出会い
ピーンポーン
聞きなれたチャイムの音に筆を止める。目の前のキャンバスにはカラフルな絵の具が混ざりあい、ぐちゃぐちゃとした何かが描かれていた。それは、いつかに描いたような気がする構図をしていた。十年前か、もしくは三十年前、いや、五十年前だったかもしれない。確かに見覚えのある風景がそこにただ広がっていた。
ピーンポーン
もう一度、チャイムが鳴る。客人が来る予定などあったかと、壁にかかっているカレンダーに目をやったが、真っ白な紙は十年前のものだった。僕を訪ねてくる人などいただろうか。確かにいたはずの友人の顔を思い出そうとしたが、霧がかかったように霞んでいて、はっきりと思い出すことができなかった。最後に友人に会ったのはいつだろう。
ピーンポーン
三度目のチャイムが鳴った。筆をおき、絵の具で汚れた手をシャツに擦りつけながら、立ち上がった。シャツはすでに何度も絵の具が擦り付けてあったのか、手は余計に汚れるばかりだった。そろそろ洗わなくちゃいけないな。仕方なく、穴だらけのジーンズで手を拭き、水を飲んだ。
ピーンポーン
何度目かのチャイムがなった。玄関までのろのろと歩き、扉を開ける。僕のとこに来るのなんて大概決まっている。
「はい。」
外にはきちんと黒いスーツを着た大柄な男と、褐色の少女が立っていた。
「お久しぶりです。そろそろあなた様の期限が切れそうなので、更新のご案内に参りました。」
黒いスーツの男は、無表情のまま淡々と言った。今回はこの少女と交換することになるようだ。裸でいるところを見ると、きっと貧困層の子供だろう。
「その娘の期限はどのくらいなんですか。」
「きっかり八十年です。」
僕の期限はあと二年ほど残っている。もう少し待てば、もっと長い期間に更新できるかもしれないが、何度もこの男と会いたくはなかった。売人は苦手だ。
「…なぜ交換を望むのですか。」
「これは生まれつき生命症候群なので。親が生活費の足しにするそうです。」
生命症候群。期限まで存在するがなく、とてもひ弱だと噂に聞いたことはあるが、まさか本当に存在していたとは。この世界で唯一の病、不治の病。ほとんどの患者が存在し続けることを諦め、期限を売って処分されるため、症候群とはいうが、その症状は全く分かっていない。
ふと、昔に聞いた言葉を、思い出した。生物は散り際が美しい。本だったか、先生だったか。ただわかることは、この少女は処分される前に散ることだ。死、といったか。その不思議な魅力を持った言葉に、僕の心は惹きつけられた。
「その娘を買うことは可能ですか。」
「更新契約は可能です。」
「いや、期限じゃなくて、人身を。」
売人は少しの間固まっていたが、少々お待ちください、といってどこから出したのか、薄い端末に指を滑らせた。男とは百年来の付き合いだが、まっすぐ前を見て話してくる姿以外を初めて見たような気がする。お待たせいたしました、と言って、男はまたいつもの姿勢に戻った。
「可能なようです。しかし、あなたの期限が切れるまでの二年間は親の元で過ごす契約となっていまして、その後、引き渡すというようなことになります。」
「わかりました、それで買いましょう。この娘の人身はいくらですか。」
「きっかり八十年分の期限と同じだけ。」
「そうですか。では、いつものところから。」
「はい、そのように手配します。それでは、期限の更新につきましてはまた後日お伺いいたします。」
それでは、と黒いスーツの男は深く頭を下げ、さっさと歩いて行った。その後ろをぴったりくっつくかのように褐色の少女も帰って行った。
思わぬ買い物をしてしまった。また、絵を描かなくてはいけない。しかし、困ることはない。さっきの売人と少女を描けばいい。
静かに扉を閉め、久しぶりに感じる胸の高鳴りにワクワクしながらキャンパスに鉛筆を滑らせた。僕にはまだたっぷり時間がある。ゆっくり思い出しながら描けばいい。
病の名前がいまいちなので、いい名前があったら変更しようと思います。