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四話

 学校生活が終わり、ふう、と蒼人あおとはため息を吐いた。周りのクラスメイトたちは、ようやく堅苦しい空間から逃れられたかのように騒ぎ始めた。友人と部活に行ったりおしゃべりをしている。とても楽しそうで、蒼人の心は逆に暗くなった。

「よっ、浅霧あさぎり

 背中から声をかけられ、どきりと震えてしまった。慌てて振り返るとクラスメイト三人が蒼人を見つめていた。

「今日のカラオケパーティー、浅霧も行くだろ」

「カラオケパーティー?」

 予想していなかったため目が丸くなった。

「あれ? 言ってなかったっけ? 今日カラオケパーティーがあるって。しかも、あの嘉見女子と」

 嘉見は、現在蒼人が通っている満木校の近くに建っている女子校だ。制服が可愛く、美少女揃いだと言われている。蒼人はよく知らないが、嘉見に入学するには頭より容姿をよくしなくてはいけないらしい。嘉見女子と付き合っている男子は王者とまで呼ばれ羨ましがられる。

「男ばっかりの俺たちにとって、このカラオケパーティーはものすごいチャンスだぞ。浅霧ももちろん」

「俺はだめだ」

「えっ? だめ?」

「だめだよ。遊んでる暇なんかない」

 首を横に振ると、クラスメイトの一人が思い出したように話した。

「そっか。こゆきちゃんがいるもんな」

「そう。こゆきが待ってるかもしれないだろ」

 こゆきは、蒼人の三歳年下の妹だ。天使のようだとみんなから可愛がられ、蒼人も自慢の妹と優越感に浸っている。

「でも、みゆき姉ちゃんがいるじゃん。みゆき姉ちゃんに頼めば」

「姉ちゃんは全寮制の大学に入学したって話しただろ」

 こゆきと同じく、蒼人には四歳年上のみゆきという姉もいる。蒼人が中学生の頃は一緒に住んでいたが、寮制の大学に入学したため、現在はこゆきと二人暮らしだ。

「みゆき姉ちゃんもだめかあ……。ていうか、浅霧の親ってどうして家にいないんだよ」

「外国で仕事してるんだ。仕方ないだろ」

「外国ってどこだよ」

「俺が聞きたいよ。姉ちゃんが詳しく教えてくれないんだ」

「……じゃあ、浅霧はカラオケに行けないんだな。残念だけど、こゆきちゃんを一人にはできないもんな」

「うん。誘ってくれたのに悪いな。俺の分も楽しんできてくれよ」

「次は絶対に参加しろよ。浅霧がいるのといないのとでは全然盛り上がりが違うんだからさ」

 友人の優しい気遣いに胸が暖かくなった。「ありがとな」と感謝を告げると、三人は教室から出て行った。

「カラオケか……」

 独り言を漏らし、悔しさが込み上げてきた。高校生で楽しい出来事はたくさんあるのに、全て妹と家事で潰されるなんて空しすぎだ。部活だって、こゆきが寂しがらないようにと帰宅部しか選択肢はなかった。走って昇降口に行き、夕飯の材料を買うためスーパーマーケットに入った。料理といっても簡単なものしか作れない。学校生活で疲れている日は弁当で終わらせたりもする。体に良くないとわかっていても、どうしても作れない時は便利なやり方をするしかなかった。高校生で、おまけに男子のため買い物をするのが恥ずかしくて堪らなかった。注目されたり笑われたりはしていないが、どうしても恥を感じてしまう。素早く外に出て、こゆきが待つ家へ急いだ。

 家の中には灯りも人気ひとけもなく、ドアを開ける前にこゆきに電話をかけた。少し間が空いてこゆきのまったりとした声が耳に入った。

「あれ? お兄ちゃん? どうしたの?」

「どうしたのじゃない。まだ学校にいるのか?」

「ううん。里香りかちゃんのお家」

 はっと目が丸くなり、低い口調で答えた。

「また里香ちゃんのお家? 昨日も一昨日も邪魔してるじゃないか」

 するとこゆきも拗ねた声に変わった。

「こゆきが行きたいって言ったんじゃないよ。里香ちゃんが来てって言ったからお家にいるの」

「何日もお邪魔したら迷惑だろ。早く帰って来るんだ」

「お兄ちゃんはわかってない。女の子はね、友だちと一緒にいるのが幸せなの。兄と一緒にいるよりも」

「いい加減にしろよ。帰って来い。ご飯作って待ってるから」

「やーだよー。お兄ちゃんのご飯おいしくないんだもん。里香ちゃんの方が、ずっとおいしいもーん」

「そういうしゃべり方やめろって何回言ったら聞くんだよ。馬鹿みたいだからやめるって約束しただろ……」

 ぶちっと一方的に切られてしまった。たぶんまたかけても家には帰ってこないだろう。しつこい、と無視をするはずだ。

 小学生の頃は、こゆきはお兄ちゃん子でとても素直だった。しかし反抗期なのか中学生になった途端にわがままになった。仲良しの「里香ちゃん」の家に泊まったり、八時くらいまで外で遊んでいたり、やりたい放題だ。天使どころか小悪魔みたいだ。諦めてドアを開け、鞄とスーパーの袋をソファーに放り投げた。こうやって物に八つ当たりしないとストレスが溜まってしまう。こゆきを直接叩いたり怪我をさせたらまずいので、椅子や机を蹴ってみたり、こっそりと愚痴を吐いたりしていらいらを解消するしかない。

「どうして帰ってこないんだよ。どいつもこいつも……」

 怒りで壁をどんっと殴った。力強く殴っても、誰にもこの呟きは届かない。一番恨んでいるのは両親だ。幼い頃は家族みんなで暮らしていたのに、突然姿を消した。みゆきは「仕事場が日本じゃなくなったからだよ」と答えた。

「日本じゃない? じゃあどこにいるんだよ」

「お姉ちゃんも教えてもらってないの。これから家のことは、お姉ちゃんが全部するね」

 驚いて、ぎゅっとみゆきの手を握った。

「姉ちゃん、学校があるのにどうやって家事するんだよ。だいいち母ちゃんまで行かなくたって……」

「お母さんがいなかったら、お父さんにご飯作ってあげる人いないでしょ。心配しなくてもちゃんとできるから。その代わり蒼人も手伝って」

 嫌だとは絶対に言えなかった。うん、と大きく頷き、蒼人はこゆきの面倒を見る係になった。

 普通なら、たとえ外国に住んでいたとしても手紙など送ったりするものなのに、一切送られなかった。まるで三人一緒に捨てられたような感じまでしていた。頑張っているみゆきが可哀想で、疲れ果てて眠っているみゆきをこゆきと涙を流しながら見つめる夜もあった。だんだん両親に恨みが募り始め、みゆきが哀れという気持ちも増していった。そのため、大学生になったら家事をしなくていいとみゆきに伝えた。高校生になったら自分が全てやると決心した。

「蒼人ができるわけないじゃない。ご飯の作り方だって知らないのに」

「ネットで調べれば平気だよ。今までできなかったこと、大学生でたくさんやってほしい。こゆきも手伝ってくれるよ」

「でも」

「大丈夫。ちゃんとできるよ」

 蒼人の想いに気が付いたのか、みゆきは微笑んで抱き締めてくれた。

 しかし学校生活と家事を両立するのはかなり大変だと、みゆきがいなくなってから思い知らされた。とにかく忙しく、慣れていない料理や洗濯や掃除は覚えるのに苦労した。未だに失敗することもあるしまだまだ未熟だ。言うのは簡単だがやるのは難しいのは本当だった。おまけにこゆきは反抗期でわがままで手伝ってくれない。人生に一度きりの青春が、この多忙な日々で潰れてしまうという運命が信じられない。嘘だ、夢だと悶々として落ち込むばかりだ。毎日どれだけため息を吐いているのか。

 夕食の支度の前に風呂に入ることにした。一日の汚れを洗い流す。シャワーを浴びながら、こゆきが帰ってこないのならクラスメイトたちと遊べばよかったと悔しくなった。風呂からあがると、人の声が聞きたくてテレビをつけた。だが一分も経たずに消した。能天気に笑っているのが耳障りで不快になった。俺はこんなに辛いのに、苦しいのに、空しいのに……。昔は誰かが笑っているのが大好きだったのに、今は正反対だ。

「こんなんじゃ無理だ……」

 独り言が無意識に漏れた。蒼人の将来の夢は警察官なのだ。母の方の祖父がベテラン警察官で、とにかく正義感にあふれて真っ直ぐに歩んでいる姿がかっこいい。警察官は休みがほとんどないイメージがあるし、下手をしたら命まで落とすという危ない目に遭う。はっきり言って蒼人には向かない職業だが、諦める気はなかった。だからこそ、姉に自由を与え妹を一人で護ろうとしたのだ。困っている人を助けて、笑顔にできるようにがむしゃらに働くのが警察官の仕事なのに、不快になっていては修行が足りない。いつ事件が起きても冷静に判断できる強固な精神がなくては警察官は無理だ。自己嫌悪に陥り、ソファーに寝っ転がった。



 微かに携帯の音がして、はっと目を開けた。カーテンの隙間から月が覗いている。どうやら眠っていたようだ。鞄から携帯を取り出し「はい」と呟いた。電話の相手は父の姉で蒼人にとっては伯母である紗綾さあやだった。

「紗綾さん? どうしたんですか?」

「久しぶりにかけてみたのよ。蒼人くんもこゆきちゃんも元気?」

 最近わがままで家に帰ってこないと紗綾に話そうかと迷ったが、心配をかけたくないと誤魔化した。

「はい。俺もこゆきもめちゃめちゃ元気です」

「ならよかった。じゃあね」

「えっ」

 驚いて携帯を落としそうになった。もう切ってしまうのか。

「待ってください。それだけですか? もっと何か」

 だが紗綾は切ってしまった。石のように固まり、指一本動かせなかった。

「……なんだよ。助けてくれないなら、電話かけるなよ……」

 またいらいらが込み上げてきた。暇だったからちょっとかけてみただけの電話で眠りを妨げられた。帰らないこゆき。手紙も寄こさない両親。なぜこんなにストレスでいっぱいにならなくてはいけないのか。

「ちくしょう……。どいつもこいつも頭に来ることばっかり。俺がどれだけ疲れてんのかわからないのかよ」

 ぶつぶつと愚痴をこぼしながらソファーからベッドに移動し、ぎゅっと目を閉じて深く熟睡した。明日も忙しい日が待っているのだ。

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