第一話 人生もうダメです
つむじ風が吹き付ける荒野で、ひとりの少年が焦りをはらんだ声をあげる。
「何処だここ……!それに僕、生きてる……?死んだはずなのにどうして……!?」
夜の帳に包まれた荒野だが、上を見上げれば満天の七色に輝く星たち。そして、さらに上に浮かび上がっている赤と青の二つの月……。
こんなの日本……いや、地球でもありえない。タスケは自分の頬を思い切り抓ってみる。
「……あ痛い!!夢じゃない!!」
だけど夢以外なら、一つの可能性にしか辿り着かないぞ……。
「『異世界転生』したのか……?僕が……?」
ーーーーーー
ところ変わって現代の東京……。あなたは、この退屈な毎日を変えたいと思った事はありませんか?何かの刺激が欲しいと思った事はないですか?
「ふぁぁ……ねっむいなぁ……」
目標も目的も無く、時間だけ過ぎる毎日に、正直嫌気が差していたわけだが、この少年も例外ではなかった。
この時の僕はまだ、自分が『世界』を変えることになるとは、夢にも思わなかったんだ。
「十二時かぁ……二人とも仕事かな……」
何の変哲もない『普通』の男子高校生・道枝太輔。下の名前がどう見てもタスケとしか読めないし、すぐに助けを呼ぶからって理由で、あだ名は『タスケ』だ。
昔からタスケ、タスケって呼ばれて、今じゃ親ですらタスケと呼んでくる。僕も元々、タイスケじゃなくてタスケって名前だったんじゃないかと思っているレベルだ。
趣味や特技はこれといって無い。成績も普通。顔も普通。身長は平均ぴったり。逆に凄いとまで言われたことだってある。
それくらい普通な僕。『普通選手権』なんてものがあったら、きっと僕がぶっちぎりで一位を取れる。(※そんなものはない)
なんなら今日は休日で頭はボサボサだし、昼だというのに寝間着だ。まあ、今日は出掛ける用事なんてひとつも無いから良いのだけど。
僕以上に普通な人間なんていないのではないか? 自分でもそう思ってしまうほど。
あ、でも一つだけ親にも言えない普通ではない秘密がある。それは……。
「フッフッフ!我が名は『漆黒の悪魔・タスケイロ』!では、漆黒のアフタヌーンを楽しもうではないか!」
そう言って、ベッドから勢いよくジャンプした彼は、バリバリの厨二病患者。親はもちろん、友人たちも数名しか知らないタスケの秘密である。
中学の頃はみんなで一緒にバカ騒ぎしたものの……今じゃみんな厨二病を卒業してしまっている。もう周りには、悪魔の盃を交わした盟友たちはいないのだ。
ポーズを決めたタスケの腹が、ぐぅぅぅぅぅ……と間抜けな音を奏でたことによって、現実の世界に引き戻される。
「……あーぁ、なんか面白いことでも起こらないかなぁ……」
午前中ずっと寝ていたタスケは、自室から出て階段を降り、キッチンに母の書き置きとともに置かれているおにぎりを食べ始める。両親はやはり仕事に行ったらしい。
暇だ……。少しだけ『漆黒の悪魔・タスケイロ』ごっこをしたものの、一人だとやはり寂しいものがある。
友人たちはみんな部活動で忙しく、休日に暇を持て余しているのは僕くらいだ。面倒だと思って入らなかったけれど、適当に楽そうな部活にでも入ればよかったかな。
もしくは『厨二部』みたいな部活を作るとか?
「いやいやいやいや……ないわー……」
自分で考えてみて、自分で引いてしまった。かくいうタスケ自身も、そろそろ厨二病の卒業が近づいて来ている。
《僕はそこまで陽キャじゃないし……『厨二部』なんて陰キャ臭が凄いだろ……》
タスケはひとつ溜息を吐いて、またおにぎりを頬張り始めた。
窓から、心地の良い風が吹き込んでくる。いい天気だな……。
タスケの家は、高校から最も近い距離の住宅街の高台の上にある。タスケの高校入学に乗じて、思い切って引っ越したのだ。
父さんも母さんも職場が近いみたいだし、僕もギリギリまで寝ていられるし、いい立地だよな。
僕はおにぎりを平らげて立ち上がり、冷蔵庫の牛乳を直飲みした。母さんに見られたら怒られるけど、今はいないから別にいい。
「フッフッフ……今の我を止めらる者は誰もおらぬ……!この聖水(※牛乳です)は全て我のものだ!!」
シーン……。
……最近流行ってるソシャゲでもやるか。スマートフォンは部屋に置きっぱなし。階段を上がるのは面倒だけど、どうせそれ以外にやることもないもんな。母さんには口酸っぱく『勉強しなさい』と言われるけれど。
キッチンを後にして、二階の自室に戻ろうとした時だった。
突然、視界がぐらりと揺れる。
「うおっ!!?なんだ!!?」
じっ……地震!? 僕は転倒したが、その揺れは一時的だったらしく、すぐにおさまる。
良かった……。
二階から、僕のスマホが緊急地震速報の音を鳴らしている。遅いだろ。もう揺れたっつの。最近の緊急地震速報は、少しの揺れでも感知してくれるはずじゃ……。
あれ? まさか……地震はこれから……!?
「ひっ!!?うわあああっ!!?」
そんなことを考えていると、さっきとは比べ物にならない程の、大きな揺れが襲ってきた。家のところどころから、ガシャン! やらパリン! やら、不穏な音ばかり鳴り出す。
なんだこれ……! こんな強く突き上げるような大きな地震、経験したことない! 地震の時ってどうするんだったっけ……机の下に隠れるか!? とりあえずキッチンに戻って……!
床に手をつき、揺れに耐えながら移動するが……。
「な……!」
キッチンの食器棚も家電も全て倒れ、ダイニングテーブルは壊れてしまっている。キッチンのテーブルの下は無理だ……!
他の部屋に逃げたいところだが、きっとキッチンと同じ惨状になっている。そうだ、地震の時は高い所にいた方がいいんだったよな!? 二階に急いで上がって……スマホで助けを呼んで……!
激しい揺れのせいで、何度も落ちかけながら階段を上がる。いっそ上がらない方が身のためなのでは……? とすら思ったが、乗り掛かった舟だ。上がってしまおう。
「うぅっ……大丈夫かな……」
母さんの趣味で飾ってある花瓶やら、父さんの出張土産やらが散らばる廊下をよたよた歩き、ピコンピコンと通知音の鳴り止まない部屋へと向かう。
「っ……やっと着いた……。父さんと母さんは大丈夫かな……?電話できるかな……くっ!?」
部屋のドアを開けようとしたが、どれだけドアノブをひねっても開かない。揺れの影響か!?
くそっ!これじゃ外に連絡できないじゃないか!
僕がそうこうしている間にも、揺れは強くなっていく一方だ。
《外はどうなっているんだ? この揺れだし、家の中にいるよりも危険なのか……?》
今の状況が把握できない歯痒さに、タスケは頭を抱えて座り込む。僕はいったいどうしたら……!
ずっと自分のことに必死だったタスケの耳に、ようやく外からの悲鳴が届く。
「うわああああ!!」
「キャー―――!!」
「逃げろーーー!!」
「ねぇ!この子だけでもッ!!」
数々の悲鳴だけではなく、車の急ブレーキの音、何かが激突したかのような轟音。足がすくんで、窓まで行けないが……外も大変なのは分かる……。
《外の様子を見に行きたいけれど、絶対に危険だ……だけど、だからって家の中も状況は変わらない……どうすれば……》
窓ガラスの割れる音、どんどん物が倒れていく音。そしていよいよ、タスケが座り込んでいる床に亀裂が走っていく。
せっかく父さんがローンで買ったマイホームが、崩れ……。
僕の身体が、宙に浮く。
「うわああああああっ!!た、助けてええええええええ!!」
落ちて行く。この後自分の身に襲い来る痛みを想像しただけで、身震いがするけれど……落ちている間がとても長い時間に感じられる。
ああ、人間ってこんなに呆気なく死ぬんだな。僕はただただ、退屈な日々を送っていたけれど……。
心のどこかでは、いつか何か大きなことをしてみたいと願っていたんだ。本当は。
身体中に断続的な痛みが走り、話すことも考えることもままならない。
「……う、ぐ……」
だけど僕、まだ生きている……?
崩れた家の瓦礫に埋まったらしく、全く身動きが取れない。揺れは収まったらしいが、腕も足も、身体の至る所が全部痛い。助けて……! 父さん……母さん……みんな……!
「皆さん落ち着いて!揺れがひとまず収まったので、避難所へ避難してください!」
ざわめく人たちに呼び掛ける声……自衛隊の人かな?救助隊だっけ? どっちでもいい。誰か、誰か……!
「たす、けて……!」
「っ!この崩れかけた家に人がいます!救助開始!」
よかった。声が届いた。瓦礫を動かす音を聞きながら、僕は意識を手放しそうになる。
「おね、がい……たすけ、て……」
「絶対に助けますからね!どうか頑張って!」
救助してくれている男の人の声で、僕の意識が明確に浮上する。だって、名前を呼ばれた気がしたから。タスケって。
「おい!本部から連絡だ!余震を計測!今よりも大きいらしい!一時撤退だ!」
「そんな!ここに人がいるんですよ!?」
「お前がここで死んだら、他にもいる多くの人を助けられないだろ!余震に備えるぞ!」
助けてくれていた人たちの声が離れていく。
そして、彼らの言っていた通り、再び大きく揺れ始めた。さっき以上に強い揺れが襲い来る。
さっき以上……やばいな……いったい震度はいくつなんだろう……。タスケは心の中で、考えても無駄なことばかり考えてしまう。現実逃避、というやつだろうか。
逃げ惑う人々が、ブレる視界の狭間で微かに見えた。必死な断末魔とともに。
「わあああああぁぁぁ!!!」
「おとうさああん!おかあさああん!」
「お願いします!子どもだけでも!!」
「助けてくれぇ!!死んじまうよぉ!!」
どこか遠く感じる大勢の悲鳴。違うな、僕の意識が遠のいているのか……。
家がまた崩れてきて、僕の身体はさらに奥へ奥へと沈んでいく。崩れた家の上に、様々なものがのしかかっているようだ。
腕も足も、骨が折れているはずだが、もう痛みすら感じない。この事実が、僕により一層『死』を予感させる。
助けを呼んだところで無駄だって分かってはいたんだ。
僕はどのみち助からない。それでも一縷の望みをかけて、僕はもう一度叫んだ。
「……た、す、けて……」
喉奥からようやく出たか細い声は誰にも届かず、大きな音を立てて、タスケの家は完全に崩れてしまった。
こうして、一人の普通の少年は、十六年という短い生涯を終えた。
《せめて……父さんと母さん、友達や……あの子が無事かどうか、知りたかったなぁ……》
そう。終わりを告げたはず……だった。
いつの間にか痛みをはじめとした感覚を全て失っていて、もうきっと天に召されるのだろう……。
魂だけの状態って、今の僕のような感じなのかな……?
ーーーーー
『可哀想に……何の目的も無いまま死んでしまったのですね』
そんな時だった。透き通るような綺麗な声が聞こえてきたのは。
「……あ……?」
声が、出せる……?ゆっくりと重たい瞼を開くと、辺りは真っ白な空間でしかなかった。
それにしても……今のは女の子の声……?
『あなたを助けて差し上げましょう』
「……僕、死んだはずだよね?助けるって言っても、どうやって……?」
何故か普通に会話が出来ている……それにしても、この声の主はいったい何処にいるんだ……?
『あなたにとあるスキルを与えました。そのスキルを使って自由に生きてみせてください』
「す、スキル……?スキルっていったいどんな……ってうわあああぁぁぁっ!!」
声に問い掛けるも、僕の視界は一気に明るくなり、反射的に目を瞑ってしまう。
そして、何の状況も把握できないまま、タスケは勢い良く起き上がった。
「はっ、夢か!……じゃなくて!」
タスケは、暗い荒野の上で目を覚ました。辺りを見回すが、草木が生い茂っているだけ。
暗いってことは夜? あの地震は? 父さんと母さんは?
ーーーーー
こういった経緯で、冒頭に至るのである。
「『何処にでもいる普通の男子高校生タスケ、異世界転生する!』……って、僕、特にイケメンでもなければ頭脳明晰でもないんだけど!?」
確かに、面白いことでも起きないかなとは思っていたけれど! 実際に自分の身に起こるなんてことある!?
「……いざ転生してみると、不安なことだらけなんだな……」
物語の中の主人公たちは本当に凄いんだと実感する……。この状況で、すぐに異世界モードに切り替えるなんて、『普通』な僕には無理だ。
父さんと母さん、部活に行っていた連中に、あの子も……無事だったのかな……? こんな状況下となっては、転生前のことを考えても無駄であることくらい、痛いほど分かっているが。
「……もう、父さんにも母さんにも……みんなにも会えないのか……」
普通に生きて、普通に死んだ自分に、突然舞い込んできたチャンスだが、それとこれとは話が別である。
「……でも、異世界転生してきたってことは……きっと何か意味があるはずだよな!」
タスケは勢い良く立ち上がり、その場で顔を隠してかっこつける『お決まりのポーズ』をとった。
「フッフッフ……!我こそは……漆黒の悪魔・タスケイロ!この荒野一帯は、我のものである!!フハハハハハ!!」
「ガルルルル……」
突然、右も左も、前も後ろも分からない状態で異世界に飛ばされたタスケ。しかし、何処か楽しみでもあった。
後ろから目を光らせる凶暴な存在に、彼が気付くまであと三秒。
読んで頂きありがとうございます。
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