オークと戦った日
そこから5日間、僕は昼間に紋様を写し、夕刻からテュールさんに短剣の振り方を教えてもらうという日課を過ごした。
身体の方は、傷の治りは順調だったものの、体力の回復に時間がかかってしまった印象だ。テュールさんには、身体ができていないと言われてしまった。反論のしようもありません。
でも、5日目の稽古が終わった今、少しは体力も付いてきた気がする。気のせいかも知れないけど・・・。
「紋様の数もそろったし、明日は討伐に出てみるか?」
「そうですね。このままだと引きこもっちゃいそうですし、お願いします」
穴だらけになった防具の修理も完了しているし、体力も戻った。これ以上、討伐に出ない言い訳はできない。
ゴブリンへの恐怖は残っているけど、それこそテュールさんが付き合ってくれているうちに克服すべきことだろう。
少なくとも、薬草採集に夢中にならないようにしよう。
「そう言えば、テュールさんの身体の方は、どうなんですか?」
「ああ、もう完全に復調した。今日も、グレイタイガーを狩って来たしな」
「うぇっ!?」
グレイタイガーと言ったら、体長2メートルを超える、とんでもなく凶暴な肉食獣だ。灰色の体毛には視覚を惑わせる効果があって、接近されても気づけないことが多い厄介なヤツらしい。
そんな猛獣を、シレっと日帰りで狩って来るなんて・・・。
「やっぱり、金級って凄いんですね」
「ん? そうは言うが、アグニなら金級ぐらい目指せると思うぞ」
「そんなことないですよ。こんな弱々なのに」
「あはは。腕っ節は、確かにまだまだだな。でも、お前さんには魔法があるだろう? そいつは、俺なんかにはない強みだ。化ける可能性は、大いにあると思っていい」
「本当ですか? だったら、自惚れちゃいますよ?」
「ああ、自惚れろ。でも、死ぬな。死にさえしなきゃ、お前さんは高みに登れるんだからな」
まっすぐ僕を見て言うテュールさんの台詞に、僕は頭をぶん殴られた気分になった。
僕が金級を目指せる? 薬草採集で頂点を狙おうとしていた僕が? 本当に自惚れてしまいそうだ。
「で、だ。実は、俺の仲間が帰って来た」
「え?」
「ヤツらもしばらくは休むだろうが・・・。あと半月。アグニを鍛えてやれるのは、あと半月だと思え」
いずれテュールさんがいなくなるのは分かっていたけど、半月と期限を切られると、急に心細くなってしまう。
「う・・・あ、そ、そうなんですね・・・」
「そんな顔をするな」
「す、すみません」
テュールさんは大きな手を僕の頭に乗せ、くしゃくしゃと髪をかき回した。
翌日――――。
僕とテュールさんは、黒い森に入っていた。
例によって、断続的にゴブリンたちが襲いかかって来る。なぜか、常に3体がセットだ。
テュールさんはそれをいち早く察知し、たちまち2体を斬り伏せる。惚れ惚れするような剣技。
そして、残る1体が僕の割り当てだ。
短剣を片手に、僕はゴブリンに対峙する。
四つん這い同然の低い姿勢から、僕の足に噛みつこうとするゴブリン。
僕はその突進を、ゴブリンの後頭部を左手で押さえて往なし、逆手に持った短剣を首筋に突き立てる。
その繰り返しだ。
テュールさんとの約束は、ゴブリンと1対1で戦うときは魔法を使わないということ。そしてもし、僕が2体以上のゴブリンを相手にしないといけないときは、ためらわず魔法を使うということだった。
テュールさんが神業のように、ゴブリンを1体ずつ残してくれるので、僕はまだ魔法を使っていない。
1対1ならゴブリンには負けないという自信も付いて来たけど、同時に短剣じゃダメだという気にもなっていた。
「どうした? 浮かない表情だな」
「テュールさんみたいに、1人でゴブリン3体を相手にしようと思ったら、短剣じゃキツいなと思って」
「そうだな。ヤツら、地を這うように迫って来るからな。立ったまま戦う以上、もっと長い刃の方が戦いやすいに決まっている」
「やっぱり、剣の方がいいと?」
「いずれはな。でも、まだお前さんに剣を振り続ける体力はない。マシな剣を買うカネもない」
ちゃんとした剣を買おうと思ったら、金貨2枚は下らない。そこに、斬れ味を増すような紋様が刻まれると、平気で金貨10枚を超えてしまう。
まあ、金貨10枚程度なら、薬草採集で頑張ればなんとかならない金額じゃない。けど、やはり簡単なことではないのも確か。
高額な薬草が森の浅い位置で採れるのも、今のうちだけだ。エイダソウなんかはすぐに増えるけど、希少なスノウダケなんかは1度採ってしまうと、来年までは生えて来ないから。
そこで、気が付いた。
「もしかして、テュールさんの剣て、何か紋様を付けてます?」
「ん? ああ、斬撃強化を付けてるな。短剣には麻痺、投げナイフには雷撃、コートには衝撃霧散、グローブには・・・」
「ええっ、なんですか、その豪勢な装備!?」
「これぐらいの装備がないと、人間ごときが魔物とは戦えないのさ」
テュールさんの言う魔物とは、ゴブリンみたいな小物じゃなく、もっと大物のことだろう。
「それはそうと、良かったらですけど、剣とかの紋様、見せてもらっていいですか?」
「見せるぐらいは、いいけどな」
好奇心か何かで僕が紋様を見たがってると思ってくれたのか、休憩場所に着いてから、テュールさんはありったけの装備の紋様を見せてくれた。
グローブの握力強化。ブーツの跳躍。上衣の体力回復。ズボンの脚力強化――――。
本当に、テュールさんの装備は紋様の宝庫だった。
刃物の類には、刀身の根元付近に装飾に見せた紋様が刻まれていて、投げナイフに至っては、よくこんな細かな彫刻ができたなと思うぐらいに、精緻な出来映えになっている。
投げナイフ1本で、金貨30枚したらしい。なんで、そんな物を5本も持っている?
で、服や防具だけど、革の物には特殊な染料で描かれた紋様が焼き付けられている。見た目は、家畜に付けられている焼き印のイメージだ。もちろん、焼き印には不可能な細かな作りになっている訳だけど。
そして、布の物には、紋様が刺繍で描かれていた。銀色の糸で、これまた見事な仕事が成されている。
お値段は、聞くのが怖くて、耳を塞ぎました。
「どれも、凄く手の込んだ仕事ですね・・・。でも、戦闘中に紋様が破損したりしないんですか?」
「もちろん、するぞ。ぎりぎりの場面で起死回生のつもりの紋様が発動しなくて、死にかけたことは1回や2回じゃないなあ」
「紋様が破損した装備は、どうするんです?」
「刺繍や染料のは、破損した部分だけ紋様を修復できるが、武器は作り直すしかないな」
やっぱり、金級冒険者の財力は、駆け出しの銅級には想像できないもののようだ。
休憩を済ませると、更に森の奥へ向かう。
昨日テュールさんがグレイタイガーを倒したばかりだと聞かされているので、緊張感が高まる。
ゴブリンの接近を先に感知するのは、常にテュールさんだ。気配を消すのが得意なグレイタイガーともなると、僕がその接近を気づけるとは思えない。
探し物魔法では特定の物しか見つけられないし、気配察知とか危険察知の魔法があれば、身に付けたいものだと思う。
「で、テュールさん、どちらまで・・・?」
息を切らしながら、テュールさんの背中に問いかける。
「ゴブリンより大物がいればいいんだけどな。まあ、こうやって森を歩くだけでも鍛練になるだろ」
確かに、危険なはずの森を大股でズンズン歩いて行くテュールさんを追いかけるだけで、身体は鍛えられそうだ。
「俺を追いかけるのに必死になっていないで、ちゃんと警戒もしとけよ」
「そ、そう言われても・・・!」
足元は、張り出した木の根でデコボコ。頭の高さには、木の枝。視覚は、薄暗い。そんな中を小走りに移動しているのだ。僕には、周辺を警戒する余裕など、これっぽっちも残っていない。
「まあ、いきなりやれって言っても無理だろうけどな、そうする気持ちは忘れるなよ。意識してれば、そのうちできるようになるさ」
「だと・・・、いいん、ですけど」
実際、移動しながら話をするだけで、息が切れるのだ。本当に、周辺警戒までできるようになるんだろうか?
「お? よし、止まれ」
テュールさんの言葉に僕は立ち止まり、一息つこうとする。
「馬鹿。休憩じゃねぇ。お目当てのお客さんだぞ」
「い?」
見ると、森の奥から、ゆっくりと歩いて来る人影が見えた。
とても、大きな人だ。気のせいか、裸なような・・・。
「紋様を使え。筋強化と知覚強化だ。それで勝てる」
「え? え?」
状況が呑み込めない僕。
「早くしろっ。俺は手を出さないからな!」
木立の向こうから姿を現した人には、全身に茶色の剛毛が生えていた。
「オ、オーク!?」
僕は2枚の羊皮紙を取り出すと、連続で魔法を発動。
筋強化――――全身の筋肉に、たくましい力が宿る。
知覚強化――――薄暗かった視界が明るくなり、木の葉が擦れる音、虫や鳥の鳴き声、それにオークの呼吸音が耳に届くようになる。
僕は短剣を抜くと、静かに足を踏み出す。
生臭い匂いが、吐き気を催させる。僕はそれを我慢し、オークの顔を睨め付けた。
オークが瞳のない白く濁った目で、僕を見る。ゴブリンと同じ目だ。
その顔には身体と同じように茶色の剛毛が生え、口が前方に迫り出し、下顎から伸びた2本の牙が飛び出している。
武器はおろか、襤褸布1つ身にまとっていない。
意を決すると、僕はするすると前に出た。
注意すべきは、ヤツの太く長い腕。そして、鋭い牙だ。
僕の真正面からの接近に、振り回した右腕をぶつけて来るオーク。まともに食らえば、僕のひょろい身体なんて簡単にバラバラになってしまう一撃。
でも、遅い。
いや、遅く感じられる。
僕は姿勢を低くし、その一撃をかいくぐる。
ほぼ、四つん這い。
こちらがゴブリンになったかのように。
すれ違い様に、オークの右足首に短剣を走らせる。
刃が肉に滑り込む感触。
断った!
骨までは届かなかったが、確実に何かを断った。
絶叫するオーク。
足を押さえたまま、立ち上がれないようだ。
筋だか腱だかを断ち切れたらしい。
オークがこちらに背中を向けているうちが、好機。
こんなヤツに「待ち」の態勢に入られたら、2度と飛び込めなくなってしまう。
一直線にオークの背中に迫る。
狙うは、その首筋。
その首筋の筋肉が、ぎりっと動くのが見えた。
振り向くオークの頭部。
続いて肩が回転し。
更に腕が。
上半身だけを捻って、背後にオークの太い腕が振り抜かれる。
その腕を、僕は跳躍した足の下に感じていた。
オークの豪腕を飛び越え。
驚くオークの頭を飛び越え。
僕は短剣をオークの後頭部に突き立てた。
分厚い頭蓋骨を、筋強化された僕の右手が持つ短剣が貫く。
「って、うわっ!」
空中で無理に短剣を振るったせいで、盛大に体勢を崩す僕。
短剣が手からすっぽ抜けて、横様に地面に落下。
そのまま、ごろごろと地面を転がる。
衝撃。
木の幹にぶち当たって、回転停止。
「ぶはっ!」
視界がぐるぐる回る中、慌ててオークに目を向ける。
オークは。
オークは?
オークは、身体を捻ったまま、ぶっ倒れていた。
びくびくと痙攣しながら。
その後頭部には、短剣が深々と刺さっている。
「ど、どうなった?」
そっと立ち上がり、おそるおそるオークに近づく。
オークは、動かない。
落ちていた石を投げ付けてみる。
オークは、動かない。
「やっ・・・た?」
テュールさんを振り向くと、ニヤニヤしながら、こちらを見ていた。
「そうだな。近寄る前に、ちゃんと倒せたか確認するのは大事だ。頭のいいヤツは、死んだフリもするからな」
「な、なるほど」
「じゃあ、ちゃんとアレと牙を回収しろよ」
オークのアレからは、ゴブリン以上の強壮薬が作れるのだった。
その日の修行は、オーク戦で終了。
筋強化と知覚強化の魔法の効果は15分ぐらいで切れ、その途端に猛烈に身体が重くなった。目、そして頭も、強烈に痛くなる。
「こ、これって、強化魔法の反動ですか?」
「そうだ。使ってるうちに慣れてくるらしいから、時々使っておいた方がいい」
「そういうもんなんですね。銅級には、経済的に厳しい話です」
「お前さんは自分で紋様を描けるから、大丈夫だろうが」
「一般的な話ですよ」
「でも、予想してたより、強化の性能が良かったな」
「え?」
「綺麗に描けてたから、魔法自体は発動すると思っていたけどな、素人が作った物はどうしても性能が落ちるんだ。でもあれなら、正規で売っている物と遜色ないだろう」
「そうなんですか?」
「紋様描きだけでも、食っていけるぐらいだよ」
実際は、勝手に紋様を作って売ったりしたら、紋様魔術を取り扱う関係者から槍玉に上げられることになるだろう。冗談抜きで、刺客を差し向けられる可能性もある。
しかし、個人的に使う分には問題ない。
自分の描く紋様のデキについて、金級冒険者にお墨付きをもらえたことは、僕にとって大きな自信になったのだった。
夕刻前に、納品所に到着。
いつもの薬草用の窓口じゃなく、素材用の窓口に向かう。
薬草窓口のおばさんが「あれっ?」て表情をしてたけど、会釈だけしてごまかした。
テュールさんとのアレの配分は、きっちり自分が倒した数で分けてある。
ゴブリンのアレは1個で銀貨1枚だが、オークのは銀貨3枚になった。この日の収入は、銀貨8枚だ。
なお、ゴブリンやオークは勝手に狩ったものなので、依頼達成料は発生しない。
「どうだ? ちょっとは自信がついたか?」
いつもの居酒屋に直行すると、テュールさんが切り出した。
「そうですね。自分の体力のなさは痛感しましたけど、戦うための算段もついてきましたね」
「うん。俺がいなくなったら、地道にカネを貯めて、剣を買え。そして、体力をつけろ。黒い森に行くのは、それからだな」
「はい。分かりました」
「ただ、違う手段もある」
「と、言うと?」
「信用できる仲間と組むことだ」
「ああ・・・」
「魔術と法術、それに紋様魔術が使えるんなら、前で戦ってくれる仲間がいれば、オークとも余裕をもって戦えるだろう」
「それはそうですが、そんな都合のいい仲間を見つけるのは難しいですよね」
「そうだな。普通は、肉親だったり、同じ場所の出身同士で組むものだからな」
僕の場合、兄弟は同じ街にいないし、同郷の者と連絡も取っていない。
「テュールさんは、どうやって見つけたんですか?」
「俺は、酒場で意気投合して、だ」
「ええっ? そんなので大丈夫なんですか!?」
「大丈夫じゃないことも多いが、なんとかなるもんだ」
「ははっ、豪快すぎますよ。僕には真似できません」
「お前さんには、すすめないよ。タチの悪いのに捕まって、便利に使われるのがオチだ」
「そうですよねー」
「だから、しばらくは1人で力を付けるんだな」
「そうします」
そうやって喋ってるところへ、男が1人近づいて来た。
顔に見覚えがある。同じ宿に泊まっている冒険者だ。
「テュールさん、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
男の発する気配に、テュールさんが真面目な表情になる。
「それが、ついさっき衛兵が宿に来ましてね」
「それで?」
「坊やのことを探してたんですよ」
「なんだと? それで、どうした?」
「親父っさんが適当なことを言って追い返しましたが、宿に戻るのは危険かも知れませんぜ」
男の言葉に、僕の背がスッと寒くなった。
衛兵が僕を探しているとしたら、強盗を撃退した件が原因に違いない。
「知らせてくれて、ありがとうよ」
テュールさんが銅貨を何枚か握らせると、男は小さく頭を下げてから去って行った。
「テュールさん・・・」
「まずは、衛兵が何をしに来たかを調べねぇとな」
冒険者としてやって行く筋道が見えたと思ったら、いきなりの展開だ。正直、僕はうろたえまくっていた。
「安心しろ。俺が付いてる限り、悪いようにはしねぇ」
そんな僕に、テュールさんは男前に笑ってみせたのだった。