第六話 一難去ってまたニ難
「ガウッ!ガウッ!ガウッ!」
振り向けば狼がいる……何なんだこの世界!!
とにかく逃げるが勝ちだ! 勢いよく飛び掛かろうとしてくる狼を、どうにか働いた反射神経で躱し、駆け出すタスケ。
「くそ!眷属の分際でぇ!ひぃ!?なんでまた追いかけられなきゃいけないんだよぉ!!」
まだ治りきっていない右足に激痛が走る。薬草で少し傷を塞いで縛ったものの、やはり勢い良く走ったのが響いたのか、再び傷が開いたらしい。
痛い。でも逃げなきゃ今度こそ死ぬ。まだ始まったばかりだっていうのに、こんなところで死ぬなんて絶対嫌だ!
タスケロープとナイフを使いたいところだけれど……今のところ木の上でしか使ったことがないし、こんなに距離が近いと……いや! その前に追いつかれ……!
「ガブッ!」
「ひぎゃぁっ!?」
噛まれた! 直感的にそう思ったが、痛みはない。狼は腕を噛もうとしてきたが、服の袖を噛んでいるようだ。危なかった……って危ないのには変わりないだろ!
「体育の成績は三だけどこれならいける!喰らえ!クラッシュオブザ・エル・ボー!!」
「ギャンッ!」
僕はぐるんと身体を捻り、右足に重心がいかないよう気を付けつつ、腕力がなくても勢いを使えばまあまあの威力になる肘鉄を頭に食らわせた。
苦渋の策でもあるタスケ渾身のエルボーは効いたようで、狼は情けない声を出して腕から離れる。
どうにか狼と距離を取れたし、隙も与えられた!よし、一旦立て直して、タスケナイフを投げ……。
「ガァルルルルルルル……」
「グルルルルルルルル……」
「ぎゃあ!増えたぁ!!」
この世界はどうしてか、タスケの思い通りにはなってくれないらしい。
そんなことより、狼がここで増えるなんて聞いてない! どうする!? スキルを使ってこの前みたいに遠ざけるか!?
でも、以前よりも狼との距離が近いから間に合わないぞ!?
じりじりと後退りするタスケだったが、狼との距離は狭まっていく一方。
「くっそ……!なんでいつもいつも……お前らは邪魔ばかりしてくるんだよ……!」
でも、死にたくない……こんな後悔だけ残して。
「もう怒ったぞ……!この漆黒の悪魔・タスケイロ様に逆らったことを、後悔させてやる……!かかってくるがよい!!」
そう決意を固め、タスケはタスケナイフのロープを腕に巻き、投げる姿勢をとった。それと同時に一匹の狼がタスケに飛び掛かろうとした瞬間。
「これっ!はやく離れんかいな!」
「きゃうん、きゃうん」
男の人の大声と、情けなく鳴く狼の声。慌てて他の狼も逃げ出してしまった。
な、何をしたんだ……!? タスケもその大声に驚き、その場にへたり込んで呆然としていると、太っちょな男の人が声を掛けてくる。
「おめぇ、大丈夫かい?」
「あ、大丈夫です……」
男の人は少し強引にタスケの腕を掴み、立たせてくれた。その男の人の後ろには、羊たちがメェメェと鳴き声をあげている。
羊飼い……?
「狼をあんなに軽く追い払うなんて……何か特殊なことでもしたんですか?」
「俺っちは羊飼いなんや」
「え、あ……見れば分かりますけど……」
「犬っころの扱いくらい、俺っちにかかりゃあイチコロやで!思いっきりケツを叩いてやったんやさ!」
うーん、僕のイメージする羊飼いとは、かなりイメージが違うな……。少なくとも僕の知る羊飼いはもっと動物に優しい。
そして、ケツを叩かれただけで逃げるのかよ狼って!
「でも、助かりました!ありがとうございます……あなたは命の恩人です……!」
「ええんやで!また狼に襲われたら、その物騒なモンを使ってもいいかもやけど、ケツを叩くんやぞー!ほな~!」
羊飼いさんはそう言って、数頭の羊とともに立ち去っていく。
僕は羊飼いさんが見えなくなるまで頭を下げた。あの羊飼いさんのお陰で、辺りの狼はいなくなったし、本当に助かった……。
だけど、僕があの羊飼いさんと同じことをしたとしても、相っ当鈍感な狼にしか効かない気がする……。
タスケは目的地へと歩き出すが、やはり傷が開いているようだ。薄いカラーのズボンに血の染みが広がって、なんとも痛々しい。
「うぅ……こんな状態じゃ、狼を叩くなんて無理ゲーだろ……」
さっき逃げたときに放り出した枝よりも、大きく丈夫そうな木の枝を見つけたので、そこまでズルズルと這って行く。木の枝を立てて、どうにか立ち上がり、腰の曲がった人のようになって歩き出した。
ポケットからくしゃくしゃになった薬草を取り出し、傷に当てるものの、ズキズキとした痛みが止まらない。これは……ちゃんとした手当が要るなぁ……。
「うぐ……いよいよお腹と背中がくっつきそう……」
そして、空腹感もいよいよ限界だった。さっきの羊飼いさんから、微かだがパンやミルクの匂いがしたからだろう。僕も欲しいと言わんばかりに、ぎゅるぎゅるとお腹が鳴る。
怪我と空腹で、タスケの歩く速度はどんどん落ちていった。もう痛いセリフを言う余裕すらない。
いつの間にか完全に日が暮れ、赤と青の月が二つ、綺麗に光っている。狼の鳴き声も遠く、この広い荒野に僕は一人きりだ。
なんか、今の言葉エモいし歌作れそうだなぁ……この『異世界転生の虚無感』を歌にして、歌手になろうか僕……。
「って、そうじゃない!あの馬車は!?あの馬車はどこ!?」
タスケはスキルを使ったときに見つけた馬車を探そうと、きょろきょろと辺りを見回す。確かこの辺りだし、あの馬車なら目立つはずだ。
すると今いる場所から少し遠く、しかし声は届きそうな距離に、火を起こしているのかオレンジ色の柔らかな光が見えた。
その傍には、さっきスキルで見つけた馬車。
「あぁ、やっと……やっとあの馬車が!おーーーーい!!!すみませーん!!!助けてえええええ!!!」
転生してからというもの、叫ぶことが多くなった気がする。だって本当に助けが必要だから!怪我もしてるし!
「タスケテー!!タスケだけに!!」
ダジャレでふざけているように見えるが真剣だ。すると、足音がタスケの方へと近づいてくる。来てくれたんだ……!
「!夜分遅くにすみません!お願いします!たすけ……」
「なんだお前は!!」
ようやく助けが来てくれた! ……と思ったが、二本の槍の先端が僕に向けられた。
一難去ってまた一難とは、まさにこのことである。
「ちょ、ちょっと待って!?僕は怪しい奴じゃないですよ!」
槍を向けてきているのは、鎧と兜を身に着けた二人の男。僕はつい反射で両手を上げる。この姿勢ももう何回目だろうか。
身体を支えてくれていた大きな枝が、虚しく地面に落ちた。
「僕、ずっと前からこのあたりで路頭に迷ってて……怪我もしているんです!」
「そう言って、お嬢様に近づく気だな!お前のような輩を、俺たちはよく見てきているんだ!」
「い、いや知らないですよ!そんな人たちと一緒にしないでください!」
「嘘つけ!そんな分かりやすい嘘がまかり通ったら、警察はいらねぇんだよ!」
「嘘じゃないですよ!見てくださいこの姿!見るも無残でしょう!?」
「そうけれど……それ、自分で言ってて悲しくないのか……?」
「悲しいけども!僕はとにかく、命からがらここまで来たんです!信じてください!」
交互に僕を問い詰める兵士たちに、タスケは必死に訴えた。一人はまだ温厚そうな口ぶりだが、もう一人はかなり荒々しい。どうしたら信じてもらえるのだろう……。
ふと、タスケは頬に温かな感触を覚える。タスケの目からは、蓄積されてきた涙が溢れ出ていた。
どうして……どうして僕ばっかり、こんなに酷い目に遭うんだ……。耐え切れず俯いた視線の先に、先程杖のようにして共に歩いた、ポッキリと折れた枝が目に入る。
その折れ様は、さながら僕の心のようで……。荒野にポタポタと、水滴が零れ始めた。
「うぅ……うぅぅぅ……」
「泣き出してしまった……なんだか可哀想になってきたな……」
「ど、どうする兄貴?通報するか?」
二人の兵士も、突然泣き出したタスケを見て驚き、対応に困っている様子だ。もうさっきまでの殺気は感じられない。
ていうか、この世界にも通報って言葉が存在するのか。一体、誰に突き出されるんだ僕は。
《……でも、二人が槍を下ろしている……》
戦意を完全に削がれたらしい兵士の二人は、困った顔でタスケを見ている。今ならもしかすると……形勢逆転のチャンス!?
ここはとにかく、はっきり主張するしかない!! 切り替えの早さもタスケの持ち味なのであった。
「ということで!僕は見ての通り、怪しくないです!」
「いやいやいやいや!いきなり『水を得た魚のよう』だな!?」
「泣いても状況はそんなに変わらないぞ!お前!さては嘘泣きか!」
「いや!本気泣きですよ!お願いです!助けてください!僕、このままじゃ野垂れ死ぬんです!」
「なんだって!?誰かに追われてるのかい!?」
「お腹も空いて、喉もカラカラで、足には怪我……次に狼に襲われたら、ジ・エンドですよ! 」
「案外言うこと普通だな……確かに満身創痍だけど……」
「心配して損したぜ!」
「それに、お嬢様?を狙って近づいているわけじゃないんです!お嬢様がいるだなんて、今知りましたし!」
本当はスキルで馬車の様子を見たから、マーリアというお嬢様がいることを知っている。だが、少しでも相手のことを知っている素振りを見せたら、更に怪しまれるだろう。
そう思い、タスケはほんの少しの嘘を交えつつ、兵士たちを説得する。
「なんとかしてやりたいがな……」
「兄貴……こんな奴のこと信じるのかよ。俺たちはマーリアお嬢様の安全を守るために、怪しい奴を受け入れるわけにはいかないだろ?」
「それはそうだが……」
「そんな……!この状況で頼れるのは、本当に皆さんだけなんです!」
「う~ん……」
「二人とも、何をしているのですか?」
タスケと兵士たちが言い合いを続けていると、綺麗なソプラノボイスが飛んでくる。
そこに立っていたのは……。
「マ、マーリアお嬢様!危険です!お戻りください!」
「あら、どうしてです?こんなに弱っている人を放っておけませんわ」
長く嫋やかな金髪を揺らしながら、彼女は優雅にゆっくりと歩いてくる。そこまで時間はかかっていないはずなのだが、頭のてっぺんから指先までの動き全てに、思わず見惚れてしまった。
そして彼女の蒼く大きな瞳に、タスケの視線がぶつかった。目が合うと同時に、にっこりと笑う彼女。
マーリアと目が合った瞬間のことを、タスケは後に『天使が舞い降りたようだった』と記述する。
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