第十三話 笑顔のマリーゴールド
元気なお婆さんたちが洗濯物を干したり、井戸端会議をしていたり……。マドブルクの街の中は、今日も平和だった。
「よいしょ、よいしょっと……。ふぅ……漆黒の悪魔だからか、人間の道を歩くのは辛いな……」
松葉杖をつきながらの生活にも慣れてきたタスケだったが、生身でこの街をゆっくり見て回るのは初めてな気がする。
痛みはだいぶ引いたものの、完治はまだ遠いなぁ……。ヨタヨタと歩いていると、薪を運んでいるお爺さんに声を掛けられる。
「おお、兄ちゃん。怪我かい」
「はい。まだ治るのに時間がかかりそうで」
「大変だねぇ。お大事にな」
街の人たちは親切で、タスケの怪我を心配してくれた。あの門番たちとは大違いだ……でも、元気かな? あの人たち。番長もとい門番長に、たっぷり絞られたのだろうか。
今度また挨拶に行こう。そう思っていると、街の片隅に高い木を見つけた。荒野生活で何度もお世話になった木に、タスケは愛着すら湧いている。
「お、丁度いいところに木陰があった。あそこで食べようかのう」
彼は一体いつまで、おじいちゃんごっこを続けるのか。
木陰にゆっくりと腰掛け、袋から黒パンを取り出す。これを食べ終えたら、改めてマーリアを探しに行こう。
「いっただっきまーす!……美味い!(僕にとっては)美味い!」
冒険者証明カードを発行すると同時に、僕は『冒険者保険』というものに加入しているのだが、このパンはその保険で支給されたものである。
最初は怪しくないか……? と思ったが、タスケがベッドの住人だった時に、アンリが至極丁寧に説明してくれ、十分理解した上で加入できた。無料で入れる上に、サービスが手厚いのも特徴だ。
「『怪我をしている場合は、宿泊・医療・食事のサービスを無料で受けられる』なんて、満身創痍の僕にとっては大助かりだからなぁ……」
その説明を受けた瞬間、入るしかない! と加入した。もしかしたらあの門番のお爺さんは、このことも分かっていて、ブルクハーツに案内してくれたのかも。
また門番さんたちを訪ねよう! 街の門に遊びに行くというのも、おかしな話だけれど。
少し気が抜けてしまったせいか、左腕が木の幹にぶつかってしまう。
「いっ!!まずは、怪我を治すことが先決だな……」
黒パンをあっという間に平らげ、タスケはその場から立ち上がろうとする。
「よいしょ……っとうわあ!」
しかし、バランスを崩した拍子にタスケの視界はぐらりと回る。
やばい! 転ぶ……! ここで転んだら、怪我がまた悪化して……! この世界を手中に収めるのが遅れる……!
思わず目を瞑るタスケだったが、いつまで経っても痛みには襲われなかった。
「あっ……ぶねっ!大丈夫か坊主!」
転びそうになったところを、誰かに肩を支えられたらしい。
ん? この声……聞き覚えがあるな? しかも坊主って……前々から言いたかったことだけど、僕は坊主じゃない! ボサボサだけどフサフサだろ! どう見ても!
「よぉ!久しぶりだなぁ!坊主!」
「あなたは……!マーリアと一緒にいた兵士さん!……って、僕はタスケですよ!覚えてください!」
「あっはっは!覚えてるに決まってるだろ!マーリアお嬢様が、毎日のようにお前の話をしているもんだからさ!」
なんと、あの時マーリアが連れていた兵士の一人と、まさかの再会。
って、なんでやねん。ここ、マーリアと運命の再会をするパターンじゃないのかよ!
兵士と言っても、以前の鎧兜ではなく、タキシードを身に着けている。一瞬誰か分からなかったのは、出会った時と違って顔がはっきり見えているからだろう。凛々しい眉と得意げな表情が、彼の人柄を物語っていた。
オレンジ混じりの茶髪をオールバックにしている彼には、確かな品格があり、タキシードの裾の刺繍は手作り感を漂わせている。
タスケをからかってくるものの、再会は心から嬉しいようだ。
「こんなところでまた会うとはなぁ!あれから野垂れ死んでないか心配だったんだ!」
「物騒なこと言わないでくださいよ!」
「あっはっは!冗談冗談!」
ファーストコンタクトで槍を突き付けられたが、今じゃこの打ち解けよう。
タスケは転生前、普通の男子高校生だったが、比較的コミュニケーション能力は高く友達が多かった。その経験が生きているのか、基本的に誰とでも仲良くなれるのだ。
「にしても、こんなとこで何してんだ?」
「お昼ご飯を食べていたんです。リハビリがてら外に出ていて」
「まだ痛そうだもんなぁ。だけどお前、そんなに怪我、酷かったっけ?」
「あはは……まあいろいろあって」
ただでさえ狼に噛まれてしまって自由に使えない左腕と、ゴメスに吹っ飛ばされたお陰で強く捻った右足を見て苦笑いする。腕に関しては、右利きだったことが不幸中の幸いといったところかな。
「そういや名乗ってなかったな。俺はトワイン。マーリアお嬢様の屋敷の使用人と執事をしてるんだ」
「へえ!だからそんなにお洒落な恰好を!?」
「おう!格好いいだろ!」
「はい!」
「それにしても、こんなところでタスケに再会できるとはな……丁度良かった。ついてきてくれないか?」
「?はい」
トワインさんに支えられながら体制を立て直し、松葉杖をつきながら彼に着いて行く。歩調を合わせてくれるあたり、根っからの良い人なんだよなぁ。でも、一体、何処に向かっているんだろう?
「ほら、着いたぞ」
「でっか!?なんだこのお屋敷!!」
タスケの目の前には、マドブルクに立ち並ぶ家々の中でも、一際大きな屋敷。ギルドも大きいけれど、ギルドより装飾されている部分が遥かに多く、この街まで連れて来てもらったときの馬車も停まっている。
入口の大きなドアも昔から使われているのか年季が入っているが、しっかりと整備が行き届いていて……。
この街の探索をするときは、ゴースケの状態で常に影に入っていたから、逆に見つけられなかったのか……。『灯台下暗し』って、こういうことなんだな。
トワインはたじろぐタスケの様子に笑いながら、扉を開けた。
「ベルベット様、ただいま戻りました!」
「おかえりなさいまし、トワイン殿……おや?」
「あ!あの時のお爺さん!」
「こら!」
屋敷の入り口でトワインが敬礼しながらそう言うと、奥からマーリアの爺やが出て来る。思わず『お爺さん』と呼んでしまったため、トワインに軽く手刀を入れられてしまった。
トワインさん、いい人なんだけども、すぐに手が出るんだよなぁ。あと、もう一人の方も。
「あ痛たたた……」
「誰かと思えばタスケ殿ではありませぬか。お久しゅうございます」
「あはは……お久しぶりです!えっと……ベルモットさん?」
「ベルベット様だよ。ベルモットは酒だろ」
「ホッホッホ。お変わりないようで。しかし、お身体は大丈夫ではないようですね……マーリアお嬢様は、出先からもう少しで戻られます。こちらへどうぞ」
ベルベットに促されるまま、タスケは屋敷の中へと案内される。
それにしても、馬車も屋敷の見た目も華美だったため、予想はしていたが、赤いカーペットが敷かれた廊下。ところどころに飾られている高そうな花瓶、女神みたいな女性の像……まさにお金持ちの家の内装だ。
タスケはあんぐりと口を開けた間抜けな顔で、辺りを見回す。
「ホッホッホ。そんなに珍しいですかな」
「あ、すみませんきょろきょろしちゃって……。こんな立派なお家、初めて入りましたから……。ところで、マーリアは元気ですか?」
「ええ。毎日のようにタスケ殿の話をしていらっしゃいました。わたくしどもも、あなたとの再会を心待ちにしておりましたよ」
転生前はある女子に恋こそしていたものの、男友達ばかりとつるんでいたタスケ。こうして女の子(しかも超美人)と仲良くなるのは初めてだ。
あの時ももっと、勇気を出していればよかったのかもしれないな。
それにしても……マーリア、僕の話をそんなにしてくれているのか。なんだか照れるなぁ……。
「トワイン殿は店番を頼みますぞ」
「かしこまりました。またな、タスケ」
「はい!」
「タスケ殿はこちらへどうぞ」
「あ、はい!」
仕事に戻るらしいトワインさんに手を振り、僕はヨタヨタとベルベットさんの後を追いかける。
「どうぞこちらへお座りください」
「え……こんな王様みたいな椅子にいいんですか?」
「王様だなんて、そんな大層なものじゃないですよ。怪我もしているんですから、どうぞ遠慮なさらず」
タスケは客間らしき部屋に通された。座り心地の良いふかふかの椅子、材質の良い木で作られているテーブル。部屋の四方に立つトルソー。なんだか違う世界に来たみたいだ……来てるんだけれど。
「タスケ殿、紅茶でよろしいですか?」
「は、はい!」
紅茶……この世界にもあるんだなぁ……。ギルドだとお水とか、稼いでいる冒険者ならお酒を飲んでる人もいるけれど……。
「お待たせいたしました」
「わぁ……!良い香りですね!」
紅茶の香りに包まれて、心なしか優雅な気分になってくる。出来るだけ粗相のないようにと、ベルベットさんの様子をチラチラと伺いながら、恐る恐るカップに口をつけた。
「!この紅茶、凄く美味しいです……!」
「マーリアお嬢様は紅茶党なのです。タスケ殿も紅茶はお好きでしたか?」
「はい。僕、苦いものが苦手で……だけど、紅茶は飲めます!少し大人になった気分になるんですよね!」
「ほう、そうでしたか。マーリアお嬢様も似たようなことを仰っておりましたよ。そしてこちらは、お茶請けのお菓子です。遠慮は無用でございますよ。どうぞお召し上がりください」
「わあ!ありがとうございます!いただきます!」
なんだか、ベルべットさんと話していると、心が和むなぁ……。母方の爺ちゃんがとても優しい人だったから、爺ちゃんと雰囲気を重ねちゃうのかな。緊張もなんだかほぐれてきた。
お茶請けとして出されたのは、これまた美味しそうなクッキーだった。
「んんん!甘すぎない味が紅茶に合っていて……美味い!!」
「ホッホッホ。タスケ殿は本当に元気でございますね」
すると突然、トワインさんやベルベットさんとは別の男の人の声が飛んできて、ピリッとした空気になる。
「マーリアお嬢様のお帰りでございます!」
「ただいま戻りました」
マーリアが帰ってきたようだ。ベルベットさんも出迎えのためか、客間からいそいそと出て行く。
「マーリアお嬢様、お疲れのところ申し訳ありませんが、来客ですよ」
「来客?お見合いはお断りすると言っておいたはずですよ」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
彼女の小鳥のさえずりのような声とともに、コツコツとゆっくりヒールの音が近づいてくる。
「……タスケ?」
「マーリア!久しぶりだね!」
「お久しぶりです!」
僕の顔を見るなり、お洒落な刺繍が入ったピンク地のスカートを揺らしながら、にっこりと微笑むマーリア。
どこか温かみのある衣服からも、艶やかな金髪からも、キラキラの粒子が出ているような錯覚に襲われる。特別な人間って、やっぱりマーリアのような人のことをいうんだな……。
タスケは思わず立ち上がり、マーリアとの再会を心の底から喜んだ。
「ふふ、お変わりないようで」
「僕はおかげさまで。マーリアも元気そうで何よりだよ」
美しい彼女の笑顔に、タスケの胸が高鳴る。どこか上機嫌なマーリアは、彼の怪我を心配してか、思わず立ち上がったタスケを座らせ、向かいの椅子に座った。
「マーリアお嬢様、紅茶でございます」
「ありがとう、爺や」
ベルベットさんが出した紅茶にレモンを浮かべる様子も、カップを持ち上げる所作も、全てが丁寧……。タスケも彼女の真似をしようと、出来る限り上品に紅茶を飲もうと努める。
この高級そうな椅子も、僕が座っていると場違い感しかないのに……マーリアにはぴったり。さすがはお嬢様だ。どこかの国のお姫様だって言われても信じちゃうよ。
「でも怪我、まだ治っていないんですね……。気のせいでしょうか、悪化している気がしますが」
「まぁ、いろいろあってね……」
正直、怪我が悪化したエピソードをマーリアに知られるのは嫌だった。だって……ギルドに行ってすぐ、仕掛けられた手合わせでやられたなんて格好悪いし。
心配そうに瞳を揺らすマーリアを安心させようと、タスケは話を変えることに。
「それにしても、お嬢様だってことは知っていたけど、凄く立派なお屋敷に住んでいるんだね」
「冒険着や正装用の洋服、街の人々の普段着……この街の服のほとんどを我が家で手掛けているの。マドブルクの皆さんのご愛顧があってこその暮らしですわ」
さっきトワインさんが『店番』で何処かに行ったのは、そういうことだったのか。
「お店もやっていたんだね」
「タスケや私の通った入り口の反対側が、店頭になっているのです。後でご覧になってみてください」
「うん!」
お店かぁ……マドブルクの街の中をスキルで歩き回っていた時は、中古家具や骨董品を売っている露店をよく見かけた。街の人口の六割が老人なだけあって、そういった店が多いようだ。
『わしが生きてるうちに引き取ってくれ』だなんて会話もよく聞こえてきた。
一人で納得していると、ベルベットさんが口を開いた。
「マーリアお嬢様が手ずから作った服は『マーリア・ブランド』として、世界的な人気を博しているのです」
「へえ!そんなに凄いんだね! 」
「ちょっと爺や、あまり持ち上げるのは……そんなに大したことじゃないですし」
ブランドだなんて……少し自信があるってレベルじゃないぞ。
「いや、凄いよ!僕、マーリアのことを尊敬する!」
「あ、ありがとう……。タスケに褒められると嬉しいわ」
マーリアの表情は照れ笑いから、満面の笑顔に変わる。まるでマリーゴールドの蕾が開いたかのようだ。
綺麗な人の笑顔だけで飯が食えるだなんて、いつか父さんが言ってたけど、今ならそれが分かるや。僕、マーリアの顔だけで飯食える。この世界でお米は見たことないけどさ。
「そういえば、タスケはギルドで怪我の療養を?」
「うん。今日はリハビリがてら外に出ていたんだ。それに、マーリアに早く会いたくて」
「えっ……?」
タスケもマーリアの笑顔につられてニコニコ笑っていたら、マーリアは顔を真っ赤に染めた。その美しさに目が行きがちだが、可愛らしい表情もするんだなぁ……。
「ホッホッホ。タスケ殿は見かけによらず、ハンターですなぁ」
「も、もう!爺や!」
「へ?ハンター?」
「お、お気になさらず!」
愉快そうに笑うベルベットさんと、焦り出すマーリアが対照的で、タスケはただただ首を傾げるだけだった。
タスケは転生前から、超がつくほどの『鈍感』である。自分に向けられている感情には、全く気付かないのだ。ただでさえ普通な見た目をしているのに、本当にもったいない男である。
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