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エルフと出会った日

 その日は宿に帰らない方がいいだろうとのことで、僕はテュールさんに別の宿に連れて行かれた。

 どうしたらいいか分からない僕は、テュールさんの言うがままになるしかないのだ。不甲斐ない話だけど。

 案内されたのは、安宿ばかりが集まっている所とは違う、ちょっと小綺麗な一画だ。宿も、大きくて高級感がある。その1階は、居酒屋になっていた。


 テュールさんは居酒屋の主人に向かい、慣れた様子で「上にいるかい?」と声をかけると、階段を上がって2階の客室に向かう。居酒屋の主人とも顔なじみな雰囲気だし、勝手知ったる場所のようだ。

 目的の部屋の前に立つと、テュールさんが変なリズムで扉を叩く。

 しばらく待つと扉が開かれ、1人の人物が顔を出した。

 女性だ。年の頃なら20代半ば。絹のように美しい金色の髪に、澄んだ泉のように碧い瞳。透明感のある白い肌に、上品な桜色の唇。それに、細くとがった耳。


 エルフだ。

 昔話にしか聞いたことのないエルフだ。

 神々のように美しく、精霊のように魔法を操ると言われているエルフだ。

「どうした、テュール? 合流は、しばらく後のはずだろう?」

 天上の琴の音のような声が、その桜色の唇から発せられる。


「事情が変わった。しばらく、このアグニを匿って欲しいんだが、今は1人だけか?」

「ああ。他の連中は、飲んでるか、博打をしてるか、女の所だな。

 まあ、入れ」

 部屋には寝台が2つあったけど、いるのはエルフの女性1人だけだった。

 アグニの借りている部屋が4つは入りそうな、大きな部屋だ。


「その坊やは?」

「アグニだ。お前も知っている、ガミア先生の医術所にいた坊主だよ。俺の生命の恩人でもある」

「なるほど。では、私もそれ相応の対応をせねばな」

「すまねぇ。さっきも言った通り、しばらくこいつを匿って欲しい」

「分かった。どうせ私は、ほとんど部屋から出ないからな。私が守ってやろう」

「助かる。エルフの氷嵐姫(ひょうらんき)が護衛してくれるなら、安心だ」


 その後、テュールさんはしばらくエルフの女性と打ち合わせをすると、部屋から出て行った。

「このエルフは、レイアーナ。俺の仲間の1人だ。俺が事情を調べる間、ここで待っていろ」そう、言い残して。

 テュールさんの背中に、思わず「待って!」と、すがりつきたくなったのは、仕方のないことだと思う。だって、いきなりエルフの女性と2人きりにされて、平然としていられる15才なんて、いるはずないだろう?


「どうせ、ガーネットも帰っては来ないだろう。そっちの寝台を使うといい」

「は、はい!」

「緊張しているのか?」

「緊張してます!」

「・・・」

 僕は、おそるおそる寝台に腰を下ろす。


「突然、あつかましく押しかけて、すみません」

「気にするな。連れて来たのは、テュールだろう? それより、坊やは紋様を描くのが上手いらしいな?」

 テュールさんから説明を受けたのだろう、レイアーナさんが話を振って来る。

「は、はい。それなりには」

 僕は、自分が描いた紋様を取り出し、レイアーナさんに見てもらう。


「ほう。これは、なかなか丁寧に描けてるな。

 よし。坊やとしても、タダでここに置いてもらうのは心苦しいだろう? だから部屋にいる間、紋様の複写をやってみないか?」

 そう言って、部屋に置かれていた背嚢から羊皮紙の束を取り出すレイアーナさん。

「テュールから、紋様があれば見せてやってくれと頼まれたしな。描いた分の半分は、坊やの物にすればいい」

 渡された何枚もの羊皮紙には、全て異なる紋様が描かれていた。


 



 レイアーナさんは、多くのエルフがそうであるように、魔法の達人だ。子供のころよりエルフの先達の厳しい指導を受け、様々な魔術はもちろん、初歩的な法術も使いこなすらしい。

 だから、持っている紋様は、自分が身につけていないものや、緊急用のものだという。

 それの予備を、僕に描けというのだ。

 イヤな訳はない。僕としても珍しい紋様の知識が増えて、気分はウハウハである。


 お使いを頼んだ宿の坊や――――僕と同い年ぐらいだった――――に買って来てもらった羊皮紙への複写に、僕は没頭する。

 実のところ、レイアーナさんの申し出は、とてもありがたいことだった。

 新しい紋様が手に入るのはもちろんだけど、それ以上に、魅惑的なレイアーナさんと1つの部屋に閉じこもっている気詰まり感から逃れられて、本当にホッとしたのだ。

 

 だいたい、胸元がボカーンと開いて、太股も思いっきり露出したワンピース姿で、ベッドの上に寝転がって本を読むのは、真剣にやめていただきたい。

 15才のガキンチョなんて、レイアーナさんから見れば「男」じゃないのかも知れないけど、僕からしたら、レイアーナさんは「女」そのものなんだから。


 だから、僕はひたすら羊皮紙にペンを走らせる。

 今描いているのは、魔法障壁の紋様だ。他者からの魔法攻撃を数回受け止める効果があるらしい。

 僕が魔法を使うような魔物を相手にするのは、まだまだ先のことだろうけど、強盗に雷の魔法を使われそうになったことを思えば、いざというときに頼りになりそうだ。


 羊皮紙に普通のインクで描いた紋様は、基本的に使い捨てである。

 魔法の発動時に羊皮紙やインクが変質し、紋様の正確な描線が失われてしまうからだ。

 それに対し、テュールさんのように装備に刻んだり、刺繍したり、焼き付けたりした紋様は、繰り返し使うことができる。

 でも、とても値段が高くなる。その紋様が破損したときに修復する金額も、やはりバカにならない。


 羊皮紙の紋様を繰り返し使う手段も、あるにはある。

 魔法で変質しないように、魔法的に処理された羊皮紙とインクを使うんだそうだ。これも、やっぱり高い。

 おかげで紋様魔術は、お金持ちにしか使えないものとなっている。

 中には、羊皮紙の紋様を山ほど持って、ばんばん使い捨てる上級の冒険者もいるんだそうだ。


 でも、そのやり方なら、僕にだって上を目指せる可能性がある。

 ただ、1回討伐に向かう前に、何日もこもって紋様を量産しないといけないけど。

 どこかに、代わりに紋様を描いてくれる人、いないかなぁ?

 あ。だったら、店で買えってことか。

 ダメだ。話が最初に戻ってしまった。


「そろそろ寝るぞ。灯りを消すから、坊やも寝ろ」

「あ、はい!」

 考えてみたら、オークと1人で戦わせられたりして、けっこう疲れているんだった。

 灯りも、レイアーナさんの魔法のものなので、僕の勝手で点けておいてもらう訳にはいかない。


 なんとなくレイアーナさんに目を向けると。

 1枚こっきりしか着ていないワンピースを、スポンと脱いだところだった。

「うわわっ!!」

「うるさいな。もう、夜だぞ」

「いや、そうじゃなくて! 裸!!」

「なんだ? そのトシで、もう女が欲しいのか?」


「あわわわわっ!!」

 僕はパニックになりながら、毛布を頭から被った。

 寝るときに裸になるのは当たり前だけど、純真な少年の前で凶悪なおっぱいをさらすのは勘弁して欲しい。

「寝るなら、ちゃんと服を脱げよ」

 僕は毛布を被ったまま、服を脱いだ。





 朝――――。

 裸のエルフ美女が寝てることに興奮し切っていた僕だけど、気づいたら熟睡していた。

 オーク戦での疲労は、半端なかったらしい。

 で。

 起き上がろうとしたけど、できなかった。

 何か強力な力が、がっしりと僕の身体を抱え込んでいる。

 肌色で柔らかな・・・。


「ちょっ、レイアーナさん!!」

「なんだ?」

 レイアーナさんは、隣のベッドで本を読んでいた。もう、ワンピースを着込んでいる。

「え? じゃあ、これは?」

「ガーネットだ。帰って来ないと思ったのだが、朝方に帰って来た」

 予想外に2人目の女性冒険者が登場だ。


 ガーネットさんの拘束から抜け出そうとするが、どうしても、その白い腕を振り(ほど)くことができない。

「いつもデカい斧槍を振り回してる女だからな、坊やの力では無理だと思うぞ」

「そんな! ちょっと! 起きて下さいよ!!」

「酔っ払っているし、先ほど寝たばかりだ。あきらめろ」

「ど、どうしたらいいんですか!?」

「知らん。ガーネットが起きるまで、待つしかないだろ」





 そんな状況なのに、僕はまた眠ってしまっていたようだ。

 次に目が覚めると、素っ裸の赤毛のお姉さんが、僕を覗き込んでいた。

 僕を、と言うか、主に僕の下半身を・・・。

「うわわわわわわわっ!!」

 慌てて飛び起きる僕。

 その慌てぶりを見て、笑う赤毛のお姉さん――――ガーネットさん。

 構わず、本を読みふけるレイアーナさん。

 僕の神経は、ボロボロです。


「いやぁ、悪かった。坊やみたいなガキンチョでも、あんなになるなんて、なんだか面白くってなぁ」

 そう言いながらガハハと笑うガーネットさんは、とても豪快そうな人だ。年の頃は、レイアーナさんと同じく20代半ば。真っ赤な髪はボサボサで、肉食獣を思わせる野性的な風貌だ。おっぱいは大きいけど、身体は筋肉質で傷だらけ。なんとなく、女版のテュールさんという印象である。

 なお、ガーネットさんが言っていることに、耳を貸す気はない。


「それはそうと、この宿、見張られてるぞ」

「え?」

 驚く僕。

 しかし、レイアーナさんは、まるで態度を変えない。

「坊やが最初から付けられてただけだ。問題はない」

「で、でも、まずくはないですか!?」

「テュールだって、追っ手が付いてると分かっていて、ここに連れて来たんだ。私が守ればいいだけの話だ」


 頼もしいことを言ってくれるレイアーナさん。思わず、胸が熱くなる。

 しかし、だ。

「相手は衛兵なんでしょ? レイアーナさんたちまで、立場がまずくなるんじゃ?」

「気にするな。この街にいられなくなったら、別の街に拠点を移すだけだ。それに、外にいるのは、おそらく衛兵ではない」

「そうだな。気配の消し方からして、もっと手練れだ。あたしらじゃなけりゃ、気づかないぐらいのな」

 更に物騒な情報を口にするガーネットさん。


「テュールも、面白ぇことを持って来るじゃねぇか。あたしも、しばらくここに詰めることにするよ!」

「ええっ? しばらく、このまま・・・!?」

「良かったなぁ、こんな綺麗なお姉さんと相部屋で」

「は、はい・・・」

 テュールさん、早く帰って来て下さい・・・。





 そこから3日間、僕は紋様の複写に没頭した。

 ガーネットさんも手持ちの紋様を見せてくれたので、僕の紋様の知識は更に増えることになった。

 ついでに、レイアーナさんの灯りの魔法の呪文も記憶させていただきました。大感謝です。

 できれば、初歩的な攻撃魔法の呪文を聞かせてもらえたら嬉しいのだけど、そこまでは欲張り過ぎだろう。


 そして、そのとき、ガーネットさんは部屋にいなかった。

 結局、酒好きで落ち着きのないガーネットさんは1日とて部屋に籠もっておられず、1階の居酒屋で飲んだくれている。それでも、何かあれば、すぐに飛んで来てくれるはずだ。

 そしてレイアーナさんは、部屋で食事を摂っていた。下の居酒屋で調理したものを運んでもらったのだ。もちろん僕の分もあったけど、僕はまだ複写を続けていた。中途半端なところで作業を終えると、続きが分からなくなるからだ。


 食器が床に落ちる音に、僕は驚いて振り返った。

 レイアーナさんの身体が、ゆっくりと横倒しになっていく。

「レイアーナさん!」

 必死に伸ばした僕の手は、まるで間に合わなかった。

 床に倒れたレイアーナさんの身体は、完全に力を失っている。


 いったい何が起こった?

 訳が分からないながらも、僕はレイアーナさんに法術をかけようとする。

 法術にも色んな種類があるけど、どれをかければいい?

 レイアーナさんは、怪我をした訳ではない。体力を消耗し過ぎたはずもない。じゃあ、病気か? 僕の知らないうちに病気にかかっていて・・・。いや、違う気がする。では、毒か? 毒? ありそうだ。食事に毒が入っていたのかも知れない。


「ダリオリーヌ・ダリオティース・ムラ・ムラ・ハシ・・・」

「やめておけ」

 解毒の法術を唱える僕の横に、いつの間にか男が立っていて、僕に短剣を突きつけていた。

「ただの眠り薬だ。放っておけば、目を覚ます」

 そう言う男は、何の変哲もない街人の格好をしていた。背も高くなく、逞しい訳でもなく、人の好さそうな中年男にしか見えない。


「あ、貴方は・・・?」

「冒険者ギルドの者と思って下さい」

 丁寧な態度で、僕の質問に答えてくれる中年男。しかし、その中年男が、僕にはとてつもなく恐ろしく感じられていた。無造作に向けられている短剣が、やけに大きく感じられる。

「そのギルドの人が、なぜこんなことを・・・?」

「いや、貴方に付いて来てもらいたかっただけなんですけどね。この人たちが、それを許してくれそうになかったので、眠ってもらいました。いやぁ、エルフの氷嵐姫を欺いて薬を飲ませるのは大変でしたよ」


「ぼ、僕が付いて行ったら、レイアーナさんには手を出さないんですね?」

「もちろんですよ。最初っから、貴重な金級冒険者を傷つける気など、ありませんとも」

「分かりました。だったら、おとなしく・・・」

 その瞬間、轟音を上げて、部屋の扉が吹き飛んだ。

「――――!?」

 飛び込んで来るガーネットさん。

 その手には、使い込まれた斧槍。


「あれ? 貴女も眠り薬を口にしたはずでは?」

「ああ、飲んださ! おかげで、眠いったら、ありゃしねぇよ!

 坊や、あたしも長くは保たねぇ。今のうちに逃げな。さあ!!」

 ガーネットさんの怒声に、僕は反射的に走り出した。

 壊れた扉から部屋を出て、階段を駆け降りる。

「アグニくん、行ってはダメです!」

 中年男の声が聞こえたが、続いて起こった激しい金属音がそれをかき消した。





 日の暮れた街を、僕は走る。

 逃げ込める当てなど、僕にはなかった。

 いつか強盗から逃れようとしたときのように、細い路地から路地へと、ただ駆け込んで行く。

 レイアーナさんとガーネットさんが心配だったけど、ギルドの者だという中年男の言葉を、なんとなく信じてもいた。おそらく、2人は大丈夫だ。


 だったら、自分はどうしたらいいのか?

 あの男に付いて行くべきだったのか?

 僕を探しているという衛兵はどうなったのか?

 そもそも、どうしてこんなことになっているのか?

 僕の頭の中は疑問だらけだ。

 考えても答えなど出るはずもなく、ただ走り続ける。


「おい、いたぞ!」

「待ちやがれっ!」

 ふと、しばらく前から、そんな声が追いかけて来ていることに気が付いた。

 明らかに、部屋に来た中年男とは違う匂い。

 もちろん、衛兵とも違う。

 あの強盗たちと同じ種類の男たちだ。


 くそっ! ギルドに衛兵に強盗まで! いつから、僕がそんな人気者になったんだよ!?

 追いかけられているうちに、段々と腹が立ってきた。

 こんな訳の分からない状況を、いつまで我慢すればいいのか?

 僕の中で、黒い怒りが急速に膨らんでいく。

 よし。こうなったら!


 



 路地を抜け切った僕の行く手、建物の壁が遮った。

 行き止まりだ。

 三方を建物で囲まれた空き地に、僕は飛び込んでしまったのだ。

 いや、そうじゃない。

 その空き地に、僕は自ら走り込んだのだ。

 そこは、強盗たちを撃退した、あの空き地だった。


 建物の壁を背に立つ僕の前に、薄汚れた革鎧を着た男たちが4人、姿を現す。

 

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