第三十話 盗賊・マオの過去
タスケは木の陰に座り、隣を軽く叩く。マオは渋々といった風に、タスケの隣に腰掛けた。
今なら、ミステリアスな彼女の心中を知ることが出来るかもしれない。
「睡眠障害……あまり聞いたことが無いんだけど、どういう症状?」
「症状は人によって様々ですが、私の場合は単純にあまり眠れないんです。この世界ではそんなに困らないですけどね。転生前、学生の時はかなり悩まされました」
作り笑いを崩さぬまま、マオはゆっくりと話し始める。まるで縁側でお茶でも飲んでいるかのような雰囲気だった。
なんとなく、田舎に住んでいたおばあちゃんを思い出す。
マオは艶やかな黒くて長い髪と、奥ゆかしさが見て取れる伏し目がちの瞳を持つ、文字通り『大和撫子』という言葉が似合う少女だ。今は盗賊用の冒険着を着ているが、本来なら和服が一番似合うだろう。
「授業中に寝たりしちゃったの?」
「えぇ。そんなところです。だから、成績はそんなに良くないんですよ」
「そ、そうなの?」
意外だ。勇者パーティの面々……さらに言えば僕なんかよりも頭が良さそうなマオが。
「いやぁ、でも地頭は断然マオが一番だと思うよ」
「そんなことは……。タスケさんほど、お力添えは出来ていませんし」
「……ずっと思っていたんだけどさ、マオはどうしていつも、そんなに表情を作っているの?」
「え?」
あまりにもストレートに聞きすぎただろうか。だけれど、ここで彼女の心の氷を融かしてあげないと、後々に響いてくるのでは……。そんな気がしてならないのだ。
「言いにくい……かな?」
「まぁ、言いづらいことですけど……いいですよ。そのためには、私の転生前の話をしなければならなくなりますが……」
マオの寂し気な瞳に、ほんの少しだけ光が灯ったような気がした。
「聞く!全部聞くよ!」
「ちょっと声が大きいですよ。……まず、私の本名は『猫屋敷まお』です」
「えっ、あの!!?」
「だから、声が大きいんですって」
僕は思わず大声で驚いてしまった。だって、猫屋敷家っていったら……。
「日本有数の名家のひとつで、猫屋敷家の人々は様々な才能に溢れているって有名だったからね!」
「やっぱりご存知でしたか。まぁ、あれほどメディアに取り上げられていましたからね……」
「猫屋敷家の人だったんだ……マオ凄いね!」
「……」
純粋な気持ちで褒めるが、マオは俯く。その横顔からは作り笑いすら消えていた。
例えば猫屋敷家当主は剣道家。その奥さんは華道家。日本の武道をメインに、家の人全員が多岐にわたって『その道』を極めている。
そんな良い所の娘さんだったのに、どうしてそんなに表情を曇らせるのだろうか。そして、どうして盗賊として転生してきたのか。
しばらくして、不意にマオが再び口を開いた。
「剣道家の父と、華道家の母……二人ともとても厳しかったんです」
「え……?」
「だから、睡眠障害でまともに勉強も運動も出来ない私への扱いは酷いものでした」
「そんな……でも、マオは頭、悪くないだろ?」
「でも、成績は落ちていく一方でしたし、寝不足で体力も無くなっていきました。そんな私は『一家の恥』だったんです」
住む世界が違いすぎて、転生前の僕は『選ばれた人たちなんだなぁ』くらいにしか思っていなかった。
「そんな……誰にも、相談できなかったの?」
「友人はいませんでしたし、教師にも嫌われていましたから」
「え……?」
「皆さん、はじめは親切でしたが、私が『猫屋敷家の人間』だったから、媚を売っていただけなんですよ。……私、表情無いでしょう?」
「……そう、だね」
「作り笑いばかりする私が、不気味だったんでしょうね」
酷い……周囲のせいで、マオは表情を失っていたのか。
「その上、猫屋敷家に生まれながら、特に秀でた物事が無かったので……両親からも、兄弟からも、私の存在は無いも同然。メディア取材のときも、出て来るなと言われていました」
「酷いよっ……!なんでマオがそんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!」
「どうしてあなたが泣くんですか……。だから、そんな状況だったら孤立せざるを得ないですよね」
そう言って無理に笑うマオが、痛ましくてならない。
「マオ……」
「だけど……私には願望もあった」
マオは僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。今までとはどこか違う、強い瞳。
「私、物覚えはやたら良かったんです」
「そうだよね。魔導船暴走の時も、リラが船ではしゃいでいたことを細かく覚えてたし」
「えぇ。だから、人の持ち物は凄く覚えていて……まず落とし物を落とし主に返すことを始めました初めは感謝されたんですが、だんだん気味悪がられ始めて……」
確かに、落としたはずの自分の持ち物が、必ず自分に返されるって……少し怖いかもしれない。
「だから、黙って机の中に入れておいていたのですが、ある日の放課後、私はとんでもない光景を目にしたんです」
「とんでもない光景?」
「中学生ながら、周りとは浮いたギャルっぽい子が……クラスの子の机の中を漁っていたんです」
「えぇ!?」
「かわいらしいストラップひとつでしたが、それは持ち主の子が大切そうに持っていたもので……翌朝、私は早くに学校に来て、ストラップを取り返しました」
どんどん紐解かれていく、彼女の盗みの原点。そんなことがあったのか……。
「元々盗んだくせに、ギャルの子は焦って持ち主の子に問い詰めて……自滅していましたね。その時です。私の中に、初めて達成感が過ぎったのは」
「落とし物を返したときには、達成感は無かったの?」
「はい。返した子みんな、複雑そうな表情をしていたので。でも、あの時は持ち主の子、本当に安心したような顔をしていて……私がやったことだなんて誰も知らなかったけれど、一人で喜んでました」
「……!」
その時を懐かしむように目を細めたマオ。これが、彼女の本当の顔なのかな……?
「そこから、私は盗みを繰り返すようになりました。中学卒業の手前頃には、街中でスリを働いた人からさらっと盗み返すこともできるようになって」
「それはそれで凄いね……」
本当に、怪盗のようじゃないか。
「でもある日、私は嵌められてしまったんです」
「嵌められた?」
「クラスの子が故意に、私に盗みをさせて告発したんです」
「え!?なんでそんなことを!?」
「それを示唆したのは……私が初めて盗みを働いた相手でした。その子、半年くらい自宅謹慎を受けたんですが、ずっと盗み返してきたのが誰か気になっていたらしくて」
「そんな……元々はその子がいけないじゃん!」
「私もそう思いますよ。でも、私より人望のある子でしたから……あんな計画が実行できたんでしょうね。私が放課後にその子の机からものを盗んでいる様子をカメラに撮られてしまって……あえなく補導対象です」
突然事態が急変したマオの話に、タスケは思わず口を金魚のようにパクパクとさせてしまう。
「教師も級友も両親も、私の話など聞いてくれなかった。私は通信制の高校への進学が決まっていましたが、少年院に入ることになりました。家からは勘当です。『お前なんか産まなければよかった』とか『一家の恥だ』とか……散々言われて捨てられました」
「っ……!」
「だけど私は、自分のしたことが間違いだとは思えなかった。盗みは犯罪かもしれないけど……元々盗んでいた人から盗んでいたんですから」
僕は思わず押し黙ってしまった。なんとも言えない。彼女が百パーセント間違っているとは言えないが、全て正しいとも思えないのだ。
「……ふふ。あまりピンと来てない顔してますね」
「えっ、あ……ごめん……」
「いいんですよ。こんな話、共感してもらえなくて当然ですから」
そう言ってマオは空を見上げた。朝日が彼女の横顔をキラキラと照らし、なんだかいつも以上に綺麗に思える。
この世界の女性……といっても、マーリアやアンリさん、テイラーさん、そしてリラやマオにしか出会ったことがないのだけど。みんな美人さんだよなぁ……。
「少年院でも同じようなことをしていたら、今度こそ逮捕されたんです。そこで私、ようやく気付きました」
「……何に?」
「私には……『盗み』しかないってこと」
「え……?」
マオは立ち上がり、いつもの作り笑いを浮かべた。
「転生して来たこの世界なら、盗みしかない私でも活躍できるかなと、イトウさんにパーティへと誘われた時はすぐにオーケーしました。だけど……異世界もそう甘くはありません。私は、」
「え?マオは活躍してるじゃないか。魔導船に向かう時の素早い動きは、パーティ随一だと思うけれど……」
「私は活躍なんてしていませんよ。私もタスケさんと同じくらい、肉弾戦は出来ませんから……」
「マオ……」
あぁ、これか。昨日感じた違和感の正体は。
マオは自信を失くしていたんだ。だから、昨日も何処か皆と距離をおいていた。
「盗賊なんて職業をしていますが……私だって皆さんと一緒に戦っていきたい……。イトウさんやカゲツさんのように強い力も、リラさんのように強い魔力も持っていない……それでも!あなたのように出来ることを見つけていきたいんです……っ」
「マオ……。僕はさ、良くも悪くも普通なんだよね」
「……そう、でしょうか?」
「そうだよ。これについては異論は認めない」
「いや、自信を持つ部分じゃないですよね、それ……」
「普通に生きて、普通に大学進学して、普通に就職して、普通に結婚して、普通に子どもをつくって、普通に老後を過ごす……そんな人生のレールを無意識に自分で貼ってたんだ。だけど……」
僕は立ち上がり、朝日を真っ直ぐ見据えた。
「普通すぎる僕なりに、何か大きなことをしてみたい。そう思っていたのも事実だ。今のマオと一緒だね」
「……」
「僕も戦えないことに悩んだよ。僕だって成績も飛び抜けて良いわけじゃなかったからさ」
「そうだったんですか?」
「うん。全教科平均ぴったりの点数取って、逆に褒められたことあるよ」
「確かに、それはある意味凄いですが……」
マオの方へと向き直り、僕は手を差し出す。
「きっと普通な僕より、マオの方が頭はいいよ!僕が保証する!自信を持って!」
「え……?」
「だからこそ君に頼みがあるんだ。僕と一緒に、魔王軍対策の作戦を練ってほしい!」
彼女の目を見つめながら、タスケは真剣な眼差しでそう言った。
「僕の脳みそじゃ、立てられる作戦に限界があるんだ……三人寄れば文殊の知恵ってよく言うだろ?まあ二人なんだけど……でも、僕だけで考えるよりは、遥かにいい作戦になるはずだ!お願い!」
まるで告白のように、僕は深く頭を下げた。
そういえば僕、マーリアにちゃんと告白していないような……。そんな関係のないことを考えていると、差し出した手に温もりを感じる。
「……分かりました。一緒に考えましょう、魔王討伐作戦を」
そう言ってマオは、優しく微笑んだ。作り笑いじゃない。彼女の本心からの笑顔だ。
「……やっと笑った!」
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