The Cage of Dreams 02
…………………………
ボーダ大陸西 マルクス国
――王都クールーク "カルデラ診療所"
…………………………
クールークの都に着いて2日目の朝。
色々な事情からアツシと共に旅することとなったミルフィーユたちは、アツシの旅の準備が完了するまで診療所を借りて寝泊まりすることとなった。
薬剤師でもあるリコリスは、時折アツシとオリハの診療所を手伝いながら、ミルフィーユはクールークの店を見て周り、彼は自分たちの旅の準備を行う。
そんな感じで時を過ごし、いよいよ今日はアツシを旅の同行者に加えて、新たな地へ出発する日となった。
「……」
もうすぐ時計の針が8時を示す。
今日の出発は9時半頃を予定しているため、時間通り出発出来るようまだ寝ているミルフィーユを起こしてきてくれとアツシに頼まれたリコリスは、ミルフィーユの寝ている部屋の扉の前で立ち尽くしていた。
起こしてこいと言われたが、まずどうするべきか……表面上は無表情で扉の前に立つも、しかし彼女は内心で自分のすべき行動とは一体何かを激しく悩む。
そして数分じっくり悩んだ後、彼女はとりあえず部屋の扉を軽くノックしてみることにした。
控え目な強さで、2回ほどドアを叩いて中の反応を窺う。
しかし中からは何も反応は無く、物音すら返ってはこなかった。
「……」
やはり数分じっくり悩んだ後、彼女はドアノブに手をかけて、ミルフィーユの眠る部屋の扉をそっと開けた。
ギィ……と、ドアが軋む音をたてながら開く。
リコリスはきょろきょろと辺りを見渡し、何となく足音をたてないように室内へと足を踏み入れた。
「……!」
部屋の中央より東、日の光が差し込んで降り注ぐ窓際のベッドに、ミルフィーユは静かな寝息をたてながら今だぐっすりと眠っていた。それを見つけたリコリスは、やはり足音をたてぬよう彼の側へ忍び寄る。
「……」
とりあえず、彼を起こさなくては。
リコリスは常に無機質な瞳に僅かな決意を宿し、そっとミルフィーユの頬に右手を伸ばす。そして彼女は、遠慮がちにミルフィーユの頬を軽く叩いた。
「……」
しかし、ミルフィーユは一向に起きる気配を見せない。
もう一度リコリスは彼の頬を叩くが、ミルフィーユは小さく呻くだけだった。
困ったリコリスはどうするべきか首を傾げ、今度は軽く彼の体を揺すってみる。するとさすがにこれには気付いたのか、ミルフィーユは「うん……?」と寝ぼけ眼で薄く目を開けた。
「ん……」
完全に寝ぼけたような篭り声で彼は呻き、ぼんやりとした眼差しで自分の顔を覗き込むリコリスをじっと見つめる。なんとなくリコリスも不思議そうな目でミルフィーユを見つめ返していると、彼はまだ半分夢の中にいるような覚醒しきっていない瞳と表情をリコリスに向け、やがて微かに唇を動かした。
「……アリア?」
「!?」
その呟きを耳にした瞬間、リコリスの動きが止まる。
彼女は深紅の瞳を見開きながら、やがて弾かれたようにミルフィーユから手を離した。
「んん~……?」
「……」
ミルフィーユはまだ眠そうに目を二、三度擦り、そこでやっと完全に目が覚めたのか、ベッドの横に立つリコリスを覚醒した瞳で見遣る。
「あれ? リコリス? ……あ、朝か」
「っ……」
ミルフィーユはゆっくりと上半身を起こすと、「んー」と唸りながらおもいきり腕を伸ばす。そしてリコリスに「もしかして起こしに来てくれたのか?」と問いながら、もう一度眠そうに目を擦った。
「わざわざありがとう。あと、おはよう」
ミルフィーユはにっこりと微笑み、ベッドサイドで何故か自分を驚愕の瞳で見つめるリコリスに、とりあえず礼と朝の挨拶を述べる。しかしリコリスはミルフィーユがそう声をかけた途端、それに反応したかのようにいきなり彼に背を向けて、まるで逃げるように部屋を出ていってしまった。
「あ、リコリス?」
バタバタと慌ただしい足音が急速な早さで遠ざかっていく。
突然立ち去ってしまったリコリスに、ミルフィーユは寝起きでまだ完全に機能していない頭で「どうしたんだ?」と考える。しかしそんなことよりも、まずは起きて朝食を食べないといけないなと考え直し、ミルフィーユは大きな欠伸をしながら着替えを行おうと、ゆっくりとベッドから起き上がった。
◆◇◆◇◆◇
足が震える。呼吸が乱れる。何故だかわからないけれど、とても胸が苦しい。
「っ……っ……!」
長い漆黒の髪を激しく揺らしながら、血の気を失った顔色をしたリコリスは、縺れそうな足どりで駆けながら診療所を飛び出した。
まだ人々が本格的に活動する時間帯ではないようで、診療所が建つ外の通りは人が疎らにしかいない。
朝方の冷たい空気を浅く何度も吸い込みながら、通りを走り抜けるリコリスは診療所の裏の路地に回って、そこで足を止める。
彼女はそのまま、日もろくに当たらないその場に、膝を抱えてしゃがみ込んだ。
「……」
俯き、膝に顔を埋める。
両腕でしっかりと膝を抱きしめ、彼女は強く唇を噛み締める。
何故か先程から止まない小刻みな体の震えを止めようと、そうやってリコリスは荒く浅い呼吸を何度も繰り返した。
「ハッ……ハッ……」
いい知れない大きな恐怖が内部から襲い掛かり、リコリスの心を優しく蝕む。
膝に埋まった深紅の瞳を極限まで見開きながら、不可視の不安と恐怖に怯えた彼女は、声にならない声で小さく喘ぐ。
「っ……っ!」
"たすけて。"
音を伴わない救済を求める叫びが、少女の唇から漏れた。




