紋様を描いた日
あ。あっちにはタミルソウが群生してる!
ここにあるのは、サグエルダケか?
おお、探し物魔法も使ってないのに、スノウダケが見つかっちゃったし!
僕は、ウハウハ言いながら、薬草を集めていた。
普段、黒い森には誰も薬草採集が入っていないせいで、採り放題、集め放題だ。
ここに1人で薬草採集に来れるぐらいに腕を上げれば、生活には一生困らないに違いない。
まあ、そこまで腕が上がったら、薬草採集よりゴブリンやオークのアレを集めた方が、儲かるんだろうけど。
気づいたとき、僕は少しばかり森の奥に入り過ぎてしまっていた。
薬草がどんどん採れるせいで、調子に乗ってしまったらしい。
「おっと、この程度にしておかないと・・・」
黒い森の中で1人になっていることに危険を覚え、僕は引き返すことにする。
でも、少しばかり遅かったみたいで。
ザザッと草が鳴る音が聞こえたと思ったら、左足にドンという衝撃があり、続いて鋭い痛みが走った。
「いっ!!」
ゴブリンだ。
ゴブリンが1体、走って来て、僕の太ももに噛みついたのだ。
痛い。
ゴブリンはグルグルと喉の奥で唸りながら、首を振りたくる。
痛い痛い。
噛みつかれた太ももから聞こえて来る、ぶちぶちという何かが切れる音が、やけに耳に響く。
痛い痛い痛い。
僕は左腰の短剣を抜き、力いっぱいゴブリンの首に突き立てた。
ゴブリンの身体が、びくりと震える。
突き立てた短剣を捻ると、その身体から力が抜けた。
「くそっ、シャレにならないよ。あぅっ、こいつ、いつまで噛みついてるんだ。離せよ・・・!」
太ももに噛みついたままのゴブリンを引き剥がそうとしたとき、右腕に激痛が走った。続いて、左腕にも。
「うがっ!!」
ゴブリンだ。
ゴブリン2体だ。
左右の手に1体ずつが噛みついて、僕の動きを完全に殺している。
ああ。ズボンに続いて、グローブまでがズタボロだ。
被害の大きさを、痛みじゃなくお金で換算した途端に、妙に頭が冴えてきた。
「ボルス・ブロイス・リグラ・リグラテ・・・」
両腕、ついでに左足の痛みを意識の外に締め出す。
革のグローブ越しに、ゴリゴリという音が聞こえて来るけど、気にしない。気にしない。気にしちゃダメだ。
「・・・ビブロイ・リグ・リグ・マイカート」
ゴブリンの頭から背中にかけて鬣状に生えている長い毛が、炎を噴き上げた。
「ゲギャッ!!」
頭のあまりよろしくないゴブリンだけど、さすがに頭と背中に火が付いたら、慌てるらしい。僕の腕に噛みつくのをやめて、地面を転がり出す。
両腕が自由になったと同時に、僕は左足のゴブリンの死体を振りほどいた。
しかし、両腕の痛みが半端じゃない。
そりゃそうだ。両腕とも、グローブの手首の辺りがエラいことになっている。エラいこと加減では、グローブの中身も、あまり変わりがないだろう。短剣を掴もうにも、力が入らない。
しかし、炎で慌ててくれているうちに、ゴブリンをなんとかしなくちゃ! 僕の使った魔法には、生き物を殺せるほどの威力はないんだ。
「バリオ・ヘス・ルシ・ヘイリーニ・トワイクル・・・」
「おい! アグニ!!」
抜き身の剣を持ったテュールさんが現れたときには、なんとかけりが付いていた。
座り込む僕の周りには、事切れたゴブリンの身体が3体。
「テュールさん・・・」
ホッとして、僕の身体から力が抜ける。
「うおっ、血だらけじゃねぇか!」
駆け寄って来たテュールさんが、ボロボロの僕の姿に悲鳴を上げた。
「すまねぇ! 俺が付いていながら・・・!」
テュールさんは僕を抱き上げると、休憩場所へと軽々運んで行く。
そして僕を地面に下ろし、難しい表情でグローブを剥ぎ取った。
「む・・・。う・・・? あれ?」
水をぶっかけられて血を洗い落とされた僕の右手首には、ゴブリンの牙の痕がくっきり残っていたけど、傷そのものは薄いピンクの皮膚で塞がれている。
「治って・・・る?」
「はい。治しました」
「な、治したって、お前!? そうだ、他の場所は!?」
「他は、まだ治してません」
左のグローブを剥ぎ取られると、手首の辺りに並んだ牙の痕から赤い血がびゅっびゅっと吹き出していた。
「う・・・わ・・・。これは、ひどい」
「自分で冷静に言ってんじゃねぇよ。で、どうやって治すんだ?」
「バリオ・ヘス・ルシ・ヘイリーニ・トワイクル・・・」
「お前、それって・・・」
呪文を唱え終わると同時に、淡い光が僕の左手首を包み、ゴブリンに穿たれた穴がゆっくりと塞がっていく。
「法術なのか?」
「はい。そうですよ」
「いや、待て待て。お前さん、法術まで使えたのか!?」
「はい・・・」
「なんで、魔術だけじゃなくて法術まで使えるんだよ?」
魔術にしろ法術にしろ、本来は師匠に付いて長い時間をかけて習得するものだ。ついでに言うと、師匠にはけっこうなお金を払うのが普通である。ただの農家の生まれの小倅が、身に付けられるものではない。
そういう意味では、僕はとても運が良かった。
住んでいた村に魔法使いの婆がいたことが、全ての始まりだ。
産婆に薬士、失せ物探しで暮らしを立てていた婆は、魔法を使えるという一点で、村人から敬われると同時に畏れられていた。
いつも不吉な真っ黒いローブ姿で、村の中を歩いていた婆。
そんな婆に、子供のころの僕は、好奇心だけで近づいたんだ。
婆は怪訝な表情をしながらも、僕を追い払おうとはしなかった。
それどころか、僕に文字や算術、薬草の知識を教えてくれ、ついには魔法まで伝授してくれたんだ。
最初に教えてくれた魔法こそ、記憶の魔法だった。
「この魔法だけ身に付けておけば、他のどんな魔法も簡単に習得できるだろうよ」そう言って、いたずらそうに笑った婆の顔を、僕はまだよく憶えている。
そして婆は、ウェイカーンの街の医術所での下働きの話を、僕に持って来る。
小作農の次男だった僕には、村に居残るという選択肢はなかった。いずれは村を出て、街の商家にでも奉公に行くしかなかったのだ。僕は婆の薦めに従い、ガミア先生の元で働くことになる。
「それで、下働きでいながら、ガミア先生に法術を習ったのか?」
「そうなります」
僕は、記憶の魔法のことを除き、自分の経歴をテュールさんに説明した。
記憶の魔法のことを内緒にしたのは、婆から絶対に秘密にしろと言われていたからだ。
おかげで、ガミア先生が使うのを見て勝手に覚えた法術を、ガミア先生が直々に僕に教えてくれたことにしてしまったけど、それぐらいは問題ないだろう。
「もしかして、俺に法術をかけてくれたのも・・・?」
「最初の1回は、ガミア先生でした。でもその後は、僕が」
大怪我をし、意識を失った状態で運び込まれて来たテュールさんに、まず法術をかけてその怪我を大まかに塞いだのは、ガミア先生だ。
でも、もう体調を崩していたガミア先生には、それ以降も法術をかけ続けることは無理だった。そこで、僕がテュールさんの世話をしながら、毎日法術をかけ続けたんだ。
ガミア先生も、僕が法術を使えることに気づいていたように思う。
「そうだったのか。俺の身の回りの世話をしてくれていただけじゃなかったんだなあ」
テュールさんは、改めて僕に頭を下げた。
「よしっ! アグニのことは、慣らしの間にちょっと面倒を見てやる程度のつもりだったが、本気で鍛えさせてもらおう!」
「え?」
「覚悟しろよ!」
「そ、それって、どうなんですか!?」
なぜか、僕の前に地獄の入口が口を開いたのだった。
「でも、明日はさすがに休養な」
僕を抱えるように宿まで連れ帰ってくれた後、テュールさんはそう言い残してギルドに向かった。
ゴブリンのアレやら薬草やら、まとめて換金してくれるらしい。ついでに、穴だらけになった防具の修理も頼んできてくれるという。ありがたい話だ。
テュールさんのお金で数ランク上の防具を買ってくれるという申し出は、丁重にお断りしておいた。
大量に出血した上に法術で強引に傷を塞いだせいで、ひどく体力を消耗していたらしい。寝台に横になった途端、僕は意識を失った。
目覚めたのは、夕刻。
ギルドから戻って来たテュールさんのノックの音で、気が付いたのだ。
「おい。メシ行くぞ」
「あ、はい!」
正直、まだ寝ていたかったけど、血を失った分は食べて補うしかないので、頑張って起き上がった。
夕食に向かったのは、朝と同じ居酒屋。
各テーブルに置かれたランプだけに照らされた店内は、かなり薄暗い。
その中に、汗臭い男たちがひしめいている。
仕事を終えた冒険者たちが集まって、一杯やっているのだ。とんでもなく、にぎやかである。
「さあ、肉だ。肉を食え! 奢ってやるから、たっぷり食え!」
テュールさんに背を押され、僕もその喧騒に仲間入りする。
ちなみに、今日の収入も金貨1枚を超えていた。
3日連続、金貨をもらえてるなんて、これまでの生活からは考えられないことだ。
医術所でもらえるお金は、月に銀貨6枚だった。
もちろん、医術所のときは住む所と食べる物にはお金がかからなかったし、冒険者生活では、武器等の必要経費がシャレにならないぐらいにかかる。
でも、それを差し引いても、冒険者の収入は今までと大違いだ。
たっぷりの肉を食べると、生活用品を買うために、僕は道具屋に向かった。便所用の壺やランプを買うためだ。テュールさんは、当然のように付き合ってくれている。
しかし、そこで僕が本当に買いたかったのは、羊皮紙とペンとインクである。
紋様魔術用の紋様を、自分で描く気なのだ。
ゴブリンに襲われたときも、目潰しの魔法が使えたら、もっと楽勝だったはずである。ん? あ。気が付いたときには噛みつかれてたから、関係ないのかな? でも、ないよりは、あった方がいいに決まっている。
明日は、じっくりと紋様製作に当てることにしよう。
申し訳ないことに、宿までテュールさんが便所壺を持ってくれた。本当に、ごめんなさい。
「とりあえず、明日はゆっくり休め。明後日からは、身体の回復具合を見ながら、戦い方を見てやる。それで、いいな?」
「はい。それでお願いします!」
テュールさんが引き上げるや、僕は床の上に羊皮紙を置いた。
1辺が30センチぐらいの正方形の羊皮紙だ。それが12枚。決して、安い値段ではなかった。ペンやインクも、けっこう高い物である。
紋様魔術が流行らないのは、値段の高さが最大の原因だろう。
僕が1枚だけ持っていた目潰し魔法で、金貨1枚もしたのだ。あれは、護身用であると同時に、紋様を記憶するために買った物だった。
紋様魔術の紋様はとても複雑だけど、僕の場合は記憶の魔法で憶えてしまえば、いつだって自作できるようになるのだ。
月の給金が銀貨6枚で、そこから仕送りまでしていた僕には、金貨1枚は思い切った出費だったけれど、どうしても紋様を目にしたかったのである。
紋様魔術は、もちろん目潰し魔法しかない訳ではない。むしろ、目潰しは一番安い類で、もっと高くなれば、攻撃魔法や肉体を強化するような魔法もある。
できれば、そういった高い紋様を目にしたいんだけど、そういう機会は巡って来ていない。
店に行っても、買わないと商品は見れないのだ。
どこかに、色んな紋様を拝ませてくれる、神様みたいな人はいないかなぁ?
ランプに火を点ける。
そして、僕の頭の中に植え付けられている目潰し魔法の紋様を、羊皮紙に写し始める。
このとき、1ヶ所でも写し間違いがあったら、魔法は発動しない。
それどころか、わずかな描線の乱れが、魔法の効果を大幅に下げてしまうこともあるらしい。安い羊皮紙や安いインクを使っていると、描線が綺麗に定着せず、それも失敗の原因になるという。
いかがわしい店に行けば、素人が写した紋様魔法が安く売られていたりするそうだけど、ちゃんと魔法が発動するかどうかは運次第だと聞く。
でも、僕の描く紋様は、確実に発動するはずだ。
手間も時間もかかるけど、僕は正確な紋様を描くことができる。そのために、羊皮紙やインクも、ちょっと値段の高めな物を買ったんだ。
僕は、あっという間に紋様を写す作業に没頭していった。
「おい。アグニ、起きろ」
テュールさんに揺り起こされて、目が覚めた。
昨日、テュールさんに荷物を運び込んでもらった後、鍵をかけるのを忘れていたみたいだ。
床の上には、羊皮紙が散乱したまま。
僕を起こしてから、テュールさんは羊皮紙を拾い上げた。
「あれから、これを描いてたのか?」
「あ、はい。てか今、どれぐらいですか?」
「そろそろ昼だ。メシを誘いに来たんだが・・・」
そこまで言って、黙り込むテュールさん。視線は、僕の描いた紋様に向けられたままだ。とても、難しい表情になっている。
なんか、ビビる。
「これ、綺麗に描けてるけど、ちゃんと発動するのか?」
「多分・・・。あ、ほら、空き地で強盗相手に使った目潰しも、僕が描いたんですよ?」
「そうか。だったら、これも使えそうだな。
もしかして、見本があったら、他の紋様も描けるか?」
「それは、時間さえあれば・・・」
「よし。待ってろ」
ドタバタと部屋を出て行くテュールさんを、呆然と見送る僕。
テュールさんは、すぐに戻って来た。
その手には、数枚の羊皮紙。紋様が描かれているのが見える。
「え、もしかして?」
「紋様だ。筋強化、知覚強化、再生、氷結、雷縄がある。描かせてやるから、俺の分も何枚ずつか描いてくれないか?」
「本当ですか? こちらこそ、ぜひお願いします!」
こんな近くに、神様がいたー!
昼食をさっさと終わらせると、帰りにまた昨日と同じ道具屋に向かった。
今日はテュールさんがお金を出してくれるので、遠慮なく大量に羊皮紙を買い込む。
「机も欲しいんじゃないか?」
「それは、欲しいですけど」
「よし、買おう」
「え? 太っ腹すぎ・・・!」
でも、テュールさんの懐具合が心配になる。
金級だからお金は持っているんだろうけど、怪我の治療でけっこうな出費があったはずだし、それから大して儲けられてないはずだ。
そもそも、テュールさんが紹介してくれた宿は、金級冒険者が泊まるには粗末過ぎる。きっと、お金を節約してるに違いないんだ。
おそるおそる僕がそれを口にすると、「だから、アグニに紋様を描いてもらって、安くあげようとしてるんだろ!」と笑ってくれた。
男前過ぎるよ、テュールさん。
部屋に戻ると、早速紋様の写しにかかる。
目潰しの紋様に比べると、他の魔法の紋様は、より複雑だった。
まずは記憶の魔法の呪文を唱え、テュールさんの持ち込んでくれた紋様を網膜に灼き付ける。そういう意味では、見本を借りる必要はなかったんだけど、記憶の魔法が内緒だから、しょうがない。
筋強化は、全身の筋肉の力を上げる魔法。
知覚強化は、目や耳、鼻の働きを高める魔法。
再生は、怪我をしたときに傷が塞がるのを速める魔法。
氷結は、対象を凍り付かせたり、動きを阻害する魔法。
雷縄は、稲妻の鞭で対象を倒したり、縛り付ける魔法。
僕は、1つ1つの魔法の紋様を記憶していった。
しかし、渡された紋様の構成を見ていると、テュールさんの戦い方が見えて来るようだ。
その日、僕はひたすらペンを操り続けた。