第三話 最弱スライム最強説
『影や暗闇の中を意識だけが自由に移動できる』という、なんとも戦闘向きとはいえないスキルを与えられたタスケ。
そのスキルを活用して狼から距離を離し、命からがら逃げてきたわけだが……。
「……はぁ……ようやく朝か……。長い夜だったな……」
朝日の差し込む荒野の、岩の上にタスケはいる。狼はどうやら夜行性らしく、朝日が昇った途端、彼らの気配は消えた。
一旦スキルで辺りの索敵をし、安全を確認したうえでここにいるのだ。
「……いっ!……痛いけど、とりあえず傷は塞いだし……何とかなるかな……」
自分の着ている服を軽く破り、患部に押し当てて巻くだけという、本当に簡単な応急処置。昨晩、狼に噛まれた右足だが、痛みで上手く歩けないのだ。
「くっ……痛みを糧にしていくスキルだったらまだしも……!」
そう呟いて、タスケは岩から怪我を庇いつつそっと飛び降りる。どこか木の枝、木の枝……。
「!あった……これを使って……」
大きな木の枝を拾い上げ、タスケは枝を杖代わりにして歩き出す。
「フォッフォッフォ……わしも歳じゃのう……」
どこのおじいちゃんだ。
能天気なタスケだが、心中は不安でいっぱいである。
《この世界……人間のいない世界だったらどうしよう。僕、本格的に野生に返っちゃうんじゃ……!?》
「さすがに異世界無人島生活みたいなのは嫌だよおおおお!!」
昨晩もした最悪の想像。ネガティブキャンペーンを繰り広げ、頭を抱えるタスケ。
《こんなことになるなら、異世界転生なんてしたくなかった。もういっそあのまま、大地震で死の世界に行けばよかったよ……》
目からは涙が溢れ出す。つい昨日までは憂鬱だった母親のお小言も、父親の酒臭さも、全てが恋しい。
何度も格好良いセリフを考えて、憧れていた異世界転生なのに……。実際にはこんなにも孤独を感じるものだったなんて……。
「はぁ……泣いてても仕方ないか……。とにかく歩こう……」
情けなく杖をついて背を丸めるタスケの腹が、きゅるるるるると鳴り出す。お腹も空いてきた。
《腹は減ったし、喉も乾いたし、傷も痛いし、孤独だし……なんで僕、こんな目にばかり遭うんだよ!!この世界、もうちょっと僕に優しくしてくれてもよくない!?》
だが、これ以上、身体から水分が出るのは望ましくない。そう思って空を見上げ、涙を無理矢理引っ込めた。
それに、漆黒の悪魔・タスケイロに、涙なんて不相応だからな!
ふと見上げた空には大きな鳥。その羽根は鮮やかな黄緑色をしていて……元いた世界では見たことのない鳥が、嫋やかに飛んでいた。
甲高い鳴き声が、タスケの耳にまで届く。いったい何処へ向かっているのだろう。
「僕も君みたいに空を飛べたらなぁ……」
なんとなく、空に手をかざしてみた。当然何も起こらないけれど……。
「遠く広がる蒼穹の空よ……我が手に力を……」
昨晩のような厨二病セリフを言ってみる。偶然だけど、昨日はこれでスキルを発動できたんだ!
何か……何か、起こってくれ……!
そんな願いに応えてくれたかのように、上空を飛び去っていく鳥が、何かを落とした。涙で歪む視界の隙間で確かに。
「……何を落とした?」
タスケの中にくすぶる好奇心が、一気に湧き上がってきた。
そうだ。ここは異世界。全く知らない世界が広がっているんだ。絶望だけじゃない。希望もある!
気持ち急いで、タスケは鳥の飛び去った方向へと歩き出す。何か食べ物かもしれない。武器かもしれない。
神様が僕に物資を与えてくれたのかな!?
様々な期待を胸に、タスケはだんだん笑顔を取り戻していった。
「フハハハハハ!やはりこの世界の支配者は我で間違いない!支配者の名は……漆黒の悪魔・タスケイロだ!!」
一見すると元気いっぱいだが、右足の怪我は疼いていく一方だ。
痛みを我慢しながら歩調を上げて行くと、必然的に息が上がっていく。
「はぁ、はぁ……」
孤独なことには変わりないから、心細いし、宛も無いことには変わりない。
だけど、希望があるなら少しでも掴みたい。僕の第二の人生なのだから!
夢中で歩き続け、ようやく鳥が何かを落としたであろう位置に辿り着いた。
ここまでの道のり……凶暴な野生動物やモンスターに遭遇しなかっただけ、相当僕は運がいいけれど……。この世界って狼はいるけれど、モンスターもいるのかな?
「異世界だし、いると思うんだけどなぁ……。はぁ、はぁ……確か……はぁ、ここ、だよな……」
「プルン!」
「わっ!?」
高い声の物体がタスケに向かって突進してくる。そこには先客がいた。
よくゲームで見かける、プルンプルンの身体……!
「ス、スライム!?本物か!?」
「プルン!プルン!」
「すげぇ!!この世界、スライムいるんだ!!」
タスケは興奮しながら、その青いスライムにじりじりと近付いた。スライムはさっきの勢いを何処へなくしたのか、気持ち怯えた様子で後退りをしている。ビビっているようだし、こいつなら倒せるかも……?
スライムに手を伸ばしたその時。
「!プルンッ!」
「あ痛いっ!手を叩かれたっ!」
身の危険を感じたらしいスライムに、はたくような攻撃されてしまった。でも……この間抜けな顔、憎めないなぁ……!
《……仲間にしたい!》
倒したい欲よりも、仲間にしたい欲が先行した。
タスケは再び厨二病発動モードとなり、スライムに声を掛けた。
「スライムよ!我が名は漆黒の悪魔・タスケイロだ!我と手を組まぬか?」
「プルン?」
タスケは厨二病モードで、スライムを説得し始める。スライムは当然、まだ威嚇している様子だが、とりあえずタスケの話を聞いてくれるらしい。
「我こそがこの世界を後々に統べる者……即ち、そなたは我の今後の僕である!」
「……?」
「悪い話ではないだろう?そなたは漆黒の悪魔の側近になれるのだぞ!」
そんな確証の無いことを言って、青いスライムに手を伸ばしたタスケ。スライムは掴めない表情をした後、タスケに近づいてくる。
お?好感触か?
そう思ったのも束の間。
「プルンッ!!」
「おぶっ!!」
青いスライムはその手を払い除け、素早い動きでタスケの顔にのしかかった。
バランスを崩したタスケは、その場に仰向けになって倒れる。
「プルンッ!プルンッ!」
「うぅぅ……」
なんとタスケは……スライムにすら負けた。「時間の無駄だったぜ!」とでも言わんばかりに、身体をビョンビョンと跳ねさせながら去って行くスライム。
「……くそー!こっちにだって考えはあるんだからな!」
そう叫んで、タスケはスキルを発動。ゴースケ状態になって青いスライムの影の中に入り込む。
影の中からの攻撃なら……お前は避けられないもんな!
「フッフッフ……我を踏みつけにしたこと、後悔するが良い……」
「プルンッ!?」
影の中に入っていても、こちらの声だけは届くので、スライムはかなり驚いている。
《よーし……影の中からなら、攻撃し放題!さっきの敗北はノーカンだぞ!覚悟しろスライム!》
心の中でそう息巻いたゴースケは、転生前によく見ていたテレビ番組の、ボクシング選手のように拳を構える。
そして……。
《純黒の!『ナイツ・オブ・グローリア』!》
ゴースケ渾身の右ストレートが、スライムにぶち当たる……。
はずだった。
「プルンッ、プルンッ」
スライムは無傷どころか、何の感触も無かったかのようだ。しかも、腕を影の中から出したせいか、日の光に当たってしまい、ゴースケはタスケ本体に戻ってしまう。
「ど、どういうことだ!?」
「プルンッ!?」
タスケの存在をほぼ忘れかけていたらしいスライムは、叫んだことによって立ち止まった。
そして、未だ倒れたままのタスケの方へと戻って来る。
も、もしかして!味方になってくれるのか……!?あぁ、スライム……!出会ったばかりだけど、君はやはり我が眷属に……!
「プッルン!!!」
「おぶぁっ!!?」
何をするのかと思えば、スライムはもう一度「お前の仲間になんてならない!」と念を押すかのように、勢い良く顔にのしかかってきた。
さらに顔の上でプルプルとするものだから、息がっ……!
「プルンッ!プルンッ!」
「息できなっ……!ごめん!ごめんて!」
タスケは倒れたまま両手を上げ、『降参』の意思を示した。スライムは溜息をひとつ吐いて、何処かへと立ち去っていく。
「ぷはぁ……死ぬかと思った……」
スライム……お前は我が眷属ではなかったのか……。
って、んん!?
「僕、スライムにも勝てないの!!?」
スライムといえば、RPGゲームの最初に出て来る、いわば「最弱」のモンスター。そんなスライムにすら、今、負けたのだ。
「いやいやいや!僕、雑魚すぎない?」
普通、異世界転生したら、どんな主人公だってスライムくらい倒せるだろ……。
「いや!今のは違う!無駄に話しかけたせいで、隙が出てやられたんだ!うん!きっとそうだ!」
タスケは右足の怪我を庇いつつ、勢いよく立ち上がった。
第一、この怪我さえなければ、反応も遅れなかっただろう!
「何処からでも来るが良いスライム!今度こそ、闇の力を纏いし漆黒の悪魔・タスケイロ様が、鉄槌を喰らわせてやるぞ!!」
相当スライムに負けたことが悔しいのだろう。真っ直ぐ立つこともままならないが、ボクシング選手のような姿勢をとった。
「プルッ!プルッ!」
「出て来おったなスライム!覚悟するがよい!」
「プルッ!?」
散歩中だったらしい赤いスライムだったが、タスケの大声に驚いている。いきなり戦意むき出しで叫ばれたら、そりゃあ誰でも、モンスターでも驚くだろう。
「うおおおおお!闇の力よ!我が左手に力を!」
「プ……プル……?」
「宵闇の!『イルミネーション・フィスト』!!」
さっきとは逆の拳で、スライムに一発食らわせるタスケ。
握力は両方とも四十! 平均と同じくらいだ! (※つまり普通)
でもスライムは体力も少ないはずだし、きっと何度もパンチすれば勝てる……はず……!?
「あれ!?あれれれれれ!!?」
「プルルルルルル!!」
スライムの肌に確かにぶつかったタスケの拳。しかし、タスケのパンチの威力も拳も、スライムの身体の中へと吸い込まれていく。
「わああああ!!手を食べないでえええええ!!」
「プルルルルルル!!」
「腕があああ!!これちゃんと抜ける!!?嫌だああああ!!」
絶叫しながら必死に腕をスライムから抜こうとする。スライムをぶんぶん振るが、どんどん腕はスライムにめり込んでいく。
やばいやばいやばい! これ、僕の腕取れるんじゃないの!?
必死にぶんぶんと腕のスライムを振り回していると、きゅぽんっ、と音がしてスライムから腕が抜けた!
ふぅ、と息をつく間も無く、スライムは素早くタスケの顔面に。本日三度目である。
「うぶぉえっ!!」
「プルンッ!!」
そしてタスケはまた、荒野の固い地面に仰向けで倒れた。
「プルンッ!プルンッ!」
「うぅん……ギブ……ギブです……」
ギブ・アップを宣言し、赤いスライムに顔から退いてもらう。伝わってくれたのか、赤いスライムも身体をプルプルさせて、何処かへ行ってしまった。
「マジかよ……僕、本っ当にスライムにも勝てないの!?」
二体のスライムに挑戦して、両方に負けた。青空に流れる雲が、ただただ虚しく目に映る。
普通はスライムくらい、軽く倒せるもんなんじゃないの……? ゲームとかで何度も倒してきたスライムが、思った以上に強かったのか、それよりも僕が弱いのか……。
考えれば考えるほど、悲しくなってくる。やめよう。
タスケはしばらく放心状態でいたが、ここに来た目的を思い出して、ゆっくりと立ち上がった。
スライムの攻撃は、多少足に響いたものの、直接的な怪我には繋がらなかったが……。
「はぁ……僕の心のライフはゼロだよ……」
スキルで出来るのは、せいぜい辺りの『安全確認』くらいだ。ゴースケの状態で攻撃は全く出来ないようだし、さらにはタスケ自体もスライム以下の戦闘力。
タスケはヨタヨタと歩き出す。悲しみに打ちのめされていたが、ここに来た目的はスライムではない。
辺りをきょろきょろと見渡し、上空を飛んでいた鳥の『落とし物』を探す。
「もしかしたら、食べ物かもしれないし……水でもいい……!何か……この荒野を生き抜く術が……!」
今のところ、敵影はなし。疲労感に襲われる身体に鞭打って、僕は歩いた。
すると、砂埃でよく見えないが、タスケの前方で風によって、何かがはためいていることに気付く。
「なんだ……?」
警戒を解かずに、タスケは『何か』に近づいていった。「これが擬態しているモンスターとかだったら嫌だなぁ」……とも考えながら、土煙の向こう側へと進む。
「おおお!これは……!なんだこれ」
オーバーリアクションをしたが、はためいていたのは『ただの黒い布』。そして、布を地面に固定するように、玩具のようなサイズの『ナイフ』が、地面に突き刺さっていた。
「とりあえず、布はマントみたいにしてみよう……。おお!漆黒の悪魔感が増した気がする!」
荒野の中で、マントを身に着けてはしゃぐ十六歳が、ここにひとり。
「何か……パワーがみなぎってくる気がするぞ……。強化マントなのか!?」
そう言って、またボクシング選手のような構えから、ひょろひょろのパンチを繰り出すタスケ。
間違いなく気のせいである。
「そしてナイフか……。うわぁ、物騒だなぁ……」
使い古しではなく、やけに真新しいナイフ。
「喰らうがよい!『タスケイロ・オブ・ファンタスティック・ナイフ』!」
試しに近くに生い茂っていた草に向けて振ったが、本当に切れてしまった。
切れ味も良いな……これなら……。
「当たればモンスターを仕留められるかも。持っておこう……」
タスケは右手で杖替わりの枝をつき、左手にナイフを忍ばせ、右足を庇いながらその場を離れた。
そして、ここはスライムの多発地帯なのか、本日三度目のスライムとの遭遇に見舞われる。
「プルン!」
「フッ、来たか眷属!さっきまでの我とは一味違うぞ!」
今度こそスライムに勝つ! 突然草の影から現れたスライムに、ナイフを持って果敢に立ち向かうタスケだったが……。
「プルン!プルン!」
「すみませんでした」
タスケのコントロール能力が無さ過ぎて、ナイフは当たらず躱され、本日四回目の顔面のしかかりを喰らうのであった。
スライムはプルンプルンと立ち去っていき、タスケはまた呆然とした。
武器があっても勝てないのかよ……!
「あ痛たた……ん?なんか鼻がくすぐったい……」
タスケの鼻先に、ちょこんと乗っていたのは、何の変哲も無さそうな葉っぱだった。なんとなく薬品臭いなぁ……そう思って払おうと思ったが、すぐにその手を止める。
ある可能性が、脳裏に過ぎったからだ。
「!もしかして……薬草……!?」
僕は一瞬で起き上がり、薬草らしき葉っぱの臭いを嗅いでみる。
「やっぱり……!何か……えーと、保健室みたいな臭いする!」
タスケはなかなか風邪を引かないタイプだったため、病院に行った経験もほぼ無い。体育の後に怪我はしやすかった(運動不足が原因)ため、保健室の薬品臭さを覚えているのだ。
でも、どうやって使うのだろうか……食べる? いや、それじゃあ怪我は治らないだろ……。怪我に当てる? ちょっと痛そうだけど、それが一番手っ取り早いか。薬草の『可能性』があるだけだもんな。
タスケは移動し、モンスターの気配のない場所の岩の上に座った。
「これで怪我治るのかな……。そもそも、ゲームみたいなシステムだったら、この辺(※自分から見て左下あたり)にヒットポイントとか表示されてそうだけど……」
とにかく試すべきことは全部試さなければ。一旦、適当な応急処置をした右足の布を取り払い、恐る恐る薬草っぽい葉っぱを当ててみる。
「……おぉ!?」
すると、手の中から薬草がフッと消え、足の痛みが少し和らいでくれた。傷口も先程より血は出ておらず、これなら早く治ってくれるかも!
「やったぁ!ありがとうスライム!あの顔面のしかかりは末代まで忘れないけどね!」
誰もいない荒野に向かって、薬草を落としてくれたスライムへの感謝を叫ぶ。
狼に追い回されて、噛まれて、スライムにも勝てなくて……沢山痛いセリフを言いながら精神を保ってきた。
無いと思っていたけれど、確かに希望はある。
いつの間にか日は落ちかけて、辺りは紫色の光に包まれていた。
「この世界の夕焼けかな……?オレンジじゃなくて紫なんだ」
紫色の空に、きらりと光る一番星。
何度も心が折れたけれど……悪いことばかり起きるわけじゃないんだ。
「よーし!夜はスキルを使って探索だぁ!」
「ガルルッ!」
「ひぃ!!」
まだまだ異世界生活は始まったばかり。
スライムに負けても、狼に追いかけられても、眠れなくても、とにかくタスケは『生きる』ことに必死に食らいつくのだった。
読んで頂きありがとうございます。
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