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朝の街で出会った日

お互いの秘密や心の中に抱えていたものを語り合ったアグニとジゴロは、相棒としての絆を深める。が、そこに、ジゴロがマリアの恋人だと誤解したままの冒険者たちが絡んで来て――――。

 軽戦士の男が殴りかかって来るのを、ジゴロくんはゆらりゆらりと上体を揺らしながら、1発残らずかわしてのけた。その動きは、むしろ面倒くさそうに見える。「どうして、こんな弱っちい男の相手をしないといけないんだろう?」という思いを、隠そうともしない。

「こ、この餓鬼、のらりくらりしやがって! お前ぇらも見てないで、手伝いやがれ!!」

 残りの3人が、仕方ねぇなぁという雰囲気で動き始める。

 が、その時には、僕の魔法詠唱が完成していた。


 通雷の魔法――――。

 店内の喧騒に紛れて「ばちっ!」という音が聞こえ、男たちの動きが止まる。

 僕の手先から放たれた紫電が、男たちの身体を麻痺させたのだ。

 その一瞬。

 ジゴロくんが4人の間を、ただ歩き抜けた。

 それだけで。

 4人の男が白目を剥いて、お世辞にも綺麗とは言えない床に倒れ込む。


 さすがの手並みである。

 自分は天才じゃないと言っていたジゴロくんだけど、僕の魔法の詠唱が終わる時間を稼ぎ、魔法が効果を発揮しているわずかな間だけで4人の男を昏倒させるなんて、よほどの才能がなければ出来ない芸当だ。ましてや相手は素人ではなく、4人ともある程度年季の入った冒険者だったのだから。

 ジゴロくんが振り向くと、ニヤリとした笑みとともに開いた手のひらを見せる。

 

 それに僕が手のひらを打ち合わせようとした瞬間、ジゴロくんの背後に1人の男が降って来た。

 普通の街人かのような地味なチュニック姿。剣も持っていない。しかし、大柄な体格と傷だらけの風貌が、男がただの街人ではない事を物語っている。

「ジゴロくん、後ろ!」

 僕の声に躊躇なく背後を振り返ったジゴロくんの顔面に、男の拳が炸裂。


 玩具の様に、ジゴロくんの身体が吹っ飛んでいく。

 その衝撃的な光景に僕の頭が思考停止した一瞬、男のもう1つの拳が空気を焦がしながら、僕の視界いっぱいに――――。






 居酒屋は2階建てだけど、2階部分には小さな部屋がいくつかあるだけで、それ以外の箇所は吹き抜けになっている。部屋から出れば、店が見下ろせる訳である。

 顔面傷だらけのおっさんは、2階から飛び降りて来たのだ。

 僕はゆっくりと意識を取り戻しながら、殴り飛ばされる直前の事を思い出していた。

 きっと、あの傷だらけのおっさんが、この居酒屋の店主なのだろう。

「うぐぁっ、か、顔が痛い・・・!」

 意識を取り戻した途端、僕はあまりの痛みにのた打ち回る。顔が半分なくなってしまったんじゃないかと思うぐらいに痛い! おまけに目が塞がり、鼻も腫れ上がって息が出来ない。


 襲い来る痛みを(こら)えながら何とか法術を使うと、顔面の痛みと熱が少し(やわ)らぎ、目が開き、鼻腔を空気が通るようになった。顔面の腫れが、少し引いたおかげだろう。つか、そんなにひどく顔が腫れ上がってたのか!?

「お。目ぇ覚ましたか?」

 ガラガラ声が聞こえたので視線を向けると、僕とジゴロくんを殴り飛ばしたおっさんが、床に直接座って酒を(あお)っていた。

「すまねぇな。騒ぎが聞こえて見てみたら、お前ら2人だけが立ってたんでな、勘違いしちまった。お前らは絡まれた方だったらしいな。申し訳ねぇ」


「あー、そういう事だったんですか」

「お前の顔には見覚えがあったんで咄嗟(とっさ)に手加減したんだが、連れの方は本気でぶっ飛ばしちまった。今見てたが法術を使えるんだろ? ちょっと様子を見てやってくれるか?」

 手加減されて、それでも呼吸が出来ないぐらいに顔が腫れ上がったのか。ジゴロくん、本当に顔がなくなってないだろうな。心配になってしまう。

「それで、ジゴロくんは?」

「ああ、隣の部屋だ。ターラたちが面倒を見てる」


 僕は何とか身を起こすと、隣の部屋に向かった。

 どうやら僕が寝てたのは、2階にある店主の部屋だったらしい。

 ノックをして隣の部屋に入ると、ターラちゃんに加えて3人の女の子が、甲斐甲斐しくジゴロくんの世話をしていた。

 部屋は女の子たちが共同で使っているらしく、二段重ねの寝台が2つ並んでいる。店主の部屋の倍ぐらいの広さだ。

 ジゴロくんの顔は見事に腫れ上がっており、濡れタオルでそれを冷やしながら、女の子たちが泣きそうになっている。

 でも、4人がかりでジゴロくんの面倒を見る必要があるか? 僕に付いてくれていたのは、傷だらけのおっさん1人だったのに。法術かけるの、やめたくなるな。


 でも、後ろから店主が背中を押すので、僕は渋々ジゴロくんに法術をかけた。見る見るうちに腫れが引き、曲がっていた鼻が元の形に戻り、美形っぷりを復活させるジゴロくん。

 息を詰めるようにして、それを見ていたターラちゃんたちが、目にいっぱい涙を溜めて、僕に感謝を伝えて来る。

 いや、ジゴロくんは僕の友だちであって、ターラちゃんたちに感謝される筋合いはないからね!

「お前、良い腕してるな。助かったぜ」

 嬉しそうに、店主がバンバン僕の背中を叩く。

 何か釈然としない僕である。


 法術をかけてしばらく経つと、ジゴロくんが目を覚ました。まだ足元がふらつく様だったけど、とっとと引き上げる事にする。さすがに、ターラちゃんの寝台でジゴロくんを夜明かしさせる訳にはいかないからね。

「本当に今日は悪かったな。気にせず、また来てくれよ」

「今度は、負けませんから。えーっと・・・」

「ザンメルだ。いつでも、かかって来い。だが、これでも元金級だぞ」

 去り際、とんちんかんな会話を交わすジゴロくんと店主――――ザンメルさん。でも、ジゴロくんが根に持つ性格じゃなくて良かったと思う僕。


 が、帰り道、ジゴロくんはジッと黙っていた。日が落ちて真っ暗な道に視線を据えたまま、何かを考えている様である。

 僕は何も言う事が出来ず、ジゴロくんの背中を見つめるだけだった。

 なお、帰りが大幅に遅れた上、肉饅頭を買うのを忘れたせいで、毛玉くんが大むくれになったのは別の話である。






 翌日、空腹の毛玉くんに朝早くから起こされた僕は、渋々寝台を抜け出すと、宿の裏庭にある水場に身体を洗いに向かった。

 昨夜が昨夜だったので、今日は休みという事にしている。でも水場には、仕事に出る前の他の冒険者に混じって、ジゴロくんが裸になって身体を洗っていた。むくつけきおっさんたちの裸に混じって、ジゴロくんの裸はいたいけな少女の様に見えて、胸がざわざわしてしまう。それは他のおっさんたちも同じ様で、落ち着かない感じでジゴロくんにちらちら視線を走らせている。

 そんな状況で平然と肌をさらしていられるなんて、ジゴロくんはどんな神経をしているのだろう。


「ジゴロくん、おはよう。身体は平気?」

「ん? あ、おはよう、アグニくん。おかげさまで、身体は快調だよ」

 考え事をしていたのか、ジゴロくんらしくなく反応が鈍い。

 腕に覚えがあっただけに、ザンメルさんにぶっ飛ばされた事が後を引いているのだろうか。僕はジゴロくんの事を気にしながらも、黙って身体を洗い始めた。

 そしてしばらく経って、ジゴロくんが重い口を開く。

「・・・やっぱり、金級って凄いんだな」

「そうだね。ザンメルさん、凄かったね」


「まさか、力だけでぶちのめされるとは思わなかったよ。アグニくんには、金級冒険者の知り合いはいるかい?」

「いるよ。今は遠征に行ってるけど、ここを定宿にしてる人とか。あ、魔鉄級の人も知ってるよ」

「え、本当かい? この街にいる魔鉄級といったら、カゲロウさんだけだろ? アグニくん、知り合いなのかい?」

「うん。魔族の件の時に知り合ったんだ」

「アグニくん、俺にカゲロウさんを紹介してくれないか!?」

 いきなり、勢い良く僕の手を掴んで来るジゴロくん。そして、正面から僕の顔を覗き込む。

 その目が真剣過ぎて、正直怖い!


「あ、ああ。分かった! 分かったから!!」

 僕は悲鳴を上げる様に、ジゴロくんの願いを聞き入れた。

 頼むから、素っ裸のまま僕の手を握り締めるのはやめてくれ!





 

 その後、ジゴロくんと連れ立って朝食に出た。もちろん、姿を消した毛玉くんも同行している。

「腹が減ったニャ~。死にそうニャ~。今朝は、いつもの倍よこすニャ~」

 昨日の夜の食事を抜いたせいで、僕の肩に乗った毛玉くんが呪いの様に囁き続ける。この魔族、食べる以外にやる事がないのか?

 広場に出ている屋台で肉や野菜入りの饅頭と果物を買い、噴水の縁に腰を下ろす。待ちかねた様に肉の方の饅頭にかぶりつく毛玉くん。なんとか、僕が齧られずに済んだようだ。


 と、こちらをジッと見ている人がいるのに気が付いた。

 銀色の金属鎧姿の美女。カグラさんだ。怖い表情なのは、まだジゴロくんをマリア様の恋人だと誤解しているからだろう。

 僕はジゴロくんに待ってるように言うと、カグラさんの元に向かった。

「おはようございます、カグラさん」

「おはようございます、アグニさん。あいかわらず、彼と仲が良さそうですね。おまけに、昨夜はアグニさんまでマリア様の館に泊まるなんて」


 うわっ、もうバレてる。と言うか、マリア様の館が監視されてるのか。

「その事なんですけど、ジゴロくんとマリア様に聞いたら、誤解だと分かりました」

「誤解? どういう事でしょう?」

「簡単に言うと、2人は姉弟だそうです」

「それは本当ですか?」

「2人がそう言ったのは本当です。良かったら、ジゴロくんと話をしてみますか? 実は、お願いしたい事もありますし」

 

 カグラさんを連れて戻ると、ジゴロくんが姿を消していた筈の毛玉くんを捕獲し、膝の上に乗せてのんびりと撫でていた。ジゴロくんの綺麗な指で長い毛を()かれながら、毛玉くんはうっとりと目を閉じている始末だ。本当にこいつが魔族なのかと疑いたくなる光景である。

「ジゴロくん、紹介するよ。こちら、衛兵隊のカグラさん。ジゴロくんとマリア様の噂を教えてくれた人で、カゲロウさんの友だちでもある人だ」

「はじめまして、カグラさん。衛兵隊にこんな美しい方がおられたんですね。驚きました」


 一瞬前まで浮かない表情をしていたクセに、カグラさんを見た途端に反射的に爽やかに笑ってみせるジゴロくん。

 あれ? 握手しながら頬を染めていないか、カグラさん? マリア様の恋人と疑って危険人物扱いしてたのに、貴女がそんな調子で良いのか!?

「それでカグラさん、ジゴロくんがカゲロウさんに稽古を付けてもらいたいらしいんだけど、そういうの可能ですか?」

 ジゴロくんとカグラさんが見つめ合ったままで話が進まないので、仕方なく口をはさむ僕。なんか、僕がいない方が良かったりする?


「え? カゲロウに? それは私が頼めば、どうとでもなると思うけど・・・」

「本当に? だったら、貴女の手を煩わせるのは申し訳ないんですが、お願いしてよろしいですか? お礼は必ずしますので」

「お礼だなんて、そんな・・・」

 カグラさんの右手を両手で押し包み、真っ直ぐ感謝の目を向けるジゴロくんに、カグラさんは耳たぶまで赤く染めてしまっている。

 なんだか、完全に馬鹿らしくなって来た。


「じゃあ僕は用事があるから、後は2人で打ち合わせてね」

 そう言い残すと、僕はその場を後にした。

 何て言うか、ジゴロくんといると、男としての自信がどんどんなくなっていくよ。そりゃ、元々そんなに自信があった訳じゃないけどね。

 僕はあんなに美形じゃないし、強くもないし、女の子とのやり取りにも慣れていないからなぁ。それとも、ジゴロくんと一緒にいたら、少しは女の子にモテるように変われるのかな?


「あの男を(ねた)んでいるのかニャ?」

 不意に右肩が重くなると、耳元で毛玉くんの声が聞こえた。

「付いて来たの? ジゴロくんと一緒にいたらいいのに」

「やっぱり妬んでるんだニャ? 小さい男ニャ」

「うるさいよ。肉饅頭がないからってヘソを曲げるヤツに言われたくないよ」

「肉饅頭は譲れないニャ!」

「力一杯言い切ったな」


「それで、どこに行くニャ?」

「う・・・」

 毛玉くんの問いに、僕は足を止めた。

 このままオークでも狩りに行きたい気分ではあるけど、こんなに頭の中がグルグルしてる状態では、ヘマをやって簡単に生命を落としかねない。その程度の事が分かる冷静さは、なんとか残っている様だ。

「血を見るか女を抱くかしたいのかニャ?」

「人を危ないヤツみたいに言わないでくれる?」


 でも、確かにゴブリンやオークを一掃したら、スカッと出来そうな気がするな。

「ようし、分かったニャ。ここは、俺様に任せるニャ!」

「は? 任せるって何をさ?」

「いいから、まずはそこの路地を抜けるニャ!」

「えぇ? 一体、どうしようって・・・」

 早朝とはいえ、それなりに人通りのある所で、いつまでも毛玉くんと言い合ってはいられない。そもそも、毛玉くんの姿は消えているのだ。他人からしたら、僕が1人でぶつぶつ言っているようにしか見えない筈である。


 僕は、仕方なく毛玉くんの指示するままに歩き出した。

 路地を抜け、隣の通りに出る。さっきまでいた通りは冒険者の姿が目立っていたけど、こちらの通りは落ち着いた雰囲気だ。ちょっと身なりの良い人たちが、静かに歩いているだけだ。

「右に行くニャ」

「はーい」

 通りを右に進むと、道端に小さなテーブルを4つ並べてお茶と軽食を提供している露店が見えて来た。


「あそこだニャ」

「あそこ? あの店が、どうかしたの? 女の人が好きそうな可愛い店で、冒険者は似合わないと思うんだけど」

 現に今も、女性客が1人で食事を取っている。

「行けば分かるニャ」

「へいへい」

 仕方なく露店に向かって行くと、たった1人いる女性客に見覚えがある様に思えて来た。それも、かなり最近に出会った人だ。


「――――!」

 露店に近づく僕に気づいた女性客が、何気なくこちらに顔を向ける。その顔を見た途端に、僕の心臓が跳ね上がった。

「あ、カラスアゲハさん」

「あら。おはようございます」

 驚きながらも優しい笑みを見せてくれたのは、確かにカラスアゲハさんだった。ジゴロくんに連れられて行った店で、僕たちの相手をしてくれた女性の1人である。

「お、おはようございます! こ、この間は、酔っ払ってしまって、ごめんなさい!!」


 カラスアゲハさんたちの美しさと良いお酒のせいで酔っ払ってしまった僕は、カラスアゲハさんに膝枕をしてもらったのを最後に、何も憶えていないのである。

「あの、僕、ご迷惑をおかけしませんでしたか!?」

「そんな心配されなくても、大丈夫でしたよ。眠ってしまわれただけでしたから。それより、良かったら、一緒にお茶でもいかがですか? あ、それとも、今から冒険者のお仕事が?」

「いえ。今日は、休みで・・・」


 言いながら、僕はカラスアゲハさんと同じテーブルに着いた。

「そうなんですね。私も今夜はお休みなので、ゆっくりしているところなんです」

 静かな笑みを浮かべるカラスアゲハさんは化粧っ気がなく、2日前の夜より若く見えた。少し年上だと思っていたけど、もしかしたら同い年ぐらいかも知れない。

 それでも、落ち着いた光をたたえた切れ長の目と艶やかな黒い髪、抜けるように白い肌と桜色の唇が相まって、とても神秘的に見える事に変わりはない。


「ちょっと前の時間までお店にいたんでしょ? 眠くはないんですか?」

「少し眠いですけど、こうやって街が明るくなっていくのを見てるのが好きで・・・」

 本当に綺麗な人だな。

 さっきまで胸の内にくすぶっていた(おり)がいつの間にか霧散しているのにも気付かず、僕はカラスアゲハさんの顔を見つめていた。

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