pain 04
――腕、平気?
「……ん? あ、あぁ……」
じっと紅い瞳に覗き込まれ、一瞬ボーッとしていたミルフィーユは慌てて頷いた。しかしすぐに彼は、何故か心ここに在らずといった表情となり、リコリスの書いた「ありがとう」の文字を見つめたまま眉をひそめる。
彼の頭の中でまた、突如あの曖昧で不可思議な感覚が甦った。
(……? なんだ、この感覚……)
ミルフィーユの様子に、リコリスが不思議そうに首を傾げる。だがミルフィーユは気付くことなく、ただ不意に甦った『懐かしい』ような感覚に頭を抱え込んだ。
(『ありがとう』……? なんだ、これは……)
かつて……おそらく記憶を無くす前、自分はこの言葉を誰かに言われたような気がする。
そしてそれは、とても大切な記憶だったはず。
(誰に……?)
確かそれはさっきのように、魔物に襲われていたその人を助けた時に言われた言葉。
(あれは……あの人は……)
刹那、一瞬にして目の前が全て闇と化した。
「!?」
ハッとしてミルフィーユは紫電の瞳を見開き、勢いよく顔を上げる。
「な……俺は……?」
「?」
一瞬なにが起きたのかわからず、ミルフィーユは呆然とした顔で呟く。
そして額に再び汗が滲んでいるのに気付いて、ミルフィーユは無言でそれを拭った。
彼の目の前ではリコリスが不審そうに眉をひそめ、ミルフィーユの顔を覗き込んでいる。
そんな彼女にミルフィーユは「何でもない」と反射的に答え、そしてまだぼんやりする思考にかかった靄を振り払うように、強く頭を左右に振った。
(なんだ、今のは……)
一瞬だけ脳内に浮かんだ映像。それは明らかに、喪失する前の記憶だろう。
突如としてほんの僅かだけ垣間見えた記憶のかけらは、しかし彼自身の脳がやはり記憶を取り戻す拒むかのように、瞬時に闇色へ塗り潰されて――消えた。
あと一歩というところでブラックアウトした記憶の一部だったが、しかし一つだけ確実に思い出したことがあった。
それは自分はかつて誰かを助けたことがあった、ということ。
だが一体自分は誰を助けたのだろうと、ミルフィーユは静かに思考する。
思考する彼の脳内に、少女の笑顔が浮かんだ。
(……マヤ?)
1番始めにその名前が浮かんだが、しかしすぐに彼は「違う」と首を横に振った。全く根拠は無いが、だがミルフィーユはそれは違うと確信に近いものを抱く。不思議と『マヤ』という人物ではないということは、なにも覚えていない彼にもわかった。
じゃあ、一体……?
間近で唐突に『パンッ!』と、手をたたく音が聞こえる。
「わっ!」
完全に自分の世界で思考していたミルフィーユは虚をつかれ、驚きの声をあげながら目を丸くした。
見ると彼の目の前でじっと様子を伺っていたリコリスが、好い加減痺れを切らしたのか自分の存在を主張するため、まるで悪戯するようにミルフィーユの鼻先で強く両手を叩いたのだった。
「な、なんだ?」
「……」
恨めしそうにこちらを睨むリコリスと目が合う。ミルフィーユは慌てて「悪い」と言って、自分の非を認めた。
「ちょっと考え事をしていた……その、うん、もう大丈夫だ。本当に」
まだ疑わしげな視線を向けるリコリスに、ミルフィーユは苦笑いしながら両手を合わせて謝る。そして話を逸らすかのように、彼は「そういえばさっきのあの緑色の液体は、薬かなにかなのか?」とリコリスに問い掛けた。
突然話を変えられて一瞬リコリスは不審そうに目を細めるも、すぐにいつもの無表情に戻ってコクリと頷いた。
そして再び指先を大地へと近づけて、言葉を綴る。
――私が作った薬。傷に効くはず
「え、リコリスが作った?」
彼女の答えにミルフィーユは驚いて、思わず声をあげた。
その声にリコリスはもう一度頷き、地面に「薬剤師」という単語を刻んだ。
そうして顔を上げ、彼女はミルフィーユの反応を伺う。
「くすり……?」
案の定ミルフィーユは首を傾げた。
リコリスは小さく息をつき、どう説明すべきか困ったように指先をぐるぐると無意味に回す。
そんな彼女の様子からミルフィーユは彼女の困惑を察して、曖昧に笑いながら
「よくわからないが、リコリスは薬を作れるんだな?」
そう言ってリコリスを見遣る。




