輩だから。話したことはないけれど」
芦屋が尋ねるとさらりとした答えが返ってきた。
「明日、授業が終わったらまた行こうと思ってるんです」
「そっか」
蓮根は縁のドライな返答に安堵したのか笑みを作る。
「月浪さん、芦屋くん、ありがとうございます。なんだか話を聞いてもらって、少し楽になりました」




