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第11話 壊れた仮面

【奥菜玲奈】


「……どういうこと?」


 一族の人間ではない、部外者であるよすがの言うことだったが、玲奈は胸騒ぎを覚えていた。


「少し、考えて欲しいことがある。私が最初に口にした翁の兄弟の話だ。この話には語られなかった続きがあるはずだと私は思うんだが、……気づかないかな?」

「……もったいぶらずにはっきり言ったらどうかな」

「弟の顛末が濁されて、詳細に述べられていないんだよ」


 苛立ち混じりの玲奈の声にも怯まず、縁は淡々と答えた。


「『弟を長に一族は末長く幸せに暮らしました』とか、結びをつけてもいいはずなのに、ここで述べられるのは『奥菜の一族は『面移し』の儀式ある限り繁栄が約束されている』だ。そのうえ、物語終盤の弟の言葉は諦観と一族への憤り、失望がにじんでいる」


「伝承や物語が、必ずしも本当のことを語っているわけではないでしょ。いったい、なにが言いたいの」


 星座になった「くじら」と海に住まうクジラが全く違う生き物のように、伝承は細部がいい加減だったりするものだ。

 玲奈は縁を睨み据えたが、頭の片隅では別の言葉が過っている。


(本当に?)


「犠牲を払うのが一人だとは限らないということだよ」


 玲奈の心臓が、悪い予感に鼓動する。


「君と理花さんは従姉妹だ。この『翁一族の双子の伝承』に則った儀式が『面移し』であるなら、玲奈さんが負った役目は〝誘導役〟ではない」


 縁はまっすぐな視線で、玲奈の目を射抜いた。


「理花さんは『弟』の役目を負っている。面移しの儀式の生贄は、一人ではなく二人なんだ」

「何を根拠にそんなこと……」

「奥菜の面移しの手順が『生贄が面を壊して終わり』では、それこそ翁の兄弟の話と付合しないだろう。私が母から聞いてるルールには、そこから先があるんだよ」


 縁は玲奈の知らない面移しのルールを語る。


 奥菜屋敷で面を被った生贄Aと、対になる年の近い生贄Bが必要になる。

 生贄Bには〝誘導役〟として、生贄Aに作らせた面を自ら壊させるよう仕向けさせる。

 面を壊すと生贄Aは死ぬ。

 次の家長になる任意の一族の人間が生贄Bにもう一つののっぺらぼうの面を被せる。

 面を被せると生贄Bもまた、自ら作り上げた面と被せた面の二つを壊して死ぬ。


 玲奈は絶句していた。玲奈自身が腑に落ちてしまったからだ。

 より正確に翁兄弟の伝承をなぞっているのは、縁の語るルールの方だ。


 翁の舞に登場する白と黒の翁——奥菜の弟が踏み砕いた二つの面。奥菜理花が打った白黒の二つの面。奥菜一族の双子の兄弟の伝承。兄を敬い、妬んだ弟。従姉妹で共に美術を学んだ理花と玲奈。理花を尊敬しながらも羨んでいた玲奈——。


 対比と付合に玲奈の背筋が粟立つ。


 なにより『面移し』では死者が出ないと、そういうものだと思っていた。思い込んでいた。けれど実際は違うらしい。死ぬのだ。奥菜の家を繁栄させるために一族の人間が二人死ぬ。


 だが、そうなると矛盾が生じることがある。


「私は理花さんと違って、面を作ってない。作ってないものを壊すことはできないでしょう?!」


 面移しのルールから、生贄の条件から自分は外れているはずだ、と玲奈が思ったのも束の間、

「……ははっ」

 乾いた笑い声が猫柳亭のテーブルに響く。縁はなぜか、苦笑していた。


「ねえ玲奈さん。理花さんは『私たちは常に「私」という仮面をつけて生きているのではないか』という発想から作品を作ったわけだけど」


 玲奈の思考に空白が生まれる。


 縁は呆然とする玲奈に、場違いなほどやわらかく微笑んだ。


「玲奈さんは理花さんを騙すために、自分の思う完璧な〝奥菜玲奈〟を演じた。美人で、明るくて、気さくで、センスが良くて、どこから見ても欠点がない。そういう〝仮面〟を、たぶん、すごく努力して丁寧に作りあげて……被った」


 玲奈は唇をなんとかこじ開けようとして失敗した。言葉が何も出てこない。


「君は彫刻ではなく演技という芸術によって君自身を作品にした。理花さんだけでなく周囲にいる人間全てを騙し通すほどの〝面〟を作り上げたんだ。その様子を見ると……自分でもそうとは知らないうちに」


 理花を生贄にするために、理花の才能を伸ばすよう、誘導するよう祖父をはじめに家族から言い付けられて、そのために磨いた嘘が、演技が、作品になった。仮面になった。


『金輪際、一族の血を引く人間が芸能の道に足を踏み入れることは許さん』


 縁が語った翁の弟のセリフを思い出して目眩を覚える。

 知らぬ間に踏み入っている。

 誘導されたのは、玲奈自身だった。


「君の仮面さくひんは素敵だったよ」


 感嘆を滲ませた縁の声に玲奈は顔をあげる。


「とても素敵だった」


 玲奈は唇を噛んだ。

 なんの慰めにもならない賛辞を縁が大真面目に言い放ったからだ。


 それが嘘ではないことが、心の底から玲奈を称賛していると伝わるのだからかえって腹立たしい。

 その顔に、もう一言言ってやりたかった。玲奈には腑に落ちない点がまだあった。


「なら、私が会場で見た時の面は、どうして二つとも理花さんの顔を——」


 しかし、口にする最中に玲奈は口をつぐんだ。思い出そうとするたびに、記憶が書き換えられていくような気がした。


 玲奈が最後に見た面の顔は、本当に奥菜理花の顔だけ、だっただろうか。その顔の一つはもしかして、悪意に歪んだ、自分の顔だったのではないか。


(耳元で囁いたのは、私の——)


「仕上げをありがとうねぇ」


 縁と芦屋の強張った顔を見て、耳にしたのが幻聴の類ではないことに気づく。

 後ろから、玲奈の耳元で声がした。美術館で聞いたのと同じ声だ。


 それは間違いなく〝奥菜玲奈じぶんの声〟だった。


 考えれば考えるほどに死神に心臓を掴まれたような心地がした。

 いま、〝死〟が玲奈の半歩後ろに立っている。


 玲奈は震える唇で、縁に尋ねた。


「ねえ縁さん、いま、今、わ、私の、後ろに……」

「うん。黒い翁の面がいる」


 縁は空中のある一点を見つめていた。視線を全く動かさずに口を開く。


「玲奈さん。お面のお化けの正体は神ではない。能面の化身でもない。『奥菜』だ」


 芦屋もまた玲奈の背後にいる何かに目を奪われていた。驚嘆に絶句している。


「奥菜一族が長年『才ある者を捧げれば強運を得る』という歪んだ信仰を捧げた結果、タチの悪い怪異を生んだ。理花さんと玲奈さんを呪うのは《《奥菜家そのもの》》だ」


 縁は申し訳なさそうに眉根を顰めた。


「君にとって、これが良いことなのか悪いことなのか、私にはわからない。君の作品のファンとしては、できれば君の意志で、君が納得のいく形で、なんとか折り合いをつけたかったんだけど。……ごめんね」


 苦しげな謝罪に目を瞬いた玲奈のことを、縁は気にしてはいなかった。玲奈の背後に顕現した黒い翁の面に声を上げる。


「くじら座になった海獣ケートスはギリシャの英雄ペルセウスに退治される——生贄を捧げることで回っていた偽りの秩序と平和は、いずれ外から来た圧倒的な力を持った第三者に破壊される」


 それは口上だった。


「面移しの儀式は、私の母——月浪禊つきなみみそぎが砕いて滅ぶ」


 その言葉が合図だったかのように、玲奈の背後に浮かぶ黒い翁の面が火を噴いた。


【芦屋啓介】


 奥菜玲奈も振り返って、有り得ざる光景に目を見張る。


 音も声も熱もない。だが、光はあった。揺らめく光が煌々と赤く踊っている。今や光源となった黒い翁の面が、幻の炎のもたらす熱と痛みに無音のまま絶叫している。


 翁の面は火を纏って、明滅するように姿が変わっていった。

 男の能面、女の能面、それから誰ともわからない生きた男や女の顔に次々と変わる。

 万華鏡のように絶え間なく変わり続け、どうにかして炎から逃げようとしている。

 そんなふうに見えた。


 変化しても変化しても炎から逃れられなかった面は、最後に若い男の顔に変化した。

 状況と裏腹に落ち着いた表情の、優雅で涼しげな顔をした男だった。


 男は玲奈と縁と芦屋を見比べるように目玉を動かすと、かぱりと大きく口を開けて、小刻みに震えだした。


 ——高らかに全てを嘲笑っているように見える。


 空中に浮かぶその顔の、壮絶な形相から目が離せなかった。

 こんなにも悪意に満ち満ちた人の顔をこれまで見たことがなかった。


 炎は笑う男の顔を焦がしながら小さくなり、やがて何もかも飲み込んで消え失せた。


「なん、だったんだよ、今の」


 何が起きたのか理解が追いつかず、ただ思ったことを口にしていた。

 玲奈も芦屋と似たり寄ったりに呆然としていて、ただ一人、縁だけが不機嫌そうに頬杖をついて黙り込んでいる。


 なにか、おぞましいものを見せられた気がした。とにかく気分が悪かった。この気持ちの悪さを払拭すべく、水を口にしようとグラスに手を伸ばし、もう一つの変化に気づく。


 開きっぱなしのタブレット端末を凝視する芦屋に、

「……構図まで変わったね」

 と、苛立ちを隠さず縁は言った。玲奈をモデルにした絵が、全くの別物になっていた。


 作品の中で笑みを浮かべていたはずの玲奈は今、横を向いて無表情で立ち尽くしている。

 抱えていたはずの花束の花弁や茎や葉が散りばめられ、人の形をして玲奈と向き合っているように見えた。鮮やかな色彩は変わらないはずなのに、生命感のない、無気力な絵になっていた。表情の豊かな玲奈〝らしくない〟絵だ。


 もしかして、この絵こそ、玲奈の本来の性格を暗示しているのではないだろうか。従姉妹を騙す必要もなく、理想を演じる必要もないなら、玲奈はまるで人形のような人間だったのでは……、と考えたところで縁が小さく呟いた言葉が耳に入った。


「露悪的だな。最低だ」


 自分の描いたはずの、変わり果てた絵に対する他人事のような感想が、けたたましく鳴り響く呼び出し音にかき消されていく。呆然としていた玲奈がハッと我にかえり、振動するスマートフォンを取り出したのを見て、縁は「出なよ」と、静かに勧めた。


「たぶんいい知らせではないだろうけど、出たほうがいい」


 スマートフォンから男の喚く声が流れ出した。芦屋や縁にまで話が筒抜けだったが、玲奈には音量を調整する気力もなさそうだ。


『玲奈、今どこにいる! すぐに帰ってこい! 奥菜屋敷が火事で——』


 男の——おそらく玲奈の父親の言葉はほとんど要領を得ない早口な、悪態混じりのものだった。芦屋はなんとか聞き取れた情報を整理する。


 奥菜屋敷が現在進行形でほぼ全焼を免れない状態になっていること。面移しに使う〝本体〟もどうなっているかわからないこと。現状を確認するためすぐに屋敷へ向かい一族で会議を行うから玲奈も同席しろという命令。の三点が主な内容だった。


 玲奈は通話を切ると青い顔でカバンを掴んで立ち上がる。


「玲奈さん」


 縁が呼びかけに足を止める、玲奈の顔は見えなかった。


「赤いテクスチャが取れたから、厄払いの絵画の効果はもう残ってない。今日一日、明日まで奥菜の人間とは会うべきじゃない。今日は帰らない方が、」


 玲奈は縁の言葉の途中で振り返りもせず、早足で歩き出した。


 その背を見送りながら、芦屋は眉を顰める。


『死ぬわけじゃない』なら、『命さえ助かった』ならどんな目にあったって再起の芽がある。良かったじゃないか——などとは、少なくとも芦屋には思えない。理花に似たようなことを言っていた玲奈は今、同じことを口にできるだろうか。


「……疲れた」


 縁がテーブルに肘をつき、指を組んで額を預けた。口にした通り、かなり疲弊しているように見える。


 色々と聞きたいことはあった。あの燃える面はなんだったのか。奥菜屋敷の火事とは関係があるのか。玲奈はこれからどうなるのか。理花はいまどこにいるのか。どれから聞いていいのかわからないでいる芦屋を差し置いて、縁は席を立ち、芦屋とテーブルを挟んで向かい合うように玲奈のいた席に座る。


 面と向かい合うと、縁は芦屋に深く頭を下げた。


「芦屋くん、今日は付き合ってくれてありがとう」


 改まった態度の縁に芦屋は瞬くと、肩をすくめた。


「別にいいけど、俺がこの場にいる意味あったのか?」


 役に立った実感は今のところ皆無の芦屋に、縁はわざとらしいまでに堂々と頷く。


「母が除霊をやるなら、面移しを失敗させた余波が玲奈さんのところにまで来る可能性があった。だから玲奈さんに仮面を外してもらいたかったんだ。そうすれば面移しのルールが少し破れるから」


 つまり、今回縁が催した怪談は奥菜玲奈のための舞台だったのだ。


 面移しのために、そうと知らぬ間に役者と成り果てた玲奈の仮面を外すための。

 玲奈が無事に生贄の儀式から逃れるための舞台を、月浪縁は用意した。


「演技という芸術はそれを鑑賞する〝観客〟の存在が不可欠だ。今回の私は脚本・演出担当だったから、芦屋くんがいてくれて助かったよ」


 芦屋はおぼろげに納得していた。縁の話を聞いているとなんとなくの理屈は見えてくる。

 怪談を催す側、つまり舞台を整える役目を負った縁は〝観客〟になることができなかった。だから玲奈が〝無意識の仮面〟を外すのを目撃する〝観客〟の役を芦屋に振ったらしい。


「不本意極まりない」


 縁は不服そうに頬杖をついた。


「舞台の上にいる役者を動揺させて演技を取り上げ、素の反応こそを見たがるなんて演出家としては三流だ。もっとうまくやりたかった。こういうのにまったく向いてないんだな。私は」


「そういう問題なのかよ。芸術・作品至上主義にも程があるぞ」

「そういう性分なんだよ」


 呆れる芦屋に縁はけろりと返した。


「人命がかかってるから諦めたけど、本来役者が演技を止めるのは舞台を降りたときであるべきだ」


 よほど玲奈の演技が気に入っていたのか惜しむようなそぶりを見せる縁に、芦屋は腕を組んで首肯する。


「なるほど。俺を同席させた意図はだいたいわかった。できれば最初に説明が欲しかったがな」


「おかげでわけもわからず慌てふためく羽目になったんだが」といつも以上に仏頂面の芦屋に、縁は片眉を上げてみせる。


「芦屋くんってネタバレしても物語を楽しめるタイプ?」


 軽口を叩いておきながら、縁はすぐに首を横に振って嘆息した。


「……いや、冗談はさておき強引だったことは認めるよ。すまない。でも、おかげで、玲奈さんが『面移し』で死ぬことはなくなった。あの様子なら母の除霊の影響もたぶん、最小限で済んだだろう」


 縁はそこまで言うと、再び芦屋に頭を下げた。


「重ね重ねごめん。芦屋くん」

「何に対する謝罪だよ」

「これから私は非常に気詰まりな目に遭うんだけど、たぶん巻き込むから先に謝っておこうと思って」


 なんだそれ、と芦屋が口にするより先に、テーブルに置かれたスマートフォンが鳴った。

 芦屋が目で出るように促すと、縁は心底憂鬱そうに通話を始め、しばらくするとスマートフォンを卓上に置いた。スピーカーモードに切り替えたようだ。


 粘りつくような猫なで声が、スピーカーから流れ始める。


『やぁ、こんばんは。芦屋啓介くんにおかれましては〝はじめまして〟私は月浪禊。縁と健の母親です』


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