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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

アダムとイヴにはなれないけれど

作者: ロクロウ
掲載日:2022/03/20

 リビングの窓越しに見える外の景色は、一面の雪模様だった。


 文句の付けようのないほどの降雪量である。鉛筆で薄く下書きを終えたキャンバスのように、大地も山も空も輪郭を曖昧にボカしたまま、視界は白一色で染まっていた。


 タカヤにとっては、生まれてこの方毎年のように見てきた銀世界である。一方、数年前に引っ越してきたマコトにとって、その景色は人間の営みとは切り離された別世界のように感じられた。


 北国生まれのタカヤと、東京育ちのマコト。背が低くて荒っぽい17才男子と、背が高くて大人しい16才男子。高校のクラスメイトになって以来、何かと一緒に行動することの多かった彼らだが、二人の間に性別以外の共通項を見出すことはとても難しかった。


 ただ、今日この日ばかりは違った。

 窓外の景色を目の当たりにした時、二人の心情はピタリと一致したのだ。


「これはいよいよ終わったな」という諦めと、肩の荷が軽くなったような浮遊感と、ちょっぴり悔しさの混じった溜め息である。


「一応、聞くけど」と、厚手のカーテンを引きながらマコトが尋ねる。


「……一応、聞いてやるけど」と、気怠げにソファーに寝転がるタカヤが応じた。


「これ、外まで燃料探しに行くのはムリだよね?」


「ムリではねぇかな。一足お先にあの世へ逝きたいならオススメだ」


「だよねぇ……」


 雪国での暮らしが短いマコトでも、この猛烈な吹雪に徒歩で挑めばどうなるのかはよく理解できた。

 仮に「ホワイトアウト」という言葉や概念のない世界だったとしても、彼は外に出るのを諦めていただろう。玄関を開けてブラリと歩き始めたところで、視界をたちまち白一色で塗り潰されて動けなくなる、帰れなくなる。

 彼が大して想像力を働かせる必要もなく、それは明らかであった。


「トンネルの向こうを覗くまでもなく、ここは雪国だと思い知ったよ。ははっ」


「何だっけそれ。夏目ソーセキ?」


「違う。前に授業でやったじゃん。川――」


「あー、いや! やっぱいいわ。今さら賢くなったところで、ってね」


 タカヤは天を仰いだまま、ヒラヒラと手を振ってマコトの言葉を遮った。親友の間違いを訂正しきれなかったマコトは、少しだけ消化不良な気持ちを抱く。


 誰に聞かせるでもなく、マコトは「川端康成だよ」と小さく呟いた。かつては大勢の人々の記憶の中にあったであろうその偉大な名前も、この場所ではただの文字列として空気の中に溶けてしまう。


 きっともう、自分以外にその名を口にする者はいない。漱石、芥川、太宰。もっと身近なところでは両親や祖父母。お世話になった先生や、一緒に遊んだ友人たち……。そしてもうすぐその中に、タカヤとマコトの名前も加わる。

 マコトはそのことを、とても心苦しく感じていた。


「ホント……あっけなく滅んだよなぁ、人類。まだどっかに生き残りがいるんかね」


「どうかな。難しいと思うけど」


 核戦争による文明の破壊と、急激な気候変動。トドメは蔓延した新型のウイルス。

 ただ不幸な偶然が重なったのか、何かの意志が働いたか。様々な要因が複雑に絡み合って、人類社会は簡単に崩壊した。そして、人間たちはあっけなく地球上から消えていった。

 タカヤとマコトの二人にとって、もはや生きている隣人はお互いしかいない。多くの出会いと別れを繰り返して、彼らは自分たちが最後の人類になったのだと確信していた。


「しっかし、どうして最後の人類に男二人を選ぶかね、神様って奴は。アダムとアダムとか、人類絶対殺すマンかよ」


「仮にこの場に女の子がいたとしても、八方塞がりなのには変わりないけどね。結局、燃料と食料がなければ生活は成り立たない」


「そうかもしんねーけど……。やっぱ美少女と一緒がいいじゃん。ロマンじゃん」


「そう? 僕は気心の知れた友人と一緒で、それなりに満足してるけど」


「オイオイオイ、嬉しいこと言ってくれるじゃねーか。あーあ、マコトが女だったらなー」


 身長は180センチ近くあるマコトだが、身体の線は細く頼りなげであった。整った顔立ちに、穏やかで社交的な性格。

 彼が女に生まれたならさぞかし美少女になっていただろうと、タカヤは前々から密かに思っていた。とはいえ彼が異性だったなら、こんな風にバカみたいな会話もできなかっただろうな、とも。


「もしマコトが女だったら、オレ猿のように抱きまくってるんだけどなー。残念だなー」


「ぷっ。なんだよそれ……。なら人生最後の思い出作りに、ここらで童貞捨ててみる?」


「気が向いたらな!」とタカヤが答えると、二人は顔を見合わせてひとしきり笑った。


 タカヤはテーブルの上に置きっぱなしになっていたラジオを持ち上げて、もう一度そのアンテナを立ててみた。手慰みにダイヤルをころころと回してみるが、昨日までと何も変わらず、砂嵐の中に人声が混じることはない。

 悪あがきというよりも、それは形ばかりの儀式に近かった。


「オレら結構粘ったんだけどなぁ。あそこの分かれ道で街の方に進んでたら、もうちょい先まで行けたのか……?」


「どのみち時間の問題だったと思う。前も言ったけど、都市部の方がヒドい有様だろうし。瓦礫の山か、最悪なら汚染まみれの更地かな。食料なんて望み薄だろうし、むしろもっと早く詰んでたんじゃないかな」


「かーっ、セチガライ世の中だぜ」


「せめて綺麗な家の中で死――終われるだけ、ありがたいと思わなきゃ」


 現在彼らがねぐらにしている「朝倉家」の一軒家を除くと、周りに建物は一つもない。家屋をぐるりと囲む開けた土地には畑が広がっていたようだが、すべては降り積もる雪の下に隠れており、タカヤもマコトもその本来の姿を知らない。


 そもそも、彼らの名字は「朝倉」ではない。この家の持ち主とも面識はなく、縁もゆかりもない。その証拠に屋内へと続くガレージの内扉には、破壊と侵入の形跡がそのまま残されていた。


 二人がこの家に滞在してから、はや2週間が経つ。

 初めは一夜の宿として選んだ場所であって、彼ら自身それほど長く滞在するつもりはなかった。ここが自分たちの終の住処になるとは、予想だにしていなかったのである。


 彼らがこの朝倉邸に泊まった翌日から、外では示し合わせたように雪が降り始めた。暦の上ではまだ初夏に当たるにも関わらず、この季節外れの大雪は全く勢いを失わなかった。

 突如として冬景色に放り込まれた彼らが生きるには、食料と燃料が圧倒的に足りない。付近に人家はなく、かといってこの地を脱するための移動手段もない。徒歩で踏破するには吹雪が厳しく、土地勘も全くないのでどこへ活路を見出せばいいのかも分からない。


 つまり、それらを新たに確保する術がない。

 冬模様の北国は彼らに微笑むことはなく、現状は緩やかな死を意味していた。


 こうして、雪の密室に閉じ込められる形で、彼らの終末世界の大冒険は終わりを告げたのである。

 もちろん数日前から分かっていたことで、事ここに至ってしまえば、二人の間に湿っぽい空気が流れることはなかった。


「よし」と、タカヤが勢いよくソファから立ち上がる。


「どうせ今日で終わりなんだし、やりたいことやろうぜ!」


 うほほーい、と猿のような雄叫びを上げながら、タカヤは先ほどまで自分が座っていたソファにダイブした。クロールでも泳ぐかのように、うつ伏せになってバタバタともがき始める。その次は平泳ぎ、次はまな板の鯉、それから何故かメジャーリーガーのバッティングフォーム。


「見ろよこのマイケルのフォーム! 大事なのはここだぜ、ケツの引き具合。どーよ、オレの完コピ具合」


「盛り上がってるとこ悪いけど、僕は元ネタの選手を知らない」


「マジかよー。じゃあ、アレだ。良いこと思い付いた! 雪の上でこのフォームを作って、そのまま氷付けになんのよ。冷凍保存しておけば、いずれオレのマイケル具合を評価してくれる奴が現れるはず! 宇宙人とか!」


「僕すら知らないマイケルのフォームが、全宇宙規模で流行ってると思う? もし仮に宇宙人が氷漬けのタカヤを発見したなら、たぶん珍妙なポーズの変態男として記録に残るんだろうね」


「やべー。だったら、オレのオリジナルフォームを保存しようかな……」


 マコトは心底呆れながらも、タカヤが次々に繰り出す奇行を見守ることにした。手の中には朝倉家所蔵のベストセラー小説が収まっていたが、はしゃぐタカヤを目に焼き付ける方がよっぽど面白く思えた。


 タカヤがいなければもっと悲惨な最期を迎えていたのだろうな、とマコトは思う。二人だから耐えられるし、馬鹿騒ぎもできる。この場に自分しかいなかったのなら、おそらくは不安と恐怖に押し潰されておかしくなっていた。


「マコト。お前はなんか、最後にやっておきたいことってないの?」


「やっておきたいこと、か。そうだな……」


「なんかあんだろ? 心残りっつーか。できる範囲で付き合うぜ」


 二カッと一見爽やかな笑顔を浮かべて、タカヤが胸を叩く。その表情の陰にわずかばかりのぎこちなさを感じ取りながら、マコトは精一杯に強がる彼のことを頼もしく思った。


 いつでも明るく男らしく振る舞おうとするタカヤのことを、彼は心から慕っていた。最後の瞬間を彼の隣で過ごせることを、とても幸福に感じている自分に気が付いた。

 仮に世界が平穏なままであったなら、マコトは永遠にその気持ちから目を逸らし続けていただろう。

 だが、人生の終点が目前まで迫っているという事実が、彼の胸中に万倍の勇気を湧き上がらせた。


 アダムとアダム。タカヤが何気なく口にした言葉を頭の中で反芻して、マコトは小さく頷く。


「うん……ある。あった。ちょっと準備してくるから、そこで待ってて」


「お? おう。いってら。オレを置いて外には出るなよ? 一足お先とか、許さねーからな」


「出ないよ。上の階に用があるんだ」


 座布団代わりにしていた衣類の山から立ち上がって、マコトはリビングから出て行く。彼が階段を上る足音を耳にしながら、タカヤは一人首を捻った。



 ◇


 ついに暖房器具が動かなくなった。


 彼らの安らかな時間を保証してくれていた燃料が、とうとう底を尽いたようだ。モーターの発するわずかな残響すらもすぐに溶けてなくなり、室内は一転して静寂に包まれる。


 マコトはまだ上の階に行ったまま、その事実を知らない。


 あるいは暖房の切れるタイミングを見計らって、彼は一人リビングを離れたのだろうか。どうしようもない絶望感に顔を引きつらせる自分を、陰から覗き見ているのかもしれない。

 それなら良い、それなら笑い飛ばせる。と、タカヤは親友が早く戻ってくることを願わずにはいられなかった。


 先ほどまでは全く気にも留めていなかったのに、暖房の耳障りな運転音がなくなった途端、タカヤは震えるような寒さを感じた。

 もちろん室内は余熱で暖かいままだというのに、自分の心臓の鼓動が気になって仕方がない。クッションや寝袋、マコトの温もりが残る衣類すらもかき集めて、彼は自分の身体をすっぽり覆った。


 一人は怖い。

 世界がこうなる前からずっと、タカヤはそう思っていた。

 彼は臆病だった。粗っぽく見せるのも、お調子者のように振る舞うのも、すべては本質の裏返しに過ぎなかった。守るよりも、守ってほしかった。


 どこがアダムとアダムだ。タカヤは自嘲気味に笑う。


 いつも冷静で的確で、男らしくカッコいいのはマコトだけだ。ヘタレなオレに男を名乗る資格なんかない。


 もう嫌というほど長い時間を二人で過ごしたというのに、それでもどうしようもなく、彼はいつまでも親友の側にいたかった。そして叶うなら、親友を残して先に死んでしまいたかった。一分一秒でも孤独を知りたくなかった。

 夢も希望も潰えたこの終末世界、タカヤが最後に願うことは、もはやそれのみだった。



 寒々とした静寂を裂くように、リビングの扉の開く音が聞こえてくる。

 安堵して顔を上げたタカヤが見たのは、見慣れぬ"少女"の姿だった。


「おまたせ」


「……マコト、お前? それっ……。なん、えっ?」


 後ろ手に扉を閉めたマコトが、ゆっくりと歩み寄ってくる。彼の頬は不自然なほどに上気しており、その伏し目がちの瞳は潤んでいた。


 マコトは厚手のダウンジャケットの下に、色がくすんで皺の目立つ()()()()()を着ていた。紺色のスカートからは、見慣れた彼の白い膝頭が見え隠れしている。


 それを目にした瞬間、タカヤの震えはすっかり収まってしまった。臆病な思考は隅へと追いやられ、女装姿のマコトとどう接するかについての悩みが湧き上がってきた。

 全力で笑って茶化してしまいたい欲求と、真摯に向き合うべきだという葛藤とが、彼の脳内で血みどろの陣取り合戦を始めていた。


「どこにあったん、それ」と、タカヤの口から最初に出てきた質問はそれだった。


「2階の子供部屋、クローゼットの奥。たぶん、朝倉家のお嬢さんの制服だったんだろうね。ずいぶん前に見付けて、そのままにしてた」


「それが、やりたかったこと……?」


「うん。最後にやりたかったこと」


 何の躊躇いもなくそう口にしたマコトが、タカヤの隣にちょこんと腰を下ろす。マコトの体重分だけソファが沈み込み、タカヤは自分の座面が揺らぐのを肌で感じた。


 マコトの唇は頼りなく震えているようだった。その意味するところをおぼろげに察していたタカヤではあったが、彼には目の前の光景を平然とやり過ごせるだけの勇気が湧かなかった。どうしても、彼は臆病心を捨て去れなかった。


 ――いつから?

 と次に問いかけて、タカヤは首を振る。


「ぱ、パンチが効いてんな。最高にイカしてる、じゃんよ? ナイス、サプライズ」


 ちょっとした自己嫌悪に陥りながら、タカヤはそう茶化した。彼ら二人のこれまでの関係性を考えれば、それが最良の選択であるはずだった。


「……うん、ありがとう」


 寂しげに口角を上げる"セーラー服姿の少女"を前に、タカヤは自分の首に手を掛けてしまいたくなるような罪悪感を覚えた。


 高身長だけど、線が細いマコト。整った顔立ちをしているので、女に見えないこともない。あるいは彼との思い出が全くなければ、タカヤはすんなりと目の前の"少女"を受け入れられたかもしれない。


 だが、彼らは紛れもなく親友で、この場にアダムは一人もいなかった。


「一応、聞くけど」と、スカートの裾をぎゅっと握り込みながらマコトが尋ねる。


「……一応、聞いてやるけど」と、気まずさに顔を逸らしながらタカヤが応じた。




「人生最後の思い出に、童貞捨ててみない?」



 ふざけるでもなく、恥ずかしがるでもなく、真剣な面持ちでマコトはそう口にした。

 先刻のボケと全く同じフレーズを投げかけられたにも関わらず、タカヤの頭の中に「気が向いたら」という返事が生まれることはなかった。



 徐々に温度を失っていくリビングで、沈黙が深まっていく。屋根に積もった雪が滑り落ちたのか、どさりどさりと続けざまに外から大きな音が聞こえてきた。


 それを合図に、わざとらしくマコトが息を漏らす。潤んだ目元を指で拭ってから、彼はタカヤも見慣れた()()()()男らしい笑顔を見せた。


「……なんだよ、タカヤ。ノリ悪いなー。さっきは、あんなにはしゃいでたのに」


「ごめん」


「せっかく、僕が身体張ってこんな格好したってのに。人生最後のギャグがスベるとか、悲しすぎる」


「ごめん」


 なんで謝るんだよ、とマコトは親友の背中を叩く。


 自分が叶えようとした「最後にやりたいこと」は、タカヤにとっての「最後の心残り」になってしまったのかもしれない。

 マコトの胸中にもまた、タカヤとは別種の罪悪感が渦巻いていた。



 ◇


 外の吹雪が止むことはなく、終わりはすぐそこまで迫ってきていた。

 室内の空気は一層冷たくなり、吐く息は白くなっていた。手足の先が凍り付きそうな寒さの中、しかしマコトは決してダウンジャケットの前を閉じようとはしなかった。


 いずれ宇宙人がやって来るのなら、セーラー服姿の自分を冷凍保存したい。女装男と一緒のソファに座るタカヤもまた、宇宙規模の変態として歴史に名を残すに違いないから。

 自分たち二人の名前を、銀河のあちこちで口ずさんでくれるだろうから。


 そんな取り留めのない空想を描いて、マコトはくすりと微笑んだ。


「……手、握るか」


 ぶっきらぼうな言葉と共に、タカヤの小さな手が差し出される。


「いいの?」


「こんぐらい普通だろ……。友達なら」


 そうかもしれない、とマコトは手を伸ばした。二人の冷たい指先が絡まって、お互いに「冷てぇ」と文句を言い合った。


「手ぇ冷たいのは、オレの心が……最高に、あったけぇ証拠だろ……」


「バカ。ただただ、部屋の中、寒いだけでしょ……」


 残っていた元気を振り絞って、軽口をたたき合う。

 握った手指の感覚が段々と麻痺していき、タカヤとマコトは二人の身体の境界線が曖昧になっていくのを感じた。それでも、お互いへの感情だけはどうしようもなく噛み合わないままで、彼らはとうとう一つにはなれなかった。


 薄れゆく意識の中、マコトはその現実をただ静かに受け止める。


「タカヤ……まだ、起きてる……?」


 雪に閉ざされた二人ぼっちの世界は、神様がくれた贈り物だったのか。はたまた、臆病すぎた彼らへの罰だったのか。


 世界の行く末に関係なく、どんなに明るい未来が待っていたのだとしても。


 彼ら二人は、アダムとイヴにはなれなかった。



読んでいただき、ありがとうございました。

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