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八話

 華弥との二人暮らしが始まって二週間が経った。いつも通り学校生活が終わると古本屋へ行ったがドアが閉まっていた。さらに『近々取り壊す』という紙も貼ってあった。

「そ……そんな……」

 驚いて後ずさった。唯一の心のよりどころがなくなるとは予想していなかった。この古本屋が取り壊されたら、どこでため息を吐けばいいのか。今は雅人もいないし、息づまる生活に耐えられるほど磨弥は強くない。がっくりと項垂れて、とぼとぼと歩き始めた。真っ直ぐ帰る気にはなれず、ぶらぶらと散歩をした。長く住んでいるので、ほとんどの道は知っている。迷子にもならないし店だってどこにあるか記憶している。時間の無駄だとはわかっていても、もう少し外にいたい。

 血の繋がった母と娘がぎくしゃくするなどあるわけないと磨弥は考えていた。赤ん坊の頃から常にそばにいたのに、なぜ緊張してしまうのだろう。自分をこの世に産んでくれた華弥に会いたくないなんておかしい。

「……私は、ママをどう思ってるのかな……」

 愛に満ちて優しい華弥を苦手と言う自分が悪者に見えてくる。華弥が必死に近付こうとしているのに磨弥が逃げていたら、いつまでもぎくしゃくは続く。磨弥も華弥との仲をよくするために寄り添う努力をしなくては。

 俯いていた顔を上げると、目の前に小さい公園があった。かなり古く遊具も少ない。長いこと使われていないと確信した。

「……こんな公園があったなんて……」

 ゆっくりと中に入って汚れたベンチに座った。夕焼け空を眺めると、つい先ほどの暗い気持ちが軽くなった。完全に解消したわけではないが、だいぶ気持ちが明るい。ネガティブだった胸が柔らかくなる。

「ここ……。いいなあ……」

 呟き、自然に笑顔が作れた。ぎこちない笑みではなく素直な笑みだ。誰にも邪魔されないのは居心地がいい。いつでもこの自然な笑みが作れたら……。

 突然携帯が鳴った。華弥からだ。磨弥の携帯に登録してあるのは華弥の電話番号だけだ。

「磨弥、どこにいるの? もう夜だよ。早く帰ってこないと危ないよ」

 また過保護、と重い鉛が心に浮かんだ。護ってくれるのはありがたいが、度を超すと迷惑以外の何物でもない。

「まだ五時にもなってないよ」

「でも、もし磨弥がおかしな事件にでも巻き込まれたら」

「大丈夫だよ。おかしな事件なんかそうそう起きないよ。ママってめちゃくちゃ心配性だよね」

「油断は禁物だよ。たった一人の磨弥を不幸にしたら、ママ生きていけない。頭が狂っちゃう……」

 これ以上続けていても仕方ないと一方的に切った。本当はもっと公園にいたかったが我慢だ。また辛くなったら公園に来て癒してもらえばいい。次の心のよりどころはこの小さな公園に決めた。自分だけの落ち着ける場所がすぐに見つかって嬉しかった。

 華弥は玄関で待っていた。泣きそうな表情でぎくりと緊張した。

「よかった。ちゃんと帰ってきてくれた……」

「大袈裟だなあ。そんなに不安にならなくてもいいじゃない」

 きっと自分が母親に愛されず傷つけられたから、絶対に磨弥は同じ目に遭わせないよう気を遣っているのだろう。華弥は悪魔に育てられたため、地獄の日々だったはずだ。

「明日から、ママ磨弥を迎えに行く」

 突然の言葉に驚いた。

「えっ? 迎えなんて……やめてよ」

「磨弥を護るにはそれくらいしないと。万が一ってことがあるでしょ?」

「かっこ悪いよ。一人じゃ家に帰れないって親に甘えてるみたいじゃん」

「だめだよ。いっぱいママに頼ってほしいの。磨弥が幸せになるならどんなこともする」

 ぎゅっと手を握り締めてきた。あまりの過保護に、急にいらいらが溢れた。

「迎えになんてこなくていいし、事件にも巻き込まれないから。心配しないでよ」

 素早く言って部屋に逃げ込んだ。椅子に座り、胸に手を当てると心臓が速くなっていた。

「もう……。ママ……」

 独り言を漏らし項垂れた。華弥は良かれと思って言っているのかもしれないが、磨弥にとっては痛みでしかなかった。自由になりたい。愛され過ぎも辛い。




 しばらくして、ドア越しに申し訳なさそうな華弥の声が聞こえてきた。

「……さっきはごめんね。ご飯できたよ。お風呂も入れるよ」

「……じゃあ、ご飯食べる」

 磨弥も消えそうな声で答えた。よろよろと立ち上がりドアを開けた。

 向かい合わせに座ったが、お互い目を合わせなかった。黙ったまま口と手だけ動かす。食事は長く行わないので、さっさと食べてお風呂に入ろうと決めていた。けれど、ふとあることが蘇った。

「ねえ、ユウって誰?」

 びくっと反応し、華弥の手が止まった。逸らしていた視線を磨弥に移動する。

「ユウって?」

「この前、ママが夜遅くに泣いてたでしょ? ユウ、行かないでって。私、たまたまトイレに起きて聞いちゃったんだ」

 少し嘘も交えたが正直に質問した。華弥はそっと俯き、すぐに顔を上げた。

「ユウは、ママの大事な人。死ぬまでユウとは離れるわけにはいかないの。ユウがいるからママは生きていける。ママの神様だよ」

「神様?」

 華弥の話には架空の人物が必ず登場する。神様も悪魔も死神も実際にはいない。

「磨弥と同じくらいの頃に、神様が現れたの。大雨に傘を忘れて歩いてたら、神様がいる場所に辿り着けたの。ママが幸せになったのは大雨の日。地獄から這い出たせたのは、雨の神様に出会えたから」

 ますます疑問が増えた。ただユウという人物の正体を教えてくれればいいのに、なぜ回りくどい例え話をするのか。もちろん浮気相手なのかなど聞ける勇気もなく、結局華弥は黙りこくってしまった。磨弥にはっきりと伝えられないのは何か意味があるのか。

「……私は、雨の日に神様に出会えるのかな?」

 ぼそっと呟くと、華弥は少し考えてから答えた。

「それはママにはわからないよ。ただ、どんな天気でも幸せは訪れるよ。磨弥にも神様がやって来るといいね」

 そして視線を逸らしたまま、ぎこちなく笑った。




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