第10話 面移し
【奥菜玲奈】
芦屋啓介が事情を飲み込めない様子で月浪縁に目を向けたのを、奥菜玲奈は自分でも驚くほど静かな気持ちで眺めていた。
「……生贄って、どういうことだよ」
絞り出したような問いかけ。突拍子もないことが目の前で起こっている人間特有の、驚嘆と少しの苛立ちの混じった顔。本当は玲奈もこういう顔をしなければいけないのに、どうしてか顔を作る気にはなれなかった。もしかすると、玲奈以上に冷静な人間がすぐそばにいたからかもしれない。縁はいつも通りの涼しい顔をして奥菜に伝わる儀式の全貌を口にする。
奥菜一族に生まれた人間の中で、とりわけ芸能に才ある人間を一人生贄に捧げることで、面は力を増して商才と審美眼を一族全員に分け与える。
生贄となる者はのっぺらぼうの面が選ぶ。
七歳までの一族の子どもを奥菜屋敷に放ち、一日の間に屋敷最奥にある祀りの間に辿り着いて面を被った者が生贄となる。
生贄は必ず芸能に才能を示す。才能を磨くよう誘導し、才覚を伸ばせば伸ばすほど恩恵が得られる。
生贄は自ら面を作り、自身の顔を面に捧げてから伝承と同じように壊すことで「面移し」が完成する。
縁は平然と、恐ろしく異常な話を、確信を持って玲奈に問いかける。
「理花さんは今代の生贄に選ばれたんだね?」
玲奈は縁の顔を見る。惑いのない美しい顔だった。きっと縁には嘘や誤魔化しは通じないのだろうと思う。
だから玲奈は目を瞑って——切り替えた。
「その話、誰から聞いたの?」
縁が語った双子の舞い手の伝承も、面移しの詳細も、玲奈がかつて祖父から聞いたことから寸分の狂いもなかった。
表情の素直な芦屋が「生贄のことは否定しないのか」と言わんばかりに眉を顰めたが、縁は淡々と玲奈の質問に答えた。
「私の母が理花さんからの依頼で奥菜家について調べた、その結果を聞いたんだよ」
予想してなかった答えに、玲奈は息を呑む。
一族の人間が血眼で探しているはずなのに、未だ行方が掴めていない理花の居場所を知る手がかりが飛び込んできたのはいい。だが、それよりも理花が奥菜の家の調査を依頼したという情報の方が驚嘆に値する。
玲奈の考えていることなど見通しているかのように、縁は冷ややかな目で玲奈のことを見据えるばかりだ。
「理花さんは私の母に、奥菜に伝わる『面移しの儀式』の調査と妨害を依頼したんだ」
芦屋が「ちょっと待て」と、縁の言葉を遮った。
「俺が奥菜から聞いた話だと、失踪する直前、理花さんはかなり取り乱してたような印象だったんだが、……その時から、自分が生贄になるかもしれないって、わかってたってことか?」
それは玲奈も気になるところである。
なにしろ理花には『面移し』について悟られないよう、細心の注意を払ってきたのだ。
玲奈自身に落ち度があったとは到底思えない。にも関わらず、儀式の存在が理花に露見しているのはなぜか。
「理花さんの顔が動かなくなった件、ご両親は諦めるように言っていたみたいだけど、理花さん当人は納得できなかったんだ。だから彼女は自分で対処しようと病院に行った。ストレスが原因で顔の筋肉が動かなくなる病気というのは、実際、別にあるからね」
違う、と玲奈の頭の中で反論が組みあがる。
理花に起こった、顔が動かなくなるなどの不調は面が引き起こしている。いわば霊障だ。病院に行ってなんとかなるような代物ではない。
「総合病院にかかったのが功を奏したと言っていいのかな。あの病院には私の兄がいるんだ」
縁の返答に、なぜか芦屋には納得するところがあったらしい。
「月浪の兄貴なら、怪異に取り憑かれているかいないかは、すぐにわかるだろうな」
腹落ちした様子で頷く芦屋を横目に、玲奈は縁の語りの中に答えを見つけて問いかけた。
「……縁さん、母方の血筋は全員霊能力者だって言ってたね。お兄さんもそうなの?」
縁は静かに同意する。
「そんなところだよ。兄は理花さんの不調の原因は病気ではなく、怪異の仕業だとすぐにわかったようだ」
「それにしても、すごい偶然だな……」
口にする最中に芦屋も気づいたらしく、驚嘆の眼差しで縁を見遣った。が、縁は何も応えてやらなかった。
「そう、偶然だとも。私の身の回りで頻繁に巻き起こる、偶然だ」
皮肉めいた声色で同調するばかりだった。
奥菜理花が縁の兄の勤める病院に向かったこと。
これも縁の話が正しければ、ありとあらゆる怪奇現象を引き寄せる縁の霊媒体質が呼んだ〝偶然〟に違いない。
「玲奈さんは、優秀展の設営の際に体験した怪奇現象を怪談にして、私と芦屋くんに話してくれたね。芦屋くんは怪談が『終わっていない』という印象を受けたらしいよ」
縁は淡々と指摘する。
「当然だよね。終わらせる気がないんだから」
玲奈は、自分の唇に普段とは異なる種類の笑みが浮かぶのを自覚していた。
玲奈がどうして怪異を終わらせなかったのかを縁がわかっているなら、縁が今日、玲奈を猫柳亭に呼び出した理由も一つしかない。
「玲奈さんはそもそも〝お面のお化け〟を除霊したくなかったんだ。理花さんが行方不明だから『面移し』の儀式はまだ途中。儀式の完遂は玲奈さんにとって至上命題で、トラブルがあっても中止にするという考えにはならなかった。だから全てを語らなかった。違うかな?」
縁の指摘は玲奈の思惑をぴたりと当てていた。
玲奈の口から乾いた笑いがこぼれ落ちた。
「ふふふ。私があの日、怖い思いをしたというのは、信じてくれるんだね」
「そこを騙る意味がないからね」
「意味ならあるよ。私を助けてくれた縁さんにだけは、見損なわれたくなかったんだよ」
玲奈が常のように明るく言うと、縁の声が、揺らいだ。
「だったら!」
それまで努めて冷静さを保っていたのが嘘のように感情的だった。
「だったら、今からでもいいから、全部を語り直してよ……」
まるで痛みを堪えるようにその言葉だけがか細く聞こえた。
露わになった縁の顔に、玲奈の予想が確信に変わる。
この後に及んで、縁は玲奈を助けようとしているのだ。奥菜に伝わる面移しの儀式——そのしがらみから玲奈の手を引いて逃げようと手を差し伸べているのだ。
生贄の儀式なんて野蛮なしきたりを続けて良いわけがないと思って。親切のつもりで。一度差し伸べた手を躱されたにも関わらず。頼まれもしないのに。
玲奈はニコリと微笑んだ。
「それは無理かな。私は儀式を止めたいなんて思ってないから」
縁は苦しげに硬く目をつむった。けれど、再び目を開いた時にはいつもの冷静沈着な月浪縁に戻っている。
「……そう言うと思った」
諦めたように言う縁に、玲奈はパン、と手のひらを合わせた。
「ああ! じゃあ縁さんがことあるごとに生贄の話とかオカルトについて話題にしてたのって、私がいつでも打ち明けられるように伏線張っててくれたの? それとも遠回しな説得だったのかな?」
思い返せば縁はいつも玲奈に助け舟を出し続けていた。
「『世界各国どこにでも生贄と人身御供の話があって、結末はだいたいどれも一緒。紆余曲折あって人間を生贄にする儀式は取りやめになりました。めでたしめでたし、になるんだから儀式を中断しようよ』的な? 『面移し』も止めさせたいと思ってくれたんだ? 私のため? それとも理花さんのため? どっちにしても縁さんは優しいなあ」
テーブルに腕をつき、指を組んで、玲奈は縁を窺った。華奢な人形のような顔が澄ましてこちらを見ている。その容貌に、玲奈はうっとりと目を細めた。
「優しくてとってもいい子。大好き」
優しく、美しく、潔癖で、お節介な月浪縁。もう少し醜く、汚く、愚かだったならもっと好きになれた。きれいな一面しか見せてくれないものを玲奈は心から好きになることができない。
縁は玲奈の言葉の含みを苦いものだと察して、顔を顰めた。
「煽られてるようにしか聞こえないんだけど」
「もちろん、煽ってるよ?」
しゃあしゃあと言い放った玲奈に、芦屋が眉根を寄せて何か言いたげに口を開いたが、結局かける言葉が見つからなかったのか再び口をつぐんだ。
玲奈は大袈裟に嘆息する。
「だって悔しいもん。理花さんを騙すためにずっとずっと頑張ってきたのに、縁さんの呼び寄せた単なる〝偶然〟に負けるだなんて」
「残念だけど運も実力のうちだ」
受験の時も予備校で同じようなことを聞いたな、と玲奈は思った。
その時は手垢のついた言葉をもっともらしく口にして良いこと言った気になっている講師にしらけた気持ちになったものだ。
受験当日高熱になろうが大雪に降られようが家族に受験票を破られようが、受かる人間は受かるんだから運なんてあやふやな要素に左右されてたまるかと、内心反発していた。
けれど、今ならわかる。結局そのあやふやな要素一つ味方につけられない人間は成功しないし、失敗する。
「まあそうだよね。持ってる人は全部を持ってる。持ってない人がいくら頑張っても届かないものがあるんでしょ。世の中そんなもんだよね。あーあ」
悔しいが変えようのないルールだ。
努力でどうにもならない運なんてものがあるから、奥菜玲奈は奥菜理花に一生敵わない。
そもそも理花が完全無欠の才人であることさえ、面移しの儀式によって半ば定められたことだ。
ルールは絶対だった。
だからデメリットとメリットをよく把握して帳尻を合わせるよう振る舞うことが玲奈にとっては何より優先されるべきことだった、はずなのに。
「困ったなぁ。縁さんの霊媒体質のせいで、私の一世一代の大仕事が水の泡になっちゃったわけね?」
別のルールが追加されたのを玲奈は把握できなかったのだ。何事もなく儀式を遂行させるためには月浪縁に関わってはいけなかった。
玲奈は落ちてきた横髪を耳にかけて苦笑する。
「どうしようかな。面移しは必ず成功させなきゃいけないから、本当に困るんだけど」
これから、玲奈がとれる手段というのはひどく荒っぽい方法になるだろう。理花の居場所を縁から穏便に聞き出すことができれば望ましいが、きっとそうはならない。となれば、暴力的な手段を用いることになる。
しかたがない。
何度も自分に言い聞かせてきた言葉が強く脳裏に浮かんだ時に、芦屋の声が思考を裂いた。
「奥菜おまえ、自分の従姉妹を殺そうとしてるんだよな? なんで、人殺しを正当化できるんだ? 富が見返りになるって言うけど、ひと一人の命と引き換えになるようなものじゃないだろ」
一瞬、何を言われているのかわからなかったが、ややあって玲奈は吹き出した。
芦屋は誤解している。
「あはは! 確かに生贄って言葉を使うとそういう反応になってもしょうがないか。あのね芦屋くん、面移しって言うのは面を打って、面を壊す儀式なの。生贄の払う代償は命じゃないよ」
玲奈は縁に目をやった。
「縁さんが言ってたでしょう。『生贄は自ら面を作り、自身の顔を面に捧げてから伝承と同じように壊すことで「面移し」が完成する』って」
奥菜の面移しには生贄が要る。けれど生贄が捧げるのは「顔」であって「命」ではない。
「生贄は顔を盗られるだけで死ぬわけじゃないんだよ」
芦屋はまだ納得しかねるようで、険しい顔のまま呟く。
「死ぬわけじゃないなら、いいってもんでもないだろ」
「しょうがないじゃない。奥菜の一族が食うに困らず裕福なのも、私がバカ高い学費の私立美大に通えるのも全部奥菜の面のおかげなんだもん」
玲奈は滔々と語る。
「能面に一族の誰かが顔を捧げないと本家も分家も資金繰りが必ずだめになるし、ツキがなくなる。そういう家系なの。でも、家は代わりに生贄を捧げれば必ずお金持ちになれるんだ。好きなことを仕事にして食べていけるし、ある程度の成功は約束される。本家に近ければ近いほど影響を受けるから、分家の人にあんまり影響は出ないんだけど、それでも食うに困らないようになるの」
そこまで言うと、玲奈は目を伏せて、囁く。
「理花さんだって、別に表舞台に立てなくなるだけなんだもの。理花さんほどの技量があればどうやっても生きていけるよ。一族の中で一番大事な人を、一番優れた人を捧げなければ、生贄の効き目が弱くなるんだから、しかたないよ」
一族からたった一人の犠牲を払って、数十人の人生が必ずうまくいくのなら、それは仕方がないことだと、玲奈は思っている。
そう、教え込まれた。
「それにしても、……おかしいな。なんで私の顔に赤いテクスチャが浮かぶんだろうね。理花さんの顔に浮かぶならまだしも、私は誘導役なのに」
縁が一瞬、哀れむような目をしたかと思ったが、すぐに無表情に変わる。
「月浪?」
芦屋も不審げに眉を顰めたが、縁は気に留めた様子もなく、玲奈を強く見つめた。
「玲奈さんは本当に、儀式の結果、理花さんが死ぬとは思ってなかったんだね?」
念を押すように問われて、玲奈は瞬いた。質問の意図がわからなかったからだ。
「それ、どういう意味?」
「文字通りの意味だよ。玲奈さんは、理花さんを殺そうとは思ってなかったんだね?」
「だから、なんで死ぬとか殺すとかそういう話になるのかな? 生贄は顔が動かなくなるだけなんだよ」
「奥菜の——『面移し』の儀式はそんな生易しいものじゃない」
縁の声が重く響いた。




