lost 01
――人は生を与えられたら、皆等しく死を迎えます。
それが一つの命に必ず与えられる条件だから。
”生”とは、一過性のもの。限られた時間だけを、生きられる。
短く、儚い。きっと神様と世界が定めた制約なのでしょう。
死を克服することは、人にとって永遠の課題であって、そして不可能に近い事。
――……けど、だからこそ人は”生きる”んだと私は思います。
――私が貴方と出会ったこと、私が今まで出会った人達のこと、
私はいつか死を迎えて忘れてしまうでしょう。
だから私は世界に、人々に自分の事を覚えておいてもらいたい。
生きて、私の記憶を刻みたい……そう、思うの。
(CCK注入 記憶処理開始)
――……だから、貴方も忘れないで。私の事。
(パターンAに記憶固定 …処理完了)
――約束よ……ミルフィーユ。
(意識深層レベル3に低下 覚醒可能領域です)
『……さぁ、目覚めの時間だ』
◇◆◇◆◇◆
「……俺、は?」
紫電の瞳が見上げたのは、青い空。
”彼”はぼんやりする意識の中、無意識にそんな短い言葉を吐き出した。
緑の木々が生い茂り、その隙間から覗く青の色と太陽の光が”彼”を見下ろして照らしていた。木々の靡きにつられるように”彼”の銀色の髪も優しく風に誘われて揺れる。それを心地よいと感じながら”彼”はゆっくりと起き上がった。
パサリ……と、額から何かが落ちる。
「……?」
それを拾い上げて見る。どうやら僅かに水で湿ったタオルのようだ。
「これは? ……っ!?」
タオルを掲げて眺めた視界の先に、”彼”をじっと座り込んで見つめる女性の姿を見つけて”彼”は酷く驚いた。
まるで気配を感じなかったのだ。その人物は無表情に、どこか無機質な紅色の瞳をこちらへと向けている。長い黒髪とソレは酷く神秘的で、なにより”彼”を驚かせた1番の要因はその人の美しさだった。長い睫毛が彼女の目に淡く影を作り、人形のような無機質さが儚い美を感じさせる。
何も発しようとしない彼女に”彼”はしばし困り果てた。しかし直ぐに気付く。
「あ、もしかして君がこのタオルを……?」
その”彼”の言葉に彼女は小さく頷いた。
その彼女の行動に”彼”はほっとしながら、思い出したように付け加えた。
「……ありがとう。えっと、俺はミルフィーユ」
ミルフィーユはそう言って、少しぎこちない笑みを彼女へと向けた。
介抱してくれたことに対しての御礼なのだが、その「ありがとう」に彼女は少し困惑したような視線をミルフィーユへと返す。
そのことを不思議に思いながらも、ミルフィーユは自分が何故こんな森の中で気を失っていたのかを考え、記憶を辿った。
しかし……
「……あれ?」
「?」
アメジストのような瞳を呆然とした表情で、どこへともなくさ迷わせるミルフィーユ。彼女は訝しげに首を傾げる。
「……」
鮮血色の唇を僅かに動かし、何かを問い掛けるような仕種をとるも、彼女は何も発する事なく再び唇を固く結んだ。
「……俺は……?」
ミルフィーユは焦点の定まらない瞳を、そんな彼女へと向けて呟いた。
「……記憶が……無い」
「!?」
頭を抱えて小さく左右に首を振る。吐き気に似た感覚が押し寄せ、ミルフィーユは思わず呻いた。
酷い頭痛。目眩。
「ぐっ……」
「……」
柔らかな大地へと手をつき、口元を押さえる。自分が今まで何をしていた思い出そうとすればするほど、不快感は強くなりミルフィーユはうっすらと額に汗を滲ませた。まるで、自分の記憶を思い出すことを身体が拒否するかのようだ。
何も思い出せない。
そう、ミルフィーユという自分の名前以外……。
「……なぜ?」
――記憶が、ないの?
細い木の枝が、ミルフィーユの目の前で大地へとそう文字を綴った。はっとしてミルフィーユは顔を上げる。そこには先程となんら変わらぬ無表情の彼女の姿。じっとこちらを見つめる彼女の細い指先には、先程大地へと文字を綴った木の枝が握られている。
「君……」
不思議そうな面持ちで彼女を見つめると、再びミルフィーユの目の前で彼女は木の枝を動かし始めた。
――何も覚えてないの?
「……」
彼女の問い掛けに、ミルフィーユはとりあえず頷いた。
それを見た彼女はやはり表情を変える事なく、虚ろな瞳をミルフィーユに向けた。
「……君、喋れないのか?」
「……」
彼女は頷くことなく、唯真っ直ぐにミルフィーユを見つめた。それを肯定ととったミルフィーユは「そうか」と小さく呟く。
何だか複雑な気分になり、ミルフィーユは溜息を吐いた。