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第12話 破滅

みそぎはどうやら奥菜の『面移し』の一件に決着がついたことを改めて報告するために電話を寄越したらしい。

よすがはどうしてか嫌そうな顔で応じる。


「……わかってる。こっちに黒い翁の面が来て燃えたし、私の描いた奥菜玲奈の絵もテクスチャが取れて構図が変わった」


禊は「うんうん」と満足げに頷くと、芦屋へと話題の矛先を向けた。


『芦屋くんのことは縁からかねがね聞いてるよ。縁が勝手に怪談をやったのを、なんでか恩義に思って手伝ってくれてるんだろ? いやあ、今時珍しい義理堅い良い男じゃないか。ねえ?』

「はあ……」


褒められているのだか小馬鹿にされているのだかわからないので、芦屋はぼんやりとしたため息のような返事をした。

縁は苦虫を嚙みつぶしたような顔で禊を問いただす。


「お母さん、余計なことはいいから事の次第を説明してよ。じゃないと完璧に落とせない」

『「落ちがつかない」って? まあいいだろう。芦屋くん。私が面移しの生贄から依頼を受けた話は縁から聞いてるかな?』


なんでか芦屋に向けて話題を振ってくる禊である。

 

戸惑いつつも芦屋は縁と玲奈との会話の中にそれらしいやりとりをしていたのを思い出しながら答えた。


「はい。理花さんは『儀式の妨害』を依頼したと聞いています」

『そうそう。で、私は個人的にこういう、人柱とか生贄だとかの儀式が大嫌いなんだよねえ。だから儀式のキーアイテムで奥菜一族の本尊たる能面。これをね、燃やした』

「は?」


縁が怪訝の単音を発するも、芦屋の脳裏には先ほど起こった怪奇現象が鮮烈に蘇っていた。

空中に浮かぶ黒い翁面とさまざまな能面、人の顔とが明滅するように入れ替わりながら煌々と燃えていたさまと、禊の言葉は符合する。


「……だから奥菜の後ろに現れた面も、燃えていたのか」


本体である面が燃えたから、玲奈にとり憑いていた黒い面もその姿を現して断末魔をあげたのかもしれない。

芦屋が呟いた言葉を拾ったらしく、禊は愉快そうに応じた。


『うん? そっちにいた生贄にも影響出たんだな? それ、当たりだと思うよ』


「ところで、私の描いた絵が……あんまり芳しくない変化をしてるんだけど」


タブレット端末の画面を睨みながら縁がトゲついた声を出したが、禊は鼻で笑うばかりだ。


『そりゃあそうさね。奥菜一族は破産するんだもの。何しろ私が面を燃やしたら、あっちこっちに飛び回って火種になってくれたもんだから屋敷もろとも山一つ丸々焼けたよ。そのうちニュースにもなるかもね』

「それ、お母さんが捕まるんじゃないの?」

『まさか!』


禊は大袈裟に驚いてみせたかと思うと、心底愉快そうに続けた。


『今回は奥菜の家長が屋敷に火をつけたことになっている。あの爺さんの認識も書き換えられているらしい。私に累は及ばないさ。心配ご無用だとも』


縁は険しい顔のまま無言である。禊はひとしきり笑ったあと、仕切り直した。

『というわけで縁ちゃんの描いた絵が変わったのは「奥菜一族がこれまで儀式で得た恩恵のツケを払うことになった影響」が反映されたんだろう。因果応報。自業自得さ』

甘ったるい声で冷酷に言い放った禊に、縁は不服を隠さず反論した。


「玲奈さんも、知らず知らずのうちに生贄にされそうだったのに?」

『そっちの生贄は自分の従姉妹を犠牲にする気満々だったんだろ? 自業自得以外につける評価があるかな?』

「私の絵がここまで変わるほどの仕打ちを与える意義ってあった?」


『それは依頼人の希望なんだよなぁ』


縁は怪訝に眉を顰めた。


「え?」

『奥菜理花たっての希望なのさ。「奥菜の一族は滅んでいい。月浪禊ができうる渾身の暴力で奥菜をめちゃくちゃにしてくれ」とのご要望だ。生贄だったとしても奥菜玲奈も〝奥菜〟だろ? 影響が出て当然だ』


縁は芦屋と目を合わせた。言葉を交わしこそしなかったが同じことを考えているのはお互いにわかった。

玲奈から聞いていた話とは、ずいぶん理花の印象が違う。


「本当に理花さんがそう言ったの?」


問いただす縁に、一拍の間をおいて禊は答える。


『……ああ、生贄から聞いてた話と違う? 奥菜理花は清廉潔白・才色兼備・心根の優しい完全無欠のお嬢さんだったはずだろうにって?』


くつくつと喉を鳴らすように笑う、禊の声が低く沈んだ。


『まったく、大した役者だな。()()は』


その意味深な言葉を縁が問いただすよりも先に、禊は冷ややかな声を作った。


『縁。おまえはどうも私の除霊のやり方が不服らしいが、もう終わった話だ。無意味な物言いをつけるな、鬱陶しい』


通話越しでもわかるプレッシャーに縁は黙り込んだ。


『大体、私はいくらか譲歩もしてやったよな? 奥菜理花から依頼を受けて二ヶ月。猶予は十分に与えたはずだ。その間にそっちの生贄——奥菜玲奈の憑き物を祓い落とせなかったおまえの意に沿う結末を用意してやるほど、私は親バカじゃない。縁、おまえはもう二十歳だろう。いい加減自分の手に負えることと負えないことの分別をつけれるようになれ』


テーブルの上で縁の拳が硬く握られて白くなっている。

反論のない縁に見切りをつけたのか、禊は元の猫なで声に戻った。


『善人も悪人も誰彼構わず描くから変に気に病むことにもなるのさ。人を見る目を養って善人を選んで描けばいい』


縁の目に強い光が宿った。


「誰を描こうが私の勝手だ」

『なら、私が誰をどういうやり方で除霊しようが縁ちゃんにも関係ないよねえ』


甘ったるい声が厳しく響いた。


『勝手に描いて傷ついて八つ当たりとはいいご身分だな。甘えないでくれないか?』


鋭利な言葉に再び縁の唇が真一文字に引き結ばれる。禊はため息をひとつ落とすと、やけに明るく続けた。


『ともかく、これにて奥菜理花の依頼はおしまい。奥菜の面移しの儀式は破滅した。そういう訳で万事解決だ。縁ちゃんは芦屋くんに私の名刺を渡しておくように』


禊は縁によくわからない注文をつけた後、愉快そうに言った。


『ところで、芦屋くん、ちょっと頼みがあるんだよねえ』

「……なんですか?」

『縁を、』


芦屋が禊の言葉を聞くより先に、縁の指が通話を終了していた。


かなり母親にやり込められていた縁になんと声をかけたものか迷った芦屋だが、結局普通に口を開いた。


「月浪」

「なんだい? 芦屋くん」

「月浪の母さん、キャラが濃いな」


芦屋のすこぶる冷静な指摘に縁は眉間を揉んだ。


「やめてくれ。わかっている。その通りだ。しかし身内へのそういう指摘は結構恥ずかしいものなんだよ」

「……まあ、気持ちはわかるが。あと、名刺ってなんだ」


縁はカードケースを取り出して芦屋に手渡した。

赤い紋様の縁取りの中心に『取締役』の肩書きとともに禊の名前が印字されている。『特殊清掃・月浪院」というのが添えてあるので、霊能力者の職種・業種の分類はそれでいいのかと思わず半眼になった。


「それ、護符みたいなもんだからお守りがわりにどうぞ」

「は?」

「赤い紋様を母が一枚ずつ手書きで書いてるから弱い霊なら一発でお陀仏できるんだよ。母から許された人が一枚につき一回だけ使えるとっておきの魔除け。財布にでも入れといて」


そう言うと押し黙ってしまった縁を見て、芦屋は縁から話を聞くべきだろうと思う。

語ることでしか肩の荷がおりないことがあると、芦屋は既に知っているからだ。


「月浪は奥菜を気に入ってたんだな。騙されたようなもんなのに」

「まあね」


縁は頷いた。玲奈のことを思い返しているのか、伏せたまつ毛が頬に繊細な影を落とした。


「玲奈さんの仮面は完璧だった。私は母から奥菜の伝承について聞いたあとも信じられなかったよ。最初に会った彼女は完全に怪異の被害者だったし、あんなに良い子が従姉妹を生贄にしようと考えてるとか、思わないだろ、普通」


縁は玲奈に騙されたことを認めた上で、困ったように笑った。


「……正直なところ、私は玲奈さんの振る舞いが全部演技だと知ってなお、ますます彼女のことを好ましく思えたんだよ。あの仮面は、並々ならぬ努力の果てに生まれたものだと思うから」


縁は玲奈の演技を惜しみなく称賛する。

実のところ、芦屋にもその気持がわからないわけではなかった。

今回縁が怪談を催さなければ、芦屋は玲奈の演技にきっと気づきもしなかっただろう。凄まじい擬態だった。貫き通せば嘘も真実と変わらないのかもしれないと、そう思わせるほどの演技だった。

苦虫を噛み潰したような顔で、縁はさらに続ける。


「しかし奥菜一族に伝わる面移しの儀式は本当にろくでもない。口伝を辿ると生贄も二人必要だと言うのが濁された形ではあるが伝わってるわけで……。しかもそのことを玲奈さんが承知しているとは、とてもじゃないけど思えなかった」


縁の懸念は的中していたのだろう。玲奈は自分が生贄になると悟って、明らかに顔色を変えていた。


「玲奈さんが自分のやったことを反省なり後悔なりしてくれれば、とっかかりができて私だけで除霊ができると思った。けど……説得できなかった。母の準備の方が早かった。奥菜の儀式を力押しで潰す方が先だった」


縁は無念そうに目を瞑って、呟く。


「玲奈さんはかわいそうな人だ」


芦屋は口を挟まず縁を見やる。


「生贄を認める思想を植え付けられた。儀式を円滑に進めるために、人殺しの役目を背負わされていた上、自分が人殺しになることも犠牲になることも知らされていなかった。そう教育された人だ」


それでも縁は玲奈のやったことの全部を免罪する気はなさそうだった。


「玲奈さん()、かわいそうだ」


縁はしばらくの沈黙の後、深く息を吐いて、芦屋に告げる。


「芦屋くんもこれでやっとわかったでしょ。私といるとほんとろくな目に合わないよ」


芦屋は腕を組んで、考えた。今言うべきことはなんなのかを。


「腹が減ったな」


そうして出した言葉に縁は「は!?」とめずらしく素っ頓狂な声を上げた。


「ねえ、いまそれ言う!?」

「猫柳亭に来てから注文しておいてなんも食ってないだろ、月浪も、俺も」


芦屋はマイペースに割り箸を割って、頼んだものの放置されたいくつかの皿に手をつけ始めた。


「冷めた芋と唐揚げは俺が食うから月浪はラーメンとか頼んで食えよ」

「いや、全然話の脈絡についていけないんだけど。なんでラーメン?」


困惑した様子の縁に、芦屋は衣が湿った唐揚げを頬張りながら答える。


「だいたい落ち込んだ時に効く食い物は、脂質と糖質とカロリーが多くてあったかいもんだと相場が決まっている」


縁は何か口を開きかけて、やめた。悲しいのかおかしいのかわからない顔をしている縁に、芦屋はあえて適当なことを言う。


「俺は猫柳亭だと醤油チャーシュー多めが好きだ」

「……じゃあ、それで」


店員に注文を通すと、そう時間も経たずに湯気の立つラーメンが運ばれてきた。縁が手をつけ始めた頃に、芦屋はボソリと声をかける。


「誰を描こうと月浪の勝手なんだろ。だったら堂々と好きなもん描けば?」

「……そうだね」


縁はラーメンを啜って「おいしい」と呟く。

しばらく美味そうにラーメンを啜っていた縁はふと顔をあげて芦屋と目を合わせるといつものニヤリ笑いで

「芦屋くん、スケッチブック持ってる?」

と尋ねた。


【奥菜玲奈】


奥菜玲奈は足早に駅に向かう。

終電ギリギリの新幹線のチケットを予約してなんとか奥菜屋敷まで帰る手段を確保できたのはいいが、一刻の猶予もない。

月浪縁の忠告が脳裏をよぎる。


『奥菜の人間には会うべきじゃない』


玲奈は苛立ちに奥歯を噛んだ。このまま本当に両親や親戚の集う奥菜屋敷に向かうべきなのか。玲奈を生贄にしようと画策していただろう血縁たちと顔を合わせて何を言うべきなのか。わからない。わからないまま、何かにつき動かされるように奥菜屋敷に向かおうとしていた。


声をかけられたのは、そんなときだった。


「玲奈ちゃん」


柔らかな声に足を止めた。


「久しぶりだね」


ゆるくウェーブがかった髪の毛がネオンに照らされて煌びやかに輝く。華やかで女の子らしい水色のワンピースが風にたなびいて、スカートの裾が何度もうつくしい曲線を描いた。

路地裏に、奥菜理花が立っていた。


「どうしたの? 幽霊でも見たような顔をして」


いたずらっぽく小首を傾げて微笑む理花に、返す言葉が見つからない。

玲奈は理花の顔を見た瞬間、どうしようもない罪悪感に襲われていた。なんの罪もない理花を傷つけてもしかたないと思っていた自分が恥ずかしくてたまらない。知らず知らずに殺そうとしていたことを考えると胸をかきむしっていますぐに許しを乞いたい気持ちになった。

冷や汗をかいて黙り込んだ玲奈に理花は目を伏せて言う。


「ねえ玲奈ちゃん、私ね、玲奈ちゃんのことは怒ってないんだ」


あまりにも優しい声に救われたような気持ちになって、玲奈は理花の顔を見る。

理花は玲奈と目を合わせると、にこやかに微笑んだ。


「でも、玲奈ちゃん以外の奥菜の人間のことは許さない。死んでも」

「え……?」

「あ、もしかして玲奈ちゃんったら新幹線のチケット取っちゃったの? もう、みんな話が通じる状態じゃないんだから、意味ないよ」


困ったように眉を下げる所作は可愛らしいのに、鈴を鳴らすような声なのに、理花は不穏な言葉を吐いた。


「どういうこと?」

「禊さんは結局誰も殺してはくれなかったの。せっかく玲奈ちゃんは縁ちゃんを手綱に健先生と禊さんを引っ張ってきてくれたけど、仕上げは私自身がやることになっちゃった。でも、むしろ自分の手でやるから意味があるのかな、こういうのは」


〝仕上げ〟という言葉に、玲奈は怪異に囁かれたことを思い出す。


『仕上げをありがとうねえ』


「仕上げ……って」


理花に聞いても仕方がないことのはずだった。怪異の囁いた言葉の意図や意味を聞いてもいない人間に尋ねても意味はない。

しかし。


「奥菜の家を終わらせる仕上げのことだよ」


理花は一部の隙もない完璧な微笑みで答えた。声と言葉と顔とがちぐはぐだった。優しく笑っているのに怨嗟と憎悪の滲む言葉を使う理花を呆然と見つめて、玲奈は、気づいてしまった。

理花と出会ってからこれまで、理花は一度も瞬きをしていない。

玲奈は思わず、考える余裕もなく、尋ねてしまった。


「……あなた、だれ?」


瞬間、理花の顔からごっそりと表情が抜け落ちる。

能面のような無表情が玲奈を捉えたかと思うと、理花はすぐに笑みを作って軽やかに玲奈に駆け寄り、玲奈を抱きしめた。やさしく甘い香水の香りが玲奈を包みこむ。

理花は玲奈の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう……」


『翁』の舞で口にする祝詞を吹き込まれた玲奈は、思わず理花を突き飛ばした。


「ふふふっ!」


理花はふらついて距離を取るも、愉快そうに上目づかいで玲奈を窺う。


「私は最初から最後まで〝奥菜理花〟に決まってるじゃない」


「変な玲奈ちゃん」とくすぐるように笑う声に、玲奈は立ちすくむ。


天啓があった。

面移しの儀式はもしかして、最初に翁を冒涜し、奥菜を言祝ぐ舞を舞った兄弟の魂を生贄に移してから殺す儀式なのではないか。

理花は、面を彫り終わって顔が動かなくなったあと、縁の母が奥菜を祓う前、すでに〝兄〟にその体を乗っ取られていたのではないか。


それとも、最初から最後までと言うのなら、理花はとっくに、奥菜屋敷でのっぺらぼうの面をかけたその日から、ずっと……。


慈愛に満ちた笑みを浮かべる理花を見つめながら、玲奈は思う。

なにもかもが初めから、手遅れだったのかもしれない、と。


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