新しい力に目覚めた日
魔物が喋った!?
目の前の銀色4つ腕猿人から感じられる脅威も、その口から人間の言葉が紡ぎ出された驚きに吹き飛んでしまった。
「こ、言葉が・・・?」
「言葉ヲ使ウノハ人間ダケデハナイ。当タリ前ダロウ?」
「あ、当たり前なの!?」
「何モ知ラナイ様ダナ。マア、マダ子ドモダ。仕方ナイダロウ」
僕がすぐそばにいるのに、銀色猿人の目はカグラさんたちに向けられたままだ。
正に、僕のことなど眼中にないのだろう。
新たに強力な敵が現れた事が分かっているのかいないのか、カグラさんとカゲロウさんの4つ腕猿人に対する戦いは苛烈さを増していく。
カグラさんの剣と盾は、確実に猿人の攻撃を受け流し、カゲロウさんの魔剣は剣身の形を変化させながら、少しずつ猿人の身体に届き始めている様だ。次第に猿人の黒い毛皮に刻まれる傷が増え、その動きが鈍り始める。
「魔剣ヲ操ルノカ。ナカナカ厄介ナ女ダ」
そう言いながら、銀色猿人の口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
こいつは、危ない奴だ。
戦闘狂という奴だ。
4つ腕猿人との戦いは、やっとカグラさんたちが優勢になって来たというのに、そこに銀色猿人が参戦すれば、簡単にひっくり返ってしまうだろう。
なんとしても、銀色猿人の動きは阻止しないといけない。
問題は、今の僕にそれだけの力がない事である。
攻撃的な紋様はもうないし、創造魔法も、魔力が残っていなくて、もう一度短剣を作れるかどうかも怪しいところだ。
それでも、詠唱を開始。
「フム。アイツガ殺サレテモ面白クナイシナ」
銀色猿人が下の2本の手を剣にかけながら、前に出ようとする。
相変わらず、僕を警戒する素振りもない。
それならそれで、都合が良い!
詠唱完了。
僕の右手が、何もない空間から真紅の短剣を掴み出す。
ぎりぎり、魔力が足りた様だ。
突然生じた魔力の奔流を察知した銀色猿人が、足を止めた。
その背に、僕は踊りかかる。
刃さえ届けば、なんとかなる筈。
魔力の刃が、筋肉の盛り上がった肩を斬り裂こうとした時、銀色猿人が1歩前進し、その攻撃をするりとかわしてしまう。
そして、振り返り様に長剣を一薙ぎ。
狙いは、僕の首だ。
速度、力強さともに、必殺の一撃。
「うがっ!!」
意味のない叫びとともに、僕はその攻撃を短剣で受け止める。
パキィーーーン!
金属音とともに砕け散る、銀色猿人の長剣。
とっさに短剣で防ごうとしたけど、魔力製の刃が鋼の刃に打ち勝ったらしい。正直、驚いた。
しかし剣を折られた銀色猿人は、もっと驚いたようだ。後方に跳んで僕から距離を取ると、折れた剣をまじまじと見つめる。
「驚イタ。オ前ノ様ナ子ドモマデガ、魔剣ヲ使ウノカ」
猿人もここまで表情が豊かなのかと思うぐらいに、目を剥き、口をあんぐりと開ける。
でも、その身体に傷1つつけられなかったのは、大失敗だ。
距離を取られてしまっては、僕の身体能力では銀色猿人に追撃をかけるのは不可能に近い。
おまけに、もう魔力切れだ。右手の短剣が空気に溶ける様に形を失ってしまう。
どうする?
もう、短剣を創造する魔力はない。
普通の短剣では、まるで歯が立たないだろう。
カグラさんたちは、まだ戦い続けている。
通雷の魔法で時間稼ぎをするか?
「子ドモ1人ナラ見逃シテヤロウト思ッタガ、ソウモイカナクナッタナ」
銀色猿人が上側の手指を組み合わせ、何かの印を形作った。
「※※※※※!」
そして、不思議な唸り声を上げる。僕には、それが3つぐらいの声というか音が重なった韻律に聞こえた。
その韻律に乗せて、10を超える銀色の刃が放たれる。
魔法だ。
韻律は、呪文だったのだ。
恐ろしく詠唱時間が短い魔法だったのだ。
長さ20センチぐらいの三日月形の刃が、怒濤のように僕に襲いかかる。
「――――!!」
気づいた時には、記憶魔法の呪文を唱えながら、僕は魔法障壁の紋様を取り出していた。
記憶魔法は、呪文を唱え終わってから前後2分ずつぐらいの情報を完全に記憶するものだけど、今の銀色猿人の呪文を再現するのは、いくらなんでも無理だろう。反射的に記憶の魔法を使ってしまったけど、通雷あたりを使うべきだった。
ギシャッ!!
展開した魔法障壁に、銀の刃が畳み込まれる様に命中。
イヤな音とともに、魔法障壁が歪み、ひび割れ、砕け散る。
叩きつけられる衝撃。
障壁では殺し切れなかった魔法の余波が、僕の身体を切り裂いて行く。
僕は、がっくりと片膝を付いた。
「ホウ。防イダノカ!」
またまた大仰に驚く銀色猿人。
「い、今のは・・・?」
勝手に僕の口が動いて、質問を紡ぎ出す。
もしかして、僕の中の新しい魔法への欲求って、生きるか死ぬかの恐怖に勝るんだろうか? 質問するより、次の手を考えるべきなのに。
「呪文ノ事ヲ言ッテイルノカ? ソレナラ、答ハ圧縮呪文ダ」
「圧縮? ・・・あのブブブ・・・っていうのが?」
「ソウダ。子ドモニハ無理ナ技ダヨ」
銀色猿人が、また胸の前でさっきと同じ印を組み始める。
もう、魔法障壁の紋様はない。
残っているのは――――。
僕が投げ放った羊皮紙から、爆発する光。
「グワッ!」
目を灼かれ、銀色猿人の詠唱が止まる。
目潰しの紋様だ。
これで、使える紋様はなくなってしまった。法術の紋様があるが、戦闘の役には立たない。
すかさず、創造魔法の詠唱を始める僕。
ここで何とかしないと、銀色猿人に勝てる機会はもうないだろう。全ての魔力を振り絞ってでも、もう一度短剣を――――。
出せなかった。
やっぱり、魔力が足りないものは、どうしようもない。
短剣よりもっと小さくて、銀色猿人を倒せる様な物がないか?
創造の魔法で作り出せるのは、自分がよく知っている物だけだ。武器の中で、短剣より小さく、僕がよく知っている物は、投げナイフぐらいか? 投げナイフ1本で、あの巨体をどうにか出来るか?
「オオオオオオッ!!」
銀色猿人が吠えた。
目が見えないまま、長剣を振るおうとする。
「くっ!」
心を決めた僕は、虚空からそれを引っ張り出した。
羊皮紙だ。
3枚。
その全てに、氷結の紋様が描かれている。
「凍りつけ!!」
きしぃん――――!!
まとめて投擲された羊皮紙から、六角形を無限に組み合わせた氷の波が湧き出して、銀色猿人の身体を呑み込んだ。
氷結の紋様を1枚だけ使った時とは比べものにならないぐらいに強い冷気が、僕の身体をも押し包む。
さしもの銀色猿人も動きを止め、氷の彫像と化す。
ぎし・・・っ!
軋む空気。
やれた・・・のか?
いや。まだ駄目だ。
氷の呪縛の内側で、銀色猿人のけた外れの力が、己を解放しようと蠢いているのが感じられる。
ぎし・・・っ!
ぎし・・・っ!
悲鳴を上げる様に、銀色猿人を飲み込んだ氷が鳴る。
カグラさんたちが剣を打ち合う音が、やけに遠い。
つまり、まだ応援は期待出来ないという訳だ。
もっと、氷結を重ねるか?
でも、本当に残っている魔力は、ごくわずかだ。羊皮紙と言えど、あと数枚しか作り出せないだろう。それに、氷結では足止めにはなっても、銀色猿人を倒す事は出来ない。
だったら、雷縄で?
いや。筋強化と斬撃強化を使って、普通の短剣で斬り付ける方が良さそうだ。
よし。創造魔法だ――――。
その瞬間、銀色猿人を縛る氷の枷が、激しい音を立てて砕け散った。
「ガフッ!」
上体を折って、咳き込む銀色猿人。
氷に閉ざされていた間、呼吸が出来なかったのだろう。ひどく苦しがっている。しかし倒れる様子はない。
「子ドモト思ッテ・・・油断シタワ・・・!」
「不死身ですか・・・」
迷っているうちに、紋様を作り出す時間もなくなってしまった。
絶体絶命。
銀色猿人の僕を見る目が、とても剣呑な光を帯びている。さっきまで殺す価値もないと思っていた小僧が、真っ先に殺すべき相手へと昇格してしまった様だ。
怖い。
とんでもなく、怖い。
その視線を浴びているだけで、生命が削られていく気がする。
僕を睨みつけたまま、銀色猿人が上体を起こした。
いよいよ、僕を殺す気だ。
一か八か。
僕は、胸の前で両手の指を組み合わせた。
「ハ?」
銀色猿人が、頓狂な表情を浮かべる。
それは、そうだろう。使える筈がないと言われたばかりの圧縮呪文の真似事を、僕がやろうとしているのだから。
「※※※※※!」
その正体は、口で呪文を唱えるだけではなく、同時に鼻や喉の奥で発した音を併せて、より高度な魔法を完成させるというものだ。
ひどく難しい作業だったけど、何とか上手くやれたみたいである。
口で紡ぐ呪文に、鼻と喉の奥で発した音が、複雑に絡み合う。
絡み合った全ての音が再構成され、1つの呪文を完成させる。
呪文が完成した途端、僕の中からごっそりと魔力が抜けて行くのが分かった。
あー。失神する。
しかし、意識を失う直前、たった1つだけ放たれた銀色の三日月形の刃が、銀色猿人の胸に吸い込まれるのだけが、確かに見えた。
目覚めると、辺りはもう薄暗くなっていた。
焚き火のパチパチという音とともに、何かを煮る良い匂いが伝わって来る。
身じろぎすると、身体中に筋肉痛の様な鈍い痛みが広がる。でも、堪えられない程ではない。
「目が覚めたか?」
かけられた声の方に視線を向けると、僕のそばに腰を下ろしたカゲロウさんが見えた。どうやら、怪我らしい怪我もしていない様子だ。
「・・・どうなりました?」
「よくやったな。アグニくんのおかげで、奴等を倒す事が出来た」
「あの銀色のは・・・?」
「胸を貫かれて瀕死になっていたのを、カグラがとどめを刺した。あれだけの大物を倒すとは、私もアグニくんの力を見誤っていた様だ」
カゲロウさんによれば、4つ腕猿人を倒した後に僕を助けようとして、気絶している僕と瀕死の銀色4つ腕猿人を発見したらしい。
どうやら、僕が戦っているところは見ていない様だ。
「紋様をずいぶん使わせてしまったみたいだな。先に言っておくが、申し訳ない事にその分の金額を全て補填する事は出来ない。それに、アグニくんの怪我を治すのに、アグニくんの持っていた法術の紋様まで使わせてもらった」
僕の様な子どもに、カゲロウさんは丁寧に頭を下げてくれた。魔鉄級冒険者ともなるとお金をいっぱい持っていそうだけど、案外そうでもないのだろうか?
「心配しないで下さい。この紋様は正規の物じゃありませんから、実はそんなにお金はかかっていないんですよ」
僕自身が描いたという事は明かさずに、カゲロウさんを安心させておく。さすがに、金貨を何十枚も払えとは言う気はない。
「そうなのか? ずいぶん効果の安定した紋様だったが」
「運良く、安くて良い紋様が手に入る機会があったんです」
「それは、うらやましいな」
「さあ、スープができましたよ」
そこに、1人で料理をしていたカグラさんが声をかけて来た。
「アグニさんはけっこう出血もしていましたから、しっかり肉を食べて下さいね」
ゴロンとした肉の塊が浮かんだスープを差し出すカグラさん。
「こ、この肉って、まさか・・・」
「そうです。銀色の方のです」
続いてスープを受け取ろうとしたカゲロウさんの動きが、ピタリと止まる。
「カ、カグラ、いつの間に・・・!?」
「嘘です。豚の干し肉を戻した物です」
「・・・。貴女の冗談は分かりにくいのよ・・・」
疲れた表情で肩を落とすカゲロウさん。カグラさんは真顔を崩さない。
カグラさんの方が常識人に見えて、実は逆だったりするのだろうか?
「今日は、ここで野営です。依頼は果たせましたので、明るくなってからのんびり帰りましょう」
「あの4つ腕2体が最後だったんですね?」
「周囲を見回りましたが、もう猿人は残っていない様です。安心して下さい」
スープを口にしながら、カグラさんが淡々と状況説明をしてくれる。
「そこでカゲロウも言っていた報酬の件ですが、アグニさんに銀色の猿人が持っていた長剣を1振りもらって欲しいんです」
「え?」
「剣の様な戦利品は売り払った上で、そのお金を等分するつもりですが、銀色の猿人が持っていた剣が思っていたより良い物でしたので、アグニさんに使ってもらえればと考えた訳です」
「それは嬉しいですけど、いいんですか?」
「是非」
カゲロウさんが、すかさず3振りの剣を僕の前に置いた。
銀色猿人の持っていた剣らしい。元々は4振りあったが、1振りは僕が刃を折ってしまったのだ。
戦っている時は気づかなかったけど、並べて見せられると、確かに良い造りの剣ばかりの様である。
「私が薦めるなら、これだな。最も鋼が良いし、剣身が短めなところも、アグニくんには使い易いだろう」
カゲロウさんが言う剣を手に取ってみると、ずっしりとした重量感が、やけに頼もしく感じられた。刃の輝きも冴え冴えとしていて、とても斬れ味が良さそうだ。
「これにします」
「簡単に決めたな」
「ちゃんと気に入りましたよ?」
ひょんな事から長剣が手に入った僕は、自然とにやけてしまう。目利きが出来る訳ではないけど、これだけの長剣を買おうと思ったら、金貨が何枚も必要なのは確かだろう。正に棚ぼたである。
「後は、猿人たちの武器や素材を売った分で、報酬を上乗せさせてもらいます」
「それは、お任せします」
お金が欲しいのはもちろんだけど、創造の魔法と圧縮呪文を覚えられた上、長剣まで手に入ったのだ。本当なら、こちらからお金を払わねばいけないぐらいの話である。払わないけど。
食事を終えると、辺りはもう真っ暗。
森の中は、視界が利かなくなるのも早い。
見張りは3人で交代。僕は最後、つまり朝方にしてもらえた。怪我での衰弱があったので、負担が小さい様にしてくれたらしい。
おかげで、交代で起こされた時には、かなり身体が楽になっていた。むしろ、銀色猿人と戦う前より調子が良いぐらいである。
「手強い魔物から、たっぷり魔力を取り込んだせいだろう。あれだけの魔物なら、筋力にまで影響が出ているかも知れないな」
ぶっきらぼうに言って、横になるカゲロウさん。
「魔物を倒したら魔力が増えるとは聞いたけど、身体も強くなるんだ?」
カゲロウさんやテュールさんたちの体力が人間離れして見えたのは、気のせいではなかったのだ。強い魔物を倒し、その魔力を取り込んで、肉体までが強化されていた訳だ。
これまで、ゴブリンやオーク、2本腕の猿人を倒した事があるけど、特に身体能力が上がった実感はなかった。魔力が増えたという感覚もなかった。
そんな実感を得ようと思ったら、銀色猿人ぐらいの大物を倒さねばならないという事なのだろう。
日が昇ると、僕が起こすまでもなく、カグラさんもカゲロウさんも自然に目を覚ました。
保存食で簡単に朝食を済ませると、さっさと出発をする。
新たに左腰に吊られた長剣の重さが心地良い。
なおそれ以外に、売却する為の他の長剣が2振り、僕の背嚢には入っている。
そして、カグラさんとカゲロウさんも、4つ腕猿人の武器を分担して運んでいる。カグラさんは、盾を2枚背負っている状態だ。
「でも、4つ腕2体だけが武器まで持ってて、別格だったんですねー」
「そうですね。雑魚たちも、成長すれば4つ腕になったのかも知れませんが」と、カグラさん。
「え? 猿人たちって、あれでまだ子どもだったんですか?」
「魔物の成長のし方は、人間とは違いますからね。身体の大きさは、最初からあんなものだと思います」
「あの大きさで生まれて来るんなら、母親はどんな大きさなんでしょうね?」
「それは、下手をすると4つ腕よりも大き・・・母親?」
僕の何気ない質問に答えようとして、カグラさんが何か重大な事に気づいた様子で足を止めた。
「そうだ。母親はどうした? 4つ腕は、どちらもオスだったぞ」
カゲロウさんも、同じ様に立ち止まる。
その顔からは、血の気が失われていた。
「ようやく気づいてくれたのか?」
聞き慣れない声が頭上から降って来たのは、その時だ。
「――――!?」
カグラさんとカゲロウさんが、すかさず戦闘態勢に入る。
状況について行けなかったのは、僕だけである。
そんな僕の前に。
音もなく、金色に輝く猿人が降り立った。