第二十六話 マーリアの過去
この屋敷のお嬢様・マーリアの過去を話すために、タスケと一緒に食卓を囲むベルベット。
彼はいきなり、タスケに向かって深々と頭を下げてきた。
「タスケ殿……まずは、ありがとうございます」
「えっ!?な、なんのお礼ですか!?」
唐突な感謝に、タスケは戸惑って食器を落としそうになる。だが、お屋敷の食器だけあって高級品であるため、必死の思いでキャッチした。
あ、っぶねぇ!! こんな高級な皿、一生かけても弁償できない!!
「タスケ殿、大丈夫ですか?」
「しょ、食器は無事です……うわあ!」
食器をキャッチしたものの、椅子が後ろに倒れてしまい、結果的に転倒。
「大丈夫ですか……?驚かせてしまいましたね」
「い、いえ……食器さえ無事ならそれで……」
「食器よりタスケ殿でございますよ……」
ベルベットさんによって手早く身体を起こされ、椅子は定位置に、食器はシェフへ預けるベルベットさんの様子を、ただ呆然として見ていた。
いつの間にか元の姿勢に戻っていたタスケは、改めてベルベットに向き直る。ベルベットは絡まった糸を解くように、ぽつりぽつりと話し始めた。
「地割れが起きたあの日……タスケ殿が真っ先にこの屋敷に来てくださらなかったら、マーリアお嬢様はあれほど早く気持ちを取り戻さなかったでしょう……」
「そんなことないですよ……。マーリアはとても強い女の子ですから。いつも僕が勇気を貰っています」
そう笑顔で言うと、ベルベットさんは淋し気に笑う。
「わたくしはマーリアお嬢様が幼少の頃から、この屋敷に仕えております。幼少期から優しく美しく、ご両親の寵愛を受け、今じゃあれほど立派なお嬢様に……」
タスケの脳裏に、今のマーリアがそのまま小さくなって、花畑にいる光景が浮かぶ。絹のような髪を揺らし、その碧い眼をキラキラとさせ、花の冠を作って笑っているマーリア。
きっと昔から心優しくて、愛らしい少女だったに違いない。
「しかし、幸せはそう長く続きませんでした。マーリアお嬢様のご両親が、急逝されてしまったのです」
「あ……そういえばマーリアの両親ってどうして……?」
「マーリアお嬢様のご両親は、出先でモンスターに襲われてお亡くなりになったのです」
「えっ?」
「当時はトワインやタータンのような戦闘要員を雇っておらず、わたくしとマーリアお嬢様と、この店を残して旅立たれてしまいました。旦那様が戦闘に明るかったので、それに頼り切りで……運悪く強いモンスターと遭遇してしまったのです」
マーリアのお父さんとお母さん……きっとマーリアのように優しくて強い人たちだったのだろう。
「そして奥様はとても裁縫上手でして……マーリアお嬢さまは、奥様似でしょうね。昔から奥様の仕事を覗いては楽しそうにしていらっしゃいました」
ベルベットさんは過去を懐かしむように目を細めた。ベルベットさんの優しい微笑みから分かる。使用人たちから見ても、きっといい人たちだったのだろう。
だけど……あれ?
「僕と出会ったあの日、ベルベットさん強かったですよね?当時は強くなかったんですか?」
「当時、わたくしは執事として雇われておりまして……戦闘要員ではありませんでした。ですが、あの時ほど己を鍛えておけば良かったと思ったことはございません」
悔しそうにテーブルの上で拳を作るベルベットさん。自分の無力さが嫌になるなんて、僕は日常茶飯事だけど……ベルベットさんにもそんな時期が。
「マーリアお嬢様は当時七歳。到底すぐに受け入れられるはずもなく……しばらく塞ぎ込んでしまわれました」
「……僕だって同じ立場なら、受け入れられないよ」
「もうそんな面影はありませんが、マーリアお嬢様はかなり泣き虫な性格だったのですよ」
確かに、タスケがマーリアの涙を見たのは、トワインさんとタータンさんが亡くなった時くらいだ。
「今はほとんど泣かれなくなりました。というのも……ご両親の死を乗り越えたからでございます」
「……え?」
「マーリアお嬢様の仕事部屋……元々は奥様の仕事部屋だったんです。きっと奥様の肌が恋しくなったのでしょう。マーリアお嬢様は毎日、仕事部屋で泣いておられました。今でも思い出します。マーリアお嬢様が、奥様の作りかけの洋服を抱き締めて泣いている姿を」
「……」
僕もその様子を想像して、目頭が熱くなってくる。幼くして両親を亡くした辛さなんて、普通に生きてきた僕には計り知れないだろう。
同時にこの世界は、一歩間違えれば死に直結してしまうことを理解し、脳が震えた。
「食事もされず、部屋で泣き続けるマーリアお嬢様を……私は見守ることしかできませんでした。ですが、ある日変化が訪れたのです。マーリアお嬢様は、奥様の仕事の見様見真似で裁縫に取り組み始めました」
「……それが、マーリアの原点……」
「その通り。以来、マーリアお嬢様は裁縫にのめり込むようになりました。朝から晩まで、布に針と糸を通し……ミシンも使い方を覚えて『マーリア・ブランド』を立ち上げるまでに成長されました。わたくしに日々の感謝と初めて作ってくれたのが……こちらです」
そう言ってベルベットさんは、白地に黄色い糸で縁取られたハンカチを取り出す。ところどころからほつれや糸が飛び出ている、何とも言い難い出来栄え。だけど、とても温かみに溢れるハンカチ。
「マーリアの思いやりが見て取れる、素敵なハンカチですね……」
「えぇ。これは私の宝物でございます」
ベルベットさんはそのハンカチをポケットに仕舞い、再び口を開く。
「マーリアお嬢様は、裁縫を通して立ち直り、現在はお祖母様の代から続いているお店の切り盛りを自ら行っております。わたくしどもの前では気丈に振舞っておりますが……わたくしは心配でなりません」
「心配……?」
「トワインとタータンの死……お嬢様がちゃんと乗り越えられているのか。あの頃のお嬢様を見てきたわたくしとしては……」
マーリアにはマーリアの気持ちが……。僕にもベルベットさんにも分からない思いもたくさんあるのだろう。
今すぐにでもマーリアの元へと駆け出したい衝動に駆られる。タスケの食事の手が、自然と早まった。
「どこか暗かったマーリアお嬢様も、タスケ殿に出会ってからは前向きになられました。きっとあなたの影響を受けたのでしょう。あなたが諦めている姿を、わたくしも見たことがありませんので」
「そ、そんな!僕こそ、マーリアにはいろんなところで迷惑を掛けているし……むしろ、僕が助けられているんですよ。もちろんベルベットさんにも。お礼を言いたいのはこちらの方です!」
「ははは。それは光栄でございます。そんなあなただからこそ、マーリアお嬢様は気を許しているのですよ。さて、食べ終わったようですし片付けますね」
「あ、やりますやります!」
話が終わる頃には、僕の食事の皿は空っぽになっていた。今すぐにでもマーリアの元へ行きたい。そう思っていたら、不思議と食事が進んでしまった。
ベルベットさんに止められるものの、洗い物までしっかりさせてもらう。住まわせてもらっている身なんだから、これくらいやらなければ気が済まない。
「タスケ殿。いつもいつもありがとうございます」
「僕もありがとうございます。とても美味しかったです」
「とても簡素なものでしたが、お口に合ったようでなにより」
マーリアの指示によって、屋敷の食料を街の人に寄付したため、食事は以前よりも簡単なものとなった。逆に僕は、気を遣い過ぎなくて良くなるけれど……それでも豪華だなんて口が裂けても言えない……。
「マーリアらしいですよね。食料を街の人々に分け与えるなんて」
「マーリアお嬢様はお優しい人ですからね……」
「はい……。僕、マーリアのそういうところも、尊敬しているんです」
片付けを終えて自室に戻ろうとしたタスケだったが、ベルベットさんがそれを止める。
「タスケ殿。わたくしについてきてもらえますか」
「?はい」
ベルベットさんに連れて来られたのは、とある一室の前だった。この屋敷に住んでいる期間はそこそこ長いけれど、この部屋には一度も入ったことないな……。
「ここは何の部屋ですか?」
「マーリアお嬢様の寝室でございます」
「へえ……ってえぇ!!?」
「マーリアお嬢様。タスケ殿を連れて参りました」
「ありがとう。タスケ、どうぞ入って」
「え、あ……シツレイシマス……」
なんと、マーリアの仕事部屋ではなく、寝室に連れて来られた! これは……もしかしなくてもそういう展開……!?
「わあ……綺麗な部屋だなぁ……」
僕の使っている部屋よりも広く、おしゃれなインテリアに天井のシャングリア。なにかお香でも焚いているのか、仄かに良い香りがする。
「タスケ!こっちこっち!」
天蓋のついた大きなベッドから、マーリアが顔を出す。
自分で作ったらしい、フリルのついたおしゃれなパジャマ姿。裾から覗く太ももや、緩めの首元から少し見えそうな胸元に、タスケは目を逸らした。
普段がきっちりとしている分、これだけリラックスしているのは新鮮だな……。
「マ、マーリアさん……?」
「ねえ、タスケ。お風呂にはもう入ったのでしょう?ベッドに入ってきて?」
そう言って、ぐいぐいとタスケの腕を引っ張るマーリア。なんだかいつもより強引な気が……。
ていうか、女の子のベッドに入るってやばくない!?
「で、でも……せめて口とかゆすいで……」
って、他にも何かあっただろ! ……本当にその……想像しているようなことをするみたいな!
いや、別にやましいことは考えていませんけども! ジェントル・タスケなんでね! (※まだ言っているのか)
タスケは理性を保とうと、一旦マーリアから離れようとする。しかし……。
「マ、マーリア?」
マーリアはそのまま、タスケに抱き着いてきたのだ。ちょっ……なんだこの展開!?これじゃ『転生恋愛もの』のラノベの主人公みたいじゃんか……! (事実です)
タスケが顔を真っ赤にしていると、マーリアの背中が微かに揺れていることに気付く。
「……マーリア?」
「……タスケ……お願いがあるんです……」
マーリアは細く呟く。なだめるように背中を撫でると、マーリアの腕の力が更に強くなった。
「お願い……私を……一人にしないで……」
振り絞るように小さく言うマーリアから、タスケは一旦身体を離した。
不安げに瞳を揺らし、その大きな青い綺麗な眼から、ぽろぽろと大粒の涙を零すマーリア。泣いていてもやはり美人だ。
……ダメだ、タスケ。理性を、理性を働かせろ……!
「ん……っ」
やり場のない淋しさを紡ぐマーリアの赤い唇を、タスケは自身の唇で塞いだ。
マーリアの白い素肌を伝う涙を、優しく拭いながら。
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