第四十二話 ヴリトラの気付き
ある日のマドブルク。タスケという名の『戦えない』冒険者と、街一番のお嬢様・マーリアが去ったものの、活気を失わないこの街。
世界がすっかり平和になり、今日も穏やかな時が流れていた。
「リク殿、私は魔王城へ行って参ります。その間店番を頼みますぞ」
「はい!いってらっしゃい!ベルベットさん!」
「ベルベットさ~ん!どうぞ~!」
「いつもお迎えありがとうございます。フォロビ殿」
僕は、何の変哲もない十歳の身寄りのない子ども。
元・魔王である。
「まぁ、こんなこと言っちゃったら、みんなびっくりするから言わないけどね」
ヴリトラという名前は、魔王として知れ渡っているから、今は『リク』と名乗っている。
そして、現・魔王であるタスケの妃であるマーリアの紹介によって、元々マーリアが営んでいた服飾屋『シャンテ・マーリア』の手伝いをさせてもらっていた。
ベルべットさんはとても親切で、僕の長い魔王生活のせいで欠如した常識をたくさん教えてくれる。
それに、マドブルクの街の人たちも……。
「こんにちは!リクくん!」
「今日は何を買おうかしら」
とても温かい人たちばかり。幸せを感じると同時に、僕は罪悪感に苛まれる。
こんなにいい人たちを、僕は傷付けて、貶めていたのかと。
「『マーリア・ブランド』の新作が、明日届くはずですよ。今日、ベルベットさんが受け取りに向かってますから」
「あら!それは楽しみね!マーリア妃のことだから、きっとまた素敵な服に違いないわ!」
魔王城で魔王として鎮座するタスケと、魔王妃として暮らすマーリア。魔王城でマーリアが服を作り、ベルベットさんが受け取りに行ったり、マーリアがマドブルクに訪れたりする。
ベルベットさんは離れて暮らすマーリアが、何かと心配らしい。
「タスケ殿が一緒なので大丈夫でございます」
口癖のように、ベルベットさんはそう言う。タスケはよっぽど信頼されているのだろう。
現にこの世界は、タスケのお陰で平和になっている。
「こんにちはー!お久しゅうございます!ヴリトラ様!」
「ちょっと!ここではリクっていう普通の少年なんだから!その名前はダメだよ!」
「そうでした!すみませんっ!」
「敬語もダメだってば!」
かつての配下たち……つまり魔物も街へ出入りするようになった。初めこそ人々に怖がられていたが、人間たちの仕事を手伝う姿勢を認められ、今じゃ仲良しだ。
人間と魔物が共存する、いい世界になった。僕がこの世界に来る前の日本よりも断然良い世界だ。
「……平和だなぁ」
魔王らしい名前に変えていたが、僕は日本生まれの日本育ち。本当は虎浜莉玖という名前なんだ。
丁度この歳……十歳の時に、ガンで命を落とした。
だけど綺麗な声が聞こえてきて……。
『可哀想に。未来への希望が無いまま死んでしまったのですね。あなたに力を与えましょう。あなたは今日より、この世界の魔王です』
そうグリダに言われた時はびっくりしたなぁ。闘病中にやっていたゲームの世界のような魔王に、僕がなれるだなんて。
でも、幼くてひ弱な僕の言うことなんて、配下のモンスターたちは聞いてくれなくて……グリダに泣きついていた。
『僕じゃ無理だ。強い姿になりたい』……そんなことを言ったら、グリダは本当に僕の身体を変えてくれた。
姿を変えた途端、魔物たちは僕に恐れをなしてひれ伏す。いい気分だった。同時に、僕の中の邪悪な心が芽生え始める。
全部、全部、僕の思い通りにしてやるって。世界征服を目論んだんだ。
全てが僕の思い通りに、なっていたはずだった。
彼が頭角を現すまでは。
『ザキルと百万もの部隊がやられただと!?』
勇者に選ばれた男は、僕の使いである魔龍ヒュドラにさえ倒されるような、ヒヨッコだったはず。それ以外の仲間たちも。
さらにその後のマドブルク侵攻作戦も、なにやら対策を練られていた。
それより前に挑んできたときは、まさに『脳筋』とでも言い表せそうな奴らだったというのに……。
僕が悩んでいると、グリダが核心を突く一言を発した。
『勇者パーティに、頭脳派の者がいるかもしれませんね』
それこそがタスケだった。タスケは影や暗闇の中に意識を飛ばすことができる、というスキルを使って、情報を全て掴んでいたのだ。
きっと今も、各地に意識を飛ばしつつ、世界を見渡しているのだろう。大した男だ。
「ごめんください」
「あ、いらっしゃいませ!初めて見る方ですね!どんな服をご所望で?」
「いいえ。服を買いに来たわけじゃないの……」
客足が落ち着いた頃、店の扉を一人の少女が開いた。肩くらいまでの長さに切り揃えられた栗色の髪と、丸く大きな黒目が特徴的な女の子。歳は僕と同じくらいだろうか。
「……あなた、元・魔王よね?」
「……えっ?」
僕は耳を疑った。だって、バレるようなことは何もしていないし、何なら彼女とは初対面だ。姿だって、全く違うのに……。
「私の名前はアマネ。あなたと同じで、転生されてこの世界に来たの。ついこの前ね」
「そ、そうなの……?でも、ついこの前なら、僕が元・魔王かなんて分かるはずないじゃないか……」
「私のスキルは、人の過去を見ることが出来るものなの。この前あなたを見掛けて驚いたのよ。元・魔王がこの街にいるだなんてね」
「っ……僕が元・魔王だって知って、どうしてここに来たの?君の目的は一体……」
アマネは店先の椅子に腰掛けて、この世界に来た経緯を話し始めた。
「私はある女の子と友達だったの。でも、その子実はいじめを受けていて、私はそれを助けられなかった。それどころか、気づいてあげられなかったの。その子、いつも笑っていたから」
「……その子、どうなったの?」
「事故で亡くなったわ。私宛ての手紙を遺して」
突然聞かされた重い話に、僕は思わずふらついた。アマネはそんな僕に構わずに言葉を続ける。
「その手紙で初めて、彼女がいじめに遭っていたことを知ったの。もしかしたらあの子……事故死じゃなかったのかもしれない……。そう思って私は、いじめの主犯格と直接喧嘩したんだけど……突き飛ばされた時、丁度机の角が頭に当たって……私は死んだ」
「っ……」
「でも、私の人生はそれだけでは終わらなかった。綺麗な声が聞こえて、スキルを与えたので後悔の無い人生を生きてみせてくださいって……」
同じだ。僕がこの世界に転生された時と。
そして、その声の主は間違いなく『あいつ』だろう。
「私ね、あの子の気持ちを理解できていれば、あの子も私も死なずに済んだと思うの。だから、このスキルを与えられたのかもしれないわね」
「……そうかも、しれないね」
「……あなたの過去もずっと見ていたんだけど、スキルを与えているのは『その女』に間違いないわね」
「それは、僕もそう思うよ」
「その女、どういう目的で『人々をこの世界に転生させてきている』のかしら」
アマネの一言に、僕は思わず椅子から立ち上がった。
「い、今、なんて……?」
「……やっぱり知らなかったのね。魔王だったのに。この世界の人々は、『全員』が異世界転生されてきた人々なのよ」
「は……!?」
「この街の人……みんなの過去を見てきたわ。転生前の過去も流れ込んでくるんだけど……。私たちみたいに、前世の記憶がある人は稀で、スキルだけ自覚して生きている……」
「つまり……この世界は……」
アマネはいつの間にか扉を開き、出て行こうとしていた。
「グリダとかいう女の手のひらの上で、転がされてるのよ。私たち」
その言葉とともに、店の扉が閉まる。既に窓からは紫色の光が差し込んで来ていた。
「……店仕舞い……しなくちゃ」
今の話に頭がついていかない。現実逃避するかのように、僕は店の外へ出て、看板を持ち上げる。
上空からバサバサと音がしたかと思えば、「おーい!リク殿ー!」とベルベットさんが何処か楽しそうに手を振っていた。僕も慌てて振り返す。
「リク殿!お疲れ様です!」
「ベルベットさん……」
「?元気が無いようですが、具合でも悪いのですか?」
「い、いや、そんなことはないよ。ベルベットさんこそ、遠くまでお疲れ様です」
「いえいえ。タスケ殿がフォロビ殿を派遣してくださるお陰で、私のような老いぼれでも遠出が出来てラッキーでございますよ。たまにマーリアお嬢様もこちらへ来てくださいますし」
「あはは。確かに」
「さて、夕食の準備をしましょうか」
何の変哲もない日々だったはずなのに……アマネの言葉で全て壊されたような気がした。
だけど……アマネはどうして僕にあんなことを言いに来たんだろう。
そしてこのことを、タスケに伝えるべきなのだろうか。
「……いや、伝えるべき、だよな」
「?いかがいたしましたか?」
「ううん。ちょっと考え事を。ベルベットさん、僕、明日魔王城に行ってきてもいいかな?」
「えぇ!?しかし、リク殿はまだ幼いですし……」
「心配しないでよ。この街に来る魔物とも、仲良く出来てるんだからさ」
まぁ、元・魔王という肩書きのお陰でもあるんだけどね。
僕をこの街に送り届けてからというもの、僕はグリダと会っていない。ベルベットさんにそれとなく特徴を伝えても知らない様子だったから、魔王城にもいないのだろう。
とにかくこのことは、『手遅れになる前に』早急にタスケに伝える必要がある。
この世界の本当の魔王は……僕でもタスケでもない……。
グリダだったんだ。
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